―暗―

 ようやく総本殿にたどり着いた伊織の前に立ち塞がったのは、教団関係者による厳重な持ち物検査だった。複数の列に並ぶ信者が、まるで空港の保安検査場のようにあらゆる私物を籠の中に出している。


 どうやら本殿内部に立ち入るには私物の一切を預ける必要があり、伊織の番が回ってくると財布やスマホといった貴重品はもちろんのこと、虎の子のボールペン型盗撮機まで曝さなくてはならず生きた心地がしなかった。


 もしも盗撮用のカメラが仕込まれてるとバレたりしたら――想像するだけで鼓動が速くなったが、幸いにも特に怪しまれずに通過できたのは、運が良かったと言えよう。事前にスマホは持ち込めないことを知っていたが、まさか内部に潜入するだけでここまでの洗礼を受けるとは思わず、証拠を写真に収める算段は脆くも崩れてしまった。


 ――もしかしたら、行方不明になっている同業者は無断で敷地内に侵入したのかもしれない。


 検査を終えると、天井に設置されている監視カメラが伊織にレンズを向けていた。総本殿の周囲にも大袈裟に思える数の監視カメラが設置されているのを見かけたので、誰にも見つからずに行動するのは相当難易度が高いことくらい容易に想像できる。


         ✽


 特徴的な外観とは裏腹に、内部は無機質なリノリウムの床と真っ白な壁どこまでも続く病棟地味たシンプルなデザイで、せいぜい観葉植物が気持ち程度に置かれているくらいでこれまで外で体験した俗物的な匂いは一つもしない。


「萬田さん。どうして奈保子には着いてくるなと仰ったんですか?」

「あの女は一緒にいて疲れるんだよ。合うたび合うたび、ワシに擦り寄ろうとする魂胆が見え見えなのが気に食わん。信者でなければ視界にも入れたくない」


 エレベーターホールで到着を待っている間、何故奈保子を排除したのか尋ねると萬田は面倒くさそうに答えた。


「ああ、そうだったんですか。わからなくもないですね」

「わかってくれるかい。本当彼女には困ってたんだよ」


 つい数分前――萬田は当然のように着いてこようとしていた奈保子に向かって、冷たい口調で「自分が案内するから後は好きにしてていよ」と、遠回しに拒絶の意を伝えて現在は行動を別にしている。正直、萬田の言い分は良く理解できた。


 移動中の奈保子は小判鮫のように萬田に近づいては、下手な三文支配で服装から靴まで目に映る全てを褒めそやしていた。それで好感触を得られる人間もいるだろうが、萬田に関しては完全に逆効果で、毎度毎度おべんちゃらを言われて困っていたらしい。


 笑顔で応対していた萬田も流石に疲労感が拭えず、到着したエレベーターに乗り込むとらしくない溜息を吐いて閉ボタンを押した。


「それて、さっきの話の続きだけど、他の信者がいるところで〝彼〟の話題はもちろん、名前も口にするのはタブーとされてるんだよ」

「恐れられてる? 何故ですか?」

「伊織ちゃんは当時、まだ幼子だった思うけどオウム真理教は知ってる?」

「当たり前じゃないですか。かの有名なカルト教団ほど有名な宗教団体はありませんし」


 しれっと〝ちゃん〟付けされてることはこの際無視して、話を聞くことに注力した。自動音声に行き先階ボタンを押すよう促され、萬田が八階を押すと体が浮遊感に包まれる。


「それじゃあ、村井秀夫という男は知ってるかい」

「確か、〝科学技術省〟のトップに立っていた狂信者ですよね。サリンの生成計画に重要な役割を果たしたとか」

「御名答。その通りだ。花丸をあげよう」


 伊織がまだ物心つく以前に、数々の凶行を重ねた人物であることは後の報道で知ってはいた。最期は路上で刺殺されたことも。


「村井はオウム真理教初期の犯罪から関わっていた男で、教祖に極めて忠実で大阪大学理学物理学科を首席で卒業するような天才だった。その経歴が買われてサリン生成を命じられ、教祖が命じるままになんの躊躇いもなく複数人の命を奪っている。捕まっていれば間違いなく死刑になる男だ」

「長々と話してるとこ悪いですが、その村井と二堂さんとの間に、なんの関係があるというのですか?」

二堂詠春にどうえいしゅん……彼は揺り籠の会の村井にあたる存在なんだよ。神出鬼没で個人情報は一切外に漏れない。何処で生まれたのか、どうやって生きてきたのかすらな。その名前も本名かどうか疑わしい。とにかく我々信者の間では、不可侵アンタッチャブルなんてだいそれた二つ名で呼ばれたりしている」

「村井と同じということは……つまり殺人を犯してると?」

「そんな証拠は何処にもない。ただ、彼が動くと必ず人が消えることも確かなんだよ。現にワシのよく知ってる地神も消息を絶っている。その名を口にするだけで消されるなんて噂まで流れる始末さ」


 萬田が口を開きかけたところで扉が開いたため、話はそこで強制終了となった。


「そうだ。もっと話を聞きたいんだったら、後で時間を作ってもいいぞ? 今日は一泊していく予定だからね。ワシの部屋で時間をかけて、じっくりと」

「あ、そういうのはいいです」


 図に乗らせると、簡単にセクハラ発言をするところは本条とそう変わらないことを理解し、右から左へ受け流す。

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幻想の揺籠 きょんきょん @kyosuke11920212

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