第1話 同級生の美少女が突然、義妹になる

二学期が始まって間もない日。

 始業式を終え、これから本格化する学校行事、秋大会に向けて熱気立つ部活動、人間関係も見え始めたことで誰に告白すればカップルになるか、そんな学校での楽しみが増える時期。特に高校一年生は学校生活も慣れてこれからが本番。

 俺が通う高校は、大阪の府立難波谷高校。大阪市内のど真ん中、大阪城の西側の裏にあり、周りには大阪府庁や国の機関がある官庁街に囲まれた大阪の中でも比較的落ち着いた場所にある。この高校は大阪府下有数の難関であり、国立一流大学への進学率が高い学校でもある。この学校を卒業した政治家や医者や起業家などは数知れず。

 俺は元から人とのコミュニケーションが得意では無い。だから静かに過ごしたいと思ったし、そう言う高校で静かに少ない友達を作ればいいかと思っていた。 

 でも高校でもほぼ、ぼっちが確定した。

 九月になれば入学から夏休みを含めて五ヶ月。最初の一学期で人間関係が、更に部活などをしている場合は部活でのより濃い人間関係が構築されていく。そう言う流れにも乗ることは出来なかった。

 俺は今、父親と二人暮らしをしている。母さんは幼少の頃病気で他界した。優しく、俺のために色々親身になって、色々遊んでくれた。昔から一人でいることを好み、友達作りが苦手な自分にとって家族と過ごした日々は一番幸せな時だった。

 友達といるよりは図書館に閉じこもって一人で色々な情報を調べ、そして児童向けの小説を読むのが好きな少年だった。

 塾でみんなと同じ空間で勉強をする、皆で何かをする。人と競い比べ合う。世間で言うマウンティングという物。有名進学塾に入れて、有名大学に出て、大企業入社して更に同期の間で出世競争に明け暮れる日々。考えるだけでも地獄だ。

 父親も元はそういうサラリーマンだった。子供の時、父と何かをした記憶がない。忙しかったから。国内有数の重工系企業に勤務し、大型航空機やロケットなどのプロジェクトに関わっていた。それでも、俺も母さんも、父さんの仕事が輝かしいと思っていた。

 それが母親の死別で人生が変ってしまった。

 その後、父は重工会社を辞め、祖父の時代から続く町工場の零細会社を継承するために祖父と一緒に働いた。町工場の横にある祖父が建て替えた一軒家に俺と父、そして祖父と祖母がしばらくは一緒に過ごした。俺が中学の頃に祖父も寿命で死別し、祖母は特別養護老人ホームに入居した。

 完全に俺と父が一軒家に残された。

 父子家庭で父が会社の跡取り社長になり、今は俺を育てるために祖父の町工場を切り盛りして俺を養っている。その後は父の経営で忙しい日々が続き中学時代は孤独の日々を過ごした。

 中学生活も一人になることが多かった。中学でもほとんど友達を作ることはなかったし、そういう輪に入ろうともしなかった。クラスには不良や体育会系、群れることが好きなグループ人間が多かった。当然そう言う奴と同じ高校に行くのが絶対に嫌だった。

 だから何をしたかと言えば、独力で死にものぐるいで勉強をした。中学では成績はトップ、クラス内でも「ガリ勉」など揶揄されたが、そういう目で見られることも多かったが、勉強さえ出来ていれば周りの信用も高くなるし、イジメに遭うこともない。だから勉強をして成績が高い事に自己満足をしていた。そうする中で俺は高校受験時代、大阪の最上位の進学校に行くことが出来る成績になっていた。私立高校は中学からの内部進学組で輪に入ることが難しいからとりあえず公立高校を選んだ。

 府立高校の最難関は淀川、阿倍野、俺の通う難波谷の三校。俺は家から近くて父に負担がかからないという理由で、徒歩圏で地下鉄一駅弱の距離にあるこの学校を選択した。


 九月前半の水曜日、いつものように俺はクラスの中で一人座って読書(ライトノベル)をする。まだ夏の熱気が残る中で周りの生徒は俺を含めて皆半袖を着ている。そして夏休み気分がまだ抜けない雰囲気の中、雑談がガヤガヤ聞こえてくる。でもそんなのは俺にはお構いなし。中学同様、クラスで一人ぼっちが確定。クラスの人間関係やグループは固まっている。

 俺は入学し皆と一緒に何かをして、何かを共有し、それに共感することに憧れたことがあった。

 しかし、それも失敗した。この俺の性格とこれまで歩んできた人生を振り返ればそれはもう取り返せない——。

「おお、桜宮、おはよう」

「蒲生、相変わらずずっしりしているな」

 クラスの少ない友達こと蒲生俊和。眼鏡をかけて短くさっぱりした髪型に肉厚な体格。と言いながらデブではない。体の大きいオタクという所か。

「何のラノベを読んでいるの?」

 ブックカバーを掛けているので表紙は見えないが、蒲生には見抜かれた。

「何でもいいだろ」

 俺はぶっきらぼうに返す。

「まあいいけどさ、何読んでいるかは想像が付くけどな」

 蒲生はオタクには見えるが人を読むのは上手い。そして丁寧な態度。俺みたいなぼっちにも接してくれる。蒲生も一匹狼のタイプだけど。

「で、まだ入学間もない時の自己紹介を引きずっているのか?」


   ◇◇◇


 入学して間もない頃、桜が散り、皆緊張顔のクラス。これからの学校生活で無難に過ごしたければここを乗り切り、嫌でもクラスメイトと仲良くしなければならない。第一印象は大事だ。中学とは違い無難そうな人ばかり。安心した。

「皆さん、おはよう」

 担任の先生は挨拶をする。ホームルームの時間であった。まだ初めの段階で先生も緊張感であった。

「今日で入学三日目です。まだ学校生活も初めてで周りの人も知らない人ばかりですので、皆が少しでも仲良く出来るようになれば良いです」

 優しそうな女性教師、とぼけ顔だが何か人を纏める能力がありそうな感じがする。

「初めなので皆が自己紹介——では面白くありません。私はここにカードを持っています。このクラスは全員で三〇名。一から三〇までの数字のカードが書かれています。これを私がシャッフルするので、その一番上のカードを引き、当たった出席番号の人が自己紹介します」

 それだけなら単なる自己紹介だな。

「それでは面白くないので、更にその下の三枚のカードを引きその出席番号の生徒は自己紹介者に自己紹介内容を説明して相手の理解を深めてください。これを何回か繰返していきます。一度自己紹介したらその人は一先ず終わりで再度自己紹介と言うことはありませんので安心を。最後まで当たらなかった何人かはただの自己紹介をしてもらいます」

 俺の出席番号は「さ」なので十三番。どうか自己紹介で十三番は当たらないようにと願った。

「質問を通じて強制的にコミュニケーションを取る。良いことだと思います。これを機会に皆仲良くなりましょう! 別にカード引く前に自己紹介したい! と言う人は手を挙げて自己紹介しても良いですよ」

「・・・・・・」 

 誰も手を挙げない。当然だ、皆この場で失敗して目立ちたくない。

 そう言いながら先生は丁寧にカードを切っていく。絶対当たりたくない。せめて最後の自己紹介で終わりたい。どうか自分には当たりませんように。

「じゃあ、引きましょう。トップバッターを・・・・・・、えーっと・・・・・・」

「十三番・・・・・・」

「・・・・・・」 

 当たってしまった。トップで。最悪の展開だ。

「十三番、桜宮君————」

「・・・・・・はい」

 弱い返事で答えた。俺は力が抜けてしまった。

「じゃあ、名前・出身中学・趣味や特技・好きな物を順番に答えてください」

 俺にとって最悪の質問だった。他の人に比べて特技も特徴も無くアピール出来る物がない。逃げたい・・・・・・。

 何を自己紹介したかは良く覚えてないが、趣味は読書、好きな物は自然とか適当に答えた。周りは地味な奴と思ったのだろう。友達はおろかろくな知り合いすらいない自分にとっては重すぎだ————。

「では桜宮君の自己紹介に関して質問する人を当てたいと思います。八番、蒲生君」

 初めての感覚だった。自分が強制的に質問される。蒲生はぬけぬけと質問した。

「質問します。本が趣味と言いますが、そんな本が好きですか?」

 適当な取り繕いで読書と言った自分がバカだった。読書と言ってもラノベぐらいしか本は読んでない。恥ずかしくない、でも嘘ではない回答を考える。

「一応、恋愛物・・・・・・」

「それって、ラノベとかですか?」

 鋭い。こいつもオタクだろ。ラノベと言う単語で。仲良くなれないわけではない。周りも眼鏡かけている人が多い。進学校だからラノベは恥ずかしくない。それが救いだ。蒲生とはやっていけそうだ。一先ず安心。

 残り二人の質問がきつかった。俺の学区が何処かを聞かれたこと、近くだから大阪城は良く散策するのですかとか、中学の部活はとか。自分の中でまともに答えられず恥をかいたことは確かだ。


 自分のつたない受け答えが参考になったのか、その後は中学の部活でサッカーをしていた、吹奏楽を続けて高校で金賞を目指すとか、映画の事とか、『自分以下はない』というような和気藹々とした雰囲気で進んでいった。数人の自己紹介で言えることは、周りはリア充っぽい人が多い。これではまた高校でもぼっちが確定しそうだ。

「じゃあ次、二十六番、都島さん?」

「はい!」

 あと何人かという所で、大きく明るい声が教室内に響き渡る。

 ふんわりとした長髪のヘアに、ぱっちりした瞳の美少女。

 その姿に皆が(特に男子生徒)が釘付けになった。それだけではない。昨日から女子生徒を中心にかなり群がっていた。

 その理由が、入学式で新入生代表として決意を読み上げた女子生徒であった。すなわち首席合格者。高い進学校での首席合格。もの凄いステータスを持っている。

 俺にとって何らかの恋愛感情が芽生えた。すごい美人。まるでラノベに出てきそうな美しい長髪、そして顔の整った容姿だ。自分には格が高すぎる。

「都島恵美です。都島は地名で恵は恵です、私は豊中市の北部から来ました。箕面山の近くです。私の趣味は公園など緑に触れることです。まだ箕面山は登ったことがありません。滝が有名みたいですが私は山に登って夜景を見ることに憧れています。大阪に来たのは中三の春なのでまだ大阪は一年しか住んでないので知らないことばかりです。色々な所に行ってみたいです。よろしくお願いします!」

 とても明るく、第一印象からして誰が見ても上出来、俺と同じ公園が好きなようだが印象は歴然。どう考えても俺の負け。

 男子は見とれている。周りを見てもクラスで間違い無く一番の美少女と言える。自分には先ず縁のなさそうな同級生だ。

「明るい自己紹介ですね。では、この自己紹介の質問三人、当てます」

 マズい。当たったら自分の歴然とした態度の差を真の当たりにする。

「十三番、桜宮君」

 最悪。こんなタイミングで質問が来た。自分とは不釣り合いだ。何を質問したら良いだろうか。

 とりあえず公園が好きそうだからそのことを聞いて乗り切ろう。

「都島さんに質問します・・・・・・。その都島さんの中学の近くでお勧めの公園とかありますでしょうか?」

「えーと、あの付近は公園多いのでどこの公園なのか区別はついてないです。大阪はもちろん、私実は方向音痴なので土地覚えるのは少し苦手です」

 ついつい、一言言ってしまう。

「この学校は大阪城公園の裏ですが、行ってみたいですか?」

 都島さんは少し困惑する。

「まだ行ったことないですし、この学校に入学したばかりでこの周りのこともまだ分かっていません。色々教えてください・・・・・・。ね、優子」

 優子って、誰だろ。

「恵美、アドリブキツいよ。私達出身中学一緒で中学三年、クラスも同じで高校まで同じクラスになれたからって・・・・・・」

 クラスの左前の方からこの女子生徒が都島さんと何か話している。小柄な体に、セミロング気味の縮れ髪の明るく活発そうな外見。目や鼻立ちが良く、都島さんと並んで綺麗な顔をしている。その時何か男子の声が聞こえてくる。

 ————あの二人中学が同じで一方が大阪は初めて? しかも標準語

 ————このクラスの女子のレベル高いかも

 ————あんな可愛い子大阪初めてなら色々助けてあげたい

「優子、そのノリで自己紹介する? 先生、良いですか?」

「良いですけど、優子って、一番の赤川優子さんですね。中学一緒だったのですか?」

「はい、都島恵美さんは中学三年の春に私の住んでいる豊中市の中学校に転勤してきました。東京から来ました。中三の時は何時も一緒にいましたが恵美は凄く勉強できます。私はまぐれで合格しただけです。私は追いつくのがやっとでした。ちなみに私の趣味は色々な漫画作品や小説に触れることです。私と恵美をよろしくお願いします」

 この赤川優子、とんでもないアドリブが出来る女子生徒だな。二人分の自己紹介が出来てしまった。この二人がこのクラスを仕切りそう。カースト最上位で。

「ちょっと優子、目立ち過ぎ。まだ私の自己紹介」

「恵美、そこは一緒に『優子を一緒にかわいがる』だよ」

 クラスの中で一斉に笑い声が聞こえる。でもそのノリは良い意味で皆注目していた。

「はいはい、二人とも分かりました。都島さんの質問もありますので、赤川さんはこのあたりで。残る二名の都島さんへの質問を再度カードで決めていきます————」

 その後の二人の質問はとても楽しそうだった。どっちもリア充らしき男子生徒からの質問で赤川さんにフォローされながら盛り上がっていった。


 あの自己紹介によってクラスの人間関係が固まってしまった。


 俺は中学と同じくぼっちの延長線上の生活、ただ一人クラスメイトの蒲生が相手にしてくれる所が以前との相違ではあるが。あの自己紹介の質問が無ければそれすらなかった。

「もう九月、そろそろ文理を決める時期だし、このまま俺は理系を目指して二年からに期待しようと考えているぞ」

 蒲生も友達が多そうではないが、こうして気を使って貰えているだけまだ中学より進歩がある。ただクラスの中で必要最低限と言う事で、放課後に友達と遊びに行くことはなかった。

 更に、右隣の光景は今の自分が最も見たくない光景だった。

「まだ今週半ば。優子、私今日の予習忘れた。昨日新刊が出た『スパイチーム』十巻を一気に読んでしまったから予習する時間無かった、ゴメン!」

「いや、あれターニャがあんな所で急展開する場所で最新刊終わっているけど、宿題サボらずにやろうよ」

「でもそれは難しいですな。一気に読めるほど展開が面白いから、つい」

「恵美、優子、今日の放課後少しだけ近くの書店に行ってみないか?」

「いいね!」

 何時ものようにクラスナンバーワンの美少女こと都島恵美の周りには女子生徒が複数取り巻いている。昼食や休み時間は一緒にいることが多い。そして都島と赤川のコンビによるクラスではお馴染みの光景である。完全にスクールカーストトップと言える言動。

 ————やっぱり都島と赤川は可愛いわ。

 ————クラスどころか学年でもトップ争い出来るほどだわ。都島さんのお陰で、この学校入学した甲斐があったと言えよう。

 男子生徒から都島さんに対する黄色い声、それに追従する赤川さんへの優しい声、中学から一緒のクラスで行動し、高校でも人間関係の継続。ペアで動いている。

「桜宮、どうしたの? まだ都島さんのこと見とれているのか?」

「いや、何でも無い」

 蒲生はよく俺が都島さんの方を見る度に気を使う。俺も何度も都島さんは可愛い、仲良くなりたいと思った。それでも俺にはあまりにも格が違いすぎる。リア充男子一人に告白されても全然おかしくないような容姿。当然クラスの男子にも優しくされている。

「今日こそ恵美、カラオケとかゲーセンとかはどう? 本屋なんか飽きたから」

「うん、ちょっと私の所は・・・・・・」

「ごめんね。私と恵美は家族が厳しいから」

「流石だね! やっぱり住んでいるところが違うと親が厳しそうだね! 私なんか両親が小さい自営業で。テストすら良い成績なら何をしても許されるし、深夜近くまで門限は許されるし!」

「えーっ! 真綾、不良? 羨ましいわ。門限ほとんどないのは」

 相変わらず都島さんの周りは黄色い声。赤川さんに支えられて更に輪が増える。片や自分は、友達と言えるのかどうかも怪しい関係。今まで一度たりとも学校の外で行動したことがない。友達と言ってもクラスメイト止まりに近いか。

 これが、夏休み含めた俺の入学五ヶ月の学校生活の評価だ。


   ◇◇◇


 放課後。

 クラスメイトは帰り支度する人や部活に向かう人、仲間同士で遊びに出る、課外活動する人まで様々な光景が見て取れる。

 俺は何時ものように、そんなクラスの放課後の雰囲気を突っ切るかのように帰宅する。

 学校から東に徒歩十五分程度、大阪城の東側、その更に中央大通りを挟んだ南側の狭い路地が入り組んだ所に辿り着く。所狭しと並ぶ文化住宅を分け入るように、ひたすら歩いて行く。俺は昔からこの雰囲気が好きだった。

 路地を抜け少し広い道路に差し掛かる。そこには一面町工場が立ち並ぶ。町工場の中の町工場。大阪らしい雰囲気だ。その小さな町工場の中に二階建ての工場がある。

 ここが父の経営している、祖父から引き継がれた会社だった。まさに町工場自体が会社で小さい零細企業と言ったところだ。

『桜宮金属加工工業会社』と表玄関に堂々と書かれた文字がまさに俺らの会社である。かなりの年季が入った表札である。表札の横には大きなシャッターが開いている。その中で父が働いている。

 会社のシャッターをかいくぐり、見えてきたのは広い天井、暗い室内にクリーム色の壁に薄い黄緑色の床。そして沢山並ぶ金属加工機。シャーリンクと言われる加工機械、レベレージャーと言われる機械等々。

 この地域には父の工場だけではなく、無数に金属加工工場が建ち並ぶ。金属と言ってもネジから自動車や航空機に使われる部品、更には携帯電話に使われるミリ単位以下の加工品まで大小問わないおびただしい種類の加工業者が存在している。

 そんなこの町工場群を見て俺は小さい頃からあらゆる機械部品などに興味を持ち、小学校高学年の時に『人情ロケット』という小説に出会い、この町工場からこの国のロケットや宇宙を支えていることに誇りを持つようになった。今年の冬に国営放送で放映された連ドラで『飛び上がれ!』もこの界隈を舞台に、金属加工を営む女性の奮闘劇を見て、ああなりたいとも思った。俺の父の町工場はネジやバネなどを中心に特殊な機械製品の部品の調達を担当している。

「和人、帰って来たか、今日もこれから手伝いか?」

 工場の中に入ると乱立する機械の中から父が出てくる。

「うん、着替えて作業するよ」

 工場の中に入り、更衣室で早速油にまみれた青い作業着を着て青い帽子を被る。工員の中の工員とも呼ぶべき父の姿。その横には複数の従業員。その数人の従業員と父で会社を支えているまさに零細企業。

「おお、和人坊ちゃん、今日も手伝いするのか?」

 俺の事を気遣いしてくれる従業員。父と一緒に金属加工を担当している。

「今日は、何かすることありますか?」

 学校での表情とは違い、得意げに従業員に堂々と話しかける。

「じゃあ、今日はこのネジ作成してくれ、明日までに納品してくれと注文来ている」

「分かりました、取りかかります」

「この夏に俺顔負けの技術を良く手に入れやがったな、勉強も出来るのに。俺みたいな工業高校の底辺と違って可能性あるのに。もう少し友達と楽しい事しろよ。こんな作業など大人になれば嫌でもすることになるから」

「いえいえ、友達作りが苦手なのでこっちの方向を目指しているのです」

 気を使ってくれる従業員を横目に俺は直ぐに作業に取りかかる。

 金属加工機を使って、一つ一つ細かい角度や寸法を調整して作る金属ネジ。この金属ネジ一つ一つがロケットや自動車、ひいては様々な構造物を支えている。ネジ一つを集中して作ることで世の中の仕組みを探っていく。そうすることで俺は世の中の色々な物の成り立ちをインプットしてきた。

 ネジ作成に集中。工場内に響き渡る金属加工の音。機械の稼働する音。そう言う響き渡る中で集中してネジをひたすら手作業で作っていく。そういう作業にひたすら自分のユートピアを追い求めている。

「とりあえず、指示された分のネジは規格通りに作成しておきました。チェックしてください」

 俺は大きなカゴにある無数のネジを従業員に手渡しでチェックを受けてもらう。

「うん、OK!」

 従業員の目でチェックを受ける。とりあえず検査には合格したみたいだ。更に最高責任者である父が最後に確認し、最後に検査済みの証明を貼り付け、このネジが出荷されていく。検査合格品のネジが世の中に出回る。すがすがしい。

「本当に坊ちゃんには参るぜ。俺なんかもう中年。お前さんはまだ高校生。それなのに俺顔負けの技術を身につけやがって」

 俺の存在はここでは受け入れられている。学校と違い、凄く居心地が良い。

「いえいえ、ネジ作りに関しては父と共に幼少の頃から祖父に徹底的にたたき込まれました。小学校の物心ついたときから祖父はネジ作りに関しては厳しい人でしたので。それでも父には更に厳しい人でしたので」

「あの初代社長は伝説の人だったからな。あの人の金属作品は超一級品。それをお前さんらは引き継いでいるぜ。誇りを持とうな」

「後は、夏休みに集中してアルバイトをしていたからです」

「そうだったな、ほぼ毎日朝から晩まで作業していたからな。ほとんど休みも取らずに良く継続できると思うよ。そんな事より遊べと思うのに」

「部活もしてないし、ろくに友達もいないから、その代用ですよ」

 確かに人には二つのタイプがある。人と関わるのが好きで人と接し遊び、人を見て動くような営業に向いている人。それに対して俺みたいな人付き合いが得意ではなくひたすらモノに打ち込むタイプの研究に向いているタイプ。世の中で言えば前者の方が目立ちチヤホヤされるので学校でも重宝され有利な立場になる。でも後者のタイプは学校生活が辛い。この職場の居心地は最高で後者のタイプだからこそ、俺はこの職場でも頑張れる。そして高校の制服を纏うよりも作業着を着ている自分の方が好きだ。だからこそ早く社会に出たい、何度高校入学してそう思ったか。社会に出た方が有利な人生を送れることは間違いがない。学校など人生の経過でしか無いから。今すぐでも高校中退してこの職場で働きたいぐらい。

 そう思いながら作業に打ち込んでいる間に、時間は五時半になった。そして今日の作業の終了を示すチャイムが響き渡る。

「今日もお疲れ様!」

「何とかや厄介な相手先への納品が出来た!」

 従業員は今日も働いたぞ! と言う達成感を感じながら即座に更衣室に向かった。そして一目散に従業員は帰っていく。

「社長、和人君! お疲れ様でした!」

 従業員が帰っていく様子を後に、父は一つ一つ工場内の機械の点検作業に余念が無い。そして作業が終わったと思えば今度はネジなど完成した部品を一つ一つ点検、社内検査を進めていく。まだまだ父の作業は続いていくばかり。俺も、そんな父さんの手伝いをしようとする。

「和人、今日もお疲れ。父さんはまだ残務が残っている」

 父さんは俺をお構いなしに部下の従業員の作成した検査に余念が無い。

「この部品、お前が作ったのか?」

 父さんは工場の端にある、出荷予定の製品の山の中から今日俺が製作した部品とかを一つ一つ丹念に見ていく。

「まあ、お前もなかなか一人前に近づいてきたな。でもな、そんなに焦らなくて良いぞ。お前はまだ高校生。学校生活も大事だ」

 父は何か心配事があるように気遣う。

「別に俺は気にしなくて良いよ、好きなことだから」

「……まあ、良いけど、お前を見ていて不憫だと思うこともある。その続きは後で話す。とりあえず今日の残務をして家戻るから先に準備しておいて」

 何のことか、俺に話したい事って、今まであまりそう言う話を持ちかけることはせずこれまで過ごしてきた。

「話しなら後で聞くけど、何なの?」

「後で詳しいことは話す、とりあえず先に家に帰っていて」

 俺の事を冷たくあしらう父。そしてその後は俺同様集中して仕事に取りかかった。集中したときの父の姿は誰も近づけない。昼間は従業員がいるからなかなか自分の仕事が出来ていないようだ。そして父が社長になってから何時も忙しい。なかなか定時には終われそうにない。

「帰っているから後で」

 そう言いつつ、俺も着替えて、玄関のシャッターを閉めて窓から僅かに電灯の灯がともる工場内を後にする。

 俺の家は工場から僅かに数件離れた路地の近くにある。家は祖父母が数年前に建てた一戸建ての家。これまで俺と父、そして祖父母と四人で過ごしていた家。今は祖父母も居なくなったので、二人暮らしには釣り合わない家。部屋が多く二人では過剰気味の家。今日も父が帰ってくるまではこの大きな家に一人ぼっち。

 玄関の鍵を開け、廊下やリビングの室内灯をオンにする。何も音のない静寂さだけが漂っている。


 俺は着替えた後に、夕食の準備をしておく。何時ものように主菜と副菜の準備をやっている。二人暮らしになってから、俺はひたすら家の用事を担当している。父も家に居るより最近は職場の方が長そうだ。

 父は仕事一筋で生きているが俺は家の家事などを担当している。最近は忙しくて大変な姿を見ていたら到底父に家のことなどさせる気になどならない。そう思いながら暗くなり始めた外を尻目にひたすら今日の夕食の準備をしていく。

 

 何時ものように、誰もいない食卓で寂しく一人夕食を食べる。食べ終われば、父の分の食事をテーブルに置き、茶碗を裏側において、如何にも『夕食は食べておいてください』と言うメッセージをしたかのようにして静寂なリビングを去って行く。そして二階の自分の部屋に戻る。

 俺の部屋はかつて祖母が使っていた部屋の横。今は誰もこの部屋を使っていない。がら空きの状態。俺は自分の部屋に閉じこもる。

 俺は自分の部屋に閉じこもり、パソコンを開く。パソコンの中には最近買ったばかりのデジカメで撮影してきた写真の一覧。俺が夏休みのバイトでそれなりのお金を得たのでデジカメを買い、そのデジカメを片手に俺は一人で九州に一泊二日で旅行に行った。その時の写真の一覧だ。博多の町並みや長崎の町並み、地方都市の一人旅は最高だった。自分で何でも出来るし、誰にも干渉されない。

何よりも自分が稼いだ金で好きな物を買い好きなことをする。本当に最高だ。学校に行くより、友達と遊んでいるより一人がいい。このまま中退してマジで家業を手伝って跡を継いだ方が良いのか。何で進学校なんかに通ったのか。

ちょうど俺が一人部屋で謳歌している午後八時過ぎになった所で父が帰ってきた。さっき話しがあるって言っていたので何か気になった。直ぐにリビングに向かった。


「——今日も、夕食の準備ありがとう」

 今日の夕食のおかずを頬張りながら、父は黙々と食事をしている。俺は父の向かいに座り物静かにインスタントコーヒーをすする。

「父さんこそ、大丈夫か? 最近本当に忙しそうだから無理はしないで欲しい」

「まあお前が気遣いする必要なんかないからな」

 最近の父は本当に調子がよくない。それに帰る時間が遅い。俺が高校なんかに進学したし、そのことでも負担がかかっているのだろうか?

「あまり無理はしないでね、本当に会社心配だったら俺高校辞めていいから」

 父さんは食事を頬張りながらいきなりの爆弾発言にしゃっくりをした。

「な、なにを言い出す? お前折角あの進学校受かったのに何で? そこまで俺は切羽詰まってないぞ、悪い冗談もいい加減にしろ」

「別に冗談じゃないよ、俺、勉強して何になるのだろうかと思うことがある。今は大学に行くかどうかも分からないし、何がしたいか分からない。学校もそんなに面白いわけでないし、難波谷に行ったのも近いし中学の同級生が嫌いなだけだったから……」

「そうか、でもせめて高校は出ろ。それからはお前の自由だ。まあお前は頭も良いし、その気になれば何でも出来るから」

 父さんは悩まし気に額に手を当てる。

 しばらく沈黙が続く。父さんは何か言いたそうだが、言葉が出てこない。さっき言いたいことがあるとか言っていたが、恐らくそのことだろうか——。

「父さん、俺のことは心配しないで」

「別に、何も心配してない」

「俺は父さんの体と心が心配だ。母さんも病気で亡くなり、祖父も祖母ももうこの家にはいない。寂しいのは分かる。父さんが俺のことも心配してくれて嬉しかった。俺は父さんの味方だ。例え何があったとしても——」

 俺は高校生活なんかより父親のほうが心配だ。これまで誰よりも父のことを気づかい、好きな町工場で金属いじりをしていることが至福の時だ。

「そう言ってくれると助かるよ。益々話しやすくなった」

 話しやすい? さっきの件のことかと思った。

「で、父さん、さっき話したい事って何か心配事でも……」

「あのな、じゃあ話すね。お前に重要な相談がある……」

 父さんは、これまでに見せない真剣な眼差しで俺の方を見る。

「じゃあ、話すね。心して聞けよ」

 ……重要って何だろう?

「大事な話って何?」

「え、ええっと、それが……」

 また父さんの話が止まる。本当に何か言いづらそうだ。犯罪に手を染めてその刑に問われたとかだろうか?

「何か悪いことでもしたとか?」

 父さんはまたモジモジした。

「そうではない。良い話!」

 少し父さんがムキになった。何か照れくさそうな表情だ。

 少し間を置いて、父さんは言葉にした。


「実は父さん、再婚することにした」


「再婚? どういうこと? 意味が分からない……」

 思わず聞き返した。

「だから——再婚だってば、お前でも意味わかるだろ? 再婚の」

 俺は、全く信じられない。

「再婚って……本気で……」

「本当に。びっくりしたか?」

「そりゃあ、びっくりするだろう。俺は、そんな人生全く想定してないし……」

 父がいったん落ち着く。

「それで、父さんが再婚することについて、問題ないか?」

 問題ないって、どういうことなのだろう? まだ分からない。

「父さんが再婚しても、和人は再婚相手がこの家に一緒に暮らすこと、許してくれるか?」

 父さんは真剣に俺のほうを見つめる。

 俺は母さんが亡くなった時のことを思い出した。あれはまだ物心ついた七歳の時のこと。

 葬式場で俺は立ち尽くしかなかった。母さんが亡くなったことが信じられなかったし、現実を受け入れることが出来なかった。あの父さんも葬式上で泣きもしなかったが、物凄く悔やんでいる表情だけは忘れられなかった。

 これまで俺を育てるために仕事に励み、大会社を辞めてまでこの工場の跡継ぎをして祖父から手ほどきを受けて今や跡継ぎにもなった。その間俺は父に大事にされた。どんなことがあっても、どんなに寂しくても俺の味方をしてくれた。だから父さんとその工場が何よりも大事だった。自分の高校生活よりも。もちろん、父さんが幸せになるための再婚だったら、そんなの絶対反対するわけがない。

 ここで反対したら父は一生後悔する。そんなのは絶対あってはならない。俺は口を震わせながら、言葉を返した。

「もちろん……。再婚していいに決まっている」

「本当にいいか、お前こそ無理するなよ、もう一度聞く。再婚していいか……」

「無理してない。父さんが幸せになるなら本当にいい。それよりも父さん、自分の幸せのこと考えて本当に立派な父さんだ。再婚おめでとう!」

 父さんは泣きそうになった。これまで泣く姿など見せたことないのに、今日のこの姿は本当に感動的だ。

「父さん、泣くなよな」

「そんなので泣く訳ないだろ!」

 また、父さんは笑顔に戻る。こうして笑顔になって和やかになる雰囲気は本当に久しぶりだった。最近二人になってこういうことないからな。

「確かに、二人暮らしになって寂しい日々が続いていたからな。亡くなった祖父や特別老人ホームに言った祖母がいなくなり本当にこの家寂しい家になってしまったからな……」

「お前、寂しいって、ずっと一人が好きだと思っていたのに、家族が増えるのが不憫なのかと思ったし、このまま二人で寂しくなることを受け入れると思ったし、変な心配だったな、悪かった」

 俺はそんなことまで思わせていたのか。本当に親不孝な息子だった。

「それよりも、再婚活動はどうしていたのか気になるな」

「そうかそうか、俺はなお前が高校入学した時から昼の合間を縫ってこっそり活動していた。俺の相手さんも家族が欲しく、こういう町工場など人の触れ合いの多い地域の人と再婚したいって言っていた。その相手も今年の春離婚して母子家庭で寂しい思いをしていたからな」

 母子家庭? まさか、俺と同じで子供もいるのか? そう思った。

「言い忘れた。申し訳ないけど——お相手さんにも娘がいるみたいで、その娘さんもお前と同じく家族の愛に飢えていて寂しい思いしているって、良いか?」

 よくそんな大事なことを言い忘れていたな、生まれて初めて父を情けなく思った。

「まあ、仕方ないな。良いよ。それよりその人はどんな女の子か分かるか?」

「教えてやろう。今はお前の一つ下の十五歳だそうだ。そこまでしかまだ聞いていないけど、お前も十六になったばかりだ。一つ下の妹だと思って大事にしてやれよ」

 妹が出来る。初めての感覚だ。妹と言えばラノベでいう『お兄ちゃん』系のツンデレを想像してしまう。

「分かったよ。俺が面倒見る、で相手さんはどんな人?」

「凄く美人な人だぞ! 何たって元セレブの美人嫁だったそうだ! 元々東京に住んでいて、元旦那さんが凄いエリートの高給取りで昨年に転勤で大阪に来て、それで価値観が合わなくなって離婚したそうだ。もうエリート人生はこりごり、この町工場の中で過ごして落ち着きたいと言っていた。そういう人だからな!」

 東京出身、東京はもちろんこの大阪のような下町ばかりの地域ではなくタワマンや大きな家が立ち並ぶ凄い金持ちが多いところだろう。そういう格式の高い人とやっていけるだろうか。

「父さんも、昔有名な重工会社だっただろ、十分エリートだっただろ」

「まあ気にするな。俺は所詮技術系の一般職。どんな大会社でも技術止まり。その相手さんの方が断然俺なんかより行儀も品もいい。娘さんも可愛くていい人だからお前も少しは人生観変わると思うぞ!」

 父は張り切りモードである。こんな表情は初めてだ。

「ところで、顔合わせなのだが……」

「え、もう顔合わせか?」

「そうだよ。今週の金曜日、明後日の晩にお前が帰ってきたらだけど、良いか?」

 俺はうんと言うしかなかった。

「良いよ、楽しみにしている」

 父はうなずいた。

「何度でもいうけど、再婚おめでとう。いい家庭にしようね」

「それでこそ我が息子だ! 本当お前は俺の誇りだ! 今日が人生で一番うれしい!」

 父親の久しぶりの清々しい姿を見て俺は幸福を感じる。早速父さんは携帯電話を片手に、相手に連絡を入れた。その話し方はまるで子供の嬉しい表情そのものであった。


   ◇


 そして金曜日の夜。俺と父さんは大阪中心街である本町の路地にある料亭の店内で相手を待っていた。料亭と言っても庶民的でこぢんまりとした店舗で複数のテーブル席の個室がある程度。その個室の一部屋で顔合わせをすることになる。先に俺と父さんは隣り合わせに座って相手を待っている。

「和人、緊張しているか?」

 父さんはネクタイを締めてスーツ姿。何時も作業着を着ている姿からは全く想像もつかないほど律儀な姿である。俺もその場に相応しいスマートカジュアル姿を装った。自分の想像もつかない姿である。

「いいや、どんな人でも大丈夫」

 ドンドン緊張してきた。手は汗でびっしょりだ。いくら俺でも入学後の自己紹介で失敗した。もう変なことを話すのはやめよう。あれで失敗した。父さんが言う人だから信用できる人だ。

「別に、そんなに緊張しなくていいからな。良い人だから」

「分かっているよ父さん。慣れてないだけ」

 とにかく第一印象が大事。それだけを念頭に背筋を常に伸ばし続けた。

 しばらくすると、店員に招かれるようにして一人の大人の女性が個室に入ってきた。

 一層緊張する。これから入ってくる人が俺の義理の母親になる人なのだろう。

「いらっしゃい!」

 父さんは立ち上がり、穏やかな表情でその女性に話しかける。俺も続いて律儀に立ち上がる。入ってきたのは柔らかい穏やかな感じの女性。

「初めまして、都島春子と申します。泰信さんとこの度再婚させていただくこととなりました」

 俺は目を奪われた。困惑している俺に声をかけてきた女性。この人が正真正銘俺の義理の母親。童顔ながらに優しそうな大人の眼差しが感じられる。髪の毛は長く、ふんわりとした髪を後ろでくくっている。この場に相応しいシンプルなコーデ姿であった。

 父さんの言った通り、本当に優しそうで綺麗な人だった。本当に過去にエリート男性と生活して、その間にセンスを磨いているような人だった。

「貴方が、和人くんですね? 泰信さんから話は来ていました」

「はい、僕は桜宮和人です」

 緊張してそれ以上は話せなかった。

「うふふ、本当に慎重ね。泰信さんによく似ていますね。その慎重な姿と大人しいけど紳士な対応。仕事のお手伝いもしているらしいですね。聞いていますよ、良い人になりますよ。こちらこそよろしく」

 初対面から褒められた。すごいコミュ力。

「本当に私と泰信さんの再婚を受け入れてくれてありがとう。私は今年の初夏に出会ってそれで一緒に暮らしたいと思ってこの間ずっと色々知り合っていたのですよ」

 何かぐいぐいと俺に責めてくる春子さん。

「は、春子さん……よろしくお願いします」

 俺は本当に精いっぱいだ。

「別にママとか母さんで良いのに」

「しばらくは、春子さんでお願いしたいです……」

 いきなり母さんはハードルが高いし、自分はいまだに亡くなった母親が実の母親だ。ライトノベルで義妹物の話でも主人公の義母は名前呼びが多い。だからしばらくは無難にそう呼んでおこう。

 ——でも、都島って姓名は俺のクラスにいるあの人と同じだ。

「ほら、何時まで隠れているの? 貴方も入ってきなさい」

 春子さんが外に向かってそういうと、個室の外からもう一人の女性が出てきた。

 その女性はつややかなロングで、ぱっちりした瞳の美少女。そしてミントグリーンの爽やかなスラックスパンツコーデにベージュのベストを着た爽やかな姿。


 そして、よくその女性を見ると、何と! クラスの美少女都島恵美であった。


「え……都島……」

 小声でつぶやき、俺は顔面から冷や汗をかいた。

「な、何で? 桜宮君……」

 俺と都島は目が重なり、どっちもが目を大きく開け凍り付いた表情だった。

 全く身動きが取れなかった。

「ど、どうして都島がこの場に……」

「こ、こっちも何で? 私の方が……」

 俺と都島の会話に二人は困惑する。

「どうした、和人。今日からお前の兄妹になる都島恵美さんだ」

 俺は父さんから一つ年下と聞いていたので何で同級生の都島がこんな形で知り合うのか全く理解できなかった。

「恵美、どうしたの? そんな顔して。落ち着いて座りなさい」

 都島の方も何でだと思うばかりに表情を硬くして席に着いた。

 俺の前には都島が座っている。全く目を合わすことが出来ない。俺は唖然としている。状況がつかめないし、まさか同級生の、しかも自分が強く劣等感を抱くようなクラス一の美人女子が家族になる。全く信じられない。

「和人、恵美さんと知り合いなのか?」

 俺は、父さんの説明と違うことに驚いた。十五歳と聞いていた、何でなんだ。

「同じ学校の、しかもクラスも同じ……」

 俺はつぶやく、父さんも春子さんも唖然とした。


 まずは飲み物と突き出しが運ばれてくる。父さんはビール、春子さんは梅酒。そして俺と都島はオレンジジュースだった。突き出しはタケノコの炒めもの。

「とりあえず乾杯」

「……かんぱい」

 俺は複雑な思いでグラスを挙げる。どうしても都島の方を向くことが出来ない。それは都島も同じ思いだ。だから俺は会話をしようとしない。運命のいたずらがあまりにも過ぎている。

 落ち着いた父と春子さんが大人しく会話をしているのを尻目に、俺と都島は何一つ話すことが出来ない。

 前菜に始まり、造り、煮物、焼き物、揚げ物、そして食事が次々運び出されてきたが、話しているのは全て父と恵美さん。おそらくこの空気を分かっていて俺と都島が何も話せないことを横目に置いているように見える。

 話している内容は、ひたすら俺のことと都島のことを話している様子だけは分かった。その話に俺はどうしても黙るしかなく黙食していた。

そのあとの会食は、本当に差し障りのない程度の会話をしつつ、父も春子さんも俺と都島の同級生である件についてはあまり深入りしなかった。

 たまに都島と目が合うが、目をそらされてし合った。クラスの中でも俺に対しての印象がよくない。絶対俺のことを好ましくないと思っているだろ。

 そして、最後のデザートを食べ終わり、何一つ俺と都島が会話をしないまま会食が終わった。

 そして、個室から出ようとしたときに父は春子さんに確認する。

「一つ確認だけど、明日で良いのか? 引っ越しだけど」

「——一日も早く引っ越しできるよう準備していました。もう段ボールだけになりましたので明日の朝、引っ越してきます。和人君。よろしく」

 聞いてないぞ。いきなり明日引っ越しなんて。明日からクラスの同級生と同じ屋根の下で暮らすことになる。あまりにも唐突だ。

 店を出て、地下鉄の入り口に入る。複数の路線が交錯する地下鉄ターミナル駅。俺と父、春子さんと都島は別々の路線に乗ることになる。二人は郊外の豊中まで向かうことになる。改札に入り、乗り換え口が分かれる。ここで都島と春子さんとは一旦お別れだ。

 俺はどうしても照れくさくなり、気力をフリし乗って小声で都島に話しかける。

「……明日からよろしく」

 今の俺にはこれぐらいしか話せない。都島も同じ思いだろう。まさか同級生と一緒になるなんて。

「うん……」

 そんな返事しかできない都島。下を向いている。

「これ、恵美。和人君が話しかけているのにもう少しちゃんとした態度しなさい。ごめんね和人君。恵美は絶対悪い子ではないから。今日はよっぽど緊張しているみたいね」

「春子さん、明日待っているからね。私もまさか同級生同士が一緒になるとは思いませんでした。でも明日からの新生活は楽しみなので、じゃあ明日からね。恵美さん——」

 もう新しい生活が始まっているのだろう。二人は花金のサラリーマン姿で溢れかえる路線のホームへ向かっていった。俺と父さんは二人が完全に見えなくなるまで見送り落ち着かない思いで別の路線のホームに向かい家に帰りついた。


 翌朝の土曜日の十時半。 

 まず引っ越しのトラックが俺の家にやって来て、作業員が段ボールをドンドン積んでくる。それぞれの段ボールに恵美や春子、リビング行き等書いてあったからスムーズに作業が進んでいった。凄く律儀な母子だなと思った。

 お陰で俺と父は作業が手持無沙汰になり一時間かからず運送業者が帰っていった。

 都島の部屋は俺の隣の個室。かつて祖母が使っていた部屋。春子さんの部屋は祖父が使っていた二階の居間。そこが今日から新しい家族の部屋になる。

「もうすぐだな、和人にも妹が出来るようだな」

「十五歳って、俺と同い年じゃないかよ。誕生日が違うから、まだ恵美さんは誕生日来てないだけだったじゃないか。父さん悪い嘘ついたぞ——」

「すまん。春子さんが十五歳の娘としか言ってなかったから」

「——説明不足。あれだけ納得できない」

 こんな重要な情報が抜けていたなんて。せめて学年だけは聞いてほしかった。

「それにしても、あまり引っ越しにしては荷物多くなかったな……」

 確かに。段ボールぐらいしかなかったし、ベッドとか机とかどうしたのだろうか? まさか、そこまで極貧生活だったのか、それとも何か不憫な思いをさせられていたのか気になる。

「まあ、足りない家具は買えば良いからな。流用品も祖父母の多いからね。それを使えばいいと一応言っておいたから最低限の段ボールしか運んでこなかったのだろうね」

 こう言うところは、父親は合理的で経営感覚がある。流石社長。

「段ボールは多いけど、女性の衣服とか多いから俺は触れる。勇気がない」

 二人が来たら、本格的な荷ほどきが待っている。それまで俺は一階のリビングでくつろいでいた。そうしている間に玄関のチャイムが鳴り、二人を玄関でお出迎えした。

 俺が玄関で出迎えるとそこには春子さんと恵美さん。両手いっぱいにビニール袋や紙袋を持ってきている。今日からの生活で使うのだろう。

「——今日からお世話になります、よろしくお願いします」

 春子さんは、律儀よく俺に頭を下げた。

「——今日からよろしくお願いします……」

 恵美さんもそれに続く。

「俺が持ちます。大変でしたでしょ」

「和人君、気が利くね。本当に泰信さんに似ましたね」

 ニコニコしながら春子さんは俺にビニール袋を渡す。この小物は今日から生活で使う物だろ。女性二人分。凄くドキドキした。赤の他人の持ち物、女性の物を持つ。

 中の物を除く女性用食器や女性用リンスなど女性向けの持ち物ばかり。緊張する。

 そのままこれは二人をドアのまで誘導する。そこには、玄関に父さんが仁王立ちで立っていた。

「ようこそ我が家へ!」

 父さんはニコニコで嬉しそうな表情をしている。俺は二人の荷物を玄関のところに置いた。女性の物なので緊張する。段々実感がわいてきた。

「泰信さん、今日から家族として過ごさせていただきます」

 春子さんは安心そうに家の中に入っていった。

「もう『さん』つけなくていいよ。今日から家族だからね」

「——じゃあ、泰くん」

 春子さんはニコニコで父さんを呼んだ。まるで友達みたいな態度だ。

 まだ恵美さんが照れくさそうな表情している。何か遠慮がちの態度。

「恵美ちゃん、今日からここが家だよ、どうしたの、入らないの?」

 父さんは弱気で緊張している恵美さんを気遣う。少なくともこんな表情じゃないぞ。クラスの中では。ここで物凄く弱気で無口な恵美さんを見てしまった。違和感。

「……よろしくお願いします。叔父様」

 凄い照れくさそうだ。

「叔父様でなくて、奏君でいいよ。お母さんのように」

「はい、でも慣れていないので和人君と同じように泰信さんでお願いします」

 凄く緊張している。人の新しい名前を呼ぶのは俺同様緊張するはずだ。

「じゃあ、お邪魔します……」

 恵美さんは恐る恐る俺の家に入っていった。家族になった瞬間だ。

「恵美ちゃん。こういう時は『ただいま』なんだよ。もう恵美ちゃんの家だし、もう家族だから。邪魔じゃないよ。和人と同じように大事に育てるよ」

 恵美さんは慣れてない表情でうなずいた。これからの新たな家族を招いた。


 リビングに二人を招き入れ、注文していた昼食を並べ、それを食べながら談笑して昼からは段ボールの片づけをすることになった。先ず俺は、恵美さんを新しい部屋に招き入れる事から始めた。春子さんは父さんと一階で小物などの整理を淡々と始めた。

「ここが、都島さんの部屋だから……」

 新しい恵美さんの部屋には、祖母が使っていた木製の机とタンス、ベッドが置いてあった。まだ高校生女子でも使えそうだ。立派なものばかりだ。

「隣が俺の部屋。春子さんは祖父が使っていた居間、父さんと春子さんは一階の寝室で寝ることに、トイレは一階だから」

 恵美さんは、恐る恐る部屋に入った。とても綺麗な状態である。何とか金曜日までに俺は掃除をして、ワックスがけやカーテンの張替えなど女性が過ごせるような環境にはしておいた。ただ段ボールが積まれているだけであったところを除くと本当にきれい。

「桜宮君が、こういう整理してくれたの? 綺麗だし、何かいい感じだわ」

 恵美さんの緊張感がほどける、何とか俺は頑張った甲斐があった。流石に妹の部屋となると本腰入れて整理したから。色々大変だったけど。

 そんな感じで、恵美さんの部屋は新居同然になっていた。俺はコミュ障で上手く女性と関わる自信がないからせめて第一印象だけはしっかりしておこう。そう思いながら俺は恵美さんの部屋を準備した。その甲斐があった。

「どうだ? 感想は。あまり上手くなくて申し訳ないけど……」

「いいや、ここまで準備してくれてありがとう……桜宮君、こう言う所は律儀だね。私、男の人にこんなことしてもらったことないから……」

 え、実父は掃除とかしなかった人なのか? 気になる発言だ。

 でも、ありがとう言ってもらえたことは誇りに思える。

「じゃあ、入りなよ」

 小声で俺は恵美さんに言う。そして恐る恐る入っていく。

 俺は恵美さんを見とれてしまっている。凄く可愛い。クラスで一番どころか学年のトップを争うほどの美少女。俺でもやっぱり外見だけ見ると惚れ込んでしまう。こんな美少女と一つ屋根の下で暮らすことになる。転生した気分だ。

「段ボール多いけど、手伝うよ」

「う、ううん」

 俺の心臓の脈拍が大きくなる。

「手伝うことがあれば言ってほしい。部屋の準備とかやるし、雑用だったらするから」

 俺は段ボールから色々取り出した。俺は主に恵美さんの教科書やノート、そして小物などを恵美さんのプライベートに触れないように配置していった。流石に女性の衣服を整理はできないので、それは恵美さんが淡々と片付けていった。その他、俺は重い本の整理などをしていった。本と言っても漫画とかもある。誰もが知っている一番売れている週刊少年誌で最近巨大ヒットした作品群の本が多いことも分かった。まあこの漫画なら大衆受けしているから俺のラノベのように人に見せられないものではないからそれは安心できた。

「助かった。どうもありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

 段ボールの片づけは終わった。不要な段ボールは部屋の外にまとめた。

 気づけばもう一つ。段ボールがあることに気付いた。

「あと一つ段ボールが残っているが、これも片づけるよ」

 そう言いながら、俺は段ボールを開けようとした。

「ああ! それは絶対ダメ——」

 いきなり大声で俺を威嚇した。

「え? 開けたらダメなの?」

 恵美が急に焦りだした。よく見ればその段ボールは『恵美 その他』と書かれている。その他は初めて見た。「恵美 衣服」や「恵美 学習書」などがラベリングされた段ボールばかりだったから不思議と思った。

「これは私がする! 本当に手伝ってくれて嬉しいし感謝しているから、これだけは私が片づける。これは絶対見ないでほしい!」

 そう言われると部屋を出ざるを得なくなった。 

 ——バタン!

 勢いよく部屋の扉を閉めた恵美さん。何か見られてまずいものがあるのか? まあいいや。俺も年頃で秘密がないわけはないからこれ以上は探らない。気持ちは分かる。

 この扉の閉め方を考えると、恵美さんの心の奥に何か隠れているものがあることを確信した。クラスでは絶対見せない何かが。

 先ずは時間をかけて新生活に慣れるしかない。そう思った。

 その後、俺は春子さんの荷物の片づけを手伝った。

 

 その晩父さんは区役所に婚姻届を出して、『桜宮恵美』と『桜宮春子』が今日から俺達の家族になり、四人家族が誕生した。



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