第8話 小さな恩返し

「そろそろ夏の支度をしないといけないわね」

 

 サラがシルク王国へとやってきて三ヶ月が過ぎようとしていた。このところは汗ばむ日も増えている。暑いのは嫌いではなかったが、強い日差しの中で運動しようとも思えない。暑くなりきる前に、夏の支度をしておこうと思ったのだ。昨年までは使用人がしてくれていたが、今年は自分でやるしかない。

 

「サラ。おはよう」

 

 今日もジャックがサラを迎えにやってきた。最近では呼び鈴を鳴らさずに邸へと入ってくる。

 

「ジャック。ごきげんよう」

「今日は何を?」

「夏の支度をしようと思うの。手伝ってくれるかしら」

「夏の支度をするなら大変だ。応援を呼ぼう」

「応援?」

「公爵邸の使用人さ」

「まあ。そんな。公爵様の使用人に手伝っていただくなんてできないわ」

「ここも公爵の邸の一つだろう。大丈夫。公爵には私から話をするさ」

 

 ジャックが仮住まいとして公爵邸に身を寄せていることを知ったのは最近のことだ。それだけでもえらく驚いたものだが、公爵に頼みごとをできるほどの間柄だったのかと、サラはまた驚く。

 

(ジャックって一体何者なのかしら。公爵殿に甘えることができるなんて、よほどの家柄の育ちということよね)

 

「小さな邸といっても、サラと私だけでは日が暮れてしまうだろう」

「それはそうだけど……」

「気にすることはない。公爵だって喜んで手伝いを出してくれるさ」

「……それじゃあお願いするわ」

 

 まだ顔を合わせたこともない公爵に、サラはなんとなく不安を抱きつつもジャックの提案を受け入れることにした。

 

(公爵夫妻の方から会いに来てくださることになっていたけれど、まだお会いできていないのよね。だから私のことをあまりよく思われていない気がするのだけれど)

 

 広場へと到着すると、いつものようにブリスから新しい牛乳缶を受け取った。以前は一人用の牛乳缶だったがジャックが入り浸っていることもあり、いつの間にか二人分の牛乳缶を渡されている。

 

「今日はアメリーがピーマンを持っていくと言っていたよ」

「いつもありがとう。そういえば昨日レモンパイを焼いたの。ブリスとアメリーは好きかしら?」

「ああ。だいすきだよ」

「じゃあアメリーに持たせるわね」

「楽しみにしているよ」

 

 料理も上達してきたサラは、ブリス夫妻にお裾分けもできるようになった。

 

「ピーマンをいただけるなら、今夜はピーマンの肉詰めでも作ろうかしら。ジャック、食べられる?」

「いいね。美味しそうだ」

「じゃあお肉屋さんにも寄らなくちゃいけないわね」

 

 献立を考えていると、ジャックがとんとサラの腕を小突いた。

 

「どうしたの?」

 

 顔を上げるとある方向をジャックが指差した。その指先の方へと視線をやると、こちらをじっと凝視している女がいる。女は赤ん坊をおぶっていた。

 

「あの人は……」

 

 その女はいつぞやの母子であった。サラは女の元へと駆け寄る。

 

「またいらしていたのね」

 

 サラが声を弾ませて声をかけると、女は深々と頭を下げた。

 

「あのときは本当にありがとうございました」

「まあ、まあ。頭を上げて。坊やが落ちてしまうわ」

 

 おんぶ紐でおぶっているとはいえ、女が頭を深く下げると赤ん坊も同じように反転していた。それが面白いのか、赤ん坊はきゃっきゃと嬉しそうに声をあげている。前に見たときよりも少しふっくらしているようだ。

 

「貴女も坊やも元気だったのね。あれから姿を見ないから少し心配していたの」

「実は私、隣の領地から参っておりまして。中々こちらへと参る日程がとれず、御礼が遅くなってしまいました」

「そんな。御礼だなんて。貴女と坊やが元気ならそれでいいのよ」

 

 サラがは女の肩を抱いた。女は瞳を潤ませる。

 

「それでは私の気が済みません。大事な子供を助けていただいたのです。なにかご恩返しをいたしたいのです」

「そんな恩返しだなんて」

「お金はないので、どうかお二人の御助けとなるようなことをさせていただけませんでしょうか」

「そうは言っても……」

 

 困ったサラはジャックの方へと振り向いた。ブリスと何かを話している途中だったらしいが、サラの視線に気づいてこちらへとやってきた。

 

「どうした?」

「旦那様。この間はありがとうございました」

 

 女はまた、深々と頭を下げた。ジャックは「頭を上げて」とサラと同じように言った。

 

「それで、どうしたのだ?」

「ご恩返しにお二人の御助けとなることをさせていただきたいのです」

「ほう」

 

 ジャックはそれに興味を示した。

 

(この女、訳ありか。まあ恩返しをしたいというのは本心のようだが)

 

「ジャック」

「なんだ」

「恩返しをしてもらいたくて助けたわけじゃないでしょう」

「それはそうだが。ただこの女はもっと困っていることがあるように見えるな」

「え?」

 

 女は目を泳がせた。

 

「そんなことはございません」

 

 否定をする女の頭の先から足の先まで、舐めるようにジャックは視線を突き刺す。

 

(やはりなにかあるようだな。サラは気づくだろうか)

 

 居心地の悪さに、女は視線を右往左往させた。

 

(ジャックは何が言いたいの?)

 

 サラはふと女の荷物へと目をやった。先日ここへ来ていたときと明らかに異なるそれに、サラも違和感を抱く。女の荷物に野菜がない。旅行鞄のようなものだけを抱えている。

 

(野菜を売りに来たわけではなさそうね)

 

 ジャックへと視線をやると「今日のことを手伝ってもらったらどうだ?」と提案された。

 

(きっと何かあるのね。そういうことなら彼女と共に過ごしてみましょう)

 

「それじゃあ手伝ってもらいたいことがあるのだけれど、いいかしら?」

 

 女はぱあっと表情を明るくした。

 

「もちろんです!何なりとお申し付けください」

「そう。よかったわ」

 

(一体ジャックは何に気付いたのかしら)


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