虎の帝と華の妃

 才人として後宮に入り、気づけば充媛となり、更には貴妃。

 随分と出世をしたものだ、と華眞は翠鴛宮の庭にて咲き誇る花々を見つめながら息を吐いた。


 貴妃にという話に、そこまで張り込まなくてもと若干渋ったが、最終的には受け入れた。

 身分が欲しい訳じゃないが、より近い場所で皇帝を守れるならばと思ったのだ。


 今頃、叔父たちは戦々恐々としている事だろう。

 皇太后の命令で差し出した筈の姪が、まさかその皇太后が後見する皇后を追い落とせる地位と寵愛を得てしまった。

 この流れに乗るべきか、逃げ出すべきか、今頃必死で相談しているに違いない。

 どちらにするにしても、あの人たちなら逞しく乗り切るだろう、と思う。


 宮殿を新たに与えるかという話だけは断った。

 華眞としては、この翠鴛宮が気に入っている。

 手をかけた庭が見事に蘇ってくれて嬉しいのもあるし、不思議な懐かしさも感じる。

 貴妃が住まう宮として見劣りがするというわけではないなら、あまり大きな宮殿も落ち着かないのでこのままで居たいと伝え、それは受け入れられた。

 貴妃に仕える事になった侍女たちは、わたくしが貴妃様をお守り致します、と意気込んでいた。

 それなら私がお前たちを守るよと華眞が微笑めば、何故か皆は歓声を上げながら、眩暈でも起こしたようにふらふらと座り込んでいた。

 そしてそれを伯都が面白くなさそうにしているのが、とても不思議だった。


「貴妃」

「陛下」


 背後から声をかけられ振り向くと、そこには伯都が居る。

 確かに皇帝であり、確かに男性である、彼が居る。

 もう小さな妹はいない。もう、かつてのように姉と妹として在る事はできない。

 自分達は成長し、男になり、女になった。

 それは少し寂しい事であるけれど、同時に不思議な心の騒めきを生じさせる。

 何故なのかは、もう分かってはいる。

 けれども、本当にそれをこころに認めるには、もう少しだけ時間が必要だと思う。

 かたちをかえても、姿をかえても、それでも自分達は互いの大切なものであり続けたい。


「私は無力で情けない男です。けれど……」


 華眞の前に立ち、手を取ると伯都は苦笑しながら言葉を紡ぐ。

 それは彼の決意と願いの始まり。


「貴方を守る為ならば、強くなって見せます。……貴方に見合う男になってみせます」


 紡がれる決意の言の葉を、真っ直ぐに伯都を見つめながら聞いている。

 少しだけ、くすぐったいような温かさと面映ゆさを心に感じながら。


「だから、私と共に歩んで下さい。……慧貴妃」

「喜んで。……陛下」


 口にされた願いに、返された言葉。

 守りたい、共に在りたいと言う二つの願いが結びついた喜びに、華眞の顔には幸せの笑みが咲いた。

 暫し二人手を取り合い見つめ合っていたが、やがて華眞が悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開く。


「でも、二人きりの時は小虎を呼ばせろ」

「それなら、私は二人きりのときは姐姐と呼びますからね」


 自分だけなんてずるいです、と返す伯都の顔にも楽しそうな笑みがあった。

 二人きりの秘密の呼び名とは素敵だ、という呟きには、些か含みを感じはしたが。

 それを見て、嬉しそうに笑みを深めると、何かを思いついたという様子で華眞は問いを口にする。


「あと、庭の一角を畑にしてもいいか?」

「……いいですよ。収穫した野菜で手料理を御馳走して下さるなら」


 一瞬黙ったものの、無邪気といえる願いに伯都は頷き承諾を伝える。

 任せておけ、と請け負う華眞を見て、伯都はやがて屈託のない笑みを見せた。


 ◇◇◇◇◇


 和やかに会話を続ける皇帝と妃を、静かに見つめる二つの人影があった。

 場所は二人から離れたところにある樹上。


「無力で情けない、ねえ……」


 枝に腰かけていた人影――温修容と呼ばれている女性は、溜息交じりに呟いた。


「言う程、お飾りに甘んじているだけの、無能な王様じゃないと思うけれど……」

「今の間だけだ。いずれ本来の力を示される」


 温修容の隣には、皇帝の侍従である崇月の姿がある。

 のぞき見のような真似をしているのに気が咎めているのか、少しばかり眉間に皺が寄っている。

 それに気づかぬ振りをして、温修容は苦笑を浮かべながら更に呟く。


「自分の縁談潰していたのが他でもない皇帝陛下だったって知ったら、どんな顔するのかしら……」

「火種を投げ込もうとするな、玲芳」

「わかっているわよ、お兄様」


 温修容……温 玲芳は、肩を竦めて兄である崇月……温 崇月へと頷いて見せた。

 彼らは、皇帝に救われ、それまでの己を捨てて彼に仕えると誓った者達である。


 皇帝にとって唯一の気がかりであり心のよすがであった華眞の動向は常に探っていた。

 そして、縁談が持ち上がる度に何がしかの形で相手に辞退させてきた。

 自分以外の誰にも華眞を渡したくないという、皇帝陛下のご意向である。

 結果として、華眞はどこに嫁ぐ事もなく、紆余曲折の後に後宮入りし、現在彼の隣に立っている。

 人の人生を左右するような真似に色々彼らも思うところが無かったわけではないが、結果が良いものとなったなら良い事としよう、と揃って頷いた。


 いずれ、皇太后の専横を断じ、雌雄を決する時がくるだろう。

 今、無気力で暗愚を装うのは力が足りないから。そうでなければ殺されてしまうから。

 だが、いずれ彼は立ち上がる。

 その時にあの美しく頼もしい妃があってくれるならば。

 王たる伏した虎の横に、奇跡の華が居てくれるならば……。

 玲芳の見上げる先には、抜けるような蒼い空。

 雲一つないそれを見て、今はあの二人に平穏がありますようにと彼女は願った……。

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