第2話 義妹と上手くいかない、戸惑いの日々


 月曜日。

 今日からは、俺と恵美さんは同じ家から同じ学校、そして同じクラスに登校する。

 何時ものように俺は朝に起きて歯を磨き、身支度を調えて朝のリビングに着く。そして何時ものように、朝食を作る——ではなかった。

 既に春子さんが早起きして準備してくれた。再婚して家族が増えると生活環境が変わることを感じた。これからは俺が早起きして父さんの準備をしなくてよくなった。その点では家族というのは本当に尊いと思う。

「和人君、朝食作っておいたよ」

 俺は席に着き、朝食を食べる。恵美さんの存在が見当たらないことに気付いた。

「恵美さんは、どうしました?」

「ああ、恵美ね。あの子は朝が早いの。もう学校に行きましたよ。初めての通学路なのに大丈夫なのかしら。今はスマホもあるから心配ないけどね。恥ずかしいからどうしても和人君とは一緒には登校したくないと。前から早く学校に行く習慣はあったのよ」

 何かしている? 一体何をやっているのだろう? 気になった。

 

 「私を幸せにする気があるなら、本気で私を幸せにして欲しい・・・・・・」

 

 昨夜の一言がまだ未だに気になる。何か生活に不満があるのか。

 朝食を食べて学校に通学する。学校が近づくにつれ俺はドンドン気まずさを感じるようになった。恵美さんと通学したら——やはり恥ずかしいと感じた。学校に近づくにつれ生徒は多くなる。やはり恵美さんの言うように学校内では別人扱いになることは正しいことが分かった。

 恵美さんの言うようにクラスでは未だに旧名の都島恵美。恵美さんの後に登校してクラスの中に入ると、相変わらず休み時間の恵美さんはリア充らしく多くの女子生徒に囲まれている。今日からは同じ屋根の下で暮らす義妹と同じクラス。同じ屋根の下という状況を除けば先週と何一つ環境は変っていない。

 昨日までの家族の中での暗い態度が変って明るい表情の恵美さん。まるで日陰の存在の自分には何も関係が無いようだ。でもこれでいい。恵美さんはクラス内では本当に幸せそうだ。姓名が変化するようなものなら俺の前の席になる。居心地が悪くなり恵美さんにとっても不幸になる。俺と恵美さんだけでなく恵美さんに群がる女子生徒も嫌だろう。やはり姓名は別で良かった。このまま高一の間は学年行事で一緒に何かすることもないから何とか上手く逃げられる。両親の配慮も見事な物だ。俺も安心だ。

 

 昼休みになった。何時ものように恵美さんは赤川さんらと複数で教室内の昼食タイム。今までは俺はクラスの中で俺は一人ラノベを片手にクラスで黙食。今まではそれで良かったが今度は俺の方が昼休みまで恵美さんと同じクラスの中で過ごすことになる。考えるだけで心地が悪い。恵美さんは友達多いから、それに翻弄されてしまう。だから俺が出ていく方が良い。今日からは学食で昼を食べよう。でも流石に一人で行く勇気は無い。

「蒲生、今日昼は一緒に学食行かないか?」

 俺は勇気を持って人を誘う。

「え、お前が俺を誘って学食? 良いけど、お前も人を誘うことがあるなんて感心だわ。良いぞ。たまには行こうぜ」

 蒲生は人の気持ちを察するのが上手い。こういう時は人の誘いを断らない。やはり友達は最低一人、いた方が良いことを肌身で感じた。

 食堂。一年生から三年生までが一同に集まる空間。やはり一年生だから一人は本当に行きづらく二人で行くことが正解だった。何とか二席確保をした。

 定食、カレー、麺類などレーンがいくつかある。俺はとりあえず麺類のコーナーに並んだ。麺類の方が安いせいか行列は長かった。少し遅れて席戻ったが、定食の方が早いせいか蒲生は俺を待ってくれていた。よくみるとご飯が大盛りでは無く特盛り。丼飯のような分量だった。日本昔話に出てくる飯のようだ、流石はライトなオタク。食べ盛り。

 俺は、食事しながら蒲生に相談をする。

「なあ、蒲生。相談だけどさ・・・・・・」

 俺は麺を啜りながら話す。

「相談って、珍しいな。お前にしては」

「まあそうだけど・・・・・・。相談って言うほどでも無いけど、妹がいるって言っただろ。そのことについて」

 俺は口が裂けても恵美さんが義妹だなんて蒲生にすら言えない。

「妹って、何だ?」

「何というか、妹と暮らしていて楽しいこととか、嫌なこととか。俺は父子暮らしだから家族、特に兄妹がいる家庭なんてどうかと思って・・・・・・」

「そんなことか、お前の所も再婚とかそう言うことか?」

 本当の事は言えない。とりあえず再婚するかも知れないと言う切り口で言おう。恵美さんのためにも、後で嘘とばれても家族を守るためだ。その手で話そう。

「まあ、もしかしたらと言う事。俺さ、兄妹知らないし、妹と暮らすって楽しいことあるかなとか。俺ラノベ読んでいるし、妹なんてよくテーマになるだろ」

「妹ね。俺は実際の妹なんてお勧めしない、二次元の妹の妄想はやめた方が良い」

「そんなに妹って、思っている物と違うのか?」

「そうだよ。俺の妹は今中二。ちょうど反抗期真っ盛り。両親には反発するわ、言うこと聞かないわ。それでもって俺が色々言うと直ぐ喧嘩になる」

「思春期の女の子って、そんなに反抗的なのか?」

「そう。可愛いとか仲良かったなんて幼少時代だけ。高学年ぐらいになると一気に大人っぽくなるだろ。それからは漫画アニメ・ゲームなんて大ヒット作以外一切見向きもしなくなった。俺が読んでいたアニメ・ゲームを卒業してもう今はファッションとか部活のことだけ。俺がオタク系の本読んでいたらキモいとか言われるし、そう言うので凄い喧嘩になる。俺の事をキモオタとしか見ていない。現実の妹と二次元の妹なんて違う物だから」

 どうしても想像できない。俺は同級生の妹だ。

「実妹だと恋愛感情はないのは分かるけど、義妹だったらどう思うか」

「義妹は血が繋がってないからな。もしかしたら義妹なら女として見ることが出来るかも知れない。まさか、そう言う対象として見ているのか?」

「いいや、聞いて見ただけ」

 俺は恵美さんの顔を想像する。恵美さんが義妹だからまさか恵美さんをそう言う目で見てしまうようになるのか。

「お前が義妹に対する思いが何となく見えてくる、欲しいのか?」

「欲しくはない。例えばの話。じゃあ、年子とかならどう思う? 四月生まれの兄で三月生まれの妹」

「俺なら絶対嫌だろうな。ましてや同じ学校で同学年の兄妹。考えるだけでゾッとする。妹は学年が違うから比較対象にならないけど、同じ学年ならあらゆる比較が出てくる」

 分からなくもない。よく考えればこれから色々と嫌でも比較される。学校の成績、友達の多さ、人望の厚さなど考えるだけでも俺は圧倒的に劣勢だ。今はまだ恵美さんとの関係は隠せてもいずれはバレる。その時までにどうやって自分をコントロール出来るか。

「何か、変な質問だな。まさか、再婚とか?」

 鋭い。まさか見抜かれている? こんな質問しないからな。

「まあ、もし再婚したらどうなるかを考えただけ。その時に兄妹が出来たらどういう感覚になるとか思って」

 間を取りながら、蒲生はありったけの特盛りの飯をかき込んでいく。やはり食べ盛りで体格がそれなりに良ければ食欲は出るだろうと思う。

「ところで、都島さんってどう思う? 俺が引っ込んでしまった要因の」

「なんで唐突に? 別に何でも無いし」

「やっぱりクラスはもちろん、学年一とも言えるような凄い美人だし」

「お前まだ言っているのか。もしかしてまだ好きだとか恋愛感情あるのか? 何かこの前も噂によれば告白されてフッたとか噂もあるしな・・・・・・」

 口が裂けても恵美さんが義妹だなんて言うことが出来ない。

「分かったぞ、お前、都島さんのような女の子が義妹になって欲しいと思っているだろ、それだけ固執していたら何となく分かるぞ」

 蒲生の表情が少しにやつく。

「あんなスペック高すぎたら俺も嫌になる。もう少し現実的な妹か弟が義理の家族になったらと思っただけ」

「そんなことのために今日相談したのか。まあ家族の状況には深入りしないけど、お前の家族が再婚とかなったら相談に乗るから」

 ここでも黙る。口が裂けても再婚とか義妹は出さないように。そう思いながら残りの麺を啜った。

「この食堂はリア充が多い事がよく分った。でもこれからはちょくちょく食堂で食べたくなった」

 本当はあまり食堂の麺は美味しくない。これなら即席麺とほとんど変らない。でも恵美さんの楽しい高校生活のため俺らは学食で過ごそう。

「良いけど、まあ気が向いたらな。何か昼休みのクラスが終に嫌になったとか」

「食堂の方が何か気に入ったし、昼休みの気晴らし。食堂で無くても外で昼とかしたいよな。これからもつき合ってよ」

「いつからリア充みたいになった? お前が少しでも一緒に食事したいというのは完全なぼっちからの脱却だと思うし、良いけど。何か話題とかも作らないと」

「じゃあ、ラノベと勉強のこと。それだけでもクラスの友達関係を築くことが出来る」

 どうやら、俺も少しは友達として関わることを覚えたか。何という進歩だ。蒲生も一匹狼タイプ。こう言う形ではあるが恵美さんと義妹になれたお陰で、外で蒲生と過ごすきっかけになったと言う事か。

「まあ都島さんの話題を出したことだけ気になるけどな・・・・・・」

 蒲生は本当に鋭い。これ以上は恵美さんの話題は避けながら上手く話題作りに。

 そう考えながら俺は食堂を後にして午後の授業に挑む。

 

   ◇


 学校から帰宅し、俺は直行で父さんの工場に向かい、何時ものように二時間程度お手伝いをする。そして何時ものようにネジ作成。再婚しても俺が行う作業ルーチンには、何も変わりは無い。父さんも表情とかは何時ものようだ。

「父さん、もう俺上がって夕食の準備しておくから、後はよろしく」

「了解。春子さんは帰るのが遅いと思うから頼むね」

 今日も何時もと変らず帰って夕食の準備。ただ気をつけなければならないのは何時も二人前の用意だが、今日からは新たな家族の分の四人分だ。春子さんも今春から非正規で大阪中心街の会社に勤めているとのこと。再婚した今でもそれは変らず今なお共働き。春子さんはよく母子家庭で恵美さんを半年弱とは言え女手一つで支えてきた。そんな春子さんのことを尊敬する。もうこれ以上は負担をかけられない。

 六時前。もう九月にもなれば夏と違い少しずつ暮れるのが早くなる。薄ら西日が暮れ始める風景を眺めながら玄関に入る。

「ただいま」

 鍵を開けると、キッチンが明るいことに気づく。

「あら、和人君。おかえり」

 春子さんが夕食の準備をしていた。

「今日遅くなると聞いていたのですが、早かったですか?」

「そうよ。私の職場は最寄りの地下鉄駅から二駅先。今まで豊中に住んでいたときに比べたら時間に凄くゆとりあるし、これからは恵美に遅い夕食を強いらせなくて良いからね。和人君も気にしなくていいのよ、これからは私が作るからね」

 春子さんの仕事終わりは五時。五時で帰宅して一時間以上かけて帰宅する。そこから準備に一時間以上。どう考えても恵美さんと春子さんの食事は八時前。母子家庭の忙しさと不便さを感じる。俺も父子家庭だった。家族が揃うことがありがたい物であることを感じ取る。

「恵美さんとか、夕食そんな時間で大丈夫でした?」

「うーん、あまりにも疲れているときは近くのスーパーでお総菜を買い、朝の間におかずだけ作っておいて米炊きだけ恵美にお願いしていたときもあるね、恵美も八時までずっと図書館で勉強して帰ってくる事も多かったし」

 恵美さんは料理とかしないのだろうか?

「あの子は、料理とか掃除はほとんどやったことがないの。全て私がやっていた。離婚した主人はそんな炊事とか家の仕事をさせる事に大反対。そんな暇があれば小学校の頃から模試や定期考査で優秀な成績を強要させる人だった。そのための栄養管理とか家の始末は私に全部押しつけて。今思えば少しでもそう言うことさせておけば良かったと思う」

 確かに恵美さんの成績は良い。俗に言う教育パパだろうか。押しつける。そう言う表現が凄く気になった。何か離婚のきっかけになっていたことは容易に想像できるが、そのことを聞けるほどまだ春子さんと関係が深くない。とりあえず今の話しだけは頭の片隅に置いておこう。そう思った。

 春子さんは何やら煮物を作っている。醤油の香ばしい匂いとそれに絡んだ野菜の甘みが漂う。俺でも煮物とかは作ることがあるが、ここまで上手には作れることはない。やはりここまで栄養価に拘りそうなのはかつての厳しい教育方針の副産物だろうか。そんなこと聞けるはずもない。

「夕食準備ありがとうございます。じゃあせめて洗濯物を出して畳んでおきます」

 洗濯物に関してもほとんど俺がやっていた。こんな所まで春子さんに頼る事などしてはいけない。

「助かるわ、ありがとうね和人君。本当に働き者だね」

 そういえばまだ恵美さんが帰っていないことに気付いた。

「恵美さんは、今日この時間も勉強ですか?」

「もしかしたらそうかも知れない。家でも勉強はするけど、やはり外で無ければ集中出来ないのかも知れないね。まあ以前のような勉強に対する厳しさはないから、恵美にもそのうち色々手伝ってもらうようにするわ、気にしないで和人君」

 そう言えば、恵美さんがクラスメイトの誘いも断っていたことを思い出す。春子さんの前では夜に帰宅。謎が深い。

 腑に落ちないまま、一階の裏にあるベランダに行き、乾いた衣服などの始末を始める。四人家族になり初めて四人分の衣服を畳んでいく。その衣服は当然と言えば当然だが女性二人分が追加されている。女性の衣服に関しては祖母の物を何度も経験しているから春子さんの衣服は抵抗なく畳むことが出来る。

 問題は恵美さんの衣服関連。同い年の女性の下着を触るのはもの凄く難易度が高い。もし姉か妹がいれば嫌でも遭遇する問題。蒲生に洗濯したことがあるか、若しくは妹の衣服や下着の始末をしたことがあるかについてさっき聞いておくべきだったと後悔した。

 恵美さんのブラジャーはホック付きのソフトブラジャー。それ自体を洗濯はさみから外し、折りたたんで纏めるだけで恵美さんの体のことを想像してしまう。かなりヤバい。そして生々しい。これ自体を恵美さんの裸体を防護していた下着そのもの。理性が吹っ飛べばそれ自体を自分の部屋に持ち込んでいただろう。どう考えても年頃の男子の考えることは嫌らしい。

 更にキャミソールやパンツと、恵美さんの下着を纏めていく。どうしても気持ちが抑えきれない。一緒に生活するとはこう言うことだ。この姿を恵美さんに見られたと思うだけで背筋が凍る。それでも家族の仕事と割り切れば良いだけ。それ自体が難しい。

 高校生男子には同い年の女子の下着は刺激的すぎる。考えるだけで嫌でもとんでもないところがかなりヤバイ状態になっている。かなり苦しい。体を制御することが無理。俺はどうやってこれから洗濯物を片付けようか悩んだ。ジェンダーの差を痛いほど噛みしめることになる。

 ブツブツ思いながら残りの俺と父さんの洗濯物も一目散に畳んでいく。こっちはいつも通りで何の変哲も無い。体も落ち着いた。家族の分を畳み終わって各部屋に入って置いておけばなんとかなる。まだ恵美さんの部屋は入った事が無い。入りたいとも思わないけど。今はまだ帰ってこない。今はチャンス。こっそり置いておけば間違われることはない。

 俺はとっさに恵美さんの洗濯物を部屋に持っていこうとした、先ずはこれを片付ける。

 そう思いながら玄関前の階段近くに来たとき、玄関の扉が開いた。

「ただいま」

 恵美さんが返って来た。マズい。

 その瞬間、俺は一番見られてはいけない物が恵美さんの目線に届いたことが分かった。

「え・・・・・・」

 恵美さんは驚く。

 俺は冷や汗掻いた。最悪のケース。

「ちょっと・・・・・・」

 恵美さんは青ざめた表情になる。そうなるのは当然だ。俺は弁解のしようがない。

「恵美さん、これは・・・・・・俺が、洗濯物の片付けをしている途中で・・・・・・」

 そう言ったものの、恵美さんには届かない細々とした俺の声。

「何で和人君が私の下着を洗濯しているの? おかしいでしょ!」

 恵美さんが初めて俺に対して声を挙げる。

「これは、春子さんに頼まれた家の用事だし、それに俺自身の役割でもあったから、仕方ないって!」

「和人君、変なこと考えていたでしょ。私の下着見て何かやましいこととか」

 信じて貰えない、どうしたら良いのか収拾がつかない。

「じゃあ、誰が恵美さんの洗濯物をすれば良いのだよ?」

 俺もとっさに答えようとする。

「そう言うのって、普段お母さんがしていた物なの。私、男の人に下着とか触られるとか本当に嫌なことなの、だって恥ずかしいし、私のことやっぱり想像していたでしょ」

 本当のこと言うとその通り。でもそれは生理的現象でこの年の男子には止められない。あまりにも無茶すぎる要求。

「俺が、洗濯物をして欲しくないとでも・・・・・・」

「正直言えばそうして欲しいと思う。別に和人君のことが嫌いとかでは無く、男子に変なこと想像されるのが・・・・・・」

 その時、キッチンの方から春子さんが慌てて出てきた。

「恵美、帰って来たの? 何和人君と言い合いしていたの?」

 春子さんが玄関前で恵美さんを抑えようとする。

「和人君が、私の下着に触れていたから、つい変なこと思ってないかとか」

「恵美、安心して。これは私が和人君にお願いしたの」

 何とか春子さんの一言で安心した。

「でも、お母さん。私正直男性に下着触られるのとか嫌なの。お母さんの下着とか和人君に触られて嫌じゃないの? 離婚したお父さんに触られるのとか死んでも嫌。もうあんなお父さんに触られたらその下着捨てる、それぐらい」

 恵美さんの顔が歪んだ。離婚した父の事を思い浮かべるのが嫌なのか?

「でもね、恵美。和人君は家の用事をしているのだよ。同じ男性でもあんな最低な人とは全然違うから。仕事だけのことしか考えない男と違って和人君は家のこと色々出来るから、ちゃんと信じてあげなさい」

 罰悪そうな顔をして恵美さんは俺の事を睨み付ける。不審な表情を前面にする。

「気にしないで和人君。そんな気にしなくても。ちょっと前の家庭で色々あって・・・・・・」

 どうも春子さんは離婚前のことを色々ちらつかせる事が多い。さっきの件と言い色々前の旦那さんに問題があったことは容易く想像できる。

「俺も、恵美さんの心理を理解出来ないのが悪かったです。年頃の女の子の衣服とか触ったこともないし、俺も軽々しいから」

 恵美さんは罰の悪そうな顔に変わっていった。春子さんの説得と俺の弁解には諦めざるを得ないのだろうか。

「いいや、変なこと考えられてないか、心配しただけ・・・・・・」

「だから変なこと考えてないって」

 それを言えば俺も嘘になってしまう。たしかに初めての下着、どう考えても生物的に抑えることが出来ない。本人に見つかってしまい気まずさだけが漂っている。あれだけヤバイ状態になっていた所も完全に萎えてしまった。

「私も、ちょっと思い込みが激しかったようだったね。とにかくこの件に関してはごめんなさい。でも、絶対私の衣服で変なこと考えないでね。少しでも考えたら全部お母さんに洗濯お願いさせるからね」

「分かった。絶対に変なことは考えない。だから春子さんの負担を軽くするぐらいで掃除洗濯するから。それで良いだろ」

 何とか恵美さんの気持ちは収まった。やっぱり義妹との生活は感覚がまだ掴めないし年頃の女の子の考えが少しは分かった気がする。

「まあ、許してくれてありがとう和人君。気にしないでね。恵美も折角和人君が色々家のことをしてくれているからもう少し感謝の気持ちを持ちなさい、家事とか苦手だったら」

 家事が苦手、本当に離婚前の分断状態が見て取れるちぐはぐな環境だったと感じられずにはいられない。

「しまった、鍋のガス入れっぱなし。危ない。焦げ付くわ。恵美も和人君ももうすぐご飯だから来てね」

「分かりました。恵美さん。これとりあえず畳んでおいたから、これ以上は触らないから部屋に片付けてご飯にしよう」

 春子さんは慌てて鍋のガスを消しにキッチンに戻った。

「洗濯物の片付け、どうもありがとう・・・・・・」

 照れくさい表情に変わりつつ、落ち着いた優しい態度で恵美は下着を部屋に持って行った。その時、玄関のドアの音がした。父さんが帰ってきたようだ。


 リビングにて。昨日に引き続き家族揃っての夕食。

 昨日と相変わらず俺と恵美さんは、黙食を続ける。昨日と違う所は、恥ずかしげな表情で互いに罰が悪そうな雰囲気であることだった。昨日と相変わらず父さんはニコニコ。

「はい、泰くん。今日もお疲れ様」

 ニコニコしながらビールをくつろいで飲む。

「今日は再婚して初の出社だったからな」

「私も。職場から近いと、こんなに早く夕食の準備が出来るなんて、思いもしなかった。何時もこの時間になってやっと帰ってきていることばかりだったし、ね、恵美」

 俺の対面に座っている春子さんは、調子よく恵美さんに問いかける。

「確かに、高校入学してこんな時間にお母さんと食事することなんて無かった・・・・・・」

 恵美さんも俺と同様また下を向いてしまう。

「俺はこう言う家族が理想だったな、本当に九年前の家族が戻ったようだ」

「私達なんて、こう言う食事すら無かったですもの」

 まだ春子さんは離婚前の家族のこと話している。これで何回目だろうか今日の夕方から。こう言う話しはかなりデリケートになるけど春子さんはそこまでして前の旦那は不満だったのか。

「いやいや、俺も無かった、最近は孤食ばかりだった。和人も中学は受験生、今も進学校でテスト三昧。これが大学進学まで続くと思えば俺は孤独死していたかも知れない」

 いつの間に俺は大学に行くなど決めつけている、親のレールを引くような人生など難の期待も出来ない。俺は白米をほおばる。

「それで、今すぐではなくても良いから、泰くんに相談があって」

 ——何の相談事? まだ不満や愚痴か?

「私、泰くんの会社の従業員にしてくれないか?」

 俺は一瞬神経を板が疑いかけた。まさか春子さんまで工員を目指しているとか? こんな華奢な紅一点があの男社会に混じって何が出来るとでも言うのか。

「ちょうど俺も経理や営業をして欲しい人を探していたところ。俺、ここ何年か工員として仕事することも少なかった。祖父が亡くなり、祖母も特養ホームに行ってマトモに技術系の仕事に手をつけていない。俺が経理や営業をしていた、春子さん大丈夫?」

「私なら大丈夫よ。今の仕事はそれだから。職場ではお金の計算に忙殺され、その合間を縫って外に出て営業系や顧客とのやり取りで美味しくない所ばっかり。今の職場は本当にブ○ック。勉強して辞めるつもり」

 完全な愚痴だ。春子さんの表情は上目だ。前の環境で春子さん相当無理していたのだろう。恵美さんのために。

「本当にいつでも辞めて良いのだよ、来てくれたらネジの作り方とか教えてあげるぞ。和人も金属を加工するところから手ほどきを受けた。今の世の中はジェンダーフリーで女性工員とかもいるから」

「私も、元々マダムもどきの生活をずっとしていたから永遠のプータロー。流石に離婚して社会で使えない女だった事が分かったわ。新入社員の方が私よりしっかりしている。私には都会のど真ん中の働き方は出来ないみたいね」

 嬉しそうに自分のことを自己否定する。

「まあいきなり工員とかは厳しいかな。本当に人手不足。俺ももし営業や経理やってくれる人いたらもっと製作の方に取りかかれたのに。大丈夫?」

「うん、もちろん。それなら早く辞めるわ。半年近く職場で働いても向いてない。良いきっかけだ」

 完全に二人は新婚そのものを楽しんで、職場で働くと言うことか。この周辺の町工場も後継問題などで少なくなっているのに希望者がいることが救いだな。本当に春子さんは救世主だと思った。

「春子さんが従業員になったらもう和人、無理して手伝わなくて良いぞ。お前はもっと勉強と学校に専念しろよな。折角恵美ちゃんが同級生だから」

 顔が赤くなった。何恥ずかしいこと言うのか父さんは。幾ら酔っ払っていても言って悪い事がある。こんなに暴走した父さんは初めて。

「恵美ちゃんも、和人のことはもっと頼りにして良いから。やりたいことあったら和人に頼りなさい。恵美ちゃんは可愛い妹だからね」

「恵美も、私には気を使わないでいいから。もう少し貴方もオープンになりなさい。折角家の居場所あるから、好きな事して良いから」

 春子さんの説教か。食事しながら。

「私は、もう今の生活が十分だからお母さん、もう見つけている。気にしないで」

 両親は理想ばっかりを述べている。恵美さんの様子もおかしい。十分って、何か親の前で安心させるように色々繕っているような気がする。両親の期待に恵美さんが押しつぶされそう。そんな様子が伺えたことは確かだ。

 残りの飯を黙々と食べて、俺は早々と部屋に向かって勉強を続けた。

 恵美さんの段ボールの箱のことで何か隠しているのだろうか。それに何か言いたくないことでもあるのだろうか。


   ◇


 翌日の火曜日。

 今日も恵美さんは早く学校に行った。俺は今日も昨日と変わらない時間で登校する。

 恵美さんは何時ものようにクラスの中ではトップカーストに君臨しているかの如く、女子数人と楽しそうに会話をしている。再婚して混乱戸惑いが続く家の中では見せない表情を。これだけ人格が違えば色々無理があるはず。何かおかしい空気が流れている。

 夕方も父の工場のお手伝いをした後に家に帰り、春子さんと一緒に家の用事をひたすらこなしていく。そして家族揃っての夕食。昨日に続き恵美さんは無口。家での生活と大きなギャップを目の当たりにする。

 夕食後、俺は机に向かう。近い間に定期考査が始まる。ここ数日間勉強に集中出来ていない。環境が変わった事が大きい。それでも日々予習復習していないと直ぐに勉強は置いてけぼりになるのが高校の勉強の難しさ。

 今日の数学は三角比。サインコサインタンジェント。慣れない呼び名。三角形の仕組みで取っ掛りが掴めない。ひたすら基本定理と定義だけを暗記しようとする。今日中に少なくとも三角比の定理を覚えなければ明日からの授業は理解出来ない。それだけ数学という授業は魔物である。一度踏み外せば後の授業はまるで宇宙語になる。ある程度センスがあれば乗り切れる国語や英語、暗記が利く理科系や社会系と違い数学だけは誤魔化しが一番効かない教科。

 その数学を理解するのに時間がかかる。ただですら苦戦する教科なのに、学年首席クラスの義妹と同じ屋根の下で暮らしているプレッシャー。ここで踏み外せば恵美さんに追いつくどころか速攻で学年最低クラスに落ち込む。それだけは回避したい。この隣の部屋では俺と同じ事を思いながら必死で勉強しているはず。

 集中することがあまり出来ずにダラダラ机に座ること数時間。もう既に午後十一時を回っている。

「・・・・・・集中出来ない。少し頭冷やそう」

 俺は部屋を出て一階で冷蔵庫にある飲み物を取りに行こうとした。もう廊下は灯が消えて真っ暗。その横脇の恵美さんの部屋から灯が漏れている。同じようにこの時間まで勉強しているだろう。邪魔は出来ない。

 一階の冷蔵庫から静かにコップにお茶を注ぐ。そして一気に飲み干す。何とか気持ちは落ち着いた。一階の部屋の電気を消し、部屋に戻労とする。恵美さんのことが気になる。こんな時間まで勉強しているのか。いくら何でも努力家過ぎる。こっそり恵美さんの部屋を覗く。

 恵美さんは何か机で集中して何かをしている姿を見てしまった。こんな時間まで何かしている姿を。本当に心配だ。これ以上立っていても仕方がない。俺はこっそり部屋に戻ろうとした。その時俺は足を踏み外して恵美さんの部屋のドアにもたれかかってしまった。

 バタン! 乾いた音がした。

「誰?」

 恵美さんがとっさにドアの方に向かう。恵美さんに見られてしまった。開き直るしかないと思い俺はドアを開けて恵美さんの方を見つめた。

「・・・・・・何していたの?」

 恵美さんは冷や汗かいて俺の方を見つめる。

「恵美さんの部屋の灯が漏れていて、気になっただけ。ドア閉めた方が良いと・・・・・・」

「和人くん・・・・・・私の部屋、覗こうとした?」

 恵美さんは睨み付けながら俺の方を疑い、顔を赤くして深く見つめる。

「違うって。こんな時間まで起きていて体大丈夫かと心配しただけ、誤解」

 俺は弁解に苦しむ。

「昨日の下着といい、今日のこの覗きといい、何か怪しい」

「怪しくないってば! 恵美さんが夜は遅いし朝は早いし、学校では色々皆に気配り上手いから本当に無理してないかと心配しただけ!」

 なかなか恵美さんは理解してくれない。

「怪しいし恥ずかしいけど、お母さんに免じてとりあえず許すわ。昨日も私の衣服を畳んでくれたことは感謝しても、貴方に触られないように私も家事はやるようにしていきたいと思う。それに心配してくれるのは嬉しいけどあまり私に干渉しないで欲しい、それだけ。じゃあおやすみ」

 そう言いながら、恵美さんは部屋のドアを閉めた。もう廊下は完全に真っ暗になった。

「恵美さん、本当は怒っているだろうな・・・・・・」

 また一つ、信用を失うことをしてしまった。義妹と屋根の下で暮らすのは想像以上に前途多難だ。明日からの学校生活は一層気まずくなる。本当に数学つまずいたらどうしょうと思ってしまう。

 今日の昨夜はなかなか寝付けなかった。

  



  第三章  義妹の親友に、義妹との正体がバレてしまう


 翌日の水曜日。この日の三、四時間目は体育の授業。

 この学校では基本的に体に触れる柔道や露出が目立つ水泳などを覗けば男女一緒に授業を受ける「共習」方式。しかも四クラス合同。

体育館には学校指定の体操服を着た生徒が男女で一二〇人ほど。凄い迫力のある人。クラスでのグループが幾つも出来ている。俺は何時ものように端っこで一人ぼーっとしている。恵美さんは長い髪の毛を纏めてポニーテール状に。やはり体育の授業でもクラスの女子数名と輪が出来ている。体育は一番クラスの人間関係が露出する科目だ。俺にとっては本当に拷問だ。

この日の種目は体育館で男女合同バレーボール。これで球技大会が成立するような体育の授業。クラス対抗戦一クラス五パーティーでその一パーティーが他の三クラスと対戦をする星取り方式。

クラスの中のチームのメンバーの選定はくじ引きで行われる。絶対に恵美さんと同じメンバーにはなってはならない。メンバーの人選はくじ引き。

マジで恵美さんとは当たらないように願うしかない。

——しかし、その悪い予感は当たってしまった。恵美さんと同じパーティー。

バレーボールは一パーティー六名。俺はその中でも全力で恵美さんと関わりを避けなければならない。何とか俺のパーティーにはバレーボール部員の大東という奴がいるので、そいつに仕切りを任せておけば大丈夫な雰囲気。何とか不幸中の幸い。

「気楽にやろうぜ! 難しい球はとにかくレシーブとかしなくていいから上にボールを上げてくれれば俺がアタックするから安心して!」

「頼むよ大東君。後の五人は皆素人だから頼りにしている」

 別の平野という女子生徒が大東に黄色い声を送る。

「おお、桜宮もあまり気にするなよ。下手でも責めないから一生懸命楽しもうな!」

 大東はそう言って俺を取りなしてくれる。何とか他のパーティーも良さそうな人で助かった。だが恵美さんは顔色が悪い。やはり俺と同じメンバーで凄く気まずそうだ。

 それでも俺は話しかけない。話しかけたら更に気まずくなる。とにかく俺はこのパーティーでも無難にやり抜けよう。何があっても恵美さんの方にはボールを送らない。大東に任せるようにボールを流す。そうしよう。


 隣のクラスの対抗チームである一回戦は何とか切り抜けた。俺の思惑通り下手なボールには手をつけず、自信のあるボールだけ受けて大東に受け流した。そう言う俺の球でも大東は綺麗に相手の方にレシーブ球を投げ、それで大量に点数を稼いでいった。ただ恵美さんは無理にサーブとかしようとして一人でガンバりすぎていた。

「都島さん、あまり無理しなくて決めなくて良いからね。一人決めすぎようとしてミスっているよ。チームワークが重要」

 恵美さんはクラスメイトにも何気なく優しくされる。やはりカーストトップの処遇は違うことが分かる。

 二回戦。別のクラスのメンバーと対抗する。ここでも上手く切り抜けていきたい。

 相手対抗チームの方は、そんなに上手そうな雰囲気ではない。下手したら俺よりもボールを上手く扱えていない生徒がいるほど。何とか無難なトスを切り抜けて恵美さんには極力相手にしないようにしよう。

 相手側からの弱いサーブが飛んでくる。今俺は後ろ側にいる。これなら俺でも問題無く扱える。

「桜宮! その球は俺の方に回せ!」

 俺は問題無く飛んできたボールを受け、俺の前の左横の大東の方に回そうとした。

 だがそのボールのコントロールを間違え、自分の真正面にボールが飛んでいった。しかも俺の真正面は恵美さん。恵美さんは何がしたいのかジャンプサーブを決めようとする。何度か恵美さんのプレイには目立ちたい態度が先行している。

「無理するな!」

 大東が恵美さんに声をかける。所詮授業なので無理はするなという気配りだろう。

 恵美さんは全力でジャンプし、レシーブを決めようとする。

 鈍い音と共にボールは当たり相手側にボールは飛んだが、即座にブロックされた。下手なボールもブロックされ、恵美さんの右側に情けなくボールが落ちる。

 これで相手に点数を取られた。恵美さんの失敗だった。

 その時恵美さんの表情がおかしいことに気付いた。

「・・・・・・はあ、はあ・・・・・・」

 恵美さんがしんどそうな表情。何か目眩でもしたのか。

 そして顔色が悪いまま、そのまま倒れそうな表情。誰も気付いていない。そうしている間に相手側からボールが飛んでくる。

 恵美さんが意識を失った。目眩だ。言い切れる。容赦なく俺の落下地点にボールが飛んでくる。

「桜宮、ぼーっとしているなよ!」

 周りからの声が痛い。それどころではない。こんな時に倒れそうな家族をほっておけない。もう恵美さんが倒れる。

 恵美さんが意識を失った。俺は前に出て恵美さんが倒れないように必死で庇い立てようとする。ボールは俺の落下点に落ちてしまい相手に点を取られた。

 そんなのお構いなしで、俺は倒れそうになった恵美さんを俺の腕で支えた。

「・・・・・・大丈夫、か・・・・・・」

 恵美さんの顔は赤い。かなり動悸が早い、もうこれは保健室に行かせた方が良い表情」

「分かっている、無理するな・・・・・・」

 俺は恵美さんの耳元で軽くつぶやく。もう無理はさせられない。

「大変だ!」 

 俺は大声で周りに声をかける。こんな大声、入学して初めてだ。周りはびっくりする。

「『都島さん』が、顔色悪い! 誰か!」

 周りは注目する。同級生の女子が慌てて俺らの前に向かってくる。恵美さんの腕は細い。ひょろひょろだ。どう考えても運動が得意には見えない体つき。引っ越してきたときも段ボール一つ持ち上げられない。力仕事は俺がした。それ程なのに何で無理するのか。

「・・・・・・とりあえず、お疲れ様」

 俺は再度小声で恵美さんを支えながらつぶやく。隣のクラスの女子生徒が恵美さんを掴み、恵美さんはその子に抱えられてよちよち歩いて行く。顔は真っ赤で熱でもありそうな表情。周りは騒然とした。この対戦は中止となってしまった。

 とりあえず、恵美さんは引き続きクラスの女子生徒と一緒に保健室に行く事になった。

 俺の周りの目線がとりあえず気になる。クラスではトップカーストの恵美さん。クラスの日陰男子が救って体も触った。かなり異様な空気である。居心地が悪い。


 昼休みの後、五時間目の授業は数学。昨日習った三角比の続き。やはり予習したとおり余弦正弦定理。三つの辺と線の位置関係すら覚えておけば暗記で出来るが定理そのものを教えられる。この授業は利いておかなければ後でつまずく。覚えるのは必至だ。

 恵美さんはこの時間でもまだ保健室にいるみたい。熱でも出たのか心配。ひたすら恵美さんの事だけが気になって仕方がなかった。

 そして午後の授業も終わり放課後。周りはいつも通り部活に向かう生徒や帰宅する生徒など色々。それでも恵美さんは授業が終わっても教室に戻ってこない。本当に心配だ。まだ寝ているだろう。そしたら義兄としての責任になる。

「桜宮、今日はファインプレイだったな」

 蒲生が俺の事を気遣いする。

「まあな、俺の目の真ん前だったし。さすがにあの位置で倒れそうだったら男でも庇わないとマズいと思っただけ」

「良いよな。ああ言う処遇でないと女性の体など触れられないからな。下手したらわいせつ行為になるからな」

「それ、犯罪者の考え。いくら妹と上手くいかず終に現実との区別がつかなくなってしまったのか」

 蒲生はどこまでも変態の妄想。ここまで酷かったとは。

「これで他の男子から目をつけられなければ良いのだが、なあ桜宮」

 確かに、あの時の男子は一部俺の方を睨み付けていた、それは確実だった。女子の体を生々しく触る。しかもかなりの位置ばかりを。

「それでも、都島さんが倒れて無視するよりはマシだった。一応俺に不釣り合いでもああするしかない、クラスの縁のない女子でも」

 蒲生の前でも恵美さんはまだ他人のフリ。義妹など口が裂けても言えない。とにかく今は俺にとって何の縁もない事を装う。

「日陰で何もしない、でも助けたらお前みたいな奴が。そういう風に目をつけられる。やはり同じ日陰同士はしんどいな」

「まあな、あのような処遇が一番質悪いし。やはりスクールカーストの最上位と日陰は一緒になったら本当にどんなことがあってもまずいな」

 本当にそう思う。ましてや同じ屋根の下で過ごす兄妹。それが偶然同じクラスでカーストの最上級と下級。どう考えても立場がない。意見すら言うことが許されない空気。俺が万が一クラスで恵美さんに何かしたらその時点で恵美さんのクラスの立場がなくなる。それだけは何が何でも回避しなくてはならない。恵美さんの高校生生活は守らなくてはならない。家では暗い表情でも学校では楽しそう。だから尚更そうすべき。恵美さんのクラスでは他人でいるようにするべき意味が分かってきた。

「これから俺は今日発売のラノベ新刊を買いに行くわ。お前も本屋行くか? 折角だし」

「ゴメン、今日は家の用事」

 本当は恵美さんの事が気になるがそれはシークレット。嘘ついても守り通す。

「そっか、仕方ないな。父子家庭で家業やっていると色々大変だしな、じゃあ明日」

 蒲生はとっさに帰っていった。俺は間を置いて図書館に行く。図書館である程度時間を潰し、完全下校に近い時間に保健室をのぞきに行こう。

 相変わらず図書館の人はまばら。静寂の環境に包まれている。図書館の小説コーナーにはラノベが色々と置いてあった。流石進学校。進学校はオタクが多いからこう言う需要もあるのだろう。俺は感心した。安心して借りることが出来る。俺みたいな人間にとっては図書室も楽園みたいな所だからな。

 三〇分ぐらい色々と文庫を漁りつつ時間を潰し、図書館を後にする。このまま、保健室に寄りこっそり、恵美さんがどうしているかを確認したいがどうにも出来ない。さっきの蒲生の言葉を思い出した。やっぱり学校では他人。何かあれば恵美さんも何とかするだろう。もしかしたら帰っているかも知れない。

 結局俺は保健室に行くのを諦め、そのまま帰宅した。

 何時ものように一人で帰宅する。今日は父さんの手伝いのない日。帰って恵美さんの対処を考えよう。

 家に着いたのは夕暮れ近く。俺は鍵を開けようと強いたがもう既に鍵が開いている事を確認した。恐らく恵美さんが帰っているだろう。春子さんもこんな時間に仕事が終わらないだろう。何とか安心して扉を開ける。

 リビングの方が何か明るかった、何か人の気配がする。恵美さんがくつろいでいるだろう。一目散にゆっくり俺はリビングに向かった。

 リビングには二人の少女がいる。そして振り返る。恵美さんと——赤川さん?

 え、何で赤川さん?

 一瞬、俺の意識が真っ白になった。

「桜宮君、帰ってきたのね。お邪魔しているわ」

 恵美さんの親友赤川さんが俺の方を睨み付ける。

「どういうこと?」

 俺は恐る恐る赤川さんの方を見る。

「分かっているでしょ。今貴方の家にお邪魔しているの。今日の件なども含めてしっかり確認したいこともあるしね。桜宮家の『お兄さん』」

 嫌みったらしく、この一言に全てが詰っているような言い方をする。

「和人君、お帰り。さっきはゴメン・・・・・・」

 恵美さんは無表情で俺の方に謝る。でも赤川さんがここにいると言うことはもう義妹であることは隠せない、と言うか完全に暴露されている。

「赤川さんがいると言うことは、恵美さん。もしかして・・・・・・」

「そうだわ。桜宮君、さっき恵美が倒れそうになったとき体もろに触ったでしょ」

 何でそうなる? ただ助けただけじゃないか。

「貴方の行動を見て何かおかしいと思ったの。あんなタイミングで恵美のことを見逃さずに抱きかかえる。赤の他人にしてはおかしい行動だからね」

 赤川さんはそういう所まで見抜いているのか。流石恵美さんと中学からの親友。一年半一緒に過ごしてきたと思われる態度は伊達ではない。赤川さんはリビングのテーブルに置かれている袋菓子を遠慮無くバリボリ食べる。初めての家に関してはズケズケとした態度だな、幾ら親友とは言えど。

「一応、人の家だぞ。よくそう言う態度が出来るよね」

 赤川さんの無神経さに感心する。

「心配しないで。引っ越す前の家にはこうして何回もズケズケ入り込んでいるわ。そこは親友だし恵美にも私の家では何しても良いと言っている」

「ちょっと優子、言い過ぎだよ。私も実はこの家に招くのは緊張しているし、和人君と目を合わせるのは緊張しているから」

 恵美さんが必死に取りなす。何とか恵美さんは紅茶の準備をしながら、俺と赤川さんに弁解する。

「とにかくお茶出すから、経緯はちゃんと話すから優子も落ち着いて、和人君。今日は妹として迷惑かけてゴメンなさい。私は気にしないで。午後の間寝ていたら直ぐに具合良くなってちゃんと下校時間に帰ったから」

 恵美さんも赤川さんの前になると言葉数が多くなる。家の中でもこのギャップ。間違い無く赤川さんの前で恵美さんは守られている。それだけは分かった。

 恵美さんの入れた紅茶、更に用意した袋菓子を囲み、俺らはテーブルに座り落ち着いて話しをする。


「再婚の経緯は分かったわ。何とか安心した。でも貴方が恵美と屋根の下。私はまだ貴方のことを信じていない」

 まだ俺の方を睨み付けながら赤川さんは話す。

「でも、家の時と学校で明らかに表情違うけど、どうしても俺は腑に落ちない。赤川さんの前では本当に機嫌良いけどどうしてなの?」

 恵美さんは嫌そうな顔をしている。

「優子は優しいし、何でも話せるし・・・・・・」

「あのね、恵美だってどれだけ家族に気を使っているか分かるの? 家でも話せないようなことを私の前で言ってくれる。家族に心配させたくないからなのよ。それぐらい気付いてあげなさいよ。恵美より早く生まれてきたお兄さんだから」

 全然分からなかった。家族に迷惑かけたくない。外面は良くても家では色々迷惑かけたくない。だから勉強でも学校生活でも一応は優等生面をしている。

「今それで言わせてもらうけど、クラスで関わりたくないとか言われたけど、それは私の問題って、学校でのポジションのことで良いのか? 一応傷ついたし」

 俺も本心を言う。

「和人君、傷つけてごめんなさい。私も自分と家族守るために、心配させたくないと思い、言ってしまった」

 恵美さんは黙り込む。俺の前では上手く表現できない。何となく経緯は見えてきた。俺の事を嫌いとかではなく自分自身が学校内で優等生の美少女面しているのは恵美さんが家族を守るためであろうと。とにかく恵美さん自身が学校の中でカーストトップにいれば家族には迷惑をかけない。再婚するまでの入学半年間は母子家庭だった。そんな春子さんに学校でいい顔しておけばとにかく安心する。そのように考えた。

「私だって、色々あったのよ。和人君、あまりクラスで目立たない方だったし、優子もあの自己紹介の日に良い印象持ってないと言っていたから・・・・・・」

「だから、俺の事を無視したのか、赤川さん。俺そんな風に見られるような印象もたれてしまってショック」

「本当の事言えば、私四月の初めの自己紹介であなたの印象悪かった。だから恵美には指一本触れさせたくなかった、それだけは言っておくわ」

「はっきり言うね。俺もそう言うように言われればこれは聞き捨てならないし」

 赤川さんと言い合いになってしまった。どこまでこの人はストーカーだろうか。それに邪魔するのは許せないって。

「優子、言いすぎって。和人君はそんなに悪い人でないから」

 恵美さんはここでも二人にいい顔しようと取りなす。

「とにかく分かった。嫌われ役は買いますよ」

「あーあ。和人君すねてしまった優子」

「私は桜宮君に嫌われて良いから恵美を傷つける人は絶対許せない」

 赤川さんの前では何でも話せる恵美さん。推しの強い性格でこれ以上話してもループするだけだ。何処かで妥協点が必要だ。

「話は元に戻す。とにかく俺と恵美さんが義理の兄妹であることは受け入れるけど、これ以上何も恵美さんにしてくれるなと言う事か」

 ため息付きながら言う。赤川さんと同じようにお菓子をボリボリ音立てて肘着いて呆れた態度で物を言う。

「そうね。そう言うこと。根は優しくて素直で良い子。色々大変だったのは分かるし、これ以上親友として恵美を悲しませたくない。貴方がそれだけ言われるのが嫌なら何か恵美を幸せにしてみなさいよ。私よりも。さもないとあなたを認めない」

 完全に闘争心メラメラの赤川さん。俺は赤川さんを睨み付ける。そして俺も睨みを利かせる。

「ちょっと、二人とも。張りあいすぎよ。落ち着いて」

 手を上下に振りながら俺と赤川さんを取りなす恵美さん。

「遠慮しなくて良いよ。言いたいことあったら言うべきよ恵美」

「私は何も遠慮なんてしてないから。ただ、今年だけ。今の学年だけ他人のフリしてくれれば良いから。学校では前の都島恵美で良いって色々親も配慮してくれているし和人君も配慮しているし。とにかく今日の和人君のことは嬉しかった」

 少し笑顔になる恵美さん。何とか和やかになりつつある。

「恵美は良い子だからね。中学の時から恵美は人が寄り付くほど優しくて配慮できる子なの。本当に皆恵美のことは好きだし、私は恵美のことをどこまでも応援したいし、私にはとことん甘えて欲しいから」

「優子といることは楽しいし、学校では干渉されたくなかった。ここは誤解しないで」

「もう分かったって。学校では今日みたいな出来事以外では相手にしない、で極力他人のふり。二年になると文理選択あるからそれでどっちかを選択したらもう二年からは晴れて、『桜宮恵美』を名乗れる。そうだろ。だから俺も恵美さんも何をしたいかを探す。文理選択はそのきっかけとなる。だから俺もやりたいことを探す。恵美さんも赤川さんもそれ考えてよな。俺にあれだけ大きな口叩いたから」  

 優子はあきれかえる。

「まあ分かったわ。とにかく、恵美は良い子なの。家で悲しませたることや、笑顔を消すような真似だけはやめて欲しい。それをどうしても言いに来たかった、もっと真剣に考えなさいよ」

「分かった。恵美さんには変なことはしない。で、俺も恵美さんと約束していることもあるし、兄としての気持ちもあるし」

 何か恵美さんは照れくさそうだった。俺が兄と言うことに。

「優子も落ち着いて。私は優子といて本当に楽しいし、色々クラスの中でも言えること言えるし、自己紹介の時もあんな態度出来たのも優子のおかげ、そう言う仲なの。和人君もそこは理解して」

「何とか私の言いたいことは全部桜宮君に言えた!」

 赤川さんが何らかの開放感を感じている。まあズケズケ言われたけど、俺らの実情も分かってくれた。クラスでの気まずさは感じなくなりそうだ。

「後、それと——」

「まだ言いたいことあるの?」

「私達の女子グループにも貴方のことは機会があれば言っておくけど、絶対クラスでは関わりを持たないようにしてね。何かあれば最小限の関わりにしてね。ましてや馴れ馴れしくしないで。私も貴方と蒲生君には関わらないから。恵美を守るために」

 いずれは恵美さんが義妹であることもクラスではバレる。ここは赤川さんの陰の努力を認めよう。仕方ない。色々むかついたこともあるけど恵美さんのためだ、仕方ない。

「優子、そろそろ帰らなくて良いの? もうすぐお母さん帰ってくるの。ここに住んでから、夕食の準備してくれることになって」

「そうだね。おばさん元気? 一応挨拶しておかなくて良い? 高校になって恵美の所に行く事なくなったけど、あの時は本当に色々家で勉強もしたしね。じゃあ恵美、桜宮君、帰るね」

 少し残った紅茶を飲み干し、赤川さんは帰り支度をする。

「あと、桜宮君」

「何? まだ何かあるの?」

 歪んだ顔をして俺を睨む赤川さん。

「恵美、玄関で桜宮君と少し話しするね。それから帰る。ありがとう!」

 そう言いつつ恵美の前ではまた笑顔に戻る赤川さん。何のことか知らないけど俺は赤川さんを玄関まで連れて行き、玄関の外に出た。

「ここなら話せるけど、恵美の境遇ぐらい分かっているよね」

「な、何?」

 また怖い顔をした赤川さん。離婚の事なのだろうか?

「私達が卒業した時に、恵美離婚したの。恵美、生まれも育ちも東京で中三の時に離婚したおじさんが大阪勤務になって凄く嫌がっていた。一年でも早く東京に戻りたいと。でも私達は一緒の高校に行きたかった。でもおじさんは私達の卒業と同時に東京に戻ることになったけど、私と恵美のためにおばさんは押し通して離婚してまで大阪に残ってくれたの」

 恵美さんも春子さんも離婚前は壮絶な事があっただろう。春子さんの前の旦那を凄く毛嫌いしていた。その辺りの事とも重なる。

「今の高校生活があるのは、おばさんのお陰なの。凄く感謝しているし、もう少し今の生活を尊いと思って」

「そうだったのか、恵美さん。話したがらないけど・・・・・・」

 何かぶっきらぼうな態度も多く話したがらないことも多い。

「前の家庭で凄く傷ついたこととかあるし、その辺りには触れないなど気を使って。恵美は言いたくないこととか黙ることも多いけど、本当に色々あったから」

「分かったって、そういう所は直に分かると思うけど、とりあえず」

「よろしい」

 いちいち上から目線だけど、恵美さんには色々深刻な事もあると。

「あと、それと・・・・・・」

 俺はあの段ボールの『その他』の箱のことが気になった。あれに何か赤川さんとの何かがあるのだろう。とても気になる。でもそんなことは聞けない。

「まだ何かあるの?」

 流石に踏み出せない。

「いいや、なんでもない。分かったからもう帰りな」

 俺は赤川さんを強引に押し出す。聞けない。

「恵美を悲しませたら許せないから・・・・・・」

 そうつぶやき目を細めて、赤川さんは帰っていった。


 俺も家のドアを開けて、リビングに戻る。

「ゴメン。ウザい友達で」

 赤川さんのしまりのない行動には流石の恵美さんも隠しきれない。

「色々熱意のある子で熱心なことは熱心。悪い人ではないから。男子には誰にでもあんな態度取るの。和人君だけでないから。中学の時からああいう性格なの」

 さっきのことは聞けない。とりあえず今は黙ろう。

「あと」

「何?」

 俺は恵美さんが何か言いたそうな態度しているのが分かる。

「こう言うことにならないよう、の交換しておこう」

「そうだね。一応」

「私が連絡しておけば優子が来ていることも分かるし、貴方も必要でしょ。私との最低限の連絡とか家族への色々な配慮もあるし」

 先ずは第一歩。恵美さんとLINEによる通信が出来る。少しウキウキしたが我慢。そんなみだらなことに使ってはならない。

 俺は初めてLINEと言う物を知り登録した。友達の少ない俺にとってLINEなど無縁だった。恵美さんが何か操作している。そして俺のスマホから着信音が聞こえた。

『(恵美)よろしく』

『(和人)それだけ?』

『(恵美)慣れてないようだね』

『(和人)うるさい』

『(恵美)こんな感じこんな感じ』

 それ以降、何とかLINEのやり取りを続けた。初めでの感覚だけど、何度かやれば慣れるような物である。俺自身の視野が狭いのもあるけど。

 その時、恵美さんのスマホから着信音が鳴った。

「お母さんからだ。見てみよう。今日は帰りが遅くなります。申し訳ないです。以前のようにご飯を炊いてください。お総菜にしますか? だって」

 春子さんの帰りが遅い。なんと言うことだ。一昨日あれだけ余裕があるって言いながらいきなりこれか。前途多難だ。

「春子さん、忙しい?」

「まあね。いつもこんな感じだったわ。入学から引っ越すまでは炊飯器をいじっただけ。お総菜で誤魔化すときも少なくなかった」

 本当に自分からは何一つ夕食を作る気配などないだろうな。と言うよりもやったことがないのだろうな。

「何か、作れそうか?」

「恥ずかしいけど、何もない。私マトモに料理したことがない。というよりもやらせてもらえなかった」

「春子さんから聞いたとおりだ。そんなに離婚した父親厳しかったとか?」

 恵美さんは罰悪そうになる。

「やめて。思い出させないで。今度その話題出したらさっきのアドレス消すから」

 触れてはいけないところに触れてしまった。赤川さんのさっきの「許せない」を思い出した。これ以上ややこしいことにならないようにしよう。

「とりあえず、夕食どうする?」

「私は作れないっていったでしょ。このままお総菜待つか、貴方が作るか。泰信おじさんから聞いたわよ。作れるでしょう」

 さっきと違い少しニヤニヤした表情になる。俺に作れとでも言うような目だな。

「分かったよ、作るよ。でも材料とか見てから考える。何作っても文句言うなよ」

 俺は優越感に浸りながら恵美さんに頼られる事が快感だと思う。これまで俺は恵美さんに劣等感を持ちすぎた。ここだけは恵美さんは苦手とする。ここで上手く乗り切れば自分としても箔がつくだろう。

「何か好きな物とか、食べたいものがあるか? 後春子さんの苦手とか」

「別に、ないけど。一緒に冷蔵庫見てみましょう」

 俺は少しにやけた表情をする。恵美さんはこのことに何と思っているかは気になるところである。

「冷蔵庫開けるぞ」

 恵美をリードしながら冷蔵庫を開ける。そこには多少の肉や魚などがあったのと、タマネギがあったぐらいだ。

「これじゃあ、生姜焼きにしかならないな・・・・・・」

「生姜焼き、でなくても。肉とタマネギならカレーとか作れない?」

「カレー、好きなの?」

「でも王道でしょ。肉とタマネギとルウあれば出来る。それ位は私でも分かるわ」

 どうやら自分が不利になりたくない。そう言う性格なのは少しだけ読み取れた。

「とにかく作るから、恵美さんはゆっくりしていていい」

「うん、任せたわ。ありがとう」

 俺は、とにかくひたすら作っていく。タマネギを切り、肉を切る。そして鍋を用意し誰でもが作れる手順でタマネギを炒め、肉を炒めていく。

 その横で恵美さんが見ている。

「興味あるのか? 炊事場所に」

「まあ、少しだけ。家族になったから、何か出来ないと恥ずかしいと思って」

「あまり無理はするなよ。包丁とか触ったことあるのか?」

「恥ずかしいけど、家庭科の時間だけ」

 そう言うことだろうと思った。でも何とかその会話が少し楽しい。俺のやることに少しは興味でも持ったのか。

 続けて俺は水を入れ、灰汁を取り、ルウを入れ煮込んでいく。恵美さんは興味津々。

「何か、簡単そうだね。焼いて切って煮込むだけ」

「それが奥深い。色々やっていれば」


 俺は要領よく家族分のカレーを用意しておく。結局恵美さんは俺が作るのを終始じろじろ見ていた。とりあえず今日は二人で食事しよう。

「春子さん、遅いだろうね。待ってなくて良い?」

「うん、今日は八時過ぎになるって。私達だけで食べましょう」

「父さんも、最近遅いから。やっぱ人手不足だろうな」

 初めて二人で面と向かってする食事。自分たちから積極的に話をしていく。つい数日前まで全然話さなかった事から考えると凄い進歩だ。

「私、あまり家族で食卓囲んだことがあまりないの・・・・・・」

「え、どういうこと?」

 やはり恵美さんの寂しさが何か伝わる。学校の笑顔は作り物で、こうして家族になると何か寂しさを感じているのか?

「恵美さん、何かあったら言って」

「毎日、和人君が夕食作ってほしい」

「毎日、冗談だろ?」

「うん、冗談。でも半分は本当。と言うより、私も何か作れたら良いと思う」

 こんな本音と冗談を言うなんて、恵美さんは俺の方に積極的に、不器用ながら関わろうと本当に努力している。

「さっきの赤川さんの件でも、あったのか?」

 赤川さんは恵美さんに何か期待をしている。昨日までとうって変わった態度。俺の前でも恵美さんは無理した態度。やっぱり親友の赤川さんに俺ら家族の正体がバレた以上は、恵美さんも無理矢理にでも俺と関わっていきたいと努力しているのだろう。

「別に、無理しなくて良いぞ。まだ家族になって数日。俺もお前の態度にちょっとビックリしている」

「別に、無理なんて・・・・・・していないから」

 必死に取りなす恵美さん。その必死さが何か無理に取り繕っている気がする。黙々とルーをたっぷりかけたライスを頬張っていく。

「話し元に戻すが、食卓囲んだことないって?」

 恵美さんはまた小難しい顔に戻る。

「前の家庭でも、家族で揃ってご飯を食べたことがほとんどなかった。離婚した父さんはほぼ深夜帰りか、飲んで帰ってくることがほとんど。お母さんとも時間が揃わないことが多かった。離婚しても、ほとんどお母さんとも時間が合わない。だから学校ぐらいしか人と食べることはなかった・・・・・・」

 何となく気持ちが分かる気がする。家族に慣れてないのだろう。俺もそうだった。ここ何年間かは父さんと合わせて食事することもない。父さんの会社でしかマトモに話しすらしない。しかも仕事のお手伝いのことばかり。上司と部下の関係と言った方が正しい俺の父子関係。俺も恵美さんも何かに飢えている。

「俺ら、何か似たもの同士だね・・・・・・」

「う、ううん。家の中でも学校の中でも和人君を避けていたけど、本当は私達何かを求めるような立場かも知れない。よく分ったわ」

 恵美さんもカレーをむしゃむしゃ食べる。

「私、少しだけおかわりするね」

 恵美さんはご飯を少し装い、カレールーをたっぷりかける。

「そんなにカレー好きなのか?」

「カレーは好きでも嫌いでもないけど、和人君が作ってくれたし、こうして二人で食事するのもこれから慣れていきたいと思ったしね。私も今日のカレーは興味津々」

 食べきれるのかが心配だった。でも相変わらず二杯目もむしゃむしゃ食べていく。カレーライスは作り置きが利かない。忙しい家庭はなかなか作れない。小学生でも簡単に作れる料理なのに。これで恵美さんのこれまでの境遇が見えるような気がした。

「私も作ってみたい」

「料理は作ったことあるの?」

「全く。でも家族になったから少しは何かを」

「春子さんと練習するところから始めた方が良い、俺も素人。三人バラバラでも離婚前に春子さんが飯作っていたでしょ。あれだけ言っていたから、もう前と違ってここは自由だからもう前の家族のこと気にしなくて良いと思うよ」

「うん、そう。前はね。私を気遣ってくれて一応ありがとう。何かしてみる」

 そう言いながら、何とかおかわりした二杯目のカレーライスをモグモグ食べた。

「俺もこれでも、こんな会話しながらの食事は本当に久しぶり、今日は本当に色々収穫があった。でも今日の体育の授業本当にヒヤヒヤした。まさか同じチームになるとは。それで気まずい他人のフリとか」

「私、無理しすぎた感があるわ。今日の体育の授業と言い、これまでの学校と家の態度と言い、そんな中で私少し無理したみたいね、もう大丈夫。だってカレー二杯食べるだけの食欲はあったみたいだから」

 恵美さんも無理しすぎだ。すぐ良い子ちゃんになろうとする。赤川さんはよく恵美さんの事を見ているようだ。

「優子のお陰で少しは和人君との距離も掴めたみたいだしね。まあ優子にはいずれ話すときが来るのは分かっていたし、和人君には睨まれるのはもう時間の問題だと思っていたし、優子けっこうトゲあるところはあるからね。あれでも中学時代からしたらだいぶマシになった」

 少し恵美さんの顔がくすぐったくなる。家でこんな表情を見るのは初めてだ。俺に合わせてこう言う表情をしているのか謎だ。まだ恵美さんの態度はよく分らないけど今日の経過からしたら大きく前に進んだ気がする。

「ただいま」

 俺らが食べ終わって食器を片付けていたら玄関から両親の声が聞こえた。

「和人、恵美ちゃん? リビングにいるのか?」

 両親が揃って帰ってきた。両親がリビングに向かう足音が聞こえる。

「お母さん達、帰ってきたみたいだね・・・・・・」

「両親は俺らの仲を期待しているみたいだから」

「そうね、私達も二階に上がりましょう。折角だから両親二人にしても良いしね」

「了解!」

 俺は恵美さんにつぶやいてリビングから二階の部屋に向かう準備をする。でもよく考えれば赤川さんが家に来てからずっとリビングで過ごし制服のままだった。

 リビングのドアが開いた。父さんと恵美さんが入ってくる。

「二人とも、制服のままで何かしていたのか?」

 父さんが、疑問を抱くように話してくる。

「一応、色々二人で話していた。もう夕食は作った。そこにカレー作っておいたから恵美さんと食べておいて」

 俺は少し無愛想に父さんに話す。

「和人君、恵美から聞いたのだね! 今日遅くなるって。作ってくれて本当にありがとう! 今日私決算で会社に捕まってしまった。恵美ごめんね」

「う、うん。ちょっとね、さっき優子がこの家に来たいって言って聞かなかったから、それで——」

「優子ちゃん元気にしている? 再婚してもう一緒に通えなくなったからね。中学の時みたいに頻繁に来て良いのに。もう高校生だから夜まで遊んでも良いし、お泊まりもして良いよ。だって恵美、優子ちゃん家にお世話になる方が多かったからね。もう気にすることないし私の前に連れてきて。あ、和人君も会ったのね」

 赤川さん絡みでも何かおかしい。恵美さんは中学の時ですら家族に不自由したとかとしか思えない。さっきの赤川さんの態度も異変と思った。

「父さん、春子さん。とりあえずカレー作っておいたので、二人で食べてください。俺と恵美さんは二階行きますので」

「和人君感激! 流石泰くんの子供だけあるわね。私がいなくても大丈夫そうね。恵美、ちょっとは和人君見習いなさい」

 春子さんは指を立てて手を回しながら恵美さんを下に見る。

「春子さん、そのことですが——恵美さんも料理手伝いたいと言っていました。だから出来る所から教えてあげてください」

「ちょっと、和人君。勝手に言わないでよ」

 ムキになる恵美さん。何か可愛らしい。

「分かった恵美。少しずつ私と練習しましょうね」

 父さんはその様子を笑っている。おかしいようだ。強引に話を進める春子さん。そのことに躊躇しない恵美さん。春子さんは俺らの関係が上手く進んでいる物と思い込み話を進めていく。嫌ではないが一種の強引さとこれまでに恵美さんを取り巻く環境から脱却したいという姿勢がよく分る。とりあえず今日は両親を二人にしよう。

「恵美さん。俺らは二階に行こうか。後でお風呂入れておくから、洗濯もしておくから」

「頼んだぞ和人」

 俺らは速やかに部屋を出て行く。そして俺は風呂場に行って風呂の準備と洗濯物の片付けをした。恵美さんの下着もあったがスルースルー。変な目で見ない。


 洗濯物の取り込みを終え、それを二階の居間で畳んでいく。今日もこの下着を恵美さんに渡すのか。相当勇気が要る行為だ。もう前みたいな誤解は生みたくない。どうしたらいいか。悩んでしまう。

 もう一つ。今日の午後の業の数学は難しかったことを思い出す。例の三角比。予想通り余弦定理と正弦定理。もう一度復習しないととても明日の授業にはついていけない。そう言えば、今日の授業恵美さん出てない。今日の授業逃せば明日の数学、絶対ついて行けなくなる。それはどう考えても酷だ。

 そう思った俺は、直ちに自分の衣服を部屋に置いて、鞄からノートを取り出す。それを持って恵美さんの部屋にノックした。

「何?」

「開けるよ、洗濯物畳んでおいた。もう変な目では見ないから開けて」

 そう言いながら恵美さんは複雑な顔で部屋の扉を開けた。

「今日も、畳んでくれたのね・・・・・・ありがとう・・・・・・」

 今日は俺に対する疑いがない。一先ずは安心。

「もう変な目では見てないから安心してよ」

 おれも柔らかな言い方で恵美さんに慎重に問いかける。

「分かった。和人君のことは信用しているから。今日は、どうもありがとう」

「それと、これ」

 俺は恵美さんの衣服を床に置いて、その下に持っている数学のノートを恵美さんに差し出した。

「今日の数学、余弦定理と正弦定理。早速三角比の応用が。明日は最も難しいみたいだから今日中に勉強しておかないと、大変なことになると思って・・・・・・」

「あ、ありがとう。実はさっき数学の教科書読んでいた。全く理解出来なくて、どうしたら良いか真剣に考えていた」

 恵美さんの顔が少し照れる。これで俺の方が恵美さんに対しアドバンテージを得た。学校と家でカーストが逆転した瞬間だ。これで俺の立場も少し安泰になる。

「もし解説とか必要なら、俺の部屋来ないか? 結構難しいからノート見ただけでは分からないと思う」

「良いの? 和人君の部屋に入って」

「良いよ。俺の方が恵美さんの部屋に入りづらい。家族であっても女性。色々あるし恵美さんのプライベートもあるし、俺は男で生物的に変な目で部屋見てしまいそうだから俺の部屋の方が安全だろう」

 赤川さんの言葉も思い出した。恵美さんはまだ何か色々あるって。そんな所に触れてはいけないことぐらい俺だって分かる。

「色々私のために考えてありがとう和人君。私の方こそ安心した」

 これでいい。今は俺の方がこの家では立場が強い構図が出来上がった。学校では日陰でも、家ではせめてサポートできる立場になろう。俺はそう決意した。

「じゃあ入って」

「男の人の部屋入るのは初めて。優子には弟がいるけど、その弟の部屋なんか入った事すらないぐらいだし、少しドキドキする」

「気にしないでね。じゃあ一緒に勉強しよう」

 その夜は静かに勉強をしつつ、加法定理の仕組みに俺も恵美さんも苦戦した夜だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る