第15話 サラの悲鳴

 打ちつける雨は深夜のうちに止んだのか、元気な小鳥の声がサラを起こす。まだ太陽は昇りきっていなかったが、窓の外は明るくなり始めていた。ベッドから身体を起こし、窓を開ける。雨のおかげで空気が綺麗になっていた。サラはそれを胸いっぱいに吸い込む。ゆっくりと吸い込んだ空気を吐き出すと、全身が目を覚ました。

 

「二度寝、というわけにはいかなわね」

 

 ベッドが変わったから、というのもあったが、サラはよく眠れなかった。同じ屋敷内にエドモンやレオンが居ると思うと、不安で仕方がなかったのだ。まさか夜這いされるようなことはないと思っていたが、同じ空間に居るというだけで居心地が悪かった。

 

(私はもうすっかりシルク王国の人間なのね)

 

 父のこともかつての婚約者のことも煩わしいわけではない。しかし、母国へと戻る意志がないのだ。

 

(どうやって諦めてもらったらいいかしら)

 

 エドモンもレオンも王妃の器に収まる者を探しているにすぎない。だが野心家の二人が、簡単にサラを諦めて帰るとも思えないのだ。長い滞在になれば、ブリスにもアメリーにも迷惑がかかる。サラはそれを気が重く感じた。

 

 着替えを済ませたところで扉をノックする音が聞こえた。アリソンがやってきたのかと思ったサラはなんの躊躇もなく扉を開けた。それがいけなかった。

 

「え!?レオン様!?」

「しーっ」

 

 まさかレオンがサラの部屋を訪ねてきたのだ。大きい声を出されては困るのか、レオンは口元に人差し指を立てて、サラに声を落とすよう指図する。

 

「少し話ができたらと思ってな。エミリアが寝ている時間じゃないと二人きりになれないだろう」

 

 眉をひそめるサラに「そう難しい顔をする仲でもないだろう」とレオンは言った。

 

「……では客間に参りましょう」

「二人きりで話がしたいのだ」

「客間でも二人きりになれるでしょう。さあ」

 

 レオンはチッと舌打ちをしたが「……じゃあ客間に」と渋々ながらも受け入れた。

 

(舌打ちをするような相手を王妃に据えたいだなんて大丈夫なのかしら)

 

 サラは頭がくらくらしそうだった。眩暈がするのも寝起きのせいだと思いたい。

 

 客間へと行くと、それに気づいた公爵邸の使用人が温かいお茶を持ってきた。「下がっていていいから」とサラが声をかけると、お辞儀をして部屋を出て行った。

 

「さあ。レオン様の御望み通りになりましたよ。何のお話ですか?」

「相変わらず可愛げがないな。もう少ししおらしくできんのか?」

「ふふふ」

 

(可愛げがなくて悪うございましたね)

 

「まあ、いい。サラはいつもそうだったな。小言ばかりで。……でもその小言が懐かしくなった」

「と、言いますと?」

「サラはいつも私のために小言を言ってくれていたのだな。居なくなって分かったよ。評議の場でも私の話が通りづらくてな。以前はサラの言う通りにしていれば容易にことが運んだのだがな。それに家臣らの視線も痛い。エミリアへの当たりも強くてな。サラにだけは言うが、エミリアを正妃にすることは認めてもらえなかったのだ。反対する大臣が多くてな。エミリアを娶ることさえ反対され、サラを呼び戻すことでどうにか認めてもらえたのだ。改めてサラの凄さを見せつけられたよ」

 

 サラは笑顔の仮面を貼り付けたまま固まってしまった。

 

(今更何を仰るのかしら)

 

 脱力感に苛まれる。サラからすれば「何を分かり切ったことを」である。

 

「それに最近、エミリアの金遣いが荒くてな。困っているのだ。ウォールドに戻ったら、サラがエミリアを躾けてくれないか?城の誰の言うことも聞かんのだ」

 

 レオン以外の者からすれば「ほれ見たことか」である。そのことに気付いていないレオンもまた、エミリアと同罪である。サラは溜め息さえでなかった。

 

(なぜ私がレオン様の尻拭いをしなければならないのだろう)

 

「すべてお断り申し上げます」

 

 あまりにも満面の笑みでサラがそう答えたため、レオンは「そうか、分かってくれたか」と一度言った後、「なに!?」と大きな声をあげた。

 

「今、なんと申した!?」

「ですから。すべてお断り申し上げますと」

「なぜだ!?」

「なぜって……。昨夜から申し上げているではございませんか。わたくしはこの家の養女となるのです」

「それは公爵から伺ったが、サラは何も言わなかっただろう。てっきりサラは帰ってきてくれるのかと」

 

 さすがに額に手をついた。重たい頭を抱えなければ、今にも卒倒しそうだ。

 

「帰りたいなど一言も申し上げておりませんし、昨晩オダン公爵より養女の話をお受けしたとお伝えしたではございませんか」

「それはこちらの国に居なければならなかったからであろう。もう国に帰ることができるのだ。シルク王国に滞在する理由もあるまい」

 

(はあ。本当にこの人には想像力というのが欠けているのね)

 

「昨晩は申し上げませんでしたが、わたくしにはすでにこちらの国に婚約者がおります。ですので、ウォールド王国に帰る理由こそございません。わざわざこちらへ出向いていただいて申し訳ございませんが、そういうことです」

「婚約者だと!?」

「いけませんか?」

「サラは私の婚約者だろう!」

 

(婚約破棄したのは一体どっちよ)

 

 突っ込みをいれたかったがその気力さえない。「申し訳ございませんが」とサラが言おうとしたその時だった。突然レオンは勢いよく腰をあげた。

 

「レオン様?」

「サラにその気がなくても戻ってきてもらう。そのために来たのだからな」

「ですから」

 

 険しい顔をしたレオンが懐に手を伸ばした。そこから出てきたのは小さな笛であった。「一体何を」とサラが思う間に、ピーという甲高い笛の音が公爵邸に響き渡った。何が起こるのかとレオンを見つめていると、たちまちに待機していたウォールド王国の騎士らが客間を埋め尽くした。

 

「できれば穏便に済ませたかったが、そういうわけにはいかないようだな」

「な、なにを……」

「どうしてでもウォールドに戻ってきてもらう。者共、頼んだぞ」

 

 レオンの合図で騎士らがサラを取り囲む。騎士に取り囲まれたのは、婚約破棄を言い渡されたあの日以来だ。

 

「ちょっと!なによ!」

 

 サラが声をあげるも、じりじりと騎士らが詰め寄ってくる。

 

「サラを馬車に連れて行け」

「は!」

 

 誰一人サラの意見を聞こうとする者はいなかった。たちまちに腕を掴まれ、ぐいぐいと無理矢理に歩を進められる。なんとかそれに抗おうと「やめてよ!」「嫌!」と声をあげながら足を踏ん張ろうとするが、敵うわけがない。

 

 物騒な物音にオダン公爵邸の使用人やブリスたちも廊下へと出てくる。何が起きたのかと様子を探ろうとするが、サラの悲鳴だけしか聞こえない。

 

「サラ!?」

 

 ブリスの呼ぶ声がサラの耳に届く。

 

「ブリス!助けて!連れて行かれてしまう!」

「サラ!お前たち、勝手に何をしているのだ!」

 

 ブリスが叫ぶと、廊下の端で成り行きを見守っているレオンがくくっと口端をあげた。

 

「何を言う。サラは元々私の婚約者だ。それを返してもらうだけだ」

「サラのことをなんだと思っているんだ!」

 

 サラはあっという間に玄関まで連行されていた。ここを出てしまえば、馬車に乗せられるだけだ。そうなればもう、シルク王国へと戻ってくることはできないだろう。サラは最後のあがきとばかりに身体をばたつかせる。

 

「しぶとい女だな。じっとしてろ!王太子殿下の命令だぞ!」

「嫌よ!私は帰らない!」

「サラ!」

 

 アメリーの泣き叫ぶような声もサラの耳に届く。それがまた、サラの胸をぎゅっと締め付けた。

 

「絶対に帰りたくない!嫌だ!ジャック!ジャック助けて!」

 

 ジャックがこの場に居ないことは頭ではよく分かってはいたが、無意識のうちに愛する人の名を叫んでいた。


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