第3話 やなやつ!

(こうしてこの国へとやってきたのよね)

 

 麗しい唇から溜息が漏れる。しかしそれは決して後悔のそれではない。恍惚とまではいかないものの、幸せを掴み取った溜息だ。

 

(エミリア嬢には大感謝だわ。彼女のおかげでこんなにも自由な生活を手に入れることができたのですもの)

 

 サラは国外追放となったことをせいせいしていたのだ。愛のない結婚のために王妃教育というものに捧げてきたこれまでの人生。サラはそれを鳥籠のように感じていた。しかしそこから抜け出すことを自分の手ですることなどできなかったし、諦めてさえもいた。

 

 ところがエミリアのおかげで念願が叶ったのである。

 

(少し寝坊しただけで怒られることもないし、食べたいものだって食べられるし、着たいドレスだって着られる。家から一歩出ればその一挙手一投足を監視されていたものだけど、今はもう自由よ!)

 

 溢れそうな思いは、歌声となって漏れ出る。湖畔に響く天使の音色に、小鳥たちや小動物たちが集まってきた。サラはそれに気をよくして、畔に花を咲かせている白詰草をちぎって編んでいく。たちまちにそれは王冠の形を成す。それを頭に乗せると、小鳥たちがサラの頭に止まって遊び出した。両手を広げると、リスたちがそこに集ってくる。

 

(この子たちも私の歓びに共鳴してくれているのね)

 

 嬉しくなったサラは、くるくると踊りながら歌声を響かせた。

 

ああ、なんて素敵なことでしょう

こんなに歌声を響かせることができるなんて

小鳥たちも動物たちも

私と一緒に楽しんでくれる

ああ、なんて素晴らしいことでしょう

まるで私のために世界があるみたい

 

「そこで何をしている!」

 

 突然野太い声がその場に響いた。驚いたのはサラだけではなかった。ほんの今までサラの傍に居た動物たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「誰!?」

 

 森の茂みからの声に、サラは相手に姿を現すよう威嚇した声を出す。すると、ゆっくりと影が動いた。目を細めてその姿を確認する。どうやら一人の青年と一匹の馬らしいということが分かり、サラは少しだけ警戒を解いた。

 

「私はこの国の騎士だ。そなたはそこで何をしている」

 

 騎士と名乗った図体のでかいその男は、ものすごい気迫の持ち主であった。男の翡翠色の瞳は、美しいその色とは相反して、サラのことを捕らえて離さない。真っすぐな銀色の長い髪が風に靡き、身の毛もよだつような美しさに視線を外すことができない。

 

(こんなに気迫だけで人を殺せそうな人は初めてだわ)

 

 じりじりと額に汗が滲む。しかし、無事に邸へと帰るためには怯むわけにはいかない。

 

「私はこの森の先にある邸に住んでいるサラです。今日はここへハイキングに参りました」

「一人でか?」

「はい」

 

 男はサラの爪先から頭の先まで舐めるようにしてゆっくりと視線を流す。まるで蛇に睨まれた蛙である。サラはその場から少しも動くことができない。

 

「動物と会話をするのは人前ではやめた方がいいぞ」

「え?」

「さっき。歌いながら動物と会話をする仕草をしていただろう。変人に思われるぞ」

「な……!」

 

  騎士の綺麗な御髪がくつくつと揺れる。髪の先まで楽しそうなそれに、サラは全身がかっと熱くなった。

 

「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」

「まるで私のために世界があるみたい、だっけ?」

 

(なにこいつー!やなやつだ!!!)

 

「わたくし、もう帰ります!」

 

 腰を上げてお尻に敷いていた大判の敷物をざっくり畳むと勢いよくバスケットへと押し込んだ。そしてそれを片手に立ち上がる。

 

「どこに住んでいる?送る」

「結構よ!」

「そんなわけにもいくまい。女子おなごを一人歩きさせては騎士の名が廃る」

 

(そんなこと私には関係ないわ!)

 

「どうか騎士の名が廃ろうがご勝手になさってください」

「そうか。それじゃあ勝手にさせてもらう」

 

 ずんずんと邸へ向かって森の中を進んでいると、騎士は手綱を引いてサラの後をついてきた。男の足ならば優にサラを追い越すことはできるだろうが、騎士はそれをしなかった。つかず離れずの距離を保ち、黙って後をついてくる。

 

(さっきの憎まれ口はなんだったのかしら)

 

 不審に思いながらも騎士へと話しかけることはない。いつもより速足のサラに、小鳥や動物たちも驚いていた。道草をしない彼女の後姿をただ眺めるだけだった。

 

 しばらくすると、サラの住んでいる邸が見えてきた。

 

(勝手についてきただけだから、御礼なんて必要ないわよね。どこに住んでいるのか知られるのも癪だけれど、)

 

 騎士に気づかれないように後ろを伺いつつも、邸へと直線を描くように進む。背中の視線が痛いが、そんなことはサラの知ったことではない。邸の門へと手をかけたときだった。

 

「ウォールド王国の侯爵令嬢だったのか」

 

 聞こえてきたつぶやきにぴたりとその手が止まる。

 

(私のことを知っているの……?)

 

 反射神経のように振り向いてしまった。

 

「どうした?」

「あ……。えっと。わたくしのことをご存知で?」

「国外追放されたのだろう。聞いている。むしろ王命でそなたの様子を見てくるようにと賜ったから参ったのだ」

「そうでしたか……」

 

(それじゃあなぜ国外追放されたのかもこの人は知っているのね……)

 

 この国にきて初めて、自身の事情を知る者と対峙した。何も後ろめたいことはないはずだが、恥ずかしさを覚える。身に覚えのないでっち上げで追放されたのだが、内情を知らない者から見ると、かよわい女子を苛め抜いた底意地の悪い女子であろう。

 

「無礼を働き申し訳ございません。ご承知の通りウォールド王国から参りましたサラ=オデールにございます」

 

 スカートの両端を摘まみながら頭を下げた。挨拶のときに行う淑女の礼である。先ほどまでただのやなやつだと思っていた相手は、王命を賜るほどの騎士殿であったのだ。格好だけでも礼を尽くさなければならない。

 

「そんなにかしこまるな。私は固いのはあまり好きではない。私の前では先ほどみたいにくだけた貴女でいてほしい。私はジャック=シルキー。この国で王城仕えの騎士をしている。今後は一日に一度はそなたの顔を見に来ることになる」

「騎士殿の寛大なご配慮に感謝申し上げます。ではお言葉に甘えて。あなたもっと女性には優しくした方がよろしいですわ」

「なに?わたしの右に出る者はおらんほど優しいぞ。現に貴女をここまで送ってきたではないか」

 

(まあ!先ほどの失礼な言動を覚えてらっしゃらないのね!)

 

「お分かりにならないのなら、それでいいですわ。あなたが女性にどう接しようがわたくしには関係のないことですもの。こんなところでわたくしに構う前に、お先に公爵様のところへと行かれた方がよいのでは?」

 

 この辺りを統治しているのは、辺境地を治める命を預かった公爵である。辺境地は重要な領土であるので、王からの信頼の厚い貴族が領主をしているのだ。サラはまだその公爵と顔を合わせたことはなかったが、王命でこの地に参ったのであれば公爵への挨拶は欠かせないだろうと考えたのだ。

 

「ああ、まあ」

「では今日は失礼いたします」

 

 サラは一礼をして先ほど手にかけかかった門をしっかりと握りこむ。そしてジャックの姿を確認することなく、その中へと体を滑り込ませた。ずんずんと庭を歩き玄関へと到着すると、いつもより荒い調子で扉を開け閉めした。邸の中には誰も居ない。サラはついに口を開いた。

 

「なんてやなやつなの!!!」

 

 鼻息がふーふーと荒いのが自分でも分かった。状況が呑み込めていないせいもあったが、一番に思い浮かぶのはジャックのことだ。

 

「まさか騎士が派遣されるなんて……」

 

 自由な生活をやっと手に入れたサラだったが、騎士の見張りがつくとなるとここ一ヶ月のような生活を送ることができるのだろうかと不安が押し寄せてくる。

 

「それにあんなに失礼な人だなんて頭が痛くなってしまうわ」

 

 瞳を閉じてジャックのことを思い出してみる。美しい瞳に風に靡く銀髪。すらりと伸びた手足に肉厚の胸。なにもかもがラブロマンスに出てくるような貴公子そのものであった。

 

「いえ。やなやつくらいがちょうどよかったのかもしれないわ。あんな身なりで優しくされたら好きになってしまいそうだもの」

 

 深呼吸をすると、胸の奥でぐらついたものがすっと立て直った気がした。

 

「私はこの国で自由を謳歌するのだから。自由を勝ち取るためには何でもやってみせるわ」

 

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、自由への誓いを新たにした。

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