11 禍事
「聞こえた?」
「森で何かあったな」
従者二人とうなずき合い、ユラは居室に急いだ。出るなと命じられたのには従うが備えておきたい。動きやすくしなければ。
聞こえたのは追っていった者たちとシマジの手の者との小競り合いだろうか。それにしては奇妙な騒がしさだった。
「ユラ!」
奥まった庭から走り出て呼んだのはホカゲだ。勝手にここまで来るのは禁じられているはずなのに。ナギリがにらんだが、かまわずに駆け寄ってきた。
「コトフリを寄越せ。嫌な気配だ」
「――感じるの?」
「わからないが胸騒ぎがする」
常に戦いに身を置いていたホカゲ。チリチリと耳から首を焦がすような感覚は無視してはならないと知っていた。
「ここはアケダ殿の館だろうに、何故こんな――」
「不届き者が出た。ごめん」
手短に答えてユラは自室に駆け込む。つかんだコトフリを庭のホカゲに投げ渡すと、受け取りながらホカゲの顔が厳しかった。
「俺のせいか」
「きっかけにすぎない。根っこは別よ」
着替えに引っ込んでしまったユラに代わりウスラバは教えた。
「ユラは佐津を背負うことにした」
「どういうことだ?」
「そのまんまだ。アケダ様の跡を継ぐ」
ホカゲは目を見開いた。
「――何故、そんな」
「弟君が
「佐津はそうだったな。だがユラは……確かに強いが、戦に出るつもりか」
「世を乱したのは久良岐だろうが」
なじるようにナギリに言われホカゲは黙った。
底つ根を封じる久良岐が、天つ
静かにウスラバが問う。
「ユラの佐津と戦うか?」
「そんなことはできない!」
ホカゲは声を荒らげた。
捕らわれ踏まれ剣を向けられた女だ。だが飯をすすめ髪を梳かし好きに生きろと笑ってくれた女だ。そう言いながら自身は国を背負うと思い詰めていたのに。
「――俺が久良岐に戻るとすれば、父上を止めるためだ」
ホカゲの絞り出した言葉に後ろのミヌマとカヤカリが顔を上げた。だが何も言わない。それはホカゲがホカゲとして歩き出すために必要なことかもしれなかった。
「――ならばいい。その剣で戦ってくれ」
ウスラバの眼差しがゆるんだ。
シマジの行いはもはや謀反に等しい。神と王をたばかったとあれば討ち果たすしかなくなった。アケダはもう里に残るシマジの一族を拘束しにかかっているだろう。内乱にホカゲを駆り出す気はないが身は守っていてほしいのだった。
その思惑をうべなうかのように、山の木々がざわめいた。風ではない。薙ぎ倒すかのような荒々しい物音だ。
「物見!」
弓を手に走り出てきたユラに応えウスラバは一番近い木組みの塔に駆け上がる。ゴギャ、バキッという音は真っ直ぐに近づいてきていた。
そしてそれは森を出た。黒い異形。
「祟り神――!?」
黒い
「来る!」
何故かこちらに突っ込んでこようとする靄は速い。ウスラバが下りようとする時には壁の外の丸太柵が折れ飛んだ。間に合わない。
「飛べ!」
ナギリの声に梯子の途中からトンボをきった。背から落ちるのを相棒がズンと受ける。
そして、壁が破れた。物見の端が砕け、塔が崩れる。異形はそこで戸惑うように止まった。
「無事かユラ!」
「むろん」
ユラを背に庇ったのはホカゲだった。コトフリを抜き、靄と対峙する。靄はゆららと揺蕩った。
「コトフリを嫌がるか?」
ホカゲがつぶやく。ならばそれは
「これは山を越えて来ている。狙いは」
地に下ろされたウスラバが報じた。一同の目がホカゲに集まる。
「こいつは、久良岐から来たと?」
聞いて靄とホカゲの間に入ろうとする従者たちをホカゲは制止した。
「久良岐の者が俺を追って来たというなら、俺が相手するべきだろう」
「しかしホカゲ様」
「下がれ」
ミヌマとカヤカリを追い、ジリと構えるホカゲの背からユラも離れた。足手まといになるわけにはいかない。
これはなんだ。山越えが久良岐よりとは限らないがホカゲが目的なのは間違いなさそうだ。ならばやはり。死んだと報せたはずの久良岐から、誰がどうしたというのか。
――フオォーグワァーアーッ!
靄が吠えた。
「何ッ!」
ズルリとホカゲに向かって手が伸びる。飛び退くがニュルリと回り込み纏わりつく靄は速い。切り裂こうとしたコトフリが空振り、ホカゲの姿が呑まれた。
「ホカゲッ!」
ユラは悲鳴を上げる。駆け寄りかけるのをガシリと押さえたのはナギリだ。その強さに我に返る。そうだ、私の身を危険にさらすわけには。
近づいたウスラバも剣を手に動きあぐねた。靄を斬りつけては中のホカゲを傷つけかねない。迷ったその時。
ビイィーンッ!
音高くユラの弓弦が鳴った。
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