いつか、あなたと一面の花の中で
ウルリーケは城の庭園にいた。
庭園の中央では、フィンストーゼが分けられた株から無事にそれぞれ芽吹き、育っている。生命力に満ちた緑の葉を揺らし、気の早いものはもう薄紅をのぞかせる蕾をつけている。
この調子ならば株分けされたものから、更に分ける事も可能だろう。ただ、時期を迎えるまでは当然ながら油断せずに見守っていく必要はある。
それでもつい、幻の花が現のものとなり、かつてのように花園を為し、また薬となって人々の手に渡る日を夢見てしまう。
もしかしたら皇宮に良い報せと共に幻の花を届けられるのは、そう遠くない日かもしれない。
そんな事を想いながら、ウルリーケは歩みを進めてある場所の前に立つ。そこには、箱に入った数々の花の苗が置かれていた。
出来れば今日、商人たちから奥方様へ、と届けられた数々の苗を植えてしまいたいと思っていた。ここの処少し体調が思わしくなくて、せっかくの苗をそのままにしてしまって居た事を気にしていたのだ。
早く植えてしまいたいが躊躇してしまう『理由』がある。
フィーネが何かを言いたげにこちらを見ているのもその『理由』の為である。
それ故に、苗の入った箱を前にして動きを止めて考え込んでしまう。
一つ一つの行動に、まず思案してしまうのでなかなか手が進まない。
『気を付けなさい』と言われたばかりだ。少しぐらいと思いはするけれど、慎重であるに越したことはないとも思う。
ウルリーケはゆっくりと庭園へと視線を巡らせる。
既に庭園内には多くの彩りが溢れていた。
あの日初めて庭園に足を踏み入れた時が嘘のように庭は蘇り、命と色彩に溢れている。
かつて封じられ忘れられていた、彼の人の傷ついた心そのままだった場所が、今は光に溢れている。
その事が嬉しくてたまらなくてウルリーケは僅かに目を細めた、その時だった。
「どうした? ウルリーケ」
今日もまた庭仕事を手伝ってくれていたスヴェンが、覗き込んでくる。
スヴェンは、ウルリーケが苗の箱を持とうとしていた事に気付いたらしい。
自然な動作で箱を持ち上げると、何処へ運べば良いのかと問いかけてくる。
それに応えながら、ウルリーケはスヴェンを見上げる。
フィーネ達の渋い顔を押し切って簡素な装いで、端整な顔や滑らかな手も土で汚れてしまっている。けれど、ウルリーケにとってはとても愛しいと思える姿で、笑いかけられると痛い程に幸せと思ってしまう。
今朝がた、目覚めたスヴェンが少し悲しげだったのが気にかかっていたが、今は平素のままだ。
見つめる視線にそれを察したのか、スヴェンが少し苦笑いを浮かべて呟いた。
「父上と母上の夢を見ていた」
スヴェンは遠くを見つめるような眼差しで、独白めいた口調で続ける。
「……もしかしたら、父上は本当に母上を愛していたのかもしれない」
先帝は後添えを迎える事もなく、一人の愛妾も持たなかった。
愛していた。だからこそ、自分を向いてくれない事が哀しかった。
だからといって、先帝がした事が許されるわけではないのだが……。
「まあ、唯の憶測にすぎないけれどな……」
結果として皆が傷つき、哀しい終わりを迎えた事実はもう覆せない。
けれど、祖父も、父も、母も。
誰もがただ、求めていたのはただひとつだった。
伝える事を封じたが為にその思いが交わる事無く途切れ、すれ違い、哀しみは連鎖した。
「だから俺はお前とは言葉を惜しむ事なく想いを確かめ合っていたい。……お前の、望みを知っていたい。それを、叶えてやりたい」
言われた場所へと苗の箱を置いたスヴェンは、言いながらウルリーケを抱き締めようとして一端躊躇した。
自分の手が土に汚れているからだろうが、それを言うならウルリーケとて同じ事だ。
目を見合わせて思わず二人揃って苦笑した後、スヴェンはウルリーケを腕の中に閉じ込める。
今ではすっかりと落ち着く場所となったスヴェンの腕の中で、ウルリーケは安心しきった表情で目を伏せた。
脳裏を巡るのは枯れ果てた心でこの地に来た日の事。
出会った夫である美しい人に受けた拒絶。
二人とも、ひび割れた大地のように心が乾き切っていた。
ウルリーケはそれまでの世界以外を知らず、スヴェンは変わらぬものだけの世界から出る事を拒絶した。
でも今は違う。二人はお互いに寄り添う事を知り、新しい世界を手に入れ、ここに居る。
願いを、と言われて幸せな温もりに目を細めながら、ウルリーケは告げた。
「いつか、あなたと一面の花の中で笑い合えたなら、と願っていました」
心にあるものを『愛』だと確信が持てなかった時。
いつかその願いが叶ったならば、わかるかもしれないと思っていた。
それはもう叶っている。そして、また叶うだろう。
この花々に溢れた庭園の中で。いずれ蘇り彩と緑に溢れるだろう大地にて。
巡る時の中で花々に囲まれて、自分達は笑いあいながら時を重ねていけるだろう。
花のような笑みを咲かせながら、ウルリーケはスヴェンを見上げる。
「スヴェン様こそ。……私だって、スヴェン様の望みを知りたいし、叶えたいと思っています」
ウルリーケが言うと、スヴェンは一瞬きょとんとした表情で目を瞬いた。
暫し考え込み逡巡していた様子だったが、やがて少しばかり頬を赤くそめながら呟いた。
「結婚式がしたい」
「え……?」
今度はウルリーケが目を瞬く番だった。
目を背けかけたスヴェンだったが、頬を紅潮させたままウルリーケを抱き寄せる手に力を込める。
そして、改めて己の願いをゆっくりと口にした。
「……ヘルムフリートとの代理結婚で終わらせていただろう。だから、きちんと俺達で結婚式をしたい」
確かに、その通りである。
スヴェンは結婚式にあたってもギーツェンから出る事はなかった。故に、ヘルムフリートを代役として立てて皇宮にて代理結婚の式を挙げた。
法のもとにはそれで足りてはいるが、スヴェンとしては気になっていたらしい。どうせならば村の人間も招待して、皆に祝福されながら式を挙げたいのだとスヴェンは言う。
お前さえ良ければ、とスヴェンはウルリーケの様子を気にしている。もしかしたら否と返されるのを恐れているのかもしれない。
伝わってくる心に、ウルリーケの頬もまた赤みを帯び、瞳の端が潤み始める。
拒絶するわけがない。どうしてそんな幸せな申し出を断る事ができるだろうか。
嬉しくてうれしくて、言葉が出てこないほどに胸がいっぱいで、気の利いた言葉の一つも返せない。
必死に何度も頷いて、喜びの意思を伝えるのが精一杯。
スヴェンはウルリーケの様子を見て察してくれたようだった。銀色の瞳に溢れるような喜びが滲む。
その時、あ、とウルリーケが小さく声をあげた。
何があったのかと一瞬にして不安を露わにしたスヴェンへと、ウルリーケは少し頬を染めながら笑みを浮かべて告げた。
「それなら、少し急いだほうがいいかもしれません」
聞いたスヴェンの顔に、疑問が浮かぶ。
早いに越したことはないが、と戸惑ったように呟く夫に、ウルリーケは恥じらうように、けれど確かな喜びと共に。
下腹部に手を添えながら、自身につい先程齎されたばかりのある知らせを伝えた。
「その……もう一人、増えますので。……家族が」
二人の間に、沈黙が満ちる。
スヴェンは一瞬理解が出来ない様子で固まっていた。
喜んで頂けなかったのだろうかとウルリーケが不安になりかけた瞬間、ウルリーケの身体は地面から浮き上がっていた。
信じられないと言う様子で目を見張り、頬を真っ赤に染めたスヴェンが、ウルリーケを抱き上げたのだ。
遠くで二人を見守っていたフィーネ達が慌ててスヴェンを制止しながら飛んでくる。
それを受けて慌ててスヴェンは、ウルリーケを壊れ物でも扱うように優しく丁寧に地に下した。
何故知らせてくれなかったとスヴェンは僅かばかり拗ねた言葉を口にしたが、湧き上がる喜びを隠しきれていない様子にウルリーケは微笑む。
事実を伝えるウルリーケの瞳にも、改めてそっと彼女を抱き締めるスヴェンの目にも。
見守る双子の使用人達の目にも、何時しか美しい雫が輝いていた。
それは、美しい花々と緑に囲まれた、温かな光景だった――。
かつて歪な『世界』に囚われていた少女は、荒れ野の果ての城にて、歪な『世界』で移ろうものを拒絶していた青年と出会った。
二人は互いを知り、そして己を知る。
そして自らを取り巻いていた旧き『世界』を捨て、新しき『世界』を得た。
自らが固執していた旧き『永遠』を捨て、新しき『永遠』を得た。
少女は青年と出会い、ほんとうの世界を知り。
青年は少女と出会い、ほんとうの永遠を知った。
自らの足で大地に立ち、自らの意思で先を決めるということを。
いつか移ろうとしても、それ故に一つ一つの刹那が愛しいのだということを。
少女は青年に、青年は少女に。
お互いによって答えを得た二人は、抱く想いを確かに『愛』と知った。
触れあう事の温かさを知り、けして触れる手と手をけして離したくないという想いを知った。
その想いが幸せであることも、また……。
緑の土地へと歩みだした辺境の渓谷は、いつしか名を変えていくのだろう。
それはいつか辿り着く未来、確かにそこにある夢の形。
そして、その一面の花の中で。
『枯れ谷』にて探し、悩み、それでも想いを紡ぎ続けた少女は。
やがて至る『花の谷』にて青年と共に途切れる事なき愛を紡ぎ続ける――。
いつか、あなたと一面の花の中で ―少女は枯れ谷に紡ぐ― 響 蒼華 @echo_blueflower
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