婚約破棄で国外追放!再婚約要求が届きましたが知りません
茂由 茂子
第1話 快適な一人暮らし
シルク王国の外れにある小さな邸から歌声が聴こえるようになったのは一ヶ月前のこと。古びて誰も近づかない邸だったが、天使のような歌声に誘われて、村民らだけではなく動物たちも訪れるようになった。
「ああ。今日も素敵な一日ね」
その邸に暮らし始めた天使の声の持ち主は、サラ=オデールである。この春に高等教育を卒業したばかりの18歳だ。隣国ウォールド王国からやってきた。
サラの一日は牛乳を買いに行くことから始まる。実家では牛を飼育していたが、この邸にはサラ一人である。牛乳を手に入れるためには買いに行かなければならない。少しのコインを持ち、空になった牛乳缶を持ち朝の歌を口ずさみながら邸を出る。
牛乳の量り売りは邸から歩いて五分ほどの広場で行われている。そこにはサラと同じように買い物に来た村民らで溢れている。広場には噴水があり、それを円で囲むようにして朝市が賑わっているのだ。噴水の水はまだ冷たいはずだが、そこで水浴びをしている者もいた。
天使の歌声が近づいてくると、皆がそちらの方へと意識を向けた。腰まである赤茶髪のウエーブが見えると、村の男たちは胸を弾ませる。今日のサラのカチューシャは水色だ。
「やあ、サラ。おはよう」
「ごきげんよう、ブリス。今日もお元気かしら?」
「ああ。元気さ。サラも良い調子かい?」
「ええ。とても。今日も空気が美味しいわね。さあ、良い牛乳はあるかしら?」
サラへと話しかけたのは、広大な農地を管理しているブリスだ。酪農も管理しているため、牛乳やチーズ、卵などをブリスが朝市で売っている。サラの父ほどの年の農夫で、いつも娘のようによくしてくれているのだ。一人暮らしは大変だろうからと、ブリスの妻であるアメリーもちょくちょくサラの邸へとやってきていた。
「サラの牛乳はこっちだよ。はい、どうぞ」
「まあ。いつもありがとう」
空の牛乳缶と引き換えに満タンの牛乳缶を受け取る。
「後でアメリーが卵やチーズを家まで届けるよ」
「いつも悪いわ」
「なあに。気にするな」
ブリスがサラへと渡した牛乳缶は、皆のものよりもひと回り小さい。一人暮らしだと飲みきれないだろうというブリスの配慮である。
「サラ。今日は良いお魚が入ったのよ。買っていかない?」
「おお、サラ。お肉も良いものが入ってるよ」
「ああ、サラ。今度一緒にハイキングへ行かないか?」
「あっ。サラ!さっき本屋のおじさんに聞いたのだけれど、新刊の発売は明日だってよ」
「サラお姉ちゃん、おはよう!今度また勉強を教えてね」
顔を合わせる人々が皆、声をかけてくる。サラはそのすべてに笑顔で答える。そうすると村民も笑顔になるのだ。サラはたった一ヶ月で村の人気者となっていた。
(ああ!自分で切り開いた生活って、なんて楽しいのかしら!私は幸せ者だわ)
広場から邸へと戻ると、炊事場で牛乳缶を所定の位置に置いた。そこから飲む分だけをコップに注いでそれを一気飲みする。
「ああ!今日も最高だわ」
そのまま朝御飯を作り始めると、窓辺に黄色と青の小鳥が窓辺に止まった。窓を開けて小鳥に挨拶すると、楽し気な鳴き声が反ってくる。それに気分をよくしたサラは、鼻歌を口ずさんだ。
昨日買っておいた食パンを二切れ切り落とし、それを網の上に置いて焼く。その隣ではフライパンに卵とベーコンを二つずつ入れて、じゅうじゅうと音を立てた。その間にトマトとレタスを一口大に切り、それを器に盛りつける。塩コショウとオリーブオイルを垂らせばサラダのできあがりだ。
焼き上がったパンと卵とベーコンも器に取り出す。一枚のパンにベーコン一枚と目玉焼き一つを乗せる。それはサンドしてバスケットの中に入れた。バスケットの中にはりんごとチーズも入れる。
「さあ。出来上がったわ」
テーブルの上には簡単ではあるが立派な朝食が並んでいる。空になったコップにはもう一度牛乳を注いでおいた。一人暮らしを始めたばかりの頃は、朝食を作るのも一苦労であったが、一ヶ月もすれば簡単なものなら手際よく作ることができるようになった。
ウォールド王国に居た頃は、侯爵令嬢ということもあり、身の回りのことは常に誰かがやってくれていた。その頃はそれがありがたいと思いながらも、窮屈に感じていたのだ。
(朝御飯さえ自分が食べたいものを食べられなかったんですもの。こうして自分で作ることができるなんて、実家の誰も信じてくれないでしょうね)
ふふふっと笑みを漏らすと、食パンへとかぶりついた。そして牛乳を流し込む。
(パンと牛乳の相性、最高!)
腰のところで小さく拳をぎゅっと握って、喜びを噛み締める。このような仕草もはしたないからと、幼少の頃に矯正された。しかし今は、誰にも咎められることはない。サラはそれが嬉しくて仕方がなかった。
朝食を済ませると、出かける準備へと取り掛かった。今日は森の奥にある湖畔でバスケットを広げながら読書でもしようと考えているのである。水筒に紅茶を入れると、ピンクのチェック柄の大判の敷物と一緒にバスケットへと詰め込んだ。
書斎にはサラの趣味の本がずらりと並ぶ。先週買ったばかりのラブロマンスの本を手に取ると、それもバスケットの中へ。持っていくものの準備は整った。
クローゼットでお気に入りの薄いピンク色の帽子を手に取る。帽子のふちには白いフリルがあしらわれており、サラの好みど真ん中だ。それを被り白い顎紐を蝶々結びにする。
(うん。完璧ね)
姿見に映ったサラは、帽子と同じ色のワンピースを着ていた。そしてこれも同様に、裾に白いフリルがあしらわれている。腰回りがきゅっと締まっており、ふんわりと膨らんだスカートは、小柄なサラによく似合っていた。
「さて。出発ね」
バスケットを持ち上げ、いざ出発!というときに、玄関から呼び鈴が聞こえてきた。来客である。
「どちら様かしら?」
迂闊に玄関の扉を開けてはならないことを、サラはこの一ヶ月の間に学んだ。というより、教えてもらったという方が正しい。
「私よ。アメリーよ」
聞き覚えのある声と名前に、サラは「ちょっとお待ちになって」と声を弾ませて玄関を開けた。
「まあ、アメリー!ごきげんよう」
扉を開けるとそこに立っていたのはブリスの妻であるアメリーだ。村民のわりにどこか気品のあるアメリーに、サラは親しみを覚えずにいられなかった。玄関の扉を来訪者の確認もせずに開けてはならないことを教えてくれたのも、このアメリーである。
「サラ、ごきげんよう。卵とチーズを持ってきたわよ」
「いつも悪いわ。ありがとう。お代は牛乳と合わせて3チップでよかったかしら?」
「お代は弾むわ。2チップでいいわよ」
「そんな、ダメよ。こう見えてちゃんとお金はあるの。配達までしてくれたんだもの。3チップ払うわ」
サラは「待ってて」と言うと、奥からお金を持ってくると、3チップをアメリーの手に握らせた。
「本当に2チップでよかったのに」
「また配達してもらいたいから3チップは必ず受けとってちょうだいな」
「娘くらいの年なのに、サラはしっかりしているわ。分かったわ。また配達してあげる」
「ありがとう」
サラがとびきりの笑顔を咲かせると、アメリーは頬を染めた。
(まるで可愛い娘でもできたかのようだわ)
「それじゃあ、私いくわね」
「ええ。ありがとう、アメリー」
「サラもどこかに出かけるの?」
「ええ。湖畔の方にハイキングへ行くの」
「そう。気を付けてね」
「アメリーも」
アメリーを見送ると、卵とチーズを炊事場に置いてバスケットを持ち直した。
「さあ。出発よ」
お気に入りのブーツの紐を結ぶと、サラは勢いよく外へと飛び出した。
(ああ。いつでも好きなときにハイキングへ行けるって、なんて幸せなことなのでしょう)
サラはスキップを踏んだ。湖畔へは歩いて30分もかからない。森へ入るとすぐに小川のせせらぎが聞こえてきた。木漏れ日の中を歩くのはとても気持ちが良く、大きく息を吸うとまるで自分の身体のすべてが新鮮な空気に入れ替わったかのように感じるほどだ。
「みんなごきげんよう。今日はお邪魔するわね」
森の生き物たちに挨拶しながら、小川を辿って歩く。木々の間を遊びまわる小鳥たちの歌声が聴こえる。それに気分をよくしたサラは、鼻歌を口ずさんだ。
湖畔へと辿り着くと、そこは太陽の日差しが降り注いでおり、湖面がダイヤモンドのごとく煌めいていた。
(まるで宝箱ね)
畔の木陰に持ってきた大判の敷物を広げる。そこにバスケットを置いて腰をおろした。
「うーん!最高!」
天高く腕をぐんと伸ばすと、太陽まで手が届きそうだ。サラはそのまま持ってきた本をバスケットから取り出して頁を開く。舞台は町の青年と男爵令嬢のラブロマンスだ。サラはどっぷりと読書に耽った。
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