第6話 義妹と幸せを一緒に、見つけていく
土曜日の朝。今日は恵美さんとのお出かけだ。俺は今日も服装に気を使い、洗面所で髪の毛を整える。もうすぐ恵美さんの誕生日。俺は覚悟して購入した。本当に恵美さんが気に入ってくれるか。あれだけ恵美さんが欲しそうに言っていた。でも、それを渡すには恵美さんにも覚悟を決めてもらう必要がある。一か八かだ。今日が恵美さんと暮らしていて一番重い日になるのではと、俺の脳裏をよぎった。
「とりあえず、今日行くために鞄を用意して・・・・・・」
俺は鞄を用意し、その購入した物を上手く見えないように鞄に入れて恵美さんに気付かないように上手い場所に入れておく。
それにしても、恵美さんの行きたい所って何処だろう。俺は両親に大阪近郊の落ち着いた場所に行くと言っておいた。俺が好きな大阪府内の人気の少ないところ。それで恵美さんと落ち着きたい、そして俺の好きな風景などを見せたいなど、オタクのことは隠すようにして上手く両親の許可を取った。案外にも両親はお出かけについては凄く積極的に後押ししてくれてニコニコだった。
「和人も、だいぶお兄さんらしくなったな。ちゃんと恵美ちゃんを楽しませてやれよ」
「ありがとう和人君。恵美、何処にも連れてやれなかったわ。お駄賃あげるから、恵美が出来なかったことドンドンさせてあげてね」
後押しされつつ、俺たちは家を出た。玄関を出ると、俺は恵美さんに今日の行きたい所を聞き出した。
「で、両親には上手くオタク関係を誤魔化したけど、本当は何処に行きたいの?」
そう言うと、恵美さんはスマホを出して場所を示した。
「関西芸術大学。今日、文化祭で一般公開があるから、行ってみたくて・・・・・・」
関西芸術大学。それは大阪府南河内群の河南町にある、大阪でものどかな田園地帯にある関西で最も有名な芸術大学。そんなところにオタクと何が関係あるのか・・・・・・
「一応ね、その芸大には多くの学科があって、私はそこにある『コンテンツ造形学科』という物を見てみたいの。私の好きな漫画家や、『スパイチーム』の作家も実はここの大学を出て漫画家になったの。そのほか、私たちの知っているアニメ監督も多数この大学を出ているし、超有名ゲーム会社のクリエイターもここの出身者が多い。一時期は『プラチナ世代』と一学年で多くのクリエイターを生み出した。その中でもデザイン・シナリオ・主題歌の超有名トリオとそれを監督する『チームみなみやま』がユニットを組んでミリオンヒット作品まで出したほどなの。私たちオタクが好きな物を生み出すキャンパスを見てみたいと思った」
新鮮だ。これまで受験勉強づくしの恵美さんが一応そっちの方向に行きたい。とても意外なことだった。
「と言う事は、まさか、そっちの方向とか・・・・・・」
「一応、ね・・・・・・見ないと分からないし」
戸惑いを隠しきれない恵美さん。あの画力があれば、練習すればまだまだ上手くなるはず。もう隠しきれないだろ。恵美さんの本性に届く何かを感じられる。慎重にその辺りを探りながら文化祭を楽しんでいく必要がある。
「今日は、恵美さんにとって発見があるといいね」
「うん、楽しみ。和人君に分かってもらえる。行きましょう」
ニコニコ顔の恵美さん。張り切って歩いて行く。先週よりももっと自然の形で楽しみ、関われている。俺も一つ背負うべき物が出来たなと誇りに思えてきた。
最寄りの森ノ宮駅から大阪環状線を使い天王寺駅へ先ず向かう。ここから私鉄に乗り換えて最寄り駅である富田林駅まで向かう予定。そしてその富田林駅から東に向かい送迎バスを使い大学へ向かう。大阪の本当に田舎の地域にある、俺にとってもうってつけの所であり、ゴチャゴチャした都会の騒ぎから逃れられることが出来ると思った。
「ここが天王寺駅ね。乗換駅だけど、本当にここには凄く高いビルと一緒の駅だね」
「行ってみたいね、展望台に。いずれ行こうね」
天王寺駅からの乗り換えで歩いて行く途中で恵美さんは俺に近寄ってきた。ここまで来ればデートみたいな雰囲気。
「え、天王寺駅ではないの?」
「ちがうよ。ここは、あべの橋駅。同じターミナルでも私鉄と名前が違う、大阪はそう言う違う物がいくつかある」
「東京だと新宿とか、渋谷とか、池袋とか私鉄も地下鉄とかも全部統一されているのに、何か文化が違うのかな」
俺たちは乗り換えた列車で一路のどかな田園地帯にそそられ富田林に向かう。そしてバスに乗り換える。そのバスは文化祭のせいかかなりの満員。俺はまた恵美さんと距離が近くなる。
「す、凄く恥ずかしい」
周りの乗客ほとんどが若者。垢抜けた成人や、制服を着た高校生等々。自分たちと同年代の人らに見られる。それはそれで注目される。ここの方が、よっぽど俺たち二人がカップルのように見られる。
「もう少し、離れて・・・・・・」
俺はどうにもならない。人がとにかく多い。身動きも取れずしかもよく揺れる。その度に恵美さんとの距離が近くなる。早く目的地に近づいてくれ。
「和人君の、バカ」
どうにもならないまま恵美さんを不愉快にさせてしまった。
目的地に到着。ここが正真正銘の関西芸術大学。山の麓で緑豊かなところに大きなコンクリート造りの建物、山側の方を見るとシンデレラのようなお城が建っていてここは普通の、一般の大学とは思えないような個性的な建物が建ち並んでいた。その建物を取り囲むかのように多数の看板などの出し物、模擬店。更に在学生らしき若者で溢れる姿。まさに俺からしたら別次元の世界とも思える風景。
「す、凄いね。これが大学だね・・・・・・初めて・・・・・・」
俺も人と触れ合うことは好きではないが、この光景は新鮮だった。
「かなりの人だね。何処から行った方が良いのか、迷っている」
「とりあえず、周りを歩いてみよう。この建物回るだけで一日かかりそうだな」
全てが新鮮だ。コスプレをした在校生、ギターを片手に暴れ回る在校生、あまりにも自由すぎる空間。皆がそれぞれ好き勝手な格好をして自分の思いのままの表現をする。それが芸術という物なのか。俺みたいな規則で縛られたがんじがらめの人間にとってはこの休刊そのものが異質だ。
恵美さんはもう完全に周りに釘付けになっている。
「見てみて! あれ、『スパイチーム』のコスプレ!」
校舎の近くにチームファミリーのターニャ、ヒル、ゾイドの主要トリオが歩いてきた。どうやら三人とも在学生の女性のようだった。恵美さんのキラキラ感は増していく。
「すみません! 写真撮りたいですけど! 私特にターニャの大ファンです! もうその姿見てみただけでも感激! 私もコスプレしたいです!」
「もう少し落ち着こうね。写真と言ってもプライバシーの問題とかあるから、あまり迷惑かけないようにしよう」
俺は初めて恵美さんに注意してしまった。それでも恵美さんのワクワクが止まらない。
「ヌイッターとかファイクブックに載せないなら撮っても良いですよ」
優しそうに案内するコスプレ在校生。
「それなら、俺たちも集合写真で撮りますので、こいつが迷惑かけないように配慮します」
そう言いながら俺は、恵美さんのスマホを片手に恵美さんとコスプレトリオの写真を撮る準備をする。
「じゃあ撮りますよ」
そう言いながら、俺は恵美さんを真ん中にコスプレトリオの写真を複数枚撮った。
「良い感じですね。まさか貴方たち高校生カップルですか?」
そう言う質問で来るか。まあそう見られてもおかしくないな。
「まあ、関係は、あまり聞かないで下さい。でも私は幸せです。作家もここの大学出ているので凄く感激です!」
「コンテンツ学科ですよ! ちょうど私達もその作家さんに続きたいと思って今私達は勉強中です」
「そ、そうですか! 宜しければ色々教えて下さい! その学科の事とかアニメーションとか。私世界が変わりそうです!」
またしても恵美さんのテンションは変わらない。人が変わってしまったようだ。
「恵美さん、落ち着こうよ。悪いだろ」
「貴方たちはどういう関係なのかは分かりませんが、もしかして高校生ですか? それともこの大学受験したいとかですか?」
「もし、コンテンツ学科が凄く気に入ったら、考えたいです」
一瞬、俺は理性を失った。まさか恵美さん。本気でこの学校に行きたいとか考えていないだろうな。いくらアニメコンテンツに憧れ持っていても現実と理想の区別はつけた方が良いと思う。
「とりあえず、私達の学科とかサークルとか紹介するけど、良いかな?」
コスプレトリオは恵美さんに誘ってみる。
「是非です! コンテンツ学科が何しているかとか、どういう作品を作って勉強しているとか、そう言うのを見に来ました 是非とも教えて下さい! 後はもしアニメーションとか作っているチームとかそう言うのがあればもっと知ってみたいです!」
おいおい、もうここまで来れば恵美さん、この学校に入学希望していると俺に宣言しているような物だぞ。でももしかして恵美さん、今日まで俺に黙っていた、誰にも言わないで言ったのはまさか、本当にこの道を目指しているとか?
とりあえず、今は恵美さんの興味につき合うのが第一だ。恵美さんの好きな感情を壊さずに、後でゆっくり話しを聞こう。
俺と恵美さんは三人娘に案内されるがままに校舎内を巡り歩いた。キャンパス内には様々な学科が存在し、映像学科や音楽学科、建築学科などなどあらゆる芸術のデパートと言える学科が存在した。映画を作ることが最大の課題であったり、都市デザインを形取る巨大な都市模型を見せてもらったりした。その先に存在するのが例のシンデレラ城みたいな立派な建物。
「ここが、私達の学んでいるコンテンツ学部の校舎です」
何とも驚くような作りだった、外見は派手な城と思えば中は四階まである吹き抜けのエントランス。まるでリゾートホテルのようだ。
「何か、アニメに出てくるようなお城みたいですね」
「そうでしょ、それが最大の特徴なの。アニメコンテンツなんて普通の真面目な校舎では面白い物は生まれないと言う発想から建てられたの」
校舎の中も、この日に向けて色々な展示をしているそうだ。そんな慌ただしいキャンパスの雰囲気が見て取れる。
「何か、凄く刺激的・・・・・・私、今日ここにもの凄く来てみたかった。大学生になったらこう言うことがやってみたいと思っていて」
「やってみたいと言っても、趣味でやるのか本気で仕事でクリエイターを目指すのかは考えた方が良いと思うよ。本気でするなら厳しい世界。趣味でやりたいならそう言うサークルもこの大学にはあるからね」
趣味と実業。恵美さんは何処までこの趣味を貫き通したいのか。
「まあ、ここからの世界は貴方たち二人で見てね。私達の力作。二年生と三年生が中心になって展示しているの。一年生は基本的なことを学んで二年生から漫画・アニメ・ゲームなど分野が分かれる。それら作品を展示して更にプロの編集者やクリエイターにも手ほどきを受ける。私達の本気の作品が詰っているからね。じゃあね」
「ありがとうございます。楽しんで来ます。コスプレ凄く気に入りました」
「貴方たちも入学したらしてみると良いよ。コスプレすると世界観変わるし、じゃあね。カップルさん」
そう冷やかすと、三人娘はキャンパスの外に出ていった。誘われるがままに二人してとんでもないところに連れて行かれたような感覚だ。
「和人君。見てみましょう。私、凄く楽しみ」
「分かったから。恵美さん張り切りすぎ」
「何よ。気分壊さないで」
俺と恵美さんはエントランスから、校舎の中に入って色々と巡り回る。
一階の廊下から、もう既にコミックイラストが何十枚も壁一面に展示されていた。
「見てみて和人君! これイラスト! 皆プロのような上手さだね」
俺は度肝を抜いた。学生とは思えないほど皆上手い。一枚絵。ラノベのヒーローっぽい一枚絵に始まり、ネコミミの可愛い小さい女の子まで色々なジャンルのイラストが壁に並んでいる。どれもこれもプロ並みの上手さ。目を惹く。
「表現が豊か・・・・・・これはマーカー塗りだね。ほとんどがデジタルで描かれているけど未だに手塗りなんてあるね」
ある意味新鮮だ。このデジタル化が進む中で案外手塗りのイラストも珍しくない。それとも味が出るのでわざとやっているのか。
「私も、これぐらい描ければな」
何かはかない姿でイラストを一心で見る恵美さん。俺は心を惹かれた。やっぱり今日持ってきて、選んで正解だった。そこまで本気で憧れているとは。でも恵美さんは本気でクリエイターを目指しているとか? 疑問が疑問を呼んだ。
「ねえ、恵美さん。やっぱり、本気で上手くなりたいとか思うのか? まさかプロ目指しているとか思っているのか?」
「それは・・・・・・私も分からない。でも、やるからにはやってみたいと思う。私、今まで本気で自分の好きなこととか熱くなれる物がなかったもの・・・・・・」
まだ迷いがある。恵美さんに。
「今度はアニメ鑑賞でもするか?」
「見てみたい! アニメって、在学生が作成しているでしょ。そういうプロの卵の作品とかを見てみたら私も本当にこの道に行くかどうかも迷ってしまうようだわ」
本当にこの道に迷い込んでしまっている。俺たちは廊下を歩き、三階にまで城のような校舎を歩き回る。至る所にアニメ絵やゲームなど自作の作品がこれでもかという程並んでいる。そして服装も皆独特。
着いたのは一教室。何とか次の鑑賞時間に間に合った。部屋には椅子がポツポツと置かれている。完全に鑑賞用。もう既に何組かの若者が座っていた。俺と恵美さんは隣同士に座る。少し薄暗い部屋。
「何か、本当に映画館をデートしているような感覚になる」
「バカ。今日はデートでないでしょ。ちょっと恥ずかしい」
周りは友達同士だったりカップルだったり。本当に俺たちは年頃の男女同士。周りからはそう見られてもおかしくないはず。
そうしている間に上映開始時間となった。部屋が暗くなる。
初めに出てきたキャラクターは魔導師だ。
「これって、空想ファンタジーだね」
「そう言うのは得意か?」
「いいや、あまり。私はまだその世界はよく分らないしね。少年漫画のバトルぐらいしかよくわからない」
恵美さんにとって得意でない分野かも知れない。どっちかと言えば少年漫画のバトルを好んで見ているようだから。
次第にアニメは盛り上がっていき、男の主人公に魔法使いの女の子、それをフォローする大人の女性。どっちかと言えば『スパイチーム』に雰囲気が似ている。
「完全にパクリと言える構図だね。でもそう言うパクリ漫画とかも世の中に出たら出回るだろうね」
よくある展開だ。一度大ヒットしたらそれに酷使した作品が出回ること。その影響をもっと受けているのがこの作品。そしてファンタジーの主人公とヒロインは次第に盛り上がっていく。戦いを通じて愛を語る。よくありがちなテーマであったが、在校生が純粋に作っているのを見て世界観が少し変わったような気がする。
三十分の鑑賞時間を終えた。映画館でデートしている世の中のカップルの気持ちが分かった。恵美さんは正真正銘の義妹。義妹を恋愛と呼ぶ事にはタブーがある。血が繋がっていないとは言っても兄妹。妹を好きになる。LOVEの方で。それが倫理的な問題はあってもそのような雰囲気を味わってしまった。
「ここに入学したら、こんな作品を作るのだね。何か今からワクワクしてきた」
「本当にやりたかったら、うちの学校で部活立ち上げてみてそれでも作れると思うけどね」
「じゃあどうやって資金を集めるの? 部員は沢山呼べそう? 同好会立ち上げにも、最低五人いないと出来ないみたいだからね」
「そこまでまだ考えてないけど、やってみたいね・・・・・・」
その表情をした恵美さんは、何処か寂しそうな雰囲気でもあった。
その後も、他の部屋で開催しているゲームの展示とか、ラノベ投稿作の最終審査で落ちた作品の展示会など、のべつ幕無しにオタクコンテンツを満喫した。
「別世界みたいで凄く楽しかった。時間が経つのを完全に忘れている。もう三時前。本当にこの校舎だけでお腹いっぱい。屋台で腹ごしらえしよう」
「何か、俺もお腹が減ってきたし、良いけど」
俺たちは、お城のような校舎を出た。恵美さんとアニメやイラストを見てキラキラする表情を見た。だから、絶対に気に入ってくれるだろう。ここまで恵美さんがアニメの道に行きたいならそれを応援するしかない。でも恵美さんは春子さんに言い出せない。このままなら恵美さんはいずれ家族にばれてもっと辛い思いをする。でもそれも恵美さんはいずれ打ち明けなくてはならない。時間が過ぎれば過ぎるほどチャンスは逃げていく。俺はどう判断すればいいのか凄く混乱している。
「和人君、何か怖い顔しているよ。折角の文化祭だからもっと楽しく」
「あ、そうだったね」
真剣に楽しめず、恵美さんにどう打ち明けさせるか、そして「私を幸せにして欲しい」の言葉も思い出した。俺は葛藤している。いつ決心させるべきか。そしてもう恵美さんが隠れずに堂々とオタクを楽しめる環境を——。
キャンパス内の模擬店での腹ごしらえしても、ひたすらそのことだけを考え、どう切り出すかを考えた。もう帰り道で言い出すしかない。覚悟を決めて決心させよう。それしかない。
文化祭を満喫した関西芸術大学キャンパスからの帰り道のバスも、大きな混雑になる前に乗ることが出来て行きよりは随分と快適なまま恵美さんとは無言で乗車した。問題もなく富田林駅に到着した。
駅舎内に入る前にここで話しをしておかなければならない。俺は決めた。
「恵美さん、今日は楽しかったね」
「うん、とても。今日は最高の一日、ありがとうね」
恵美さんの満足感は続いたままだ。でもこのまま帰ればまた隠しごとの日々が続く。もう終わりにしなくては。
「話したいことが、あるの・・・・・・いいかな?」
「どうしたの和人君、何か変よ。楽しかったのに」
ここまで来れば後戻りは出来ない。もう言おう。
「恵美さんが本当にあの道を目指しているのは分かった。オタク文化も続けて欲しいと思う。だからさ・・・・・・」
「だからって、どうしたの?」
「もう今日帰ったら、やっぱり父さんと春子さんに打ち明けようか」
そのとき、恵美さんの表情が一変した。
「私、まだ打ち明ける勇気がない。本当は分かって欲しいけど・・・・・・」
「俺さ、恵美さんの本当にやりたいこととか、楽しいこととか分かった気がした。だから俺はこれ以上恵美さんが陰で絵を描いたりしているのが見てられない」
「私だって、本当は打ち明けたいよ。でも、私のトラウマ、分かって言っているの?」
恵美さんが真剣に怒り始めた。
「分かっているよ。でも春子さん、本当に心配している。恵美さんが何か隠しごとしてないかとか、不安があるなら言って欲しいとか。これ以上春子さんを苦しめるのか?」
「私だって言いたいわよ! どれだけお母さんが理解してくれたら本当に楽しい生活が出来る、これ以上私達が苦しまなくて良いかと。私は、これ以上家族が崩壊するのが怖い、私の趣味のせいで家族が潰れた。それが私にとって凄くトラウマなの・・・・・・分かるけど、もう少し私も時間が欲しい」
完全に平行線。恵美さんと春子さんのすれ違い。そして、どうしても一歩を踏み出せない恵美さん。
「じゃあ、このまま家族に黙り続ける気なのか・・・・・・」
更に豹変する恵美さんの表情。
「違うわよ。本当に私、怖い。その怖さ分かっているの? 貴方だってお母様が亡くなったことで生駒山を思うことが引っかかっているのと同じなの!」
俺は堪忍袋の緒が切れた。一番触れてはいけないところに触れた。そんな感触だった。
「お前、一番俺が神経質な所に触れたな。俺はあの場所で、家族が止まってしまった。お前に死別した母さんの想いが分かるとでも言うのか!」
俺は初めて力任せに恵美さんに声をぶつけた。小じんまりとした駅の中丸聞こえ。文化祭帰りの若者も俺らを避けるように通っていく。俺はそう言う雰囲気が痛い。言ってしまったような気がする。
「・・・・・・そうでしょ、貴方だって、どうしても苦しい場所があるように、私にもそう言うことを抱えている。分かったでしょ・・・・・・」
俺は沈黙した。同じ気持ちだ。恵美さんが親に言うことを避ける。それはもうこれ以上家庭を壊したくない。俺が生駒山を避けるのは母さんと死別したことを、俺の幸せな家庭が消失したことだ。
でももうこれ以上、家族をバラバラにさせられない。恵美さんと春子さんの真の苦しみから解放したい。もう、覚悟を決めるしかない。
「・・・・・・俺さ」
俺は恐る恐る声を発した。
「どうしたの・・・・・・怖い顔して」
「・・・・・・俺、覚悟を決める。まだ時間はあるよな。明日は日曜日だ。少しぐらい夜遅く変えることを覚悟できるか・・・・・・」
俺は覚悟を決めた。正直、俺にとってもトラウマだけどこれ以上新たな家族の苦しみを見るのはそれ以上に耐えられない。
「何? 門限は五時でしょ。もうそろそろ帰る時間だけど」
「父さんには門限などない。前の家族の感覚を忘れろ。これから生駒山に登る。お前は前に夜景見たいとか憧れていたな。俺、もう覚悟を決めた。俺にとって家族のトラウマとの戦いになるけど、俺は覚悟を決める。一緒に夜景を見ることが出来たら、恵美さんもちゃんと春子さんに打ち明ける。それで良いか?」
「今から、生駒山を本当に登る気?」
「そうだよ。まだ夕方前。山の麓に着く頃に夕方。そこから二時間程度登れば暗くなると同時に山頂に着く。そしたらお前の望んでいた夜景を見ることが出来る。夜景を見ることが出来るのは九月いっぱいまで。もう明日は十月一日。今日で今シーズンは最後だ。もう今日しか行ける機会はない。今日が今年最後のチャンス。そのお前の願望を俺のトラウマを乗り越えて実現させる。改めて言う。ついてくるか?」
恵美さんは迷う気持ちでいっぱいだった。しばらく恵美さんとの間に沈黙が続いた。
「・・・・・・私」
恵美さんは恐る恐る声を出す。覚悟は決まったのか。
「和人君が本気だったら、私一緒について行く。和人君がそこまで言うなら、実現したら私、勇気を振り絞って覚悟を決めてお母さんに話す。私も覚悟を決める」
難しい顔をしながら恵美さんも覚悟を決めた。
「よし、決まったな。俺は本気だ。トラウマを乗り越えてみせる。ちょうど十年前と同じ母さんと父さんと登ったルートで」
俺たちの決心は決まった。
決まると直ぐに電車に乗り、色々乗り換えて、一路生駒山の麓である石切を目指す。
午後四時過ぎ。俺たちは石切駅に着いた。生駒山の麓の鉄道を乗り継ぎ、この石切駅から登山コースで生駒山頂へ。
「石切駅からでも大阪の町並みがよく見えるわね」
「そうだろ。ここから更に登っていく。何とかこの時間ならまだ間に合う。良いかな?」
俺は決心した。恵美さんがもうこれ以上一人で隠さず両親に理解してもらう。そのために恵美さんの口から打ち明けさせる。俺が一番家族との死別に繋がった場所にもう一度向かう。そして九年前、母さんと約束を果たせなかったことを恵美さんと実現する。もう母さんの死別からは逃げない。このままだと恵美さんの魂を殺してしまう。
もう逃げない。恵美さんを引っ張っていこう。
駅を降りて、直ぐに高架下をくぐって傾斜のある道路へ。ここから生駒山へ本気で登っていく。
「和人君、本気なの? 私、言い過ぎてしまった。本当に私、和人君の一番触れて欲しくないところに触れてしまった、だから・・・・・・」
「良いよ。俺は、もう逃げたくない・・・・・・お前も覚悟決めただろ。俺は、本当にお前の口から相談して欲しい。だから、俺も母さんの死を乗り越える」
俺は黙々と恵美さんの足取りに合わせて歩いて行く。
「和人君、怒っている? もしかして」
「いいや、怒っていない」
俺は恵美さんにキツく言ってしまった。恵美さんは何かに怯えているようだった。俺の無茶振りが原因だった。でももう後戻りは出来ない。
とにかくドンドン前に進んでいく。周りの風景はもう既に山道そのもの。都市らしい家屋とかの風景が見えなくなる。周りは既に草木が生い茂る山道。そしてコンクリートで覆われた滑り止め舗装。
もう夕方前。陽は西に傾き少しずつ外が黄色くなり始める。暗くなる前に登り切らないと行けない。六時になればもう真っ暗。いくらこのハイキングコースは電灯整備がしてあるとは言えども、早く行かなくてはならない。俺は黙々と歩く。
少しずつ坂道がきつくなっていく。あの時も坂道がきつかったことを思い出した。小学生の足取りで少しずつ歩き、体の弱い母さんは父さんにフォローされながら歩いていた。それでも母さんはニコニコだった。まだ体力も余力もあった小学一年生の時のような純粋な思いだった時を思い出した。
「和人君、結構しんどい坂道だね。私、本当についていけるのか心配」
「俺も、小学一年生の時に登った以来だし、まさに九年前と同じだ。あの時も何とか自分の足で登った。恵美さんでも大丈夫だって。後ろ見ろよ。もう大阪の町並みがあんなに遠くに見えるぞ」
後ろを見れば、山からの大阪の景色。そして前にはそびえ立つ生駒山。ここが最も険しい道のり。もうアスファルトではなく木の階段が所々に目立つ。とにかく滑らないよう、足を外さないように恵美さんをフォローする。
「ねえ、和人君のお母様って、どんな人だったの?」
まだ恵美さんに母さんの話をしたことがない。
「優しく、弱虫の俺にも寄り添ってくれたかな」
「優しいって、泣いていたり、困っていたり、テストが悪くても、許してくれる。そんなお母様だったの?」
「そうだな。俺が何か出来なかったときは励ましてくれる。小一の時に読み書き計算が遅くてもずっと俺に付いてくれて分かるまで優しくフォローしてくれた」
「私の前の父さんとは大違い」
途端に恵美さんは吐き捨てるような言いぐさをした。
「和人君、私ね、本当は、私の事を分かってくれる家族が欲しかった」
「どういうこと?」
「和人君に、幸せにして欲しいなんて言ってしまった。これまで私、家族の温もりを知らないの。お金はあっても心がなかった。酷い父さんだったし、お母さんも辛かったの。家族といて楽しいと思ったことがない・・・・・・」
「でも、学校では楽しそうだし、最初の自己紹介なんてどれだけ陽キャラでアドリブが出来る同級生と思ったか。俺、正直、今日までずっと劣等感を持ってきた。恵美さんが学校でカーストの頂点で誰とでも明るいことを」
今まで話せていない、これまで隠して言いたくないことを互いに探り合う。
「あれは、優子のお陰なの。私、自己紹介の時も実は前から口合わせしていたの。私がちゃんとクラスでやっていけるようにあのような場面では積極的に私に話しかけて場を取りなすって。優子はああいう所は素直だからね。私、優子と同級生で良かった」
赤川さんはウザい。すぐ男子に喧嘩腰。それでも誰よりも恵美さんの事を想ってくれる。恵美さんの趣味を理解している。こうして俺たちが無事に暮らせているのも赤川さんのお陰。だからこそ一層に恵美さんを守らなければならないことを思い知る。
「学校、楽しいか・・・・・・」
「うん、優子が助けてくれて、そして今は和人君が色々分かってくれて・・・・・・でもまだ私は自信ない。義妹のことは」
「それは無理しなくて良いよ。俺も今は同級生に黙っていて欲しい。でも絶対にいつかは堂々と義妹でいられる環境にするから」
恵美さんの顔が赤くなった。そして下を向いた。足取りは段々遅くなった。
「それだけで十分。和人君が優しいのは本当によく分った。私はやっぱり再婚して少しずつ幸せに向かっていく努力をしないといけないのは痛感した。最初は和人君の事を信じられるかどうかも分からなかった」
「そうだよな。いくら何でもいきなり同級生が義妹だなんて俺も信じられなかったし、どうして良いかも分からなかった」
俺は考えさせられた。恵美さんが楽しそうに見えてリア充でクラスの中では上手くやれて問題がないように見えた。でもそれは大きな間違いだった。
「もう一つ聞くけど、どういう家族が望ましい?」
「やっぱり、お母さんと泰信おじさんが明るくて仲良くて、私もやりたいことが伸び伸びと出来る、もちろん和人君も好きなことを伸び伸びとやっていける、そう言う家族かな」
「俺が、何か好きなことを?」
「そう。私、和人君見ていて思ったけど、和人君は自分自身で金属に興味を持ち、一人であちこち行ってカメラ持って出掛けられる。私にはそういう自分の意思で何かをする事が出来なかった。結局家ではお母さんの顔色をうかがってばかり。お母さんを悲しませたくないから優子やクラスメイトと仲良くして皆と上手くやって——かな」
恵美さんはもっと自由でおおらかな人になりたい。でもお母さんの顔を伺う。
「どうして、春子さんの事ばっかり気を使うの?」
恵美さんの足取りが止まった。
「お母さん、離婚するまで本当に辛そうだった。前の父さんに色々キツいことを言われ、見てられないことも多かった。私のために離婚してくれた。だからお母さんには迷惑かけられない。だから私はクラスでも気を遣っていた。そんなお母さんに迷惑をかけられないでしょ」
ここまで本気で食ってかかる恵美さんを見たことがない。恵美さんもしんどいはずだ。俺が母さんの死を乗り越えて向かう先がある。こうして話すだけで九年前の自分と照らし合わせている。恵美さんといることで自分は案外にも母さんの死を気にすることがなくなってしまった。
俺はもう母さんの死のことは言わない。トラウマはなくなった。後は向かうだけ。
「もう、俺には過去のわだかまりは消えた、こうして話しているだけでも前に進める。恵美さんと出会ってなければ俺はこんな所には来なかっただろう。母さんが見たかった夜景、もう見ることが出来ないとばかり嘆いていた。でも、俺は再度この場所に来ている。それだけでも十分だよ」
「分かったわ。和人君。本当に和人君が乗り越えたことはよく分ったし、私も色々本心を話せて心が軽くなったわ」
さっきと違い少し恵美さんの表情が柔らかくなる。
「もう良いのか、言いたいことはもうないか?」
「うん、ない。理想の家族が作れればそれで私は良いしね」
そして恵美さんは明るい表情で俺の方を見つめる。
「和人君、今日ここまで来ることが出来て最高だった。私のために来てくれてありがとう」
俺は照れてしまう。なかなか笑えない。
「ど、どう致しまして・・・・・・」
「和人君、照れているわよ」
その時、ハイキングコース沿いについている外灯が一気に灯り始めた。気付けばもう五時前だった。外は少しずつ暗くなり始める。
「もう暗いね。早く登らないと暗くなってしまう」
「そうだね。あれ見て。もうあんなに大阪の町並みが遠くなっている。もう半分ぐらい登ったね」
「もうすぐ、途中に寺が見えるはずだからそこが中間点だと思う。このペースで登れば六時過ぎには山頂に着く」
そう言うと、俺は一気に行こうと思い足取りを少し早めた。この街灯に従って歩いて行けば何とか生駒山上に着く。俺が歩いて行くと、もう下山する人や俺たちを追い抜いていく登山者も見受けられた。その中には、足の悪そうな大人もいた。その大人は今にも転けそうな体制で危ないなとも思ってしまった。俺は十年前に母さんと一緒に歩いた道に、新たな家族を連れて行くことに誇りを感じる。俺は笑わないがテンションは上がる。
「恵美さん、中継点に着いたぞ!」
俺は気持ちを高めながら恵美さんに話しかける。
・・・・・・が、恵美さんからの返事がない。
俺は横を見渡した。そして後ろを見渡した——恵美さんがいない。
俺は一瞬冷や汗を掻いた。まさか。
「え、恵美さん。何処に行った?」
周りを探しても見当たらない。
俺は彼女が方向音痴なことを忘れていた。俺は歩くことに夢中になりすぎてしまった。
「俺のせいだ・・・・・・」
既に時刻は五時を回り、草木で生い茂る中継点は徐々に暗くなり始めていた。
◆◆◆
「どうしよう・・・・・・」
真っ暗闇の登山道で私はぽつんと一人になってしまった。
周りにはもう人は見えない。街灯だけが寂しそうに点灯している。
「しまった・・・・・・迷子になっちゃった」
さっきまで和人君と歩いていたのに、途中で下山している転けそうな大人を見かけてその人が転倒するのを未然に防いた。大人の人は何とか転倒せずにすんだし無事だった。
私がその大人が下山するのを見て安心したら和人君がいなくなってしまった。
・・・・・・これからどうしたらいいのか。
ここは圏外。スマホは通じない。何処に行けば良いか分からない。とにかく来た道が何処かも分からなくなってしまった。結構道が入り組んでいる。もう真っ暗になった今はこの道をまっすぐに行くのは怖い。方向音痴のまま変なとこに行けばもっと分からなくなり更に迷惑をかける。仕方なく私も下山しよう。圏外抜け出したらちゃんと連絡しよう。
そう決心し、来た道を戻っていった。
「和人君、怒っているだろうな・・・・・・」
和人君はお母様の死別を乗り越え私のためにここに来てくれたのに。このままだと、今日で終わるはずの生駒山上の夜景も見ることが出来ない。
「私、本当にダメ人間だ・・・・・・」
新たな家族になったときは冷たくあしらい、雨が降ったときにずぶぬれになってでも私に傘指してくれたのに仇で返すようなことを言ってしまった。海遊館の時もそうだった。和人君には迷惑をかけっぱなしだ。今日こそ最悪の形で迷惑をかけた。
「夜景、見たかった・・・・・・」
私は今までずっと抑圧された家族だった。お母さんも私も離婚した父さんに振り回されっぱなし。夜景はおろかろくに外出も許されなかった。私はもっと女子高生らしく友達とも遊びたいし色々お出かけもしたい。放課後の夕方にも本屋やカラオケに行きたい。夏にはプールも行きたい。そして何よりも和人君や優子らとオタクの趣味を共有したい。
私も和人君とこれから上手くやっていけそうになるはずだったのに、私のせいでこうなってしまった。確かに和人君はさっき辛い気持ちを振りしぼりお母様との思い出を語ってくれた。お母様も和人君と見たかった夜景。凄く素敵だろうな。どれだけ私は罪深い事をしてしまったのか。
「ごめんなさい、和人君。そして天国で幸せにしているお母様・・・・・・」
私は涙を堪えて下山した。
下山したら、せめてスマホで何らかの連絡をしよう。それだけだ。
気付けばもう登山口にまで戻っていた。そとはすっかり真っ暗だった。陽も完全に落ちてもう外は真っ暗。
私は留守電、メール、LINEあらゆる手段で和人君に謝った。そしてその場で立ち尽くした。登山口はもう誰もいない。そうだろうな。これは完全に私の行いの罰だ。こんな真っ暗な中で私一人取り残される。これまでの私の行いのせいだ。お母さんに何言われるか分からない。このまま帰宅しても罰を受ける。覚悟しよう。
その時だった。
「恵美さん!」
絶望的な中、暗闇の中から明るい光が差すような声が聞こえてきた。
「ゴメン、恵美さん。俺が悪かった」
そこには、私が期待していた人がいた。
「ど、どうして・・・・・・」
「俺が、ちゃんと守れてないからだった。方向音痴なのに、俺が目を離してしまったから・・・・・・」
和人君は息切れしそうな声で私に声をかけた。
◇◇◇
俺は、ようやく見つけた。あの中継点で恵美さんとはぐれて、俺は下山する人やこれから夜の中で登山する人に手当たり次第に声をかけた。
そしたら、涙からがら一人の女の子が下山しているとの情報を得た。それを聞いて、恵美さんは安全のために下山したと俺は確信した。
「ごめん・・・・・・なさい・・・・・・」
恵美さんは終に泣いてしまった。俺がちゃんと見てないからだった。
「和人君の後ろに、足の悪そうな大人が転けそうな姿勢だったから、本当に危なかったから、私そこで食い止めたの。その大人は無事だったが、和人君の姿が見えなかった」
思い出した、あの足の悪そうな大人。俺も危ないと思った。まさか恵美さんがその転ける直前でフォローしていたなんて。
「恵美さん、気にすることないよ。俺が恵美さんを誘導できない、気付かないのが悪かった。俺は今まで一人行動が身に染みて恵美さんのことを考えずに動いてしまった。俺こそ人への気配りが出来てなかった。それを思い知った。恵美さんはよくやったよ。謝るべきは俺だ。ちゃんと恵美さんを見てあげられない俺が悪い。だからもう泣くな」
相当落ち込んでいるのは分かる。もうこの時間にこれから登山するのは時間と体力を考えるともう無理。どうしたら励ませるのか。
「本当に、ごめんなさい・・・・・・もう今日で今年の生駒山上のナイターは終了でしょ。もう見ることは出来ない・・・・・・」
「お前が無事ならそれで良いよ。ほら後ろ見てみろ」
俺は恵美さんと登山口の後ろを振り返る。そこから見えたのは大阪の夜景。真っ直ぐの光に突き刺さる大阪の夜景。ここからでも綺麗な風景が見える。
「綺麗・・・・・・だな・・・・・・」
恵美さんは顔を上げ、美しい光に染められた大阪の町並みを眺める。少しは元気になったようだ。そして涙も止まったようだった。
「生駒山上には行けなかったが、これでも良い景色かも知れないな」
「そんなことないよ。私のせいで生駒山上に行けなかった。これでも十分だから。また来年、絶対に行きましょう。何度でも来るチャンスはあるから」
もう恵美さんは諦めモード。これで満足している。俺的にはもう次はない。来年になれば人間関係は変わる。俺も恵美さんも二年生でもう進路もクラスも変わることはほぼ確実。今でなければ話せない。それと、恵美さんに今渡すべき物もある。
「なあ、恵美さん。歩いて行くことは出来ないけど、まだ間に合いそう。生駒山上に行くのは」
「え、どういうこと?」
「歩いて行くのは体力的にも無理だけど、奈良県側から回ればケーブルカーがある。まだ終電は間に合う。今からでも行こう」
「お、お金、大丈夫? 私、実はもう帰りの交通費しかない」
「心配するな。俺は父さんの会社でバイトしていると言っただろ。夏休みは毎日働いていた。今も働いている。まだお金は十分にある。お前とケーブルに乗って生駒山上に行く金ぐらいならある。あそこは入場料いらないから」
本当は今日の出費は痛いけど、仕方がない。家族のためだ。
「本当に、良いの? 和人君に出費させて・・・・・・」
「良いよ。今日の機会には変えられない。俺もお前のお陰で、母さんの死と向き合うことが出来た。今まで俺はお前の言うとおり、母さんの死から逃げ続けてきた。お前がここに俺を連れてきてくれた」
「え、私が・・・・・・」
「そうだよ。そのさ、今日のこの機会ありがとう」
何か堪えきれない物を堪えている恵美さん。
「こちらこそ、本当にありがとう・・・・・・」
そう言うとすぐさまに俺は恵美さんを誘導するかにように元に来た道を辿り石切駅に戻っていく。
「こんな夜遅くに、親に連絡しないで大丈夫?」
そうだった、恵美さんは門限に厳しい家庭だったはず。
「帰りは深夜になるかも知れない。でも俺が父さんに連絡する。で、俺が何とかする。恵美さんはそんなこと気にしないで良いから。俺が責任を取るよ、行こう」
「う、ううん、ありがとう」
そう言うと、俺と恵美さんは自信を持って駅に向かっていった。何とかなった。後は俺と恵美さんで母さんが見られなかった風景を見るだけだ。
◆◆◆
私と和人君は、自分たちの足で生駒山上に登ることが出来なかった。
私のせいなのに・・・・・・和人君は何でこんなに優しいのだろう・・・・・・
今私達は石切から電車に乗ってトンネルをくぐっている。帰路につく家族連れやカップルなど列車内は人で賑わっている。それなのに私と和人君は無言状態だ。和人君も何やら難しい顔をしている。何か決心が決まったような。
一体何を思っているのか。私には分からなかった。
県境の長いトンネルを抜けると、奈良県に突入した。奈良県最初の駅である生駒駅。
「恵美さん、生駒駅で降りるぞ」
私は和人君と一緒に電車を降りた。
「恵美さん、もう迷わないようにね。俺、恵美さんをしっかり見ているし、何かあったら守るから」
私はドキッとした。ここまで和人君が優しいなんて。私は本当に和人君に甘えっぱなしだ。和人君の足取りはゆっくり。私が迷わないように私に合わせている。改札機を出て駅のペストリアンデッキを歩き、ここからケーブルカーに乗り生駒山上を目指す。
「恵美さん、大丈夫か? まだ七時過ぎ。何とか終電には間に合いそう。山頂には長居できないと思うけど良いかな?」
和人君は財布を出し、ケーブルカーの往復切符を買う。そしてファンシーな犬の形をしたケーブルカーに乗り込む。
「うん、ケーブルカー、この時間でも思ったより混んでいるな。まあ俺たちと同じ今日で見納めの夜景を見に行きたい人ばかりだからな」
私と和人君は混んでいるケーブルカーに乗る。
ケーブルカーは出発した。私はさっきと違い和人君の至近距離にいる。窓に近いところに立っていて和人君は車内の中側に立っている。
「やっと、和人君にとって九年間わだかまりがある所に私達は行く・・・・・・」
私は、和人君を振り回した。こんな時間に二人だけで行動するなんて生まれて初めて。
これまで夜の外出など塾以外許されたことがない。ましてや二人だけで遊びに行くなんて本当に初めて。一方で家族のことを気にしてしまう、でも怖くて私の事など何にも分かってくれなかった前の父さんはもう私の前にはいない。もう新しい家族。和人君。和人君は私のためにこんな時間に行動してくれている。もう私は絶対隠さない。これだけ覚悟してくれた。私も。絶対に。
「和人君、何かすれ違ったね」
私は何かすれ違う車両を目にした。
「あれは、ケーブルカーのすれ違い。ケーブルカーは上の方ロープで引っ張って動かす乗り物。同時にしか動かせないからで中間地点ですれ違えるような作りになっているの」
「もう、半分以上過ぎたね・・・・・・」
段々ケーブルカーの傾きがキツくなる。何度か後ろに倒れそうになる。
「恵美さん、しっかり捕まっていないと」
また和人君に注意された。何度目だろう。でも本気で私の事を思ってくれている。ここまで真剣に私の事を思ってくれた人は今までいない。
ドンドンケーブルカーは上に登っていく。生駒の町並みが下に見える。そしてぽつぽつ夜景が見えていく。ここからでも十分に綺麗な風景。
「思った以上に、生駒山、高いね・・・・・・」
「そうだね。幼少の時以来だな。本当に、九年経ったことを今しみじみと感じている。あの時と車両も雰囲気も変わっていない。変ったのは俺の体格だけ」
混雑する車内の中で何か真剣な表情にまた戻る和人君。本当に和人君には思うところが色々あるはず。
綺麗になる夜景を外に、私は和人君の覚悟には感謝をしなくてはいけないと強く思った。わざわざ私のわがままに動いてくれた。しかも、和人君の一番辛いお母様の死を乗り越えて。どんな光景になっても私は受け入れる。もうあと少しで山頂に着く。和人君の想いに応えなきゃ。
「恵美さん、着いたぞ! ここが生駒山上駅、もう目の前が頂上」
ケーブルカーは山頂に着いた。
「さあ恵美さん、着いたぞ。夜景見に行こう!」
張り切る和人君。さっきの真剣な顔から一転して少しは笑顔が戻ったようだった。
降りる沢山の乗客と共に私と和人君は、山上駅を降りた。すると、正面玄関に『生駒山上遊園地』と書かれた幕があった。これから夜景を見ることになる。
◇◇◇
何とか俺たちは無事に生駒山上遊園地に到着。今日が最後だからそれなりに山上遊園地は人が集まっている。若いカップルに家族連れなど。遊園地の乗り物はもう今日の営業は終了している。俺たちは一目散にあの夜景の場所を目指すだけ。
「やっぱり混んでいるわね。最後の日だけあって」
十年ぶりの風景。もうあの時と乗り物とかベンチとかは変わっていたが、雰囲気は十年前と変っていない。懐かしい。昔の幸せだった日が蘇る。
そして俺たちは、生駒山上の展望台に到着した。
「凄く綺麗・・・・・・これが、百万ドルの大阪の夜景だね」
目の前に広がる夜景に、俺たちは透き通った瞳を輝かせながら見ていた。
恵美さんは気持ちがうるっとしている。無理もない。ずっと見たかった風景。初めての自己紹介の時から夜景に憧れていた。その抑えられない気持ちが今爆発したのだろう。
「あんな所から、回り込んできたのね・・・・・・」
回り込んできた。恐らくさっき迷い込んだ登山コースのことだろう。見下ろせば、恵美さんとはぐれた中継点。あんな所から大回りしてここに来た。
俺も色々なところを一人で向かったけど、こんな感動する景色は初めてだった。
暗闇の中、前には大阪平野一体がまばゆい限りの金色の光で覆われている。そして目前には金色の光の線が大阪平野を真っ直ぐに突き刺しそれが大阪湾を刺しているような風景だった。
「恵美さん、あの真っ直ぐな光の奥のあそこが、俺たちの住んでいる所」
「そう見ると、本当神秘的ね・・・・・・」
「ここに来られて、本当に良かったか?」
「うん、私凄くうれしい。今まで私こんな風景は見たことないし、本当に今生きていて幸せを感じている」
嬉しそうな声で語った恵美さん。
「お母様も、この景色を見たかったのね・・・・・・和人君。お母様と約束を果たすことが出来なかったけど、和人君は本当にお母様の死を乗り越えて、ここに来られたのよ。そしてお母様との約束を果たしたわよ。死を乗り越えてここに私を連れてきてくれた。私、本当に和人君の事を尊敬している」
俺は自信を持って風景を見る。そして気付けば涙がこぼれていた。
「母さん。ありがとう。俺は幸せを見つけることが出来ました。母さんが見たかった風景。俺は新たな家族と一緒に見ることが出来ました」
ずっとずっと見ていたい。俺はこれまで真剣に笑うことがなかった。でも今日は違う。俺はこの風景を見て十年ぶりに、まさに十年前の母さんと風景を見たあの日ぶりに、心から笑うことが出来た。
「和人君。どうしたの。涙がこぼれているわ」
優しい恵美さんの気遣いに俺は一層癒やされる。
「母さんのことを思い出しただけ。俺は母さんの死を乗り越えた」
「だから嬉し涙だね」
恵美さんは俺の事をよく見ている。俺は何で今までこんなに暗かったのか。色々なことから逃げていたのか。誰にでも素直になれなかったのか。自分の歯がゆさ弱さが嫌になる。
「俺は、この瞬間まで本当に穴が空いていた。父さんの言うとおりだったよ。この再婚は成功だったと思う」
「和人君がしんどかったのは分かるわ。私もずっと辛かった。これからは二人で色々楽しいことを探していこうよ」
自信を持って話す恵美さん。今日は恵美さんのお陰。本当に今までで一番可愛い穏やかな表情をしている。俺は顔が赤くなった。
「でもまだ恋愛感情を持ったらダメだよ。私は家族としてベリーライクだからね」
恵美さんは俺の方を見て寄ってくる。
この展望台も人が多い。なかなかこうして人生観を語るのが恥ずかしい。俺たちは少し離れた方が良いかも知れないな。
「恵美さん、もう少し離れた場所から見てみないか?」
「良いけど、和人君、信用しているから私を誘導してね」
これはチャンスだ。俺は決めた、このタイミングに渡そう。凄く良いタイミングだ。今日のこの瞬間。狙っていた。予想以上に盛り上がる、絶対気に入ってくれる。
そう決心すると、俺はその展望台を離れた。
遊園地内の少し離れたベンチ。ここも人通りは少なくないが展望台ほど人はいない。ここならゆっくりと恵美さんと過ごせる。
「ここからの風景も、決して悪くないね」
草木は生い茂り、さっきよりは夜景も覆い隠れてよく見ることが出来ない。それでも、恵美さんと二人っきりになれば俺は幸せ。
「素敵だね。こうして二人で過ごせる空気は」
「何か、本当にカップルみたいだね・・・・・・」
「でも義理の兄妹。カップルに見えても」
そうだった。言ってはならない。
今がチャンスだ。俺は心を決めて話しかける準備をする。
「あの、恵美さん・・・・・・」
「改まってどうしたの? さっき言ったとおり告白なら受け付けないよ。まだダメよ」
俺はそう言う冗談交じりの言い方をする恵美さんを見ながら鞄から例の物を取り出した。
「恵美さん、一日早いけど誕生日おめでとう」
俺が出したのはペンタブレットと、イラストソフト。あれだけ恵美さんがイラストを書くことに憧れていた。このまま恵美さんの可能性を潰してはいけない。今日、文化祭を見てその後に渡す予定だったが、こんな所で渡す羽目になった。俺は家族に内緒でこっそり格安のソフトとタブレットをこのタイミングのために用意した。
「和人君・・・・・・これって、本当に私のためのプレゼントなの?」
恵美さんは未だに信じられない疑いを持ちながら恐る恐る話しかける。
「恵美さん、どうしてもイラストを描きたいだろ。恵美さんが絵を描きたい、そう言う真剣な態度を見て俺は恵美さんを助けたかった。イラストを描いてその能力を伸ばせば、どれだけ幸せになれるか」
完全に沈黙する恵美さん。信じられなさそうに俺の方を見る。
「か、和人君。本当に、良いの? ペンタブとソフト、凄く値段の貼る物でとても私達のお小遣いなんかじゃ買えない。本気なの? そんな高価な物・・・・・・」
「プロの使う物は本当に高いけど、そんなに大きくない物なら五千円ぐらいで何とか購入できた。こっちのイラストソフトもそれぐらい」
「どう考えても一万円・・・・・・恐ろしすぎる。そんなお金、何処にあったの・・・・・・」
口元をふるわせながら恵美さんは俺に尋ねる。
「俺さ、夏休みずっと家のバイトをして、かなりの給料を稼いだ。それで一泊二日の旅行に行き、カメラを買い、それでもお金が少し余った。またバイトすればそんなお金はすぐに貯まる。それよりも・・・・・・」
俺は、覚悟を持って言いたい。気持ちを高めて恵美さんの方を見つめる。
「俺は、お前を幸せにしたいと思っているからだよ!」
言ってしまった。半分告白みたいな物。ラノベでもあることだが、この年代の男子が好きな女の子に高価なプレゼントを渡す。まさにそう言う感覚。俺は恵美さんにもっとイラストを描いて欲しい。本当に描いている時は恵美さんの表情は幸せそのもの。俺はその恵美さんの幸せを維持させる。これで家族を幸せにさせる。
「私、本当に嬉しい・・・・・・」
恵美さんの涙腺が崩壊した。
「私、本当はもっと周りに隠さず堂々とイラストを描き、漫画やアニメの方向に進みたいと思っていた。だから今日ももの凄く見に行きたかった・・・・・・」
瞼に溜まった涙が頬から落ちていく。その涙はさっきとは違う涙だった。
「凄く欲しかった。お母さんにも相談できない物まで手に入った。和人君、私決めた。これから帰ったら、私お母さんに打ち明ける。私の好きなことを正直に言うね」
「ようやく自分のやりたいことを見つけたんだよ恵美さんは。俺も本当に嬉しい。今日この瞬間の恵美さんが一番美しい」
俺は、ペンタブとイラストソフトの箱を二つ、恵美さんに差し出した。
「ありがとう、和人君。私これで最高の絵を描くね」
「それよりも、恵美さん。今日の文化祭、本気でクリエイターになりたいと言っていたけど、本気なのか? その本気の度合いが俺はどうしても気になっている」
「今日文化祭に行って私、凄い刺激を受けた。皆絵は上手いし、アニメも大学生が作成した物と思えない。ああいうのを皆で作りたい。そう言う勉強を私どうしてもしたいの・・・・・・このイラストソフトで上達して、イラストでも脚本でも良いから、何か自分たち生み出すことを本気で勉強したい」
涙を啜りながら素直な表情になる恵美さん。でもその眼差しと口調はこれまで過ごしてきた中で最も鋭く、本心を貫くようだった。
「これまで、勉強漬けだったからね。そう言う中で、見つけたのだね。自分の好きなこと」
「うん、今までずっと隠していた。今日の事は優子にも言えなかった。和人君の事を本気で家族だと思ったから。和人君に分かってもらえて嬉しい」
俺は母さんが亡くなって俺の心はずっと穴が空いた状態だった。ずっと生きているか死んでいるか分からないまま自分の殻に閉じこもっていた。それまで父さんとの二人暮らしが続き自分という物を見失っていた。このまま誰にも必要とされないまま、自分も人を拒絶したまま生きて来た。
その俺の中を覆う殻がこの瞬間破れた、そんな瞬間を実感した。
「俺も、嬉しい。九年前母さんとこの景色を見た、あの日に俺も戻ってきた。ずっと俺はこの場から逃げ続けて生きてきた。その逃げてきた場所が、俺の人生の再始動の場所になった。恵美さん、ここに連れてきてくれってありがとう」
涙ぐんだ瞳を輝かせた恵美さんは、俺の方をしっかり見つめた。
「それを言うのはこっちの方だよ。私ね、本当はもっと色々な表現をしたいし自分らしく好きなことをしていきたい。両親の顔色ばっかりではなく、自由なことがしたい」
「分かったよ。帰ったらそのこと正直に話そう。俺、絶対に恵美さんの立場で答えるから言いたいことはしっかり言って良いよ」
「本当に・・・・・・信じるよ」
「うん、約束」
俺は確信した。恵美さんに必要とされている。恵美さんを幸せにする。その実感を。絶対に恵美さんを守る。その役目が出来た。
「無理しなくても、学校ではしばらくは別人でいて良いよ。二年生になると文理は分かれる。俺は理系に行く。恵美さんは文系だろ。その時になれば『桜宮恵美』で正式に学校で過ごせるから、それまでは静かに過ごそう」
「それで、良いの? 本当に和人君理系で良いの?」
「良いよ。俺も決めた。この瞬間から止まった時間が動き出した、俺は理系に行くって決心が固まった。恵美さん、数学苦手だろ。それに本気でクリエイターやると決めたでしょ。それなら文系だよ」
「それに、まだ私を学校でかくまってくれるの? 良いの?」
「大丈夫だよ。でも赤川さんとか友達には正直に話してね。赤川さんはウザいけどあれだけ本気で恵美さんの事を思って行動してくれる。良い友達だよ。蒲生だってああ見えて口は硬い信用出来る男。絶対三月までは黙ると約束してくれた。恵美さん、本当にクラスで恵まれてよかったね」
「う、うん。私は和人君が優しいことで大満足!」
言いたいことは全て言えた。もう満足だ。
「この時間が、長く続いてくれれば良いね」
「そうだね、私は幸せ。こうして二人で入れる環境が」
「でも、もうすぐこの山上遊園地も閉まってしまう。楽しい貴重な時間は一瞬だ」
これ程恵美さんが直近で俺に幸せそうな顔を見せたことはない。俺は恵美さんを幸せにすることが出来た。約束は果たせた。
「なあ、最初に言ったこと覚えているか?」
「何だっけ?」
恵美さんはとぼけた顔をする。それがまた可愛い。
「私を、幸せにして欲しいと言った。あの時の顔とはまるで別人だ」
「そうだったね。でも本当に和人君成し遂げてくれたね。本当に有言実行してくれた、本当はもっと気難しくて上手くやっていけるか心配だったけどもうその心配はない」
「そんな風に俺の事見ていたのか?」
「うん、最初は。本当に和人君信用出来るかどうか心配だった。クラスで暗いから」
「お前、本当にズケズケ言うな」
「それだけ和人君に言いやすいほど関係が深まったからね」
本当に言いたい放題だ。でも本当に表情が柔らかい。本音を知れた。そう言うように見られたとは。今では笑い話しだが。
「さあ、もう帰ろうか。早く帰らないとケーブルカー終わってしまう」
「そうだね、帰ったら両親に報告。もう準備は出来たわ、帰ろう」
俺たちはもうすっかり真っ暗になった生駒山上遊園地を後にする。もう営業終了時間に近いせいか客もまばらであった。帰りのケーブルカーも比較的空いていて俺たちは窓側の二席を確保できた。
「生駒の町並みでも夜景が綺麗だね」
ドンドン降下するケーブル、今日一日が長く感じた。でもまだ最後の仕事がある。二人で浸っている間に生駒駅に到着した。
ここからは、地下鉄方面に向かう路線一本で家に帰り着くことが出来る。そのホームに俺たちは向かった。
「このホームの電車は、普段乗り慣れていたから分かるけどこうして乗ると同じ電車でも全然雰囲気が違うね」
「そうだよな。俺も九年ぶりだな、このホームに立つのは」
この路線は、大阪中心部から生駒山を貫き生駒まで向かう路線。最寄り駅からここまでの間ずっと拒否し続けてきた路線。今となってはもうそれをたった今乗り越えた。九年ぶりに見る風景がどのようなものなのかを知ることが出来る。
大阪方向へ向かう電車は白にオレンジとアクアブルーの帯を巻いた車両。時間はもう既に二十一時。もうすっかりガラガラになったこの車両に乗って帰りつく。
電車は出発して、すぐにトンネルに入る。行きのトンネルとは違い、すさまじいモーター音で生駒山を一気に下がるトンネル、俺は恵美さんの横に座り何度か恵美さんの方に傾きかけた。恵美さんに話しかけても全然聞き取れなさそう。
生駒山の長いトンネルを抜けると大阪平野のど真ん中を貫く道路と並行の高架橋を走り抜いていく。車窓にはさっき登った生駒山。まだ遊園地のあたりが微妙に明るい。
「あの山頂からここの景色を見たわね。それで、あの山肌の光が灯るあの辺りで私は迷子になったね。ここから見ると感慨深いね」
「そうだね。あの山を俺も克服できた。俺は母さんの約束を果たした」
「そればっかり和人君。でもこの電車の高架からの景色もすごくいいよ!」
高架の下から見えるのはさっきの生駒山から見下ろした夜景に劣ることのない風景。暗闇の中に無数の光が輝いている。ここからの夜景も決して生駒山頂に劣る物ではない。
「あ、高架に入ったと思ったら高速道路の下に潜っちゃった。さっき生駒山から真っすぐに伸びる光の帯見ただろ。この高速道路なのだよ。こうして乗ると感慨深いものがあるね」
「そうだね。私そもそもこんな時間の電車なんて生まれて初めて。夜遊びしているみたいで本当に不良少女になった気分」
「恵美さんは不良なんかにならないよ」
「そういうこと言われたら服装とか髪型もイメチェンしようかな、不良少女みたいに」
「何てこと言うの。恵美さんには似合わない。やめておけ」
「でも私本当に金髪とかへそ出して歩いている若い女性に憧れている。学校の休みの間だけでもオシャレしたい」
恵美さんが本当に不良かギャルに憧れているなんて。でもそれは恵美さんがずっと我慢してきた思いだったのだろう。でも恵美さんは笑顔が溢れて余裕のある表情。そして列車は急勾配を抜け、一気に地下トンネルに入る。
地下トンネルに入り一気に地下鉄らしき雰囲気になっていく。
「この路線、凄く面白いね。山からトンネルを抜けて空中散歩して高速道路に蓋をされて一気に地下に潜る、それでこの路線は海に向かうのでしょ、この一週間で一気に魅力を持ってしまったわ!」
九年を経て、俺は変わることが出来た。同じ路線でも家族と乗った最後のあの日を思い出した。そして今乗っているのは家族であることは変わらないが同い年の義妹。同じ路線、同じ電車で見えているものが全く違う。それも確認できた、俺も一緒に幸せを見つけることが出来る。そう確信した。
互いに妄想に浸っている間に家の最寄り駅に到着した。何時ものように改札機を通り抜けて、家に向かって歩いて帰る。
「恵美さん、覚悟はできているよね」
「何も怖くない、もう準備はできたよ。私の方は」
恵美さんは明るい眼差しで俺の方を見て楽しい足取りだった、俺以上に。もうこの様子なら俺は安心した。後は両親の反応を待つだけだ。
◇
夜二十三時。俺たちは家に帰り着き、どうしてこんな時間まで帰って来なかった経緯について説明した。そして両親を食卓机に座らせて俺と恵美さんを横に、真向いには俺が父さんに向かい、恵美さんが春子さんに向かう位置に座り、恵美さんの件についてテーブルの真ん中にペンタブとイラストソフトを置いてゆっくりと話をした。
そして、恵美さんは全てを両親にしっかりと説明することが出来た。
「そ、そうだったのね……恵美の気持ちに私全然気づいてなかったね」
春子さんは、恵美さんの気持ちに向き合えなかったことをひたすら贖罪するかのように自分を責め立てていた。
「そういう趣味があるのだったら、何でちゃんと話してくれなかったの? でも私、本当に恵美の興味ややりたいことに向き合ってあげられなかった私がバカだったね。恵美、本当にごめんね。今まで向き合うことが出来なくて……」
春子さんは泣き始めた。
「お母さん、私もゴメンね。ちゃんと本当のことが言えなくて隠してばかりで」
恵美さんも下を向いて半泣き状態になる。
「良いのよ。恵美はまだ子供なのだから。好きなことを見つける権利なんてあるのよ。我慢したらダメ。恵美が何かをやりたいなら私はどんなことでも応援するわ」
「大学だって、私、和人君と今日文化祭見に行って確信したの。そう思うこと自体離婚前の家族なら思うことすら許されなかった。私に東大行け、勝ち組になれ。そんなことしか言わなかった。だから、お母さんにもそんなこと言えなかった……」
今までの時間を取り戻すかのように、春子さんは恵美さんのことを見つめる。
「和人君、本当にありがとうね。恵美が本当のことを言えたのは全て和人君のおかげ。それに、こんな高価なペンタブレットにイラストソフト。本当にこんな高校生の誕生日プレゼントとは言えないようなもの、恵美がもらって良いの?」
「もちろんです。そのために恵美さんを連れ回しました。俺も恵美さんと一緒に過ごして一人の家族を大事にする、そんなことに気付かされました。ずっと隠していて、引っ越しの時の段ボールから始まりました」
段ボール。あの時の謎。あそこの段階から恵美さんは隠し事していたのが分かった。それをこの場で俺の口から言ってしまうなんて。
「あの段ボールも恵美が凄く大事そうに仕舞い込んでいたから何か怪しいとは分かっていたけど、今その隠し事の謎が解けたわね」
引っ越しの時から怪しいと思っていたのか。春子さんも恵美さんの隠し事をすごく気にしていた事が分かった。やはり色々おかしいことに気付いていた。
「それにお母さん、私、第一志望は今日見に行った関西芸術大学にして良い? 今まで東大行くための勉強を強要されたけど、どうしても進路変更したい。落ちたらせめて普通の国立大学行くから、お母さん、大変でしょ。お金。私奨学金制度使うから」
春子さんはにこやかな表情になる。
「恵美、何言っているの。そんなの子供が気にしたらダメ。子供がやりたいことはやらせてあげなくてはならない。親として。実はね、私こそ恵美に隠れて法律の勉強していたのよ。離婚の時も相続であの人から恵美が大学に行くまでの生活費相当を勝ちとるために。ちゃんと勝ち取れた。だから恵美が大学行くお金はもう既に持っている。だから気にしないで」
「え、お母さんも私の陰でそんなことしていたの……あれだけお金に困っていた表情していたのに……」
「それはね、泰くんが良い人だからね。奏くんと出会って私確信したの。この人となら恵美を幸せにできると。それに和人君と言う凄く頼もしいお兄さんだったから。恵美、本当にこの再婚は私、成功したと思うよ」
恵美さんだけでなく春子さんも隠し事していたのか。春子さんも本当に恵美さんを守るために大変だったと言うのが分かった。
「春子さん、恵美ちゃん。言ってくれたね。今まで苦しかったことをよく話してくれた、嬉しいよ。俺も」
「泰信おじさん、私が何しても良いですか?」
「当然だよ。家族だから。もう」
一瞬父さんの声が止まる。
「恵美ちゃんはもう“家族”なんだから」
父さんは躊躇なく恵美さんに言う。その目はとても温かい優しいお父さんを絵にかいた
表情だった。
「私は、離婚した時も私の趣味が原因で怖かったです。あの人は本当に怖かった。泰信おじさんが優しすぎて怖いほどです。ありがとうございます」
恵美さんももう涙目であった。今日何回泣いているのだろう。
「父さん」
俺は決心を決めるように言った。
「父さん、俺、やっぱり大学に行くよ」
「和人、どうした。あれだけ捻くれて高校も辞めたいまで言ったのに」
俺は話した。今日の生駒山のことも。母さんの死を乗り越えたこと。夜景を見る約束を家族と果たしたこと。それを乗り越えて小学校の時に持ち続けた夢を追いたいことを。
「和人も今日、母さんの死を乗り越えたと言う事か。お前も本当に立派に育った。やっぱり恵美ちゃんに感謝だね。お前は最近本当に変わったと思う、だいぶ積極的になってきたというか、責任感が出てきたというか」
そうだ。俺の気持ちも小学一年生からやり直しだ。俺は機械工学科を専攻する。今仕事している金属の勉強をしたい。そして父さんのように飛行機とかの設計をしたい。将来は空飛ぶ乗り物を発明したい。そういう夢を追うことがやっと動き始めた。
「俺は、小学一年生からやり直すよ。母さんと生駒山登ったあの日から今日まで止まっていたけどな」
「和人君も克服できたのね。私もすごく心配していたのよ。由美子さんとの約束をしっかり果たせてよかったね。これで私も二つの喉の骨が取れたわ」
「もう気が楽になりました。今日、まさに母さんが帰ってきてくれたように思います。何か懐かしい、小学一年生のあの日に戻れたような」
「お前にとっても、もうそれは家族に溶け込んだということだよ」
父さんが不意に俺に言ってくる。
「和人、それはな、お前が恵美ちゃんと春子さんを家族と思えるほどお前の心に幅が広がったということだ。何か恵美ちゃんとあったのは分かる。俺はお前と恵美ちゃん見てきたからな、それが親という物だ」
前の時と違い、明るく堂々と父さんは誇り持って言い尽くす。
「とにかく恵美も和人君も辛い過去に勝った証拠だよ。二人とも好きなことを見つけたから、これからはそれを応援しているよ。恵美もやると決めたらしっかり続けなさいね。折角和人君がプレゼントしてくれたから」
「うん、もう明日から練習するね。本当に私皆で何か作品作りたいな」
もう恵美さんは先のことを考えている。今日の文化祭の出し物ぐらいのことをやりたそうであった。俺も応援しよう。
「よし、今日から桜宮家、やり直しだ!」
父さんが張り切って言った。これでよかった。本当に望むような状態になった。
絶対これから俺たちは幸せになれる。そして楽しい日々が続く。
「由美子は帰っては来ないけど、俺からしたら春子さんと恵美ちゃんが来てくれただけでも帰ってきてくれたと信じている。家族だからね、恵美ちゃん」
「はい、泰信おじさん凄く優しくて、私が本当に欲しかったお父さんが来てくれたと思っています! 和人君も優しいお兄さんです!」
「恵美、よかったね。和人君が優しい思いやりのあるお兄さんで」
俺は一瞬照れた。くすぐったい。優しいお兄さん。響きが良すぎる。こんなこと生まれて初めて聞く言葉。兄妹の存在を強く感じる。
もう日が変わる時間であったが家族四人が暖かな目で互いを見合って、静かながらに優しい温もりを感じる時間を共有できた。もう恵美さんは大丈夫だ。俺は恵美さんをどこまでも守りたい。そしてこれから時間をかけて二人の時間は増えていくだろう。俺は恵美さんを幸せにする。
そう思いながら、俺は寝る前に仏壇に向かい、天国で幸せにしている母さんに手を合わせてそのことを誓った。恵美さんも後ろで優しく手を合わせてくれた。
義妹になった同級生の美少女と、幸せを模索していく日々 @sumiyosinatsuki
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