第4話 義妹と一緒に、距離を縮めていく方法を模索する


 早くも週末の日曜日。恵美さんらが引っ越してきて一週間余り。目の奥に重たい瞼を抱えながら俺は目を開ける。

 カーテンの奥から陽射しが差し込んできた。時計を見たら、時間は八時三〇分を指していた。

 八時三〇分。今日は休日だ。決して早起きとは言えないがもう起きよう。

「流石に昨日は参ったな・・・・・・」

 俺は一昨日、恵美さんと一緒に雨の中で俺がびしょ濡れになりながら恵美さんを濡れないように配慮し、大阪城の裏側を通り同級生にバレないようにこっそり二人で帰った。

 そして恵美さんに失言と思われる発言をしてしまった。そして恵美さんと言い合いになって喧嘩してしまった。

 そう言う複雑な気持ちが重なって昨日の土曜日は体調を崩した。昨日の事を色々思い出した。熱こそ平熱で何とかなったものの、一日中寝込んでしまった。父さんも春子さんも俺の事を凄く心配してくれていた。春子さんは俺の看病をすべくお粥を作ってくれた。父さんも俺の事を気遣い買い出しに行ってくれた。そして恵美さんはと言うと——。

「昨日はゴメン。言い過ぎた。和人君の親切心を無視して酷い事言ってしまった。私も恥ずかしくて、そう言う目で見られたと思ってしまったわ。でも私もお母さんにこっぴどく怒られた。和人君の親切心に感謝しているから」

 複雑な顔つきで俺に対して、何とも言えない、そして素直になれない表情で俺の事をケアしてくれていた。流石に俺が体調崩したとなれば罰悪いのだろう。そして、何とか具合が良くなった夕方になって俺は家族で夕食を取ることは出来た。

 恵美さんは作った今日の献立は五目うどん。風邪引いた俺に気遣ってくれているのか味は薄く、野菜多めの優しい味にしてくれた。俺の事を気にしてくれている。そのことだけは何となく伝わった。野菜の形はバラバラ、麺のゆで加減もムラはあるが俺の事を気にしてくれている。夢中になって食べた。

 そんな土曜日の出来事を振り返りながら、俺はリビングに向かった。もう『みんな』朝食を済ませているだろう。

 俺も、『みんな』と言う生活習慣に少し慣れたと思う。春子さんと恵美さんがいることを考慮しながら。一週間余りしか経っていないが、恵美さんも春子さんも新生活の中で凄く努力をしている。何もせず自堕落なのは俺だけだ。もうこの生活には慣れたと思う。後はどれだけ恵美さんを大事に出来るか。父さんに『恵美ちゃんに冷たい』言われた先週の言葉だけが脳裏を過ぎる。どうしたら恵美さんを大事に出来るか。

 そう言うことを考えながら、俺は洗面所の扉を閉め、顔を洗いそして歯を磨き、私服に着替えて寝間着を洗濯カゴに入れて、身支度をしてダイニングに向かった。

 ダイニングでは父さんと春子さんがお茶を飲みながらくつろいでいた。

 父さんが、少し呆れた顔をする。

「おそよう。和人。気分は良くなったか。昨日夜八時に寝ていたぞ。あまりにも寝過ぎで心配したぞ」

「そんなことないわよ和人君。折角の日曜だからたっぷり寝て良いのよ」

 両親は意見がバラバラだ。その時、春子さんは立ち上がって何かをしようとした。

「和人君、朝食は何がいい? もう体は大丈夫? 恵美ったら、こんなに和人君が大変なのにあまり何もしてあげられなくて」

 春子さんは恵美さんの事を卑下する。でも自分の実の親はそう言う物だ。他人のことを最大限に気遣いする。俺が春子さんに溺愛されるように、父さんも恵美さんを溺愛する。それが両親の再婚家族と言う事を認識するようになる。

「体調が良くなったので、トーストと残って入れば果物で良いです・・・・・・」

「遠慮しないで和人君」

 春子さんがトースターに入れて焼いてくれた食パン二枚、そして温めてくれた紅茶。パンには控え目にジャムを塗り黙々食べる。そして昨日父さんが買い出しに行って残っていた果物も出たのでそれを食べる。もう調子は悪くない。元通りの体調だ。

 気付いたのだが、恵美さんはどうしたのか。もう早くに飯を食べて外に出ていったのか、それともまだ寝ているのか家で何かしているのか。

「そう言えば、恵美さんはまだいませんけど、もう外出したのですか?」

「恵美ったら、まだ寝ているのよ」

「そうでしたか、珍しいですね。平日は朝早いのに」

「そうですよ。土休日も早いのに今日はなんだかお寝坊さんだね。昨日も何か遅かったし、勉強でも頑張っているのかしら? でもあんな時間まで勉強しているようには思えないし・・・・・・もう無理しなくていいのに」

 恵美さんには謎が多すぎる。引っ越してきた時の段ボールと然り、早朝に学校に行くと然り、赤川さんの会話然り。

「深夜トイレ行ったら恵美の部屋が電気付いていたし、朝見ると爆睡していたし、何かあるのでしょうかね・・・・・・」

「あと、それと、和人君のこと思って、これ作ってみたの。飲んでみて」

 出てきたのはホットフルーツティー。茶色い液体にリンゴやミカン、キウイなどが色とりどりに浮いている。紅茶をこれらのフルーツで煮詰めたっぽい。

「私の作ったフルーツティーだけど、無理して飲まないでね。好みはあるから」

「いえ、大丈夫です。入れて頂いてありがとうございます」

 名前だけは知っているが、飲むのは初めてだ。紅茶を甘くした物なのか。

「春子さんの手作りだぞ、美味しいに決まっているだろ」

「そんな言うほどの物でもないから」

 俺は複雑な思いだ。これまでこのような気配りをしてもらったことがない。母親というものの温もりを実母の死別後に経験したことがない。それと義母でも配慮の仕方という物が異なるということを。それにしても春子さんは本当に俺には甘い。ここまでしてくれなくてもと本当に思っている。俺は早速飲んでみる。

 紅茶の苦さが果物の甘さと溶け込んでいる。苦くもないし甘くもない。そして適度な温もり。リンゴを噛んでみれば甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。

「おいしいです」

 一口飲んだ後は、温もりが体に広がる。

「和人君に気に入ってもらって嬉しい」

 お世辞ではなく本当に美味しい。俺の知らなかった味だ。父子家庭では先ずこう言うティーは作らないだろう。せいぜいインスタントコーヒー程度。

「そのフルーツティー、恵美も大好物なの。受験生だったときによく作った。再婚するまでは経済的に作れなかったけどね」

 ふんわりと微笑む春子さん。そして複雑な顔をする父さん。

「春子さん、俺も飲んで見る。俺のも欲しい」

「あらら泰くん、あなたも欲しいの?」

 こういう所が父さんは駄々っ子みたい。まるで子供っぽい。自分も甘やかされたい態度丸出し。

「やっぱり春子さんが入れてもらった物が美味しくないわけないな」

「まあまあ貴方も」

 俺はたまらずおかわりをする。何度飲んでも飽きない。風邪も完治して何とかマトモに動けるようになった。今日は、昨日寝込んで出来なかった復習を一気にしよう。もうすぐ中間考査が近づいてくる。恵美さんは言うまでもなく学年の優等生。自分自身の成績もこのままなら恥ずかしい。

「恵美さん、やっぱり勉強かな」

 今度は恵美さんの体調が気になる。起きてくる気配がない。何かこの生活に何か気になることがあるのか。

 父さんが心配そうに話しを仕掛けてきた。

「なあ、和人」

 父さんはまだ残っているフルーツティーを少しずつ飲みながら落ち着いて喋る。春子さんの味がそんなに気に入ったのか。

「今日で一週間以上経つけど、生活に問題はないか」

「別に・・・・・・問題無いけど・・・・・・」

 本当は問題無いわけがない。恵美さんが学校で他人のフリをして欲しいこと、家の中でも何か隠しごとをしている疑いがあるとか、とにかく新生活で俺の体調は混乱している。学校でも一層肩身の狭い思いをしているから。

「恵美とはうまくやれそう?」

 今度は春子さんが俺に答える。俺は本当に何も言えない。でも出来ないなんて口が裂けても言えない。

「・・・・・・」

 俺は言葉に詰ってしまう。

「和人君。無理しなくて良いのよ。そりゃあ当然よ。今まで泰くんと二人暮らし。これまでずっと二人で会社を切り盛りして暮らしている所に、私達がズケズケ入り込んだから生活リズム狂うのは当たり前よ。それに和人君何でも出来るから。家事全般」

 春子さんは遠慮しながら、申し訳なさそうに答える。

「そんなことないです。春子さんのお陰で俺は家事の負担が少なくなりました」

「和人君、無理しないで。私と恵美のわがままに和人君を巻き込んでしまったの。今でも恵美は学校で学校では旧姓名で通してまで和人君と別人扱いして欲しい、平日でも別々に行動しているから、和人君には申し訳なさ過ぎると思って・・・・・・」

 この遠慮が俺にも辛い。かしこまってしまう。確かに二人の時は異性のことを全く気にせず過ごしてきた。そこに血の繋がらない女性と二人過ごす。普通ならパニックになりそうでもおかしくない。

「どうした、和人。何か問題でもあるのか?」

「いいや、何でもない。俺もいきなり同級生の女子生徒と一緒に過ごすとなってまだ整理が付かないです。でも恵美さんはもっとしんどいと思います。自分よりも」

「あらあら、和人君は優しいのね」

「はい、自分もまだ同級生としてクラスでバレることは嫌ですし、恵美さんはもっと嫌なことと思っています。それに恵美さんはまだ男性と一緒に過ごすのに慣れてないだけと思っています」

 両親から受ける恵美さんに対する追求と期待が日に日に強くなりそうな予感がする。そう言う気配だけは感じている。

「まあ、色々慣れてないですが自分の中では上手くやっているつもりです、仲が悪いとかそういうわけではないですし、恵美さんも食事作るのも頑張っていますし、俺に影響されているところはあるので——」

 俺は父さんと春子さんに上手くやっている旨を伝えた。もうここまで言ってしまえば逃げられない。凄く後ろめたい。

「それよりも父さんの方は、再婚してどう?」

 俺は今までの質問に対しとりとめもない発言をする。

「俺の方は、色々忙しかったのもあるし、まだ実感が湧いていない。そんなこと気にしなくて良いから。和人の方が心配なだけ。恵美ちゃんを大事に出来ているかとか」

「でも、恵美も上手くやって欲しいところはあるけどね。和人君いい人だから」

 全然俺の質問に答えられていない。俺の心配は良いから何で自分たちの幸せを考えないのかこの両親は。

「どうして・・・・・・父さんも春子さんも自分たちの幸せより、俺と恵美さんの事をここまで気を使ってくれるのか、父さんが幸せ求めて再婚したのに・・・・・・」

 父さんは、少し真面目な眼差しで俺を見つめる。

「あのな、親というのは子供が大事だから。俺も春子さんも誰のことよりも自分の産みの子供が幸せになることを考えて生きているものだよ。俺がお前のことを誰よりも思うように、春子さんも恵美ちゃんの幸せが大事なもの。誰よりも、分かるか。和人」

「じゃあ、父さん自身の幸せは考えてないのか?」

 俺は体を震わせ、小声でつぶやきながら父さんの話しに耳を向ける。

「もちろん父さんも春子さんもずっと寂しかった。父子家庭で寂しい日々が続いていた。それ以上に、お前が不憫だったのもあったし、知り合った春子さんが母子家庭で前の家庭で色々あって俺はこの二人を幸せにしたいと思った。お前も人見知りが酷いし、勉強や金属加工は腕があってもお前には不足していることが色々ある。母さんの死別以降、お前は変わってしまった。その間穴が空いたような子に育ってしまった」

 事実だ。幼き頃俺は母さんが亡くなって心に穴が空いてしまった。その間ろくに友達も作らず一人で本を読んだりする心の暗い性格に育ってしまった。

 何をしても実感が湧かない。

 何をしても人と共感が出来ない。

 クラスメイトにも親戚にも皆に可哀想と思われるだけ。

 そして俺は完全に孤立してしまった。人との距離を置いてしまうような。

 ただ、父さんと祖父母だけが自分の中の人間関係にいると。祖父母もいなくなると父さんだけが俺の中の人間で、その父さんの仕事が俺の生き甲斐だった。だから工場での金属加工を覚えるのは好きだったし、この仕事を手伝っている事が全宇宙と言えるような感受性の狭い人に育ってしまった。

「確かに、俺は自分で自覚している・・・・・・」

 春子さんの表情も暗くなって氏まった。

「色々言いづらいことも多いけれど、春子さんと恵美ちゃんの境遇もこの機会だから話しておくね・・・・・・」

 父さんは話した。二人が離婚した経緯。そして再婚の理由として、離婚した直後春子さんは母子家庭になった恵美さんを経済的に守るため、エリート意識丸出しの会社人間の実父が与えなかった父の温もりを感じて欲しいと言うこと。それは父さんが俺に思っていることと全く同じだからその目的が一致したこと。その春子さんもなかなか口に出来ないことを端的に過不足なく、的確に慎重に話していった。町工場の社長として、人の思いを代弁し、想いに応えることに父さんは長けている。

「じゃあ、恵美さんは本当に色々辛かった。俺、自分が恥ずかしい・・・・・・」

「泰くんの言うとおりなの。和人君。本当にそんな私達を受け入れてくれて、本当に和人君には感謝しているわ。ありがとう」

 まるで春子さんの方から気を使うように俺に敬意を示している。

「和人、二人は本当に寂しかった。東京から転勤して、前の家族で温もりすらない生活。裕福だが窮屈で家族すらバラバラの生活。それが嫌で裕福でなくてもこう言う大阪の町工場の下町で何かをやり直したい、それが春子さんの思いでもあった。俺も自分が元々大企業の重工系のサラリーマン族。周りはエリートだらけの中で仕事をした。だから春子さんの痛みが分かる、俺は——」

 恵美さんのこれまでの言動も父さんの説明で納得した。何か繋がる気がした。恵美さんも本当は何か寂しい雰囲気。だから何かを探している。そんな気がした。

「恵美は、これまでろくに何処にも連れて行ってあげられていないの。もうこんな思いをさせたくない、勉強漬けにさせたくない。最低限何かをして楽しませたい。そのことを再婚して私も考えているの。今も」

 春子さんの表情が曇り、これ以上は何も言えない状況が続いた。

「ゴメンね和人君。日曜の朝からこんな暗い話ばかりしてしまって。私達のことは気にしないで良いからね」

 作り笑いで俺の方を見る春子さん。いくら表情を隠しても、俺の目は誤魔化せない。本当に春子さんが恵美さんの事を不憫に思っていることが見て取れた。

「とにかく和人、そう言うことだ。色々話をしたが僕らのことよりもお前がこの家庭で恵美ちゃんと一緒に何か見つけて欲しい。時間がかかってもいい、恵美ちゃんとゆっくり育んで欲しい。恵美ちゃんの痛みが分かるような人になって欲しい。それは春子さんも同じだから。それだけだよ」

 父さんは言いたいことを言って少し表情が穏やかになった。今のこの話は自分にとっても荷が重い。親の想いとのギャップを感じた。家族は大事。恵美さんとどうしたら上手くやれるのだろうか。恵美さんのこれまでの言動も振り返りながら。  

「ごちそうさま。春子さん、フルーツティーまた作ってください。父さん、もう部屋戻るね。予習復習もあるし、今の話を自分で考えたいし」

「色々厳しい事言ったが、お前には分かって欲しい事も多い。よく考えることだな」

 そう言いながら父さんはテレビの方を見始めた。これから春子さんと団らんするのだろう。俺がいたらダメだ。二人の時間が重要だ。責めてそういう配慮はしたい。即座にリビングから出て二階の部屋に戻る。入れ替わりにパジャマ姿で眠たそうな表情をする恵美さんと入れ替わりになった。

「おはよう、恵美さん」

「和人君。おはよう。具合良くなった?」

 恵美さんはシンプルに俺の体調を気にする。

「俺はもう大丈夫。春子さんのフルーツティーのお陰」

「私もあれ大好きだよ。お母さんにまたお願いして作ってもらおう、今日は何するの?」

「俺も今日は予習復習。昨日できなかったし、もう中間テスト近いし」

「私もキツい。三角比に和文英訳。訳分からない」

「恵美さんは優秀だから大丈夫だって」

「高校の勉強は早くて深くて難しいの。ここ府立高校トップクラスの進学校だから私でも油断したら直ぐに訳分からなくなる」

 何とか恵美さんと普通の会話に戻った。何とか上手く恵美さんとはやっていけそうだ。俺の中で喉に一本引っかかっていた骨が取れたような気がした。

 俺は机に向かって勉強を始めた。何とか正午までには復習だけはやっておこう。とにかく集中。

 どうしても勉強に身が入らない。さっきの両親の会話。何で結婚したか。俺らのことを考えての再婚。もうすぐ中間テストなのに、どうしても集中出来ない。もう時計は午前十時。午後過ぎまでは頭を冷やすために電車に乗って外に出よう。

 

 俺はこうして鉄道を使い大阪府内一円で、一人で行けそうな所は幾つか足を運んだ。一九七〇年に開催された大阪万博の会場跡の万博記念公園や涼しいスポットの箕面大滝、七夕伝説で有名な交野の天の川、世界遺産になった百舌・古市古墳群等々。機会があれば大阪府内唯一の村である千早赤阪村の棚田とか、岬町の海と山に囲まれた風景とかも見てみたい。言うまでもなく大阪は西日本最大の都市。そんな大阪府内に住んでいながら密集した大阪市内よりも大阪府外、特に県境の僻地の自然に魅力を感じ、購入したデジカメと共にその美しい自然を堪能する。さっき父さんが俺の事を指摘したように、孤独感や人から逃げている性格が出ている。

デジカメを片手に、何時ものように一人で大阪の郊外にまで電車に乗って出掛けた。今日はとりあえず京都と大阪の県境近く、淀川と宇治川と木津川の合流地点の川の流れとそこを横切る鉄道でも撮影して、大阪の町並みから外れた所まで来て空気を吸って落ち着いてから帰って勉強を続けようと思った。

京都と大阪の県境の川の合流点と石清水八幡宮のほとりで少しの時間くつろいで、帰りはあまり人の乗ってない各駅停車で帰る。何とか落ち着いた。いつかは恵美さんも俺の趣味に付き添わせれば良いだろう。

 そう思いながら、帰りの電車に揺られ、昼過ぎに帰宅し就寝時間まで勉強をした。お陰で少し勉強ははかどった。


   ◇


 翌日。

 俺は何時ものように学校に通い、一人黙々と日陰のようにラノベを読みふける。そして、昼休みは蒲生と一緒に学食に行く。昨日の家族の話の中でまだ整理が付かない中俺は平常心を保とうとしていた。

 昼休み、学食で昼食を取っている時にハプニングが起きた。

 俺のスマホからLINEの通知が鳴った。俺のLINEの相手は恵美さんだけだ。何でこんなタイミングで? 俺はスマホをいじる。

「どうした、お前が他人からの連絡って珍しいな」

 言葉に迷った。俺の人脈のなさからしたら蒲生に怪しまれるのも不思議ではない。

「ちょっと、父親から」

 俺は嘘ついた。恵美さんからなんて口が裂けても言えない。

 俺は画像を見る。

『今日、四時に話したいことあるから、それまでに家帰ってきて欲しい』

 何を話したいのか、かしこまっているのか謎だ。それとも最近俺の方が遅かったりしているからなのだろうか。

『何? 話したい事って?』

 俺はスマホをいじり、恵美さんに返す。

「色々あるのか? まあ家族の内容だから見ないけど、桜宮もそう言うことがあるのだなと思って」

『その時に話したい。四時に帰ってきてくれないか?』

 何かしつこいな。そんなに重要なことなのか。

『とりあえず分かった。四時に帰る』

 そう返して、おれは再度食事する。恵美さんも敢えてこのタイミングで俺に言いたいことって何のことだろうか?

「蒲生、ゴメンゴメン。ちょっと父さんから家の物でどこにあったかを教えてくれと」

 嘘ついて悪い。蒲生。恵美さんの生活を守るためやむを得ない。

 六時間目の授業が終わり、明明後日に二日間で行われる中間テストに向けて皆余念がない。部活動もこの時期は停止し、テストに向けた勉強が続く。高校生あってのことか中学校のように事前の暗記が通用しないテスト。普段の実力が反映される模試のようなテスト。逆を言えば普段からコツコツ勉強していれば事前に一夜漬けしなくてもそれなりの点数は確保できる。何とかコツコツ勉強しているから慌てずに対処出来そう。

 俺は別に家でも勉強が出来るし、以前と違い春子さんも夕食の準備してくれるから凄く負担が小さくなる。

 俺は約束通り四時前に家に帰り着く。リビングに行くと恵美さんが堂々と足を組んで座っていた。

「ただいま、用件って何?」

「ちゃんとテーブルに座って聞いて欲しい」

 恵美さんの表情は眉間に皺を寄せている。また何か俺がやらかしたのか。それとも絶縁協議とかなのか。俺は気分が悪い。

「怒っているなら、ちょっと部屋に戻って考えさせて」

「待って、私怒ってない」

「じゃあ、何を話すの・・・・・・」

 何か分からない雰囲気だが、良くない雰囲気が漂う。昨日の両親の話もあったし、一昨日俺が寝込んでいたときも恵美さんに両親から何か話があった。そう思える。

「・・・・・・話し合いしましょうよ。今後のこと・・・・・・」

「え? 今後って?」

「だから、今後、和人君とどうやって上手く過ごしていくかについて」

 恵美さんにしては珍しい。自分が話を持ち込んでくる。これまでとは違う切り口。俺の予想を裏切った。

「どうやったら、私と和人君が、家族として楽しく過ごせるか。それとお互いのことをよく知るためにどうしたら良いかを真剣に話し合いたい」

「俺と、仲良くしたいのか?」

「したい。このままなら私、家族を幸せに出来ない。貴方も含めて。家族のためだから。和人君も両親が楽しんでいた方が良いでしょ」

「俺も両親は悲しませたくない」

「そうでしょ。私もお母さんと泰信おじさんにこれ以上迷惑かけたくないから」

二人は食事テーブルに座る。恵美さんは紅茶を入れ、コンビニの百円のクレープを二つ、お皿に盛り、俺の方に一枚皿を渡す。

 まるで何かの面談みたいだ。テーブルに座り、恵美さんは慎重に話そうとする。

「私・・・・・・家族になって今日で十日間。和人君のことはいい人だと思っているし、生活していても苦にはならない。だから・・・・・・」

「だから、どうしたの?」

「そう言う嫌みな言い方をしないでよ。私・・・・・・とりあえず、和人君のことは認めているから」

「金曜日、あんなに怒っていたのに? 本当に恵美さんと上手くやれるか、俺は能力がないのか色々深刻に考えすぎてしまった」

「それは、ごめんなさい。本当にあの時は言い過ぎた。私も本当に和人君が寝込んでしまったきっかけにもなったから」

 これまでにない恵美さんからの譲歩。俺はその誠意に対して尽くさなければならない。

「おそらく、これからどう過ごすかを考えていきたいと」

「そうなの。色々過ごしてみてお互いの嫌なところとか癖とかが見えてきたわ。それに対して向き合いつつ役割分担を決めるとか、家の中からどう接していくかとか」

 俺は恵美さんに話した、自分の好きなことや得意なこと。恵美さんもされて嫌なこととか、今の生活で気に入らないこととかも聞いてみた。お互いが上手く過ごすため。

 すると、俺と恵美さんに共通していることは、両親を幸せにしたいことだった。この目的を果たすには、父親に昨日叱られたように恵美さんと上手く関係を作ることだった。恵美さんも土曜日にそのことを春子さんに相当言われたそうだった。

だからこそ、俺は兄として恵美さんを先導して守らなくてはいけない。そして信頼されなくてはいけない。だから、生活する上では恵美さんの嫌だったりされて嫌なことは知っておく必要があり聞いた。また、好きな物とか嬉しかったことも聞いた。

恵美さんはどうしても性的に意識されることが嫌なことだった。生活の中で性的に恵美さんの事を見てしまった。それは反省して欲しいと。

「私も、和人君には家で明るく接するわね。よく考えれば私、無愛想な態度していたし」

 間もなく春子さんが帰ってくる、こう言う話は春子さんに聞かれてはいけない。俺と恵美さんの問題だ。

 目的意識があれば、二人の意見がすれ違うことはない。

「やっぱり、互いがまだ慣れてなくても、感謝の気持ちを大事にすると、人間関係は上手くいくことが多い」

「ちょっとしたことでも感謝するとか?」

「そうそう。俺は恵美さんのことは感謝し、力になりたい。だからこの前の体育の時間は恥も外聞も捨てた」

「正直だね和人君。それにこの前の数学のノートとかも嬉しかった。私数学は苦手になりつつある」

 これに関しては俺の方が恵美さんを助けることが出来る。もうすぐ中間テスト。後三日で互いに勉強して距離を縮めるのも良いかもしれない。

「そうね。こうやって話してダラダラ生活するだけなのも良くないしね。私、和人君の部屋で一緒に勉強しながらもっともっとお互いを知っていけば良いかもね」

「うん、そうだね。俺は英語苦手。化学は化学式、世界史はキーワードだけ覚えれば良いから、英国数だけでも互いに共有しよう」

 これでいい。お互いの事を知るには勉強が一番。幸い今は同じクラス、家の中では授業内容も、担当の先生の癖とかも共有できる。こういう時だけ同級生で嬉しかったと思う。

「お互いが勉強を通じて深まれば距離も縮まるし、両親にも安心して生活してもらえる。そこから始めましょうね」

「家族は信用出来そう?」

「これから信用されるようになっていく。私は男性不信だから。先ずは慣れていきたい」

 これで恵美さんと上手く過ごしていく準備が整った。恵美さんは生真面目で決めたことに関しては従う性格。そこを読み解いたから俺は安心出来た。

「和人君も、家事とか積極的だし、私も影響受けている。だから家事とかについても分担しましょう。ただ、洗濯に関してはやっぱり男女を分けて欲しい」

「それは分かった。春子さんに頼んでおこうか?」

「いい、私の方で教えてもらう。後食事に関してはどうする?」

 こうして、家事に関しても俺と恵美さんで役割分担、どっちが何時食事を作るかにしても議論を続けていった。

「それからもう一つ、中間終了する金曜日の翌日は、二人でお出かけしない? 私も和人君とは『兄妹として』関係を深めたいし」

 唐突だ。俺は女性と歩いたことは例の風邪引いた時が最初。相手を知るためには外に出て、刺激に触れることが大事。恵美さんと二人で何処に行ってよく知りたい。

「じゃあ、今週末二人でお出かけすることを期待して、中間テスト乗り切ろう!」

「分かったわ! ありがとう和人君」

 恵美さんの顔に余裕が生まれた。これまでの固さがなくなった。

 俺は恵美さんと話し合いを終え、ちょうどタイミング良く春子さんが帰ってきた。

 

   ◇


 それからの一週間はあっという間だった。夕食を無難に食べ、すぐに勉強に取り掛かり、最近は恵美さんも俺の部屋で勉強するようになった。恵美さんには英語や国語を教えてもらい、俺は数学を教える。学校では他人のフリは続くが、家では二人で授業の内容を俺の部屋で共有し合う。案外にもそうすることで俺は恵美さんに負けられない、嫌でも自分から勉強に対する熱意は生まれ始めた。集中力も上がった。よくオリンピック選手が「ライバルがいることで成長できる」という意味が分かってきた。科学的にも証明されているとか。俺はそういう刺激が今までなかった。ずっと一人で勉強するスタンス。恵美さんは学年トップの優等生。それでも数学は苦手。だから数学だけでもリードする。他の教科も恥ずかしくない点数は取りたい。俺は勉強に対するモチベーションが変わった。


 そして向かえた二日間の中間テスト。何とか俺は今までの中で一番手応えがあったと言える出来だと自負した。蒲生は結構苦戦したとつぶやいていたが。やはり同い年の妹と暮らすことで勉強に対する考えも変わった。再婚してまずワンステップを踏んだ。

「いい刺激になったな、妹との生活も悪くないな……」

 金曜のテスト終了の昼過ぎの下校時間に、俺はそうつぶやいた。

 久しぶりに昼過ぎに、俺は父さんの工場のお手伝いをする。最近全然手伝いしてないから金属を加工する腕が少し落ちてしまった。いつもより加工速度が遅くなった。

「和人君、久しぶりだね。やっぱり妹可愛いかよ」

「あのすみません、そういう冷やかしはやめてください」

 会社の従業員に色々言われながら俺は黙々と金属を加工していく。以前と違い、少しは自分でもこの仕事に対しても心をおおらかにして取り組めた。

 その時だった。恵美さんが工場をのぞきに来た。

「和人君と義父さんの会社はここだったのだね!」

 そこには制服姿の恵美さんが工場に覘きに来た。

「えー、これが和人君の義理の妹? 凄く可愛いじゃないか」

 男性従業員が皆恵美さんに注目する。恵美さんは照れ笑いをしている。

「和人君の作業着姿、想像できないけど工員って感じする、制服姿よりも似合っている」

「うるさい、冷やかすな」

 何か恵美さんのにやけた姿がくすぐったい。中間テストを通じ、少し距離が縮まったようだ。その時、父さんがやってきた。

「恵美ちゃんか。和人のところに来たの? 折角だから和人も恵美ちゃんを案内してあげなよ。で、和人も恵美ちゃんに色々仕事を知ってもらうのにいい機会だから」

 おれは恵美さんを工場の中に入れた。金属加工機の仕組みや、ネジ等の部品を一つ一つ手作業で作り出していく過程などを。

「凄く面白い。私今までこういう風景見たこともないし触れたこともない。勉強ばっかりで頭固くなっていたから初めての経験。工場の油のにおいとか」

 恵美さんは興味津々。俺も調子に乗って金属の成り立ちやネジのことを話す。そのネジはロケットを支える特殊部品だったり、ここでしか作れない物などを自慢気に話したり。

「益々泰信おじさんを尊敬するようになった。こんなに熱意のある人とは思わなかったわ」

 結局あっちこっち見ながら夕方ぐらいまで恵美さんは工場見学した。俺は六時前に仕事を終え、今日は珍しく父さんと一緒に会社から一緒に帰る。父さんもこの頃は帰りが早い。やはり再婚して人が変わったのだろうか。

 家に帰ると、恵美さんと春子さんが夕食の準備をしていたそうだ。今日はハンバーグを中心とした洋風のおかず。ハンバーグはお世辞にもおいしいとは言えない。ハンバーグの中の玉ねぎは粗いし、肉汁など全くなく味はパサパサ。それで持って形は悪く一部は焦げている。でも恵美さんが少しでも努力しているのがよくわかる。

「今日も恵美ちゃんが作ってくれたね!」

 父さんはビールを片手にニコニコで食事する。

「和人も喜べ。恵美ちゃん、お前に刺激されて料理頑張っているぞ!」

 恵美さんは照れる。俺は恥ずかしい。

「奏くんったら。まあ今日は中間テストも終わって昼間に余裕が出来て恵美も和人君も色々なこと出来たでしょう。恵美も今日作ってみてコツ分かった?」 

 新しい家族になって少しずつ会話が増えてきたように見えた。少なくとも今日は一番夕食で会話が出来たと言えるほどだった。

 夕食を終え、片づけを手伝い、風呂に入り、今日一日は勉強からの解放される夜を楽しんでいる。そこに恵美さんが俺の部屋に入ってきた

「和人君、明日だけどどこに行きたい?」

 俺は行きたいところと言えば大阪の僻地ばかり。でも恵美さんはそんなところに興味はないだろう。流石に兄だ。大阪もまだ一年半と浅い。ここは兄としての態度が大事と呼吸をした。

「俺はいいよ。恵美さんの方こそ大阪歴、少ないだろ。それより何をしたい?」

「えーと、私ペンギンとかシャチを見てみたい」

「ということは、水族館だな」

「大阪に水族館ってある?」 

 本当に大阪のこと知らないみたい。有名な水族館あるのに。

「あるよ。海遊館が。全国的にも有名だぞ。東京にも水族館あるけど行かなかったの?」

「全然。水族館とか何年も行ってない」

 これで明日は水族館にキマリだ。

  

 翌日の土曜日、中間テストの解放される週末。これ以上に高校生が喜ぶものはない。俺も今日は興奮して朝早くに起床した。

 俺はどうも落ち着かない。家族と一緒に出かける。実母の死別後、俺はろくに家族と出かけたことがない。小学校の時はずっと家に閉じこもる性格だった。中学になればもう家族と何処かに行く年齢ではない。友達すらろくに出来ず、一人で出掛ける事ばかりだったし、これまで一人行動が完全に随にまで身に染みている。

 俺は何年ぶりに二人以上の家族で外に出掛けるだろうか。今日、恵美さんと行く場所は海遊館。大阪のちょっとした名所だ。家からなら地下鉄一本で行ける距離。一人なら日常茶飯事的に行動するエリアだが流石に久しぶりの家族、しかも同い年の義妹と一緒に行く。外から見れば彼女とのデートと間違えられる。

 何時もジーンズにカッターと言う、一人行動に相応しいみずほらしい姿をしていたが、流石に今日はその格好ではまずい。俺は今日の朝の間ずっと髪型を整え、服も無難な服装になるようにチョイスした。もう九月後半で夏のようなジメジメした暑さはない。朝は少し寒くなった。何とか俺はベージュ色の長袖のTシャツに、濃青色のデニムパンツを纏う。これなら恥ずかしくない。何せ家族とは言え学年一の美少女。

 俺は色々身支度をして何時ものように朝食を食べる。今日は両親もくつろぎモード。

「和人、今日恵美ちゃんと出かけるのか? お前も少しは兄らしい行動が出来るようになったな、楽しませてやれよ」

「何時もより身だしなみしっかりしているね和人君。恵美は何処にも出掛けてないの。今まで厳しい家庭だったし、私達も余裕なかったから、今日楽しませてあげてね。長男として期待しているわよ」

 これだけで両親に期待されるのかと思うと少し重荷だ。先週と同じようにトーストにジャムを塗り紅茶を飲む。流石に元気なのでフルーツティーは出なかったが。

「俺らも出掛けようかな。和人らが出掛けているのに俺らも何かしないとね。もう半月以上経つから。春子さんと知り合って」

「父さんと春子さんも、俺たちに気遣いしていないで二人の時間過ごしてよ」

「まあ、和人君優しいのね」

 本当にこの時間は朗らかだ。やっぱり恵美さんと共通の認識を持つことが出来た。それだけでも飛躍的に関係は良好になる。この一週間で大きく進んでいることを実感する。

 朝食でくつろいでいる間に、恵美さんが起きてきた。

「おはよう」

 そこには余所行きの服装をした恵美さんの姿が見えた。

 淡いニットベストに白いブラウスの合わせに、カジュアルなデニムパンツ。派手さはなく落ち着いた装いが、大人っぽい。

「外に出るから、これぐらいは装わないと・・・・・・」

 何やら恥ずかしそうな表情で俺らを見つめる。

「恵美ちゃんおはよう。今日は和人頼んだぞ。和人、こんな可愛い妹と一緒に行動するから恥ずかしいことはするなよ」

「まあまあ恵美。少しは装いも出来るようになったわね。同い年の兄妹で出掛けるなんて間違い無く外からみたらカップルと間違われるけど、それも楽しそうね」

 俺らは変な心配をされている。かなり恥ずかしかったが、何とか両親の満足そうな顔が見られたので、目的は達成しつつある。恵美さんも朝食を食べ始める。

「食べ終わったら行きましょう。早く行かないと混雑するしね」

 俺らが食べ終わると、早速出掛ける準備を始める。そして、両親に今日は二人で楽しんで欲しいと言いながら俺と恵美さんは家を後にする。


「お母さんも泰信おじさんも凄く満足そうだったね」

「それでいい。それも今日の目的。両親も俺らに気を使って二人の時間過ごせてなかっただろ。恵美さんの提案も本当に上手くいったね」

 俺らは満足げな表情で、最寄りの駅まで行く。そして恵美さんはICカードで通り抜けるが俺は切符を買う。

「ICカード買えば良いのに」

改札機をくぐり抜け海遊館に行く西行きの路線に乗る。恵美さんに何でICカードを買わないのかを言われるが、俺は人と出る事がないからと答えた。

 そうしている間に電車が来た。かなり年季の入った緑の帯の車両だった。

「結構混んでいるな、もう一本ずらさないか」

「この程度なんて混雑と言わないわよ。東京の電車なんてこれでも空いている方よ。寿司詰めの車両で毎日女子校通っていたのよ」

 電車の中にはそれなりに吊革につかまっている人がいる。もう少しで満員電車の出来上がりだ。地下鉄乗るのはあの初めての顔合わせ以降。

 確かに東京の電車に比べたら噂するほど混んではいないが俺からしたら拷問。俺は人を避けた電車しか乗らない。ぼっちの悪い習慣が出ている。途中の大きな駅で人が入れ替わり今度は家族連れやカップルが多くなり恥ずかしくなる。

 途中の駅を発車すると反対側の扉にもたれる恵美さんは壁ドンしてしまった。

「悪い、狭いから、こんな至近距離で・・・・・・」

 俺はギリギリ恵美さんに接触しない所で立ち構えた。恵美さんの至近距離で見つめてしまっている。その時、地下鉄が地上区間に出て一気に光が差し込み、目がくらんだ。

「ちょっと、見つめないでよ・・・・・・いくらこの混雑に慣れてないにしても」

 恵美さんは顔を真っ赤にして俺の方を見る

「触れないから、それに後数駅、目的地の駅までこっちの扉は開かない。だからこの姿勢保てば大丈夫」

「私は大丈夫ではない、恥ずかしい」

 次の駅に到着し、また列車は加速しカーブに差し掛かる。その度に恵美さんに接近しそうに何度もなった。恵美さんは恥ずかしそうな顔をする。俺は両手を扉に据え、揺れても良いように位置を固定する。その中に恵美さんがすっぽり入っている。

「別に良いよ。楽な姿勢で。何でもないし」

 恵美さんは俺に見られるのを諦めたようだ。混雑した電車の中で。


 何とか目的地である大阪港駅に着き、そこからは歩いて海遊館を目指す。途中に大観覧車があり、シンボルになっているとか。もう既に入口にはそれなりに行列が出来ている。

「思ったより凄い人だね・・・・・・」

 県売り場にも人の列、そして入場口にも開場を待ちわびる家族連れが何組もいる。後はカップルも何組もいた。

「うわ、凄い美人の女の子・・・・・・」

「あのカップル、良くない?」

 そんな噂が流れてきた。俺は少しだけ恥ずかしさを感じた。今までにない優越感、外での俺たちの外見。これまで男女で歩くことなど全くなかった自分にとって何もかもが刺激的に感じる。義理の妹が出来るだけで俺は未知の世界に辿り着いたような感じになる。

「何か恥ずかしいね。私達が色目で見られているみたいで」

 恵美さんの顔は真っ赤だ。何か慣れてなさそうな雰囲気で。それでも恵美さんの私服姿に俺は見て取れてしまう。俺は胸あたりが得体の知れないような熱さを感じたりぞくぞくしたりする。恵美さんをどうしても異性の目で見てしまう。そう思う度に何度か我に返ろうと周りを見る。

 午前十時。本日の営業のオープンである。客が海遊館の中に沢山吸われていく。俺たちもはぐれないように歩いて行く。

 三階まで来たら一気に八階までエスカレーターに乗っていく。結構狭くガラス張りで海の外が見える。俺が前、恵美さんが後ろに乗った。エスカレーターはゆっくり上がっていく。恵美さんは戸惑っている。

「私、水族館なんて何年ぶりかしら。東京の池袋の水族館に小さい頃行ったのが最後」

「俺なんて生まれて初めてだよ。先ず来ることはないし、写真の世界でしか水族館は知らない。俺は魚を見るにしても海でのリアル派だからな」

「和人君は案外アウトドアだね。私は田舎の海など見たことがない」

「海は良いぞ。俺も今年の夏九州に一人旅で海見てきた。生で魚が跳ねている所を観察するだけでも凄く楽しいぞ、そういう自然状態の魚は好き」

 俺は水族館とか行かないから人工的な海とか知らない。どんな光景だろうか。

 エスカレーターが最上階の八階に着いたら、そこには森が広がっていた。

「何か、水族館らしくないな・・・・・・」

 人工的な森に、川をモチーフにした展示。そこにはザリガニやアユなどの山の魚がいっぱいいた。人工的すぎて面白くない。まだ昔山の中で見た山魚とかの方が面白かった。

 恵美さんは何か緊張している見たく、俺の方に寄り付こうとする。

「実は、山魚苦手・・・・・・」

 山魚はダメなのか。

「私、山魚は色がきつい物が多いし何か森とかみたいなゴチャゴチャした雰囲気の中の魚は苦手。あと色とかの濃いものは」

「恵美さんは山魚苦手だったのか」

「うるさい」

「どういう所が?」

「あの魚は気持ち悪い色でゴチャゴチャしている。少しトラウマ」

 そう言いながら俺の後ろに隠れるように辿ってくる。何か隠れているみたい。妹に配慮し、ここは速やかに出て次に向かう。一つフロアを降りると七階。ここは中南米をイメージした海の生き物ばかり。一気に視界が青くなる。

 壁越しにイルカが泳いでいる。青い水に白黒のイルカ。凄くアンバランス。恵美さんはと言うと・・・・・・

「キャー! 可愛い!」

 恵美さんはガラス越しに手を添えて貼り付き、イルカを夢中になって見ていた。その恵美さんの姿は何か子供っぽいが、何か透き通っているようなキラキラした目線。

「見て! あんなに早く泳いでいる!」

 そう言う子供っぽい恵美さんの姿が新鮮だ。今までの冷たい態度は何だったのだろ。そういう俺の方が完全にイルカの姿に見とれてしまった。

 単純な目。白と黒の巨大な体。クネクネさせて泳ぎ、時に高速で泳ぐ。イルカ自体をこうして生で見ることが新鮮。時折水槽からジャンプする。今日はイルカショーを見られないのが残念だった。

「あの二匹のイルカ・・・・・・雄と雌っぽいね・・・・・・」

 恵美さんの顔が恥ずかしそうだ。

「何か、今の私達みたいに別の動きになっている。私達の境遇」

 恵美さんは恥ずかしそうに言う。

「その境遇を破るために来ているから。次行こう」

 俺の中での興奮が冷めないうちに更に一つ下のフロアに向かった。

 六階には四階まで及ぶ凄く巨大な水槽があった。この海遊館の一番の目玉水槽。これだけ大きい水槽を見たことがない。太平洋をイメージして、そこには巨大なジンベイザメがのろのろと泳いでいた。

「凄く大きいサメ!」

 とにかく恵美さんは嬉しがり。まるで子供が煌めかせているような表情だった。

「水族館って、行ったのは本当に幼少時代以降。それも本当に子供騙しのような水族館。こんな青い水槽など見たこともなかった。都内にもいっぱい有名な水族館あるけどこんな大きい水族館は私知らなかった」

 とにかく青い。そしてジンベイザメを取り巻くようにアジやタイの魚群、そしてエイも水槽の上で泳いでいる。

「ここは、世界最大級だからな」

 その時だった、ダイバーみたいな人が水槽内に入ってきた。

「あ、ダイバー。何か手を振っている」

 家族連れの子供達が夢中になって子供に手を振っている。ダイバーはゆっくりと泳ぎ、周りの魚と戯れているようだ。

「サメって、怖いとか人喰いのイメージが強いけど、あれ見て! ダイバーと戯れて、馴れ馴れしくしている!」

 エイやサメなど、周りの魚もダイバーになついている。まるで太平洋の凶暴な海の生き物というイメージが変わるほどである。

「人間と魚も、上手く溶け込めば協調できるのだね・・・・・・」

 この言葉に引っかかる物がある。この前家族になったばかりの恵美さん。あれだけ俺の事を避けていたのに。俺も恵美さんのことを関わらないように、家でも無難に関わってきたけど上手く関わればダイバーみたいになるのか。俺は何時もそうだった。人と溶け込めない性格だった。魚は人間を大抵避ける。でもダイバーのように訓練すれば人と魚は関わることが出来る。それがどういう訓練かは分からないが、ダイバーはそれを可能にしている。俺も何か訓練すれば恵美さんと仲良くやっていけるのだろうか。

 巨大水槽の前でボーッとしている間に恵美さんがいなくなってしまった。

「何処行ったのだろう、恵美さん」

 俺はその場を立ち去り即座に探す。子供のように迷子にはならないにしても、はぐれるのは凄く不安だった。

 俺は周りを見渡した。恵美さんがいない。

 その時だった。端の水槽の所で何か二人組の男子に絡まれている。

「何・・・・・・されている・・・・・・」

 よく見ると、男二人は恵美さんを誘い出そうとしているのが分かった。恵美さんは凄く怯えた表情をしていた。

「だから、俺と遊ばないか? 一人でこんな所で遊んでないで」

「俺ら、色々奢ってやるからさ、一緒に行こう」

 何かかっこつけたカッターを着た服装で、髪の毛も茶髪にした不良っぽい人と、刈り上げでシャツ一枚のジーンズを履いた人。完全にチンピラだ。

 確かに俺は怖い、恵美さんが怯えている。何とかしないと。俺は勇気を持った。

「あの、すみません。そこのお兄さん」

 不良二人組が俺の事を睨み付ける。

「その女の子、俺の妹。妹に変なことしないでもらえますか?」

「はあ? お前みたいなもやしが兄だと? 面白いな。ねえ、お嬢ちゃん。嘘だろ」

 恵美さんは戸惑う。俺は恵美さんの目を見る。恵美さんは不安な眼差しで何か言うような構えを見せていた。

「この人は、私の兄です。変なことしないで下さい。私が少しはぐれただけです。変なこと言うと、あそこの係員呼びますよ」

 不良二人組は睨みをきかせた。

「嘘だろ、嘘と言えよ。お嬢ちゃん。こんな奴俺がかませてやろうか」

 俺は覚悟を決めた。

「やれる物ならやってみろ。俺を殴って良いぞ。でもな、それしたらそこにある監視カメラで行動記録取られるぞ、さあどうする。俺はちゃんとした家族だから。通報して良いぞ。証明するから」

 言ってしまった。大声で人を威嚇する発言を。生まれて初めてだろう。俺も本当は怯えている。仕方ない、家族を守るためだ。水槽の前で考え事していたせいで恵美さんの目線を外した。責任は俺にある。周りの客も不良二人を睨み付け、不良の方が徐々に不利な展開になる。

「行こうぜ、馬鹿馬鹿しい」

 そう言いながら、不良は焦ってその場を立ち去った。何とか館内に平穏が戻った。

 恵美さんは、泣きそうな表情で俺の方を見つめた。

「和人くん、本当にゴメン。私が、少し油断して一人で周りの水槽に見て取れて、それで方向を間違えて変な方向に行ってしまって、それで迷って絡まれたの・・・・・・」

 俺は罪の意識を感じた。恵美さんを守れなかった。女の子との二人行動は初めてだというような言い訳は許されない。

「俺こそ、悪かった。水槽の前で黙り込んで。恵美さんを、守れなかった」

「違うわ、私、実は方向音痴なの。一人でこういう所に行く自信はない。お母さんか、優子ちゃんとか友達と行動する事がほとんど。相当の。私は和人君が最大の頼りなの。和人君にとっても嬉しいことでしょ」

「方向音痴って、どのぐらい・・・・・・」

「幼い頃から離婚した父さんは何処にも連れてもらえなかった。一回だけ幼少の頃出掛けてその時から方向は苦手で迷子になった。それで滅茶苦茶怒られてもう何処にも連れて行くなと。それ以降ロクに外に出掛ける機会が減った。それぐらいの方向音痴。そう言った方が良いかな?」

 俺は昔から一人行動が基本。でも恵美さんは勉強も忙しく、父親も厳しかった。だからなのかもしれない。俺も恵美さんと行動する感覚を身につけるべきと思った。

「後、東京は人も多く、子供一人は危険というのもあるかもね」

「私未だに東京のど真ん中を一人で歩く自信ない。生まれてから大阪に引っ越してくるまでずっと住んでいても、補足するならそれぐらい」

 どんなに恵美さんはスマホを使いこなせてないのか。

「安心しろ。何かあったら俺に連絡すれば飛んでくるから」

「そうだね、まだラインだけだからね。ゴメンね、ちゃんと和人君の連絡先登録するよ」

 恵美さんは焦ってスマホを取り出す。

「今はやめとけ。後でやろう」

 そう言いつつ、俺は三階まで二人で一緒に歩いて行った、今度は恵美さんの目を絶対に離さない。一緒にできるだけ近い距離に。でも近づきすぎず。

 出口の近い三階は、最後に相応しくアクアゲートを通り抜ける構造であった。トンネル状の壁は一面ガラス。そしてガラスの上は水槽。色とりどりの魚が泳いでいる。

「何か・・・・・・幻想的だね・・・・・・」

 恵美さんの足取りが遅くなった。俺も恵美さんと歩調を合わせる。色とりどりの熱帯魚が最後を締めくくる。俺はその雰囲気を見とれてしまった。恵美さんはその光景を見つめる。俺も一緒に無言で共感する。

 周りの大学生らしきカップルもアクアゲートの魚を見とれている。どう考えても周りの空気からしたらカップルに間違えられてもおかしくない。

「何か、恥ずかしいね、俺達」

「うん、周りはカップルばっかり・・・・・・そう見られそう・・・・・・」

「あくまでも、兄妹だからね」

 俺は抑えられない気持ちをコントロールするのにかなり戸惑っている。恵美さんとの近い距離、周りの雰囲気。俺らは周りから見られたら高校生カップルそのもの。いくら恵美さんの好みがあっても場違いを感じた。もう少し義妹という立場で動きたい。

 恥ずかしながら、俺は海遊館を出た。

「あー、楽しかった。やっぱりあのペンギンは可愛かったな——」

「来れてよかったな、前から行きたかった水族館」

「でも、カップルばかりで恥ずかしかった・・・・・・出来ればもう少し恥ずかしくない雰囲気の方が良かったかもね」

 俺はじれったい。あまりにもここはそういう層が多すぎる。昼になり周りはカップルとか家族連ればかり。もう少し落ち着きたい。

「とりあえず、観覧車とかはやめておくか?」

「まだ私達は家族になったばかり。ちょっと刺激強い。場所変えましょう」

「そうだね、もう少し人いないところが良い。とりあえず別の場所に行きましょう」

 俺たちは海遊館を後にして、地下鉄に乗り更に海底トンネルを抜けて別のベイエリアを目指す。やってきたところは南港地区。周りにはアウトレットと展望台付きの高層ビルが建ち並ぶ隠れた大阪ベイエリアの名所。何処に行って良いか分からなかった。

「さっき観覧車乗らなかったから、あの超高層ビルの展望台!」

 恵美さんがそう言うと、俺らはその地区で一番高いビルの頂上に登った。


「本当に高いね! このビルは! 何か足下が少し怖くなる!」

 展望台で興奮する恵美さん。一応地上二五六メートル。同じ大阪には日本一高いことで有名なビルがあるが、このビルも全国四位の高さを誇る。更に大阪には全国三位の高いビルもある。大阪は超高層ビルの高さ争い好きだ。ちなみに第二位のは東京ではなく横浜。

「東京の方が大都会で規模も大きいし、世界とか行けば東京ですら足下に及ばない摩天楼だらけだし、大阪はこういう所ぐらいだよ、高い所は」

「東京の方がもちろん高層ビル多いけど、大阪もまあまあ多いよね」

「国内見てればそうだけどな。世界行けばもっと凄い摩天楼とかあるよな。中学社会の地理で見たアジアの都市とか」

「私、超高層って登ったことほとんどないの。小学校の社会見学で都庁の展望台に行ったぐらいしか知らないし」

 都庁というのは新宿にある東京都庁のことだろう。高校生の俺でも知っているあのテレビによく出る建物。さっきの水族館といい本当に恵美さん、ろくに東京都内でお出かけしたことがないのか。だからあんな迷うのだろう。

「私スカイタワーにも行ったことない。毎日学校と家の往復で電車を使うだけだった。通っていた私立の女子校、校則は厳しいし超進学校で勉強漬けだったし・・・・・・」

「そういう意味で、大阪の高層ビルから見る展望台は格別だろ。東京とは違う見え方をすると思うよ。大阪平野は狭いからな」

 大阪平野は関東平野よりも狭い。この展望台からは東を見ると生駒山が目前に迫っている。更に北西を見ると六甲山。そして六甲山の丘陵地を見ればそこには住宅地と山々がくっきり見られる。そしてその手前の海は大阪湾。大阪には埋め立て地が多く、その湾岸の埋め立て地が神戸の町並みにまで広がっている。俺の方こそ、超高層ビルなどほとんど登ったことがない。恵美さんより新鮮な景色を来ていると思う。恵美さんのお陰だ。

「都庁からは、景色が良ければ富士山が見えるみたい、私の時は見られなかったけどね」

「富士山が見えるほど都庁は高いところにあるみたいだね」

「うん、と言うよりも関東平野が広すぎるだけ。都庁からだと横浜とか丹沢の山々もほとんど分からないしね」

 恵美さんは北東側の形式を眺める。

「あれはUSOでしょ。私でも分かるわ」

 展望台から淀川を跨いだ先に見えるのはUSO。東京(正確に言えば千葉)にあるアメリカの鼠のキャラクターとかで有名な所と並ぶ日本の二大テーマパーク。流石にそれぐらいは何処にも行かない恵美さんでも行ったことあるはず。

「あっちの方は中学受験合格の時にお母さんに連れて行ってもらっただけ。こっちの方も、高校生の間に行ってみたいね。それの舞台となった映画とか、世界的有名なゲームキャラとかのアトラクションあるし、それ位は流石に私でも親しんだから——」

「流石外に出ない恵美さんでもそれ位は関心があるようだな」

「五月蠅い。黙って」

 何かこうして外を見て話しているだけで恵美さんの事が色々分かっていく。そして冗談交じりの事が少し言えるようになった。一ヶ月前の自分では信じられない。何か自分の中にある錆び付いた物が払拭される感覚だ。でも深く考えるのはやめにしよう。今は恵美さんが迷子にならないように。

「私、こっちからの景色も見たい!」

 早速だった。そう言いつつ恵美さんはまた俺に先を越して場所を移った。

「もう迷子になるなよ。自分でも分かっているならもう勝手に動くなよ」

「分かっているわよ。動いても和人君の目線は離さない」

 悪魔のような顔つきをしながら恵美さんは冗談半分に歩いて行く。もうさっきの失敗は繰返さない。とりあえず俺も恵美さんの視線だけは外さないようにする。さっきの海遊館と違ってここは人が少ない。その心配もする必要はないか。

「ここから東側の大阪の町並み見ているけど、大阪も本当にビルは多いね。それに、大阪は山脈が直ぐそこにまで広がっているし。それに、あの東の山脈は何山なの?」

 何山か? 俺は恵美さんの質問に一瞬動揺した。東側に迫る山脈は言わずもがなの生駒山。この角度だと生駒山の電線や、山上の電波塔が見える。俺はあの山々を見るだけで一瞬頭の中が真っ白になった。

「和人君、聞いているの? あの山は何なの?」

「ゴメン。あれは生駒山。大阪に一番近い山。さっき乗ってきた地下鉄はここから俺らの住んでいるあの大阪城の奥の方を通って生駒山をくぐり抜け、奈良の方まで貫いている」

 俺は気持ちからがら答える。

「入学してからしばらくその地下鉄使っていたけど、奈良の方までの行先があるからそうだと思ったけど、改めてここから生駒山眺めたら新鮮だなって」

「うん、そうだね・・・・・・何か新鮮だね」

 適当な返事をしてしまった。あの山々を思い出させるとフラッシュバックしてしまう。

「和人くんまたフリーズしている。返事も適当すぎ。私真剣に楽しんでいるのに」

「ああゴメンゴメン・・・・・・・」

 俺はどうしても思い出したくない。出来れば視界から伏せたいほど。

「入学した時の自己紹介覚えている? 私箕面山登りたい言ったこと。私、山頂に登ってそこから眺めを見ることに憧れている。あの生駒山の頂上、行ってみたくなった。和人君なら安心できるから、一緒に行こうよ! 行きたくなった」

 恵美さんは目を輝かせる一方、俺は深刻なトラウマが蘇る。

「恵美さん・・・・・・ゴメン。ちょっとそのことは・・・・・・」

「和人君何か変よ。どうしたの? 生駒山嫌いなの?」

「ちょっとね。恵美さん、もう楽しんだでしょ。そろそろ夕方も近くなるし、今日はこの辺にしておこうか? 楽しい所なのにゴメン」

 俺は本当に体調が悪くなった。吐き気がしそう。生駒山は俺の最寄りの地下鉄路線が貫いているのに、『あの』時以降、生駒山を貫き奈良に行く方には一度も乗っていない。

「和人君・・・・・・無理しないでね。本当に顔色変だから。今日は十分楽しめたし、本当に連れてきてくれてありがとう」

 俺たちはベイエリアを後にして、行きと同じ地下鉄路線で帰り着いた。

 折角恵美さんと新鮮な思いで楽しめたのに。

 『あの』悪夢が一瞬蘇る。十年前の『あの』悪夢のような出来事が。俺の家族から灯が消えてしまった出来事が。

 夜もすがら、『あの』時を俺は思い出した。

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