夢は現となりて、未来へと至る

 ――吹き行く風が、随分と柔らかい温かさを帯びたような気がする。


 ウルリーケが『枯れ谷』に足を踏み入れ、ギーツェンの城の住人となってからの初めての冬は随分と慌ただしく過ぎた。

 厳しい気候は、帝都と辺境の行き来をも閉ざし、それは結果として『枯れ谷』を波乱から遠ざける事となった。

 あの日、ヘルムフリートの側近の計らいで帝都が閉ざされる前にウルリーケ達はギーツェンへ帰還する事が出来た。


 ウルリーケ達が離れた直後、帝都、そして皇宮では動乱が起きた。

 玉璽を手にしたヘルムフリートが、父であるマンフレート帝に退位を要求したのだ。


 ヘルムフリートは元より人望厚く、本人が優れた武人である事から特に軍部の支持が厚かった。

 軍を指揮する主だった将軍たちは、皇子が玉璽を手に立ちあがった事を知ると即座に行動に移る。そして、瞬く間に軍は帝都を制圧し皇宮を包囲した。

 制圧といっても、逆らう者はほぼ皆無だったらしい。むしろ、皇宮を守る者達は皆即座に降伏し傘下に下る事を望んだという。

 帝都は一時的に戒厳令が敷かれた状態となったが、そこでも問題らしい問題は起きなかった。

 物々しい空気に騒めいた帝都の民たちは、皇子が立ち上がった事を知ると進んで兵士たちの言う事に従ったらしい。彼らを邪魔せぬようにと自ら家に籠り、或いは必需の提供を行ったというから驚きである。

 暗愚な皇帝の気まぐれに振り回され苦しんでいた者達は多かったのだろう。

 誰もが皆、優しく穏健な皇子による新しい世が来る事を望んでいたのだ。


 結果として、皇子ヘルムフリートによる反乱は血を流す事なく成功した。

 軍部からの圧倒的な支持を得ていた皇子が、本物の玉璽を手にしたという事実は大きかった。母が平民であるという事実は、逆に広い層の支持を集める理由にこそなれども、傷とはならなかったのだ。

 皇帝は、だからこそ息子を警戒し軍務から遠ざけて飼い殺しの状態にしていたが、それが却って軍属の者達の反感を募らせていた。

 皇子が正しい玉璽を手にした事実は、即ち皇帝が偽りの玉璽を以て国を騙し続けていた事を明らかにする。

 兼ねてから色狂いと皇帝を見放していた諸侯は、その二つの事実を知ると迷う事なく皇子につくことを選んだ。

 何とその中には皇后の実父であるカレンベルク侯爵も居たというから驚きだ。

 確かに時勢を読む事には長けていたな、とウルリーケは祖父の厳格な横顔を思い出す。

 それなりの野心を持ち合わせてはいた、だから孫娘を……結果として娘を皇后として差し出した。

 しかし、やはり名門を担ってきたひとかどの人物である。家門を存続させるためには何方につけば良いかをすぐに見抜いた。父の助けを当てにしただろう皇后はさぞかし驚いた事だろう。


 誰も皇帝たちを助けようとはしなかったらしい。事態を把握する間すら与えられず、彼らは孤立無援の状態となった。

 どこからも助けは来ない。

 諸侯は皆揃って彼らを見放し『反徒』に与した。

 軍部は『反徒』らの巣窟であり首謀者の命令一つで皇宮に攻め入るであろう状況。

 いつも良い様に使っていた息子も今回ばかりは当てに出来ない。そもそもが『反徒』の首謀者がその息子なのである。しかも、皇帝である自身よりも圧倒的に多くの心を得た。

 そして息子は、皇帝を皇帝たらしめる証を手にしている。

 マンフレートには、一縷の望みも存在しなかった。

 ヘルムフリートに退位を迫られた皇帝は、これでもかと悪口雑言を叫び続け狂乱し、醜態をさらしたらしい。

 しかし、それでもなお息子は揺らぐ事なく毅然と立っている。

 最悪の場合自らの手を汚す事も辞さない固い決意を息子の中に感じたマンフレートはついに屈し、帝位を退く事を受け入れた。

 皇帝と皇后は厳重な監視をつけた上で僻地の小さな屋敷に幽閉される事となったようだ。

 生きている以上、逆襲を狙わないという保証はない。

 ただ、誰も皇子に父殺しを強いる事は誰も出来なかった。

 それに、反逆者となってまで彼らに着こうとする人間がまだ残っているかは些か……いや、相当にあやしいところである。そんな人間がいればそもそも退位する事にもならなかっただろう。利用する為に担ぎ出そうとする者達が居ないとは言えなかったが、ヘルムフリート達なら大丈夫だとウルリーケは思える。

 華やかな皇宮の暮らしから一転して『先帝』夫婦は世から隔絶された生活を送る事となった。

 今頃母が嘆いているのか、それとも怒り狂っているのか。それはもう、ウルリーケにはどうでもいい事だった。


 ヘルムフリートは多くの人間の求めの元に、新しい皇帝として即位した。

 慌ただしい即位式となったらしいが、それで新皇帝を笑うものはなかった。

 華麗さや荘厳さとは真逆の質実剛健なものであったというが、それがまた新帝らしいと皆は納得していたらしい。

 実際、皇帝の私的な財産は皇帝と皇后の浪費で空に近くなっており、遂には国の予算にまで手をつけていた事が発覚したと聞いた。

 ウルリーケはそれを聞いた時には、何とも言えない表情になり頭を抱えてしまったが。

 それを知ると皆、皇帝の飾る事のない堅実さをむしろ讃えたという。


 ヘルムフリートはフィンストーゼがギーツェンに在る事を保証してくれた。

 フィンストーゼに関する全権限をギーツェン大公夫婦に任せるもの、と皇帝として宣言してくれたのだ。育種に成功し数が増えたなら、その時は皇宮の『秘された庭』に一株もらえまいか、とささやかな願いを添えて。

 その時はウルリーケとスヴェンに揃って皇宮に顔を見せに来て欲しいと丁寧な筆跡で綴られており、二人は顔を見合わせて頷いた。


 また、ヘルムフリートは意外な需要を村に齎してくれた。

 紅の染料によって染めた布を、マンフレート帝の時代には全く手つかずのまま放置されていた儀礼用軍服の帯と式典の旗として採用してくれたらしい。古びてみすぼらしくなっていたが、皇帝に申請しても予算の無駄と省みられる事がなかったという。

 確かに男性が服として纏うには若干華やか過ぎるものだが、儀礼服のアクセントとするならば確かに効果的だ。遠目から見ても鮮やかなので、旗としても見栄えがするだろう。

 商人が教えてくれた話では、新帝に熱をあげるご婦人方の間ではその紅のドレスや装飾を身に着ける事が流行りつつあるとか。だからまだまだ染料の需要は続くだろうと。

 需要ばかりではなく男性の身でありながら婦人の流行まで作り出してしまったヘルムフリートに、ウルリーケは思わず笑ってしまった。

 継続して染料の需要が見込めるようになった事は村にとっての明るい報せとなった。


 勿論、薬草の需要も継続している。

 安定して供給できる先が確保された事で、村も助かっているがそれ以上に業者に感謝されるようになった。

 以前は自生している場所を探し、取り尽くしては次を探しという状態だった。

 人の手が管理できる状態で生えているのが見つかったのは『枯れ谷』の沼地が初めてだという。

 ウルリーケも日頃から首を傾げる事が多いが、この荒れ野は説明しきれない不思議な土地であると業者たちも首を傾げていた。


 村人たちも、自分達で村と『枯れ谷』の特色を生かした産業を考えられないかと話し合い始めたらしい。今はまだ案を出し合っている状態だが、議論が活発にされているのを見るのは楽しいものである。


 大地を閉ざしていた白が緩やかに消え失せていくと共に、ウルリーケは再び農耕地の改良に取り組んだ。

 ヘルムフリートが、父が皇宮に遺していたという種苗の改良について記された沢山の資料を送ってくれたのだ。

 ウルリーケは冬の間でも出来る限りを集めた種苗を、城の温室にて保存しつつ数を増やしていた。

 空気の険しさが緩み機会が巡ってきたのを察知すると、ウルリーケは待ちきれないというようにそれらと共に村に降りた。

 荒れ野の地の冬は想像以上に厳しいもので、一時は城と村の行き来も遮断される程だった。だが、冬に至るまでに村も城もそれぞれに充分に備える事が出来たから、厳しさが和らいだ頃に無事お互いの顔を確かめる事が出来た。

 父の資料を元にスヴェンがあちこちへと依頼を出し、各地から更に多くの特徴を持つが種苗が集められ準備を整えて。

 それらを元に品種改良は始まり、少しずつ枯れ谷の大地に適した種の実現の兆しが見え始めていた。

 種苗を揃えるうちに見つかった、寒冷地や荒れた土地にも強い美しい花をつける花苗を皆は喜んだ。地面を覆うように増える花は、土の流出も防ぐうえに可愛らしい橙の花をつけるらしい。

 見るだけしか出来ない花など何の役にも立たぬと吐き捨てていた人々が、少しずつでも花を見て喜べるようになっていく。

 どうせならこれも増やして『枯れ谷』などと呼べぬような美しい風景にしようじゃないか、と笑い合う人々にウルリーケは胸が一杯になった。

 聞いたところによると、植物について学ぶ者で『枯れ谷』の植生について調べたいという者達も出ているらしい。同時に、土壌の改善や寒冷地に強い作物の研究に取り組む者達も『枯れ谷』に興味を示し、入植希望する者もいるとか。

 また、フィンストーゼの育種に協力したいという者の声も届いている。

 その大部分が亡きウルリーケの父の知己であったり、教えてを受けた者達である。

 スヴェンは村と相談し、滞在施設を作る事を計画し、可能な限り受け入れる事を考えていた。



 ウルリーケの呼びかけのもと、スヴェンの支援を受け、灰色と土色だけだった『枯れ谷』の荒れ野は色彩を徐々に変えていく。

 何時しか険しい冷たさが緩み、温かな春が来るように。

 頑なだった心が解けていくように。

 何時しか、荒れ果てた土地は新しき時を迎えていた。


 それは、この土地を預けられた夫婦もまた……。




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