幕間2 和人の過去

俺が小学校に入学して間もない春。俺と父さん、そして母さんと三人で楽しく過ごしていた時があった。あの時は父さんも日本を支える飛行機の開発をする事に熱意を抱いていた。母さんは優しく俺は当初から友達の輪に入ることが苦手で、絵本を読むことやブロック遊びをすることなどでフォローしてくれた。そのお陰で幼少の時に飛行機を作りたい、高い所から眺めたいと山や高層ビルに登ることに憧れを持った。


 小学一年生の五月、俺は父さんと母さんと三人で生駒山に登った。

「和人、見てみて、あれが大阪の町並み」

 母さんの言葉を思い出した。初めて家族で大阪の側から登った生駒山頂。そしてその生駒山上遊園地。そこから見る大阪の町並みは格別だった。生駒山頂から伸びる高速道路と鉄道。そして今住んでいる当時の祖父母の家。更に繋がり大阪のビル群を貫き、最後は大阪湾を望む風景。

 その姿に幼げな俺でも感動したのを覚えている。

「お母さん、お父さん。これが大阪の街だね」

「和人の足で登ったのだよ」

 俺は覚えている。生駒山に行ってみたい。そして遊園地に行ってみたい。母さんは生まれつき体が弱く、俺を産んだ時もかなりの難産だったらしい。生まれてからも入退院を繰返すことが多く、俺はよく父さんの実家、すなわち今住んでいる家によく預けられた。

 あの時母さんは俺のために無理してくれていた。よく覚えている。

「由美子、和人のために今日は無理して悪いな。体、大丈夫か?」

「ええ、私は平気よ。自分で生駒山を登りたいと思ったの。和人の事だけではないわ。私の想いもあるの。貴方はそこまで気は使わないで欲しいわ」

「お前は本当に優しいな」

「ええ、和人のためだもの。和人。山頂の遊園地から見る大阪の姿は格別でしょ」

 俺はとにかく嬉しかった。これまで外に出ることが少なく、外の空気をあまり吸わない内向的な性格でこう言う光景を見られたことを。世界観が変わった。

「この風景ね、夜になったら宝石のように輝かしくなるわ、凄く綺麗だわ」

 母さんが頂上から大阪の町並みを見つめる姿が愛しく思った。

「僕も、夜にこの風景を見てみたい。いつかお母さんが元気になって夜に行きたいね。いつかお母さんとお父さんと一緒に夜の街を見てみたい」

「でもここは夏しか夜は営業してないぞ。それに和人らが夜に来るようになるにはまだまだ大きくならないと行けそうにないな・・・・・」

「何で? 僕は大丈夫だよ」

「和人は夜八時半に寝るでしょう。ここが綺麗になるのは夜の七時から十一時ぐらい。もう少し大きくならないと難しいね」

「もう少し学年が上になれば行けるかもね」

 夜の概念は分からなかったが、とにかく生駒山頂の風景に好奇心を滾らせていたことがとても懐かしく感じた。

「じゃあ和人、約束。お母さんはいつかここに夜に行けるように体を元気にする。だから和人も勉強も学校も頑張りなさい、そして和人もしっかりして逞しくなりなさい。時間はかかって良いからね。その時に一緒に夜に行きましょう」

「分かった。僕は勉強も頑張るし、学校でも友達を作るように頑張るよ!」

 それが、母さんとの約束だった。

 俺は、この日の山登りで見た風景と母さんとの約束は忘れられなかった。


 しかし不幸が起きた。山登りの翌日、母さんは心臓発作を起こした。そのまま救急車に運ばれて病院に運ばれたときには命を引き取っていた。

 俺はあの日のショックは忘れられない。自分をこれでもかという程責めてしまった。

 父さんにも、俺が母さんに無理をさせたせいで母さんが死んだと言って自分をもの凄く責め立てた。

「全部、僕のせいだ・・・・・・僕のせいで母さんが無理をして死んでしまった・・・・・・」

 父さんはこの言葉にもの凄くショックを受けた。父さんこそ、母さんを止めなかった俺が悪い、和人は悪くないと責め立てていた。

 もう母さんとの約束は果たすことが出来ない。

 それから俺の人生は変わってしまった。何をしても真っ青な感情、学校でも家でも笑顔を見せることが全くなく、毎日家と学校だけの往復。父さんも会社を辞めて祖父母の実家に戻り工場の後を継ぐことになった。父さんも航空機を開発する夢を捨て、俺も母さんのために頑張る術をなくした。

 目標を失った父さんと俺の父子生活。生駒山に登ったせいでこうなった。自分が行きたいと言い出さなければ良かった。それなら目標など持たなければいい。その後小学校の学年が上がり中学になっても最低限のことだけ頑張り、人と何かを分かち合う。そういう事を避けて今まで生きてきた。

 恵美さんと春子さんが家族になっても、亡くなった母さんへの罪悪感は今でも俺の体を覆い尽くし、常に俺の心を蝕んでいる。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る