洋上コンジェスション

 七日後、寒々しい灰色の波が揺れる統京の海辺には、人々が押し寄せていた。


 厳重なテープで仕切られた洋上列車の駅舎の前を報道陣と野次馬が埋め尽くしている。記者たちはカメラを構え、民衆と殺し屋は羨望と不満の眼差しで、第二統京に移住する権力者たちを見つめていた。


 ヴァンダはネクタイを締め直しながら招待客の列に並ぶ。

「冬の海とは思えねえひとだかりだな」

 新調した黒いドレスを纏うエレンシアが微笑を返した。

「これからパーティだというのに浮かない顔ですね、ヴァンダ」

「魔王が侵攻してきたときを思い出す。あの時も金持ちだけが船で逃げて、貧民たちはああして眺めるだけだったからな」


 エレンシアは表情を曇らせ、人波を一瞥した。記者たちに紛れるロクシーとシモスが頷き返す。



 ヴァンダはふたりに軽く手を振り、エレンシアに囁いた。

「結局、お前の招待者は誰なんだ。統京の土地持ちはだいたい殺し屋嫌いだろ」

「殺し屋が嫌いでも勇者が好きな者はいますよ。特に勇者時代の恩義を重んじる辺境伯はね」

「辺境伯ってことは、今の淵境監督府か? そりゃ土地持ちのひとりだが……六十年経った今は表舞台にも出ねえし、いるかも怪しい存在だろ」

「ご心配なく。由緒正しい御本人です。口を開けばすぐに辺境伯の末裔だとわかりますよ。ちょうど来ました」


 列の末尾に最後の参加者が並んだ。

 灰褐色の髪と色素の薄い瞳を持つ、壮年の男だった。他の権力者たちとは異なるこけた頬と暗い表情が無機質な印象を与える。背後には、彼と同じ髪と瞳の部下ふたりが侍っていた。


 男がふたりに気づいて近づいてきた。エレンシアが深く身を折る。

「淵境監督府ワシューザン。お招きと遠路からのお越し感謝します」

 男が乾いた唇を開いた。

「構わんがん。勇者には先々代がぼっけえ世話になったけんな」

 統京では耳にしない、強い訛りだった。


 呆気に取られるヴァンダを余所に、ワシューザンは淡々と返す。

「しゃあけど、エレンシア。ええんか。でえれえ敵が来るみてえじゃが、俺ん処にはもうろくな兵やこ残っとらんぞ」

「お借りしたいのは兵力ではなく権力です。ここからは何が起こるかわかりませんから。都議たちに不穏な動きがあれば、元辺境伯の特権で待ったをかけていただければ」

「戦いの前の戦いか。物事はうったてが肝心だけんな」


 エレンシアは首肯を返す。

「もし、議論で収まらない場合は我々が出ましょう。伯爵にはご迷惑をかけませんのでご安心を」

「若えのにきょうてえ女じゃ。あんまり期待したらおえんぞ」


 ワシューザンはヴァンダを眺めて軽く会釈すると、踵を返した。エレンシアは得意げに言う。

「どうです、本物の辺境伯だとわかったでしょう?」

「いまいち釈然としねえが……」

「何が不満なんです」

「何でお前は普通に会話できるんだよ」

 灰褐色の髪が、煌びやかに着飾った人々に紛れて見えなくなったとき、列が動き出した。



 第二統京までの道は、海だった。

 雲間から射す陽光で燦然と輝き始めた水面に、一際輝く光の束がある。岸辺から海上へ、レールが一直線に敷かれていた。

 その上には、真鍮色の体躯に金枠の丸窓を備え付けた水上列車が乗っている。

 列車はパーティの招待客を乗せて海へと滑り出した。



 天鵞絨張りの車内は、高級な酒のグラスを片手に笑い合う客たちの声で満ちていた。


 ヴァンダは指定された座席に座り、彼らを横目で睨んだ。

「海を渡る列車か。金持ちの考えることは突拍子もねえな」

「いい手だと思いますよ。統京の流通は陸路がほとんどですから、航海に特化した魔王禍はほぼいませんし、海賊も絶滅しました。危険は少ないのでは?」

 隣のエレンシアが明るい声で答えた。金の眼に映る波が寄せては砕け、虹彩を輝かせる。


「お前が楽しんでるなら悪くねえか」

「何の話ですか? 私は職務に勤しんでいるだけです」

「隠せてねえよ。そういうときは勇者そっくりだ」

 エレンシアは曖昧な表情で目を背けた。



 窓の中央に一直線に引かれた水平線が流れていく。

 車内の喧騒は止むことがない。

 華やかに着飾った乗客の間を、リデリックが歓談しながら行き来していた。


 エレンシアが目を細める。

「彼は本当に顔が広いですね。殺し屋嫌いの富裕層とも何なく談笑するとは」

「奴の顔の広さは守備範囲の広さだからな」

「妻に近づかれた夫は警戒するでしょうね」

「大丈夫だ。リデリックは夫婦両方と接点があるからお互い気まずくて黙る」

「いいのやら悪いのやら……」



 真鍮色の扉が開き、聖騎士庁の面々と白いスーツのメイラが現れた。

 いつもの自信に満ちた表情は微かに曇っている。原因は明白だった。傍のぴったりとジェサが侍っている。


 メイラは乗客を見渡して咳払いした。

「道中も旅程の一部、皆様お楽しみいただけていますか? この洋上列車のセキュリティは万全。外部からの攻撃については勿論、内部にも一切の危険はありません。武器はおろか生物の持ち込みも……」


「メイラ殿!」

 ジェサの大音声が轟いた。

「生物の持ち込みを禁止すると食材の提供ができなくなってしまいます! 既に死亡している生物の持ち込みは許可されています! 死体ならば!」

「ああ、はい。そうですね。言い方と声量に気をつけてください」


 扉の間から顔を覗かせた都議オークスは、物陰で縮こまっている弟に怒声を投げつけた。

「お前は部下の教育もできないのか」

「すみません……」

 スターンは今にも戻しそうな顔で項垂れる。オークスはまだ何か言おうとしたが、車両の連結部分で仁王立ちするグレイヴを見留め、舌打ちだけに留めた。


「まったく……これ以上は持ち込むなよ。元殺し屋のリデリックがいるだけでも問題なんだ」

「は、はい。兄さんに迷惑はかけませんので……」

「安心しろ、何の期待もしていない」

 オークスは煩わしげに手を振った。

「グレイヴ、その図体でそこに立っていると邪魔だ。義妹と一緒に早く席につけ」



 グレイヴは顎を引き、背後にいる人物に道を譲った。漆黒の長髪と、鴉羽色の淵東の民族衣装を纏った女だった。


 トツカは頰に手を当て、オークスに向けて嫋やかに微笑んだ。

「お招きありがとうございます。私、こんなに素敵な列車は初めてで……戸惑ってしまいますわ」

 グレイヴは死人のような顔色で首を振る。

「サラサ、都議はお忙しい。早く入るんだ」

「はい、義兄様」

 トツカはグレイヴの袖を掴むと、犬のように引き摺って席へと向かった。



 ヴァンダがエレンシアに囁く。

「"錆斬り"トツカ……紛れ込んでたのかよ」

「まるで擬態型の魔族ですね」

 ちょうどそばを横切ったトツカが足を止めた。

「誰が魔族ですか。殺しますよ」

「師匠、サラサのふりをするならもう少し頑張ってください」


 トツカは構わずヴァンダたちの前に腰を下ろした。グレイヴも隣に並び、眉間に皺を寄せる。

「言いたいことはわかる。だが、何も聞かないでくれ」

「お前も大変だな……」


 エレンシアは唇の端を吊り上げた。

「"錆斬りトツカ"、貴女が来るということは、四騎士もこの移設計画の危険視しているんですね?」

「当然です。都庁在勤の測量士から垂れ込みもありましたから」

「元四騎士"築城"のギリヤですか」

「察しがいいですね。ええ、趣味の測量のために殺し屋を辞めた変質者ですよ」

「彼は何と?」



 トツカが口を開きかけたとき、大きく車内が揺れ、列車が緩やかに提出した。丸窓に激しく波が打ち付ける。

 ヴァンダがグレイヴを一瞥した。

「駅でもあんのか?」

「途中停車の予定はない。トラブルだな」


 不安の声が漏れ出す車内に、アナウンスが響き渡った。

「乗客の皆様、恐れ入ります。現在、線路上に漂流物が乗り上げたため、緊急停車いたしました。迅速な除去作業を行いますのでご安心を……」



 楕円のガラスに反射する海は荒れていた。魚鱗の如く煌めく水面下に黒いものが蠢いている。

 エレンシアがヴァンダを見上げた。

「何か見えたのですか?」

「勇者自警団と交戦したときに見た謎の触腕だ。線路に乗り上げてやがる」


 腰を浮かせたトツカをヴァンダが制止した。

「お前らはまだ目立つな。俺たちでやる。行くぞ、エレンシア」

「命令はボスの役目ですよ」

 グレイヴが押し殺した声で言った。

「……悪いが、頼んだ。十両目の連結部分から外に出られる」

「どうも」

 ふたりは素早く席を立ち、戸惑う乗客たちを押し退けて奥へと進んだ。



 乗客専用の車両を抜けると、パーティ用の食材が積まれた貯蔵庫や無人の調理用車両が連なっていた。

 ヴァンダとエレンシアは段ボールの山を抜ける。

「気をつけろよ、エレンシア。あの魔物は今まで見たことがねえ未知の存在だ」

「ご心配なく。この目で見極めるいいチャンスです」



 ヴァンダは十両目の連結部に設置された真鍮の扉を押した。

 潮風が押し寄せ、眩い光が降り注ぐ。

 海面から突出した無数の黒い触手が、巨大な蛸足のように線路に絡みついていた。


「預けた武器を取りに行く暇はねえな」

 ヴァンダは指を噛み、血の雫を垂らす。赤い結晶が硬化し、即席の山刀を作った。



 黒い触手が静止し、鎌首をヴァンダたちに向ける。

 ヴァンダは一歩身を引き、飛沫を上げて襲い掛かる触手を瞬く間に切断した。断面から膨大な塵が噴出した。


 白い水と黒い粉塵が視界を奪う。

 斬撃を逃れた一本の触手が唸りを上げた。ヴァンダが舌打ちする。

「くそ! 避けろ、エレンシア!」


 白銀の軌道が閃いた。

 飾り気のない剣が触腕を両断し、鎧に包まれた手がエレンシアの肩を掴んで後方へ飛び退る。

 塵が風に漂い、霧散した。


 エレンシアは自らを抱える者の姿を見て、目を見開いた。

「貴方は……」

「怪我はないか? よかった……」

 青年は安堵の息を漏らし、エレンシアの肩から手を離した。赤い髪が潮風に靡く。


「まだ出るなって言われたけど、こんな状況見過ごせない!」

 偽物の勇者は洋上の敵に向けて剣を構え直した。

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勇者アサシネイション 木古おうみ @kipplemaker

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