第6話 ときめきの遊歩
「今日はハイキングへ出かけよう」
レオンからの手紙が届いた次の日の朝、いつものようにサラを迎えに来たジャックは開口一番にそんなことを言い出した。
「ハイキング?」
「ああ」
「あなたと二人で?」
「ああ。なにか不都合か?」
「そんなことはないけれど……」
(この間のハイキングを台無しにしたのは誰だったかしら)
つい不審な眼をジャックに向けてしまう。なにか思惑でもあるのではないかと思ってしまうのだ。
「なんだ、その目は」
「いいえ。突然どうしたのかしらと思って」
「この間の埋め合わせだ。もう少しあの湖畔でゆっくりするはずだったのだろう」
「覚えていたの?」
「当り前だ」
(ふうん)
「じゃあその埋め合わせとやらをお受けするわ」
サラとジャックは市場で買い出しをした後、ハイキングの準備をすることにした。ジャックが一旦自身の仮住まいへと戻ると言ったので、サラはその間にハイキングの準備を済ませた。
この間使ったバスケットに二人分のバゲットとチーズとオレンジを入れる。水筒にはカモミールティーを淹れた。
「スープも持っていこうかしら」
昨日、アメリーが持って来てくれたトマトは、スープにしておいたのだ。水筒をもう一つ準備して、そちらにはトマトスープを入れた。
「これで準備万端ね」
ランチの準備が整ったところで呼び鈴が鳴った。ジャックだった。バスケットを抱えて帽子を被る。外へと出るとジャックも帽子を被っていた。銀色の御髪が見えないのは少し残念ではあったが、ハンチング帽がこんなにも似合う青年をサラは初めて見た気がした。
「荷物はそれだけか?」
「ええ」
「じゃあこちらに」
ジャックは馬を引き連れて来ていた。サラも一度だけこの馬に会ったことがある。ジャックと初めて出会ったあの日だ。
「紹介する。トニーだ」
「あなたトニーっていうのね。この間は挨拶ができなくてごめんなさい。私はサラよ。よろしくね」
サラが挨拶をすると、トニーはサラに頬を寄せた。どうやら仲良くしてくれるらしい。ほっとしたサラはトニーの頬を撫でた。
「それじゃあ行くか。馬には乗れるか?」
「ええ。乗れるけれど、トニーに乗って行くの?」
「どうせなら少し馬で散歩でもと思ってな。気持ちがいいぞ」
「素敵!トニーお願いね」
(馬に乗るなんて久しぶりだわ!)
ジャックの手も借りずにひらりと馬に乗って見せると、感心の拍手が涌いた。
(小さな身体でトニーに一発で乗るとは大したものだ)
「侯爵令嬢殿がこんなに身のこなしが軽いとは知らなかった」
「ふふん。馬にはよく乗ったのよ」
鼻高々にトニーの背中からジャックを見下ろしていると「私も乗るから少し前に」と言われ、手綱を握りながら身体を前に寄せる。そうすると、サラの後方がずしんと少し沈んだ。ジャックが乗ったのだ。
「さあ行くか」
サラの後頭部にジャックのバリトンボイスが響く。それだけでサラの体温はぐんと上がった。
(なにこれ!心臓よ、鎮まれ!ジャックに聞こえちゃうじゃないの!)
「しっかり掴まっていろよ」
「うん」
サラの身体を包むようにしてジャックが手綱を握る。まるで抱きしめられているかのようで、身を縮ませるしかできない。手綱を握る腕を見ると、サラの腕の二倍はあった。逞しい筋にそっと触れる。
「なんだ?」
「ジャックって意外と筋肉があるのね」
「意外ってなんだ。騎士たるもの鍛錬は鉄則だ」
「私の腕を二つ足しても足りないくらいだわ」
なでなでと撫でると、ジャックは咳払いした。
「あんまり触るな」
「あっ!ごめんなさい!」
(しまった!調子に乗ってしまったわ)
小さな肩がさらに小さくなると、ジャックは「ああ、違うんだ」と決まりの悪そうにつぶやいた。
「サラに触られるのが嫌なのではなく、その。なんだ。サラに触られると緊張してしまう。ただでさえ緊張しているのに」
「え?」
ジャックの顔を見上げると、その両頬は紅潮していた。
「……好きな女を馬に乗せているんだ。緊張もするだろう」
「えっ!」
サラはジャックよりも頬を紅く染めた。かっと耳まで熱くなる。
「そんな。まだ出会ってそんなに経っていないのに……」
「……時間は関係ないだろう」
「それはそうかもしれないけれど……」
トニーの歩く音だけが響く。
(しまった。早まったか。しかし意識をしてもらうくらいで丁度いいかもしれん)
(どうしよう。なにか言った方がいいのかしら……)
言葉を持たないままに森へと到着した。ゆっくりと木漏れ日の差す木々の間を進む。小動物や鳥の声が聞こえてくる。こっそりとジャックの顔を盗み見ると、彼は目を細めて森の音を楽しんでいるようだった。
(なにもしゃべらなくてもいいかもしれないわね)
サラはそれを心地良いと思った。瞼を閉じて森の音へと耳を傾けると、歓迎の音楽のように聞こえてきた。通り抜ける風も気持ちがいい。
気が付けば歌を口ずさんでいた。サラの歌声が心地良いのか、トニーはご機嫌で歩を進めている。いつの間にかリスたちが顔を覗かせ、うさぎたちも傍に寄って来ていた。小鳥たちが頭上を舞っている。
「サラの周りには自然と動物たちが集ってくるのだな」
久しぶりに発せられたバリトンボイスは、いつもよりいくらも緩やかなものだった。
「この時間が好きなの。心が自由になるでしょう」
小枝の先にリスがやってきたので、サラはそこに指を伸ばした。するとなんの躊躇もなくリスがそこに乗ってきた。
「ふふっ」
くすぐったくて笑みが漏れてしまう。ジャックは目尻を下げて見ていた。赤茶髪のウエーブが楽しそうに揺れる。そこに触れたいとジャックは思ったが、ぐっと堪えた。
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