10 誓約


 久良岐を引き込むユラに叛心ありと言い張ったシマジは誓約狩うけいがりを行うと宣した。

 事の正邪を神に問うのが誓約うけい。占の一種ともいえる。ユラにとがあらば我に鹿を獲らせよ、とシマジは祈ったのだった。

 館前の広場に簡易な祭壇を捧げて、シマジは家人を伴い狩りに出た。自らの主張を里の民にも知らしめようというものだ。王アケダへの不満をあからさまにするやり方に、他の臣たちはシマジを見送りながら言い合った。


「イナキ姫しかおらぬと思って傍若無人な」


 有力な巫女のあてはもうないとシマジは強気なのだろう。館の門の内からながめたアケダは、そこまで思い上がらせたかと苦いものを噛みしめた。


「父上、猶予はありませんよ」


 奥の宮からゆっくりと来たのはカザネだった。その隣にユラもいる。二人とも静かな顔だ。広場の民へも聞こえるようにカザネは言った。


「シマジは偽りの誓約うけいをしました」

「何」

「僕のうらにはっきり映っている。もう鹿は生け捕られ森につながれています」


 カザネの言葉はそこにいた人々を二重に驚かせた。

 シマジが神との誓約を違えたこと。

 そしてカザネが占を行う男――かんなぎであると明かしたこと。


「カザネ、そなた」

「巫女でなく覡が現れるのは吉か凶かわからない。ですが僕しかいないのなら、つとめは果たします」

「父様」


 ユラもおだやかに進み出る。


「佐津の女神はカザネを愛おしんで下さっている。私はカザネを支え戦うにやぶさかでなく」

「ユラ――」


 今の巫女はアケダの姉姫だ。そのうらは次代にこの姉弟をと告げていた。だがこの姉弟の在り方が常と逆なものゆえにアケダは迷っていたのだ。


 国の巫女は女神の侍女となり仕える。そしてその兄弟が王となる。それが佐津。

 それが覡でも同じこと。カザネが女神に仕える時、同腹の兄弟姉妹はユラしかいない。ならば女王が立つべきだった

 だが今、周囲には戦いが広がっている。そんな時に佐津を背負い導いていく任を女であるユラに負わせるのが忍びない。


 中つ国を乱しているのは、よりによって久良岐だ。底つ根の国を封じる地。その王タヒトの心はどこへ向かおうとしているのか。苛立ちをこめ見守っていたが、とうとう佐津にまで手が伸びた。

 佐津は佐津で、天つ峯あまつねの国と中つ国を分ける地だ。

 背後の高山は、底つ死と穢を忌み日の恵みを乞う心の拠りどころ。女神は天が地をつぶさぬよう高みに結びつけ山で支えたという。


「その神を欺こうなど、まがを呼んでしまう」


 カザネはまだ十五、少年の面影を残している。その中性的なかんばせは女神を映すかのようだった。

 そんなカザネの口が禍を告げると、広場にいた者たちはおののいた。


「シマジをとめろ!」

「鹿を生かして放せ、祟られるぞ!」


 口々に叫び走り出すのを落ち着いて見やるカザネを、アケダは痛々しく思った。


 幼い頃から透き通るようなまなこを持つ息子だった。草花や小さな生き物に心寄せ、武芸は好まぬ様子を見るにつけ、ユラと逆であればとよく考えた。それが神の意図したものと気づいたのは、ユラに巫女の才がまったくないとわかった時。

 女神、薩天日女さつのあまびめはカザネを欲し、ユラに国を治めよと命じているのだ。


「私はもう逃げない。今まで守ってくれてありがとう、父様」

「ユラ」

「私たちを隠していたせいでシマジに罪を犯させてしまった」

「隠さなくても僕のことを気に入らないと言って謀反をたくらむと思う。仕方がないよ姉上」


 悔しそうなユラと穏やかに励ますカザネはきっと佐津を導く。そう思えてアケダは子らに遅れて腹をくくった。


「鹿は救えるのか、カザネ」


 問いにカザネはかすかに首を横に振る。アケダの目が険しくなった。


「ならば」

禍事まがごとが起こるかもしれません。僕は宮に」


 小声で告げ、カザネは踵を返した。占を続けるつもりだ。アケダは娘に言い渡した。


「ユラはいつでも動けるようにしておけ」

「森には」

「行かずともよい。射られでもしたらどうする」


 シマジがどこまでするか読めない。ユラを女王とすることを宣する前に万一のことがあってはいけなかった。今はまだアケダが王、娘は守る。

 近侍に兵を揃えるよう命じ、アケダは自分も支度をととのえに消えた。


「ユラ」


 そっと呼んだのはウスラバだ。誇らしげな目。硬い顔のナギリもいる。

 かなり下がって控えていたユラの右と左は、守り育てた姫が王に立つ決意を固めたのを複雑に受けとめていた。だがユラの決めたことならそれを支えるまで。


「――これからも、そばにいてくれる?」

「もちろん」


 短く答えるウスラバと黙ってうなずくナギリ。忠実な二人がいれば自分は大丈夫、そうユラは心を強くした。


「念のため戦えるように――」


 指示しかけた時、遠い森がどよめいた気がしてユラは顔を上げた。気配を聞く。

 確かに悲鳴がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る