12 齟齬
清い弓の音が空を震わせる。
弦音は邪を祓う。これはやはり底つ穢か。
ビイィーン、ビィーンと続けざまにユラが打つ弓弦。靄が薄らいだかに思えた。ホカゲの姿が仄かに浮かんだ。
「アアアアッ!」
烈迫の気合いとともにコトフリが一閃。
靄の闇が内から斬られ散る。
――カ、ガッ……。
地の底に響くような低い声を残し、靄は散り沈んでいった。ホカゲがガクリと膝を折る。目を見開き蒼白だった。
「ホカゲ!」
弓をおろし駆け寄ろうとするユラをまたナギリが押さえる。
「ホカゲ殿、正気はあるか?」
「ホカゲ様お気を確かに」
ウスラバとミヌマが口々に言うのにホカゲは目を上げた。その瞳は苦しみに揺れている。だがどうやらまともなようで、ユラに向かってかすかに笑んだ。それを確認してナギリの力がゆるむ。
「――助かった、ユラ」
「そんなことはいい。あれは何?」
「あれは――」
言いよどむホカゲの唇が震えた。
「父上、だ」
靄に取り込まれかけてホカゲは了解した。
これは父タヒト。タヒトがホカゲに向けた思念。父の想いのたけ。
父には遠ざけられていると思っていた。常に戦に出され、さもなければ敵を欺くために使節として異国に赴いた。そしてどんな手柄を立てて戻っても苦い顔をされた。
ホカゲはただ言葉が欲しかった。よくやったと。そなたは私の息子だと。
父は自分に何を求めているのか。あるいは求めていないのか。この佐津に来て、おそらく求められていない方だと絶望していた。
だが靄に包まれてわかった。タヒトはホカゲを求めていたのだ。穢に身を落とすほどに。
「すれ違っていたのね」
膝を落としたまま動けないホカゲに寄り添いユラはささやいた。従者たちは間を置いて見守っている。そこに届かないほどの小声でホカゲは悔いた。
「父に泣きつくなどできなかった。情けない息子と失望されたくなかった。誇ってもらいたかったんだ」
「でもタヒト殿は頼られたかった」
うしなった妻アコヤの代わりなのかもしれない。慈しみ愛おしみ守るために、父に庇護を求めてほしかったのだ、おそらくは。
ホカゲの頬が濡れる。想いの行き違うまま手元を離れたあげく、正気をなくした父を祓った。久良岐にあるはずのタヒトの体はどうなっただろう。
「俺は父殺しなのか」
「わからない。でもホカゲが悔やむことじゃない。タヒト殿もいけなかった」
「だが」
「そんなに想い合うことができてうらやましい」
低く低くもらしたユラの声にホカゲは黙った。
「我をなくして心だけ追って来るほどの。命を捨てる覚悟で敵地に赴くほどの。そんな人、私にはいない。どうしてがむしゃらに想えるの。私には人の心がないのかもしれない」
「ユラ」
初めてのユラの弱音にホカゲは戸惑った。
「おまえの想うものは佐津の国だと言ったろう。それでいい。アケダ殿を継ぐ者としてそれ以上に正しいことはない」
「……うん」
どういうわけか励まし慰め合ってユラとホカゲは視線を交わす。互いの傷を舐め合うことにだって意味はあった。
今ここにどんな欠落があろうと立ち上がらないわけにはいかないから。
* * *
山を荒らした穢はシマジが呼んだ
しかし森で生け捕りつないでいた鹿を射殺したところを囲まれ、シマジの一族は抵抗した。多くの者が死に、生き延びた者も奴婢に落とされた。
「ユラ姉様」
血の気のない白い顔でユラの元を訪なったのはイナキだった。シマジの血に連なる異母妹。事あった時には館の奥にいただけとして罪に問われてはいないが、もう身の置き所はない。室内に入ることもせず入口にひれ伏したままのイナキを、ユラは庭に連れ出した。
「一族が神をたばかるとは、思いもよらず……」
絶句するイナキは巫女だ。国を背負うことがなくなったとはいえ神を感じる身。その点ユラとは違う。
「あなたの罪ではない」
そう言われても館には居たたまれない。母とともに下がるつもりだと挨拶に来たのだそうだ。
「下がる?」
一族はもうないに等しい。どこに下がるというのか。
「ゆくところは、あります。ご心配なさらず」
イナキはうっすらと笑う。口の端が笑んだままに動かなくなり、ゆっくり右手が上がった。後ろに離れて控えていたナギリとウスラバが足を踏み出す。
「ユラ!」
茂みの向こうから駆け出したのはホカゲだった。その位置からはイナキの虚ろな瞳がよく見えた。イナキが
ユラを庇いながら引き倒したのはホカゲだった。挙げた細腕に飛びつこうとしたナギリの手は一歩及ばずイナキは――自らの喉を突いた。
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