第13話 早い訪問
ジャックが村を出てから十日後、血相を変えたアメリーがサラの邸へと飛び込んで来た。
「サラ!大変よ!明日にはサラの迎えがウォールド王国から到着すると早馬が!」
「え!?」
予定では五日後に到着するはずだったが、なんと早まったというのだ。遅くても十日後には帰ってくると言っていたジャックはまだ帰ってきていない。
「どうしましょう。ジャックもまだなのに」
「とにかく一人でこの邸に居るのは危ないわ。公爵邸で匿ってもらいましょう」
「そんな。公爵様にご迷惑ばかりおかけするには」
「そんなこと今更気にしなくていいのよ。さあ、早く荷物をまとめて。アリソンとドミニク、リーズも行くわよ」
アメリーに急かされて身の回りの必需品を鞄へと押し込む。大人たちの異変にドミニクがぐずつき始めた。
「ああ、ドミニク。ごめんね。すぐに落ち着くからね」
小さなドミニクにも申し訳なく、サラは眉を下げてばかりだ。
(晴れて自由の身となったはずなのに。ずっと母国に縛られなければならないのかしら)
じわりと目頭が熱くなったが、涙を零すわけにはいかなかった。これからが正念場なのである。ジャックが帰ってきたら、ウォールド王国の面々と対峙しなければならないからだ。
アメリーにも手伝ってもらって荷物を抱えて邸を出ようとしたところで、公爵邸の使用人が飛び込んで来た。
「どうしたの!?」
アメリーが使用人へと駆け寄る。
「それが、ウォールド王国の御一行が……!」
「一行がどうしたの!?」
使用人はアメリーの質問に答えることができず、ひどい息切れをしている。よほど急いでやってきたのだろう。それに気づいたアリソンが奥からコップ一杯の水を持ってきた。それを渡された使用人はぐびぐびと水を飲み干す。
「それで。どうしたの?」
少し落ち着きを取り戻したところで、使用人は大きく息を吐いた。
「今しがた早馬がやってきたのですが、なんとレオン王太子殿下直々にお越しになられているようです。もちろん、サラ様の御父上もご一緒です」
「なんですって!?」
「レオン様も!?」
アメリーもサラも息を飲んだ。まさか王太子直々に迎えにやってくるとは思わなかったからだ。
「しかももう領地には入られたそうで!早くて今夜にはご到着されます」
(なんてこと……。レオン様もお父様も本気なのだわ。いいえ。きっと国王陛下の命令なのだわ。それほどまでにエミリア嬢が何もできなかったなんて……。どうしましょう)
サラはアメリーとアリソンとドミニクとリーズの顔をゆっくりと見る。
(私が母国へ帰れば丸く収まるのかもしれない。アリソンとドミニクはきっと公爵邸で雇ってもらうことができるし、リーズは元々公爵様のところの人間。だけど、だけど……)
張り裂けそうな胸につかえていたものが、ついに決壊してしまった。ぽろぽろと流れ落ちる雫に、アメリーがサラの肩を抱く。
「どうしたの、サラ。そんなに泣かなくても大丈夫よ」
「ちがう、ちがうの。ごめんなさい。泣くつもりなんてなかったのに。……みんなに迷惑をかけていることが心苦しくて」
「迷惑なんかじゃないって言ったでしょう」
「でも、私はみんなに助けられてばかりで。今だってこうして私のために何人の人が動いてくださっているか。だから本当ならば、元々はウォールド王国の人間なのだから、私が帰ることがみんなに迷惑をかけないことだって分かっているの。分かっているのだけれど、みんなの元から離れたくないわ……!」
サラはわっと泣きだした。それを見てドミニクまで同調する。アリソンとリーズと公爵邸の使用人は困ったように眉を下げたが、アメリーは満面の笑みだった。
「何言ってるの。みんなそんなことは分かっているわ。みんなだってサラに居てもらいたいから、こうして貴女を国に返さないように動いているの。言うなれば、ウォールド王国とシルク王国のサラ取り合戦ね」
「そんな。私は国同士で取り合われるような人間じゃないわ」
「まあ。王太子殿下が直々にやってこられているのなら、国同士で取り合われているも同然よ」
「私、ここに居ていいのかしら」
「当り前じゃない。ねえ、みんな」
アリソンもリーズも公爵邸の使用人も大きく頷いた。それを見て、サラはまた涙を零す。今度はうれし涙だ。
「さあ。早く公爵邸へ行きましょう。公爵様がお待ちだわ」
「ええ」
サラは腹を決めた。みんなに精一杯助けてもらおうと。
(ジャックだって王城まで行ってくれているのだから。ああ。早く帰ってきて)
公爵邸へと到着すると、使用人らがサラたちの到着を待っていた。抱えていた荷物を剥ぎ取られるようにして預かってもらう。
「サラ。よく来たな。大変だっただろう」
そして、公爵邸の中から顔を出した人物にサラは声を失った。口元と顎にもさもさの白髭を蓄えているその人物。なぜブリスがここに居るのか。サラの思考回路は一旦停止した。
しかしよく見れば、ブリスはいつもの農夫の恰好ではない。だからといって、使用人の身なりでもない。襟立ちのブラウスにシルクの重厚な上着、ずぼんは上着と同じ素材だ。それはどこからどう見ても貴族のいで立ちである。
「ブリス、あなた……!」
「すまんな。サラのことをだましていたわけじゃないんだが。村民には身分を隠して行動をしているものだから」
ブリスは照れ臭そうに頭をかいた。と、いうことは、である。サラは勢いよくアメリーを凝視した。
「ごめんね、サラ」
「まさか、ブリスとアメリーが公爵夫妻だったなんて……」
(開いた口がふさがらないとはまさにこのことだわ……!は!!ということは!!!)
「こ、これまでの数々の御無礼をお許しください、オダン公爵、公爵夫人」
サラは淑女の礼をしながら、恭しく頭を下げた。知らなかったとはいえ、ブリスにもアメリーにもため口をきいたあげく、小間使いをさせてしまっていたのだ。
(ああ!恥ずかしい!過去に戻れるなら戻りたいわ!)
「サラ。頭を上げて。言ったでしょう。貴女のことを娘のように思っているって。だから大丈夫よ。それにジャックが帰ってきたら、本当に娘になるんだから」
「そうだ。サラは私たちの娘だ」
右側にブリス、左側にアメリーがサラを囲む。
「ブリス、アメリー……」
温かい空気に肩の力がほっと抜けた。本当はほんの少し、顔も知らない公爵夫妻の養女になることが不安だったのだ。しかし蓋を開けてみれば、相手はブリスとアメリーだったのである。サラは心の底から嬉しいと思ったのだ。
「さあ。敵を迎える準備をしないといけないな。それにしてもジャックが遅いな。もっと早く帰ってくると思っていたのだが」
ブリスの言葉にサラもアメリーも大きく頷く。
「心配だわ……」
(なにか事故でも起きてなければいいけれど)
ジャックのことを信じてはいるものの、心配で仕方がなかった。その後、サラとアリソンに部屋が準備された。アリソンはそれを固辞したのだが、サラが公爵令嬢になればアリソンもこちらへ移るのだからと説得されそれを受け入れた。
夕暮れも差し迫った頃、外はぽつりと雨が降り出した。雨脚が強くなるそれにサラの胸の内は不安で一杯になる。居間でブリスやアメリーとお茶を飲んでいる間も、サラは窓際に立ってジャックの帰りを待っていた。
そうしていると、多くの明かりが公爵邸へとやってくるのが目に飛び込んで来た。なにかと思いよく目を凝らすと、ウォールド王国の王族の紋章をつけた馬車がぞろぞろとこちらへ向かっている。
「レオン様がいらしたわ!」
オダン公爵邸はぴりっと空気が張り詰めた。
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