―萬―

 ショッピングモール(?)の中にはレストランの他に、カフェも当然のように店を構えていた。休憩も兼ねて伊織たちが立ち寄った店内は、全体的に木材を基調として落ち着いた雰囲気が個人的には好みではあった。


 でてくるメニューも宗教団体が考えてるとは思えないクオリティーで、正直ミシュランに出てきてもおかしくないレベルに早めの昼食を摂っていた伊織は、舌を巻かずにはいられなかった。最早なんでもありに近く、羨ましいとさえ思えてしまう。


「うちは自家農園で無農薬の野菜や果物も育ててるの。あと牧場も経営しているから、新鮮な牛乳や精肉も手に入るのよ」

「なんだか、やってることが一宗教を超えて街作りのゲームでもしてるみたいに思えてきたわ」


 口元を拭きながらありのままの感想を伝えると、奈保子は自家農園で栽培したハーブをふんだんに利用したハーブティーを啜りながら、自慢気に頷いてカップを置いた。


「ところでさ、さっきの二堂って男、一体何者なの?」

「ちょ、その名前をここで出さないでちょうだい!」


 興味本位で尋ねると、慌てて口をつぐむようにたしなめられてしまった。周囲に聞かれてないか確かめるように、せわしなく視線をキョロキョロとさせ、却って目立っていると軽口な言えない雰囲気だったので言われたとおりに口を噤んだ。


 何をそんなに怯える必要があるのか。思い返すと、二堂という男に話しかけられた時の奈保子の狼狽っぷりと言ったら、親に悪事を見つかった子供のようだった。〝二堂様〟とわざわざ敬称で呼ぶくらいだから、それなりの立場にいる人間であるのは理解できる。とはいえ、あのとも取れる反応は立場の違いからくるものではないようにも思える。


 気になることはまだある――教団を調べている人間を探している発言や、伊織に対する脅迫紛いの発言。もしかしたら、行方不明のフリーライターは二堂に捕まって〝処分〟されたんじゃ……。


「おやおや、お二人さん。何の話をしていたのですか?」

 

 奈保子と同じハーブティーを口に運んでいると、隣の椅子に見知らぬ男が腰を下ろして話しかけてきた。頭は総白髪で、全体的に脂肪がまとわりついている。某ファーストフード店の白スーツの人形を想起させる体型をしていたが、いかにも仕立ての良さそうなストライプ柄のスーツに、磨き上げられた革靴は素人目にも高級であることがわかる。


 浮腫んだ指には幾つもの指輪がはめられ、その全てが煩惱の塊のような金色に光り輝いていた。腕時計も同じく金で統一されている。よく見れば、唇から覗く歯も金歯ときた。――この男も信者なのか? 怪しんでいると、声を弾ませて立ち上がった奈保子が深々とお辞儀をした。


「あら、萬田さんじゃありませんか。お久しぶりでございます」

「おいおい奈保子くん。そんなかたっ苦しい挨拶はやめておくれよ。ワシはそんな大層な人間じゃないんだから」

「何を仰るんですか。萬田さんほど揺り籠の会に貢献なさってる方は存じ上げませんわ」


 なにやら親しげに会話をする二人を傍から見ていた伊織は、隣の爺さんの名前を聞いた瞬間に、自分の聞き間違いではないかと疑った。


「あの……もしかして、萬田修まんだおさむさんですか?」

「おや、お嬢さんのようなお若い女性にも知られてるなんて、まだまだワシも捨てたものではないな」

「ちょっと萬田さん。彼女は私と同い年ですよ。それを言うのでしたら、私のことも同等に扱ってほしいものですわ」

「なに? そうじゃったか。これは失礼」


 ガハハ、と大口を開けて笑う萬田は、日本の百貨店業界でトップの売上を誇る萬田グループの頂点に君臨する会長である。先代が残した莫大な負債を一代で完済しただけではなく、業界内で低迷していた地位を類稀なる経営手腕でV字回復させ、競合他社を瞬く間に置き去りにして世界進出も成功させた傑物の一人。


 居を政財界にも顔が利き、経団連にも名を連ねていることはあまりにも有名な話だ。たとえお金を積んだとしても、吹けば吹き飛ぶ木っ端でしかないフリーライターが、席を隣にすることなど間違ってもあり得ない。


 ――揺り籠の会は、こんな人間まで信者として抱えているのか。


 愛想笑いをしながら、秋葉原で購入したペン型の盗聴カメラを死角で構える。萬田の顔が映り込むように無音でシャッターを立て続けに押していると、肌と肌が触れ合うほどの距離まで詰めてきて腿の上に膝を置かれた。


「え、あの……」

「キミ、初めて見る顔だね」

「は、はい。そうですけど」

「名前は?」

「斎藤、伊織です」


 問われるがままに答えると、不躾な視線で上から下まで舐め回されるように見られた。


「状況柄、ワシは一度見た人間は決して忘れないんだよ。特に綺麗な女性の顔はね。伊織ちゃんみたいな女性に会えて、今日は嬉しい限りだよ」


 醜いウインクをしながら、五本の指が毛虫のように肌の上を這い回る。何勝手に人の体に触れてるんだと、反射的に手が出そうになるのを堪えてやんわり拒絶すると、つまらなそうに手を引っ込めた。


 伊織のなかで萬田は仕事に実直な男性というイメージがあったが、単なる時代錯誤のセクハラ男だったようだ。正面に目を向けると、奈保子は見方をしてくれるわけでもなく、つまらなそうに水を飲み干して伊織から視線を逸らしていた。どうやら萬田に無視されるのがお気に召さないらしい。


「それで、お二人さんは何の話をしてたんだい?」

「二堂という男性についてです。どんな方なのか知りたくて、奈保子さんに聞いてました」

「二堂くんかい? なるほどね、奈保子くんの口からはなかなか説明するのは難しいだろうから、少し場所を移して話をしようか」


 近くにいた従業員を呼び止めると、萬田は世にも珍しいブラックカードを手渡して二人分のランチ代も支払ってくれた。セクハラ男ではあるが、そこだけは感謝してやってもいい。

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