幕間1 恵美の過去

 さっき和人君が、私が欠席した数学の授業の内容を分かりやすく教えてくれた。体育の授業、優子が家に来たこと、夕食。桜宮恵美になって数日、今日が私にとって一番重い日だった。こんなに家族に大事にされたと思うことはなかった。

「何で私素直になれないのか・・・・・・」

 私は深夜、自分の部屋の机でぼーっとする。和人君のことをこれまで冷たく接してきた。それでも和人君は私を大事に考えてくれている。下着の洗濯においてもあそこまで気を使ってくれている。

「それなのに、私・・・・・・まだ男性と一緒に暮らすことに慣れてないだけ。少なくとも和人君と泰信おじさんはいい人なのに・・・・・・」

 さっき和人君に教えてもらった三角比の問題を解く事に集中出来ない。もう明日の朝早く学校に行って予習しよう。その方が効率良い。

 私はそう思うととっさにベッドに横になった。


「・・・・・・寝られない」

 幼い時から前の父さんにエリート教育を強要させられたことを思い出した。昔の東京での生活が蘇る。

中学受験のために最難関塾に幼少の頃から通わせられた。女子校御三家に受験して日本最難関の桜曜学園は落ちたけど東京女子学園の二番手には上位で合格した。家でも学校でも勉強漬け。東大受験しか認めてくれないような毒父親。国内有数のメガバンク金融系でエリート意識が強く、トップの出世街道を歩み、常に会社の人脈が全てで昼も夜もそれだけに費やし家庭などほったらかし。株にも手を出し、金儲けのことに貪欲。土休日も会社や派閥を優先し、家のことなど何もしてくれなかった。家族で出かけたことなど記憶にない。ましてや私のやりたいことなど聞いてくれる環境ではない。

 そんな東京のど真ん中に住むエリート意識に固まった父親が大阪勤務になった時から家族の崩壊が進んでいった。転勤で東京の私立中学を退学し、大阪の公立中学に通い、優子と知り合い、仲良くなった。私は優子と一緒の学校に行きたかった。母も陰で私を応援してくれた。優子も府内最難関の公立高校を目指すことを知り、私に合わせて勉強を凄く頑張ってくれた。そんな中での出来事だった。


 今年一月後半、私が部屋で勉強していて隣のリビングから両親の声が聞こえた。

「おい春子、四月から東京に戻れる事になったぞ、恵美も都内の高校受けさせる準備を」

 それを聞いたお母さんの堪忍袋の緒がキレたことを覚えている。

「何で? 恵美は親友の優子ちゃんと一緒の高校行きたいと言っているの! 優子ちゃん、恵美のためにもの凄く頑張っているのよ。その気持ち踏みにじる気?」

「はあ? 東京に戻れる最後のチャンスを得た。まさか恵美は大阪の高校受ける気か」

「そうよ。だから高校以降も大阪で暮らしてほしい。東京の単身赴任でもいい。貴方は自分の都合ばかり。恵美はずっと貴方の都合に合わせてきた。責めて高校三年間はお願いしたい。恵美だってこの豊中市は気に入っている街だから」

 それを聞いた離婚した父さんもこれまでにない剣幕で大声を出した。

「馬鹿野郎! 俺が大阪にずっと住め? 俺の会社での地位はどうなる! 何とかこの一年大阪支社で歯を食いしばって努力して東京本社に戻れる事になったのだぞ! 誰がお前らを養っていると思うのかわきまえて物を言え!」

「それはこっちのセリフよ。絶対私と恵美は大阪に住むことを譲らない。もう私も限界。そんなに言うなら離婚しましょう。貴方一人で東京に戻って」

離婚。お母さんはそこまでして私と優子を守ってくれる。この態度に私は感動した。私は父さんのことが大嫌いだった。凄く嫌だった。これで私達は自由になれる。

「恵美。父さんと離婚して良い? 貴方も優子ちゃんと頑張っているでしょ。それだけは絶対私は守る、だから貴方は勉強頑張りなさい」

 私は感動した。でもそうなれば母子家庭。お金とか授業料はどうするのだろう。

「私が何とかするから心配しないで。恵美は勉強頑張りなさい。私は恵美を守る」

「ありがとう、お母さん」

 これ以降、私とお母さん、そして前の父さんは離婚の準備を始めた。中学卒業と同時に父さんは東京に戻った。

 これで私は勉強から拘束される。これまで勉強ばかり。好きなことが許されなかった。私はずっと好きなことがあった。やりたいことがある。それを理解しているのは全世界探しても優子だけ。一緒に歩んできたから私の事は分かってくれている。『あの』件についても優子は素直に私に合わせてくれた。それで一緒に高校受験。お母さんにも言えないことを理解してくれている。このせいで離婚してお母さんに負担をかけてしまった。私の趣味や嗜好のために。でも私はお母さんに交渉できない・・・・・・怖い・・・・・・。


「私は桜宮家の妹として、お母さんと家族を守りたいのに、全然何も出来てない・・・・・・」

 優子と見つけた本当にやりたいこと、お母さんにもまだ言えてない。和人君が親切なのに何も出来ていないことを嫌でも思い知らされる夜だった。

「私も何かしっかりしないと・・・・・・」

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