奇跡の華は決意に咲く

 やがて、後宮の大庭園に用意された祭祀の場は大規模かつ絢爛豪華なものだった。

 魂を鎮めるものにしては、やや煌びやかにすぎる装飾は、皇太后の権勢を見せつける為だけのもの。

 元々本心から死者を弔いたいわけではなかったのだ。

 これは、皇帝に自分の立場を改めて知らしめ、皇太后の意に背かぬようにと釘をさす為に催された『余興』にしか過ぎない。

 だからこそ、皇帝が関心を示した充媛が亡くなったのではないかという囁かれる中、無念のうちに亡くなった皇帝の実母の慰霊を行いたいと言ったのだから。


 場が見舞わせる高みに、皇帝と皇太后の座は設けられた。

 浮かぬ表情の皇帝とは対照的に、己の意のままに事が進んでいる事に皇太后は笑みを浮かべながら傍らの太監と囁き合う。

 皇太后の愛人とも噂される年齢も性別も不詳の妖しい美しさを誇る太監は、相槌をうちながら設えられた舞の舞台を見つめている。

 池に浮かぶように立つ水上の舞台にて、選ばれた舞い手が奉納の舞を踊るのだ。


 やがて、白に銀糸の衣裳に白い紗を目深に被った舞い手が進み出る。

 あれも趣向の一つかと皆が見守る中、静かに楽が奏でられ、舞い手は緩やかに舞い始める。

 一つ一つの動きが幽遠なる美に満ち、指先に至るまで優雅で、音のない足運びはあまりに典雅であって。

 人々は……これを美しい茶番と嘲笑っていた皇太后ですら、思わず魅入られたように見つめる先で、舞い手は白銀に輝く被帛を緩やかに揺らし、紗を揺らし、楽に合わせて舞い続ける。


 それはあまりに清らかに美しい、見事な舞だった。

 無念を抱え彷徨う魂が本当にあったならば、これを目にすればきっと天へ行けるだろうと、誰もが思う程の、まさに天上の舞だった。


 ふわり、と何かが舞い降りてきたのに気づいた人々は、まさか天より祝福でも降り注いだかと一瞬愕然とする。

 舞い落ちるそれは無数の光の欠片であり、それが落ちたところには小さな蕾が生じていく。

 そして、次々と蕾は綻び、淡い光を湛える透き通る花弁を開かせていく。

 奇跡の華が、居並ぶ人々の前で次々と花開いていく。


「あれはまさか……仙晶華せんしょうか……?」

「そ、そんな……。それは、開祖様の妻であられた、皇后が有しておられたという、力……!」


 只ならぬ奇跡を目にした人々徐々に騒めき始める。

 初代皇帝唯一の妻であった華皇后は、植物に心を通じ操る力を持っていたと伝えられている。

 元は天界の仙女であったという華皇后には、身の内に悪しきものを浄化する華が根付いており、意のままに咲かせる事が叶うのだという。

 それ故に、かの皇后には毒は効果を為さなかったとも伝えられている。

 心から負の感情を浄められていくのを感じながら、集う人々はただ驚愕するばかり。

 そしてそれは、皇太后もまた同様だった。

 言い伝えにのみ知る奇跡が目の前で生じた事に、さしもの女傑も呆けた表情を隠す事ができないでいる。

 舞が終わった時、舞台は美しい奇跡で埋め尽くされていた。

 鎮魂の舞が呼んだ驚きの出来事に、皇太后が紡いだ言葉はやや掠れていた。


「そなた……。何者……?」


 問われて、舞い手は一度だけ思案したように動きを止め。

 やがて、顔を覆っていた紗を静かに取り払う。

 そこに現れた顔に、その場を揺らす程の驚愕の声があがる。


「そんな……まさか……」

「け、慧充媛……!? 亡くなられた筈ではなかったの……!?」


 白の衣裳に身を包んで見事な舞を披露したのは、何と亡くなったと囁かれていた筈の螢充媛……華眞だった。

 見間違いようのないその姿に華眞を知る者達は驚愕に叫び、それを聞いた者達も動揺に騒ぎ始める。

 ざわめく場において、華眞はただ微笑みを浮かべて一礼して見せた。

 華眞が見つめる先には、皇太后の姿がある。

 皇太后は、顔色を無くし愕然としていた。

 死んだと噂されていた……自分が毒を飲ませた筈の充媛が生きて目の前に現れた。

 そればかりではない。

 その女は、仙女であったと言い伝えられている始まりの皇后と同じ異能を有していた。


 ――皇帝の伴侶として歓迎される力を有する女が、そこに居る。


 遡る事、暫し。

 皇太后の茶会のあったあの日の夜、慌てた様子の皇帝が忍んできた。華眞の命令で人の出入りを制限され、箝口令の敷かれた翠鴛宮に。

 それを出迎えたのは、腕組みしてそれを待ち受けていた華眞だった。


『皇太后が、何を……』

『毒茶を出してきたのを飲み干して帰って来た』


 呻くような声音で紡がれた問いに返ったのは、何とも物騒な返事だった。

 伯都は瞬時に顔色を蒼褪めさせ、華眞に詰め寄る。


『どうして、それをわかっていて飲むのですか!』

『断れると思うのか、皇太后に直々に勧められて。ただの一妃嬪が』


 冷静に返されて伯都は思わず言葉に詰まる。

 確かにその通りなのだが。それでも他にやりようは無かったのか……と呻くように呟くのを見つめつつ、華眞は言う。


『お前も知っての通りだから、この通り無事だ』

『……そういう問題ではないのです、姐姐……』


 全くこの人は……と肩を落とすのを見ながら、華眞は更に続ける。


『まがりなりにも毒を飲まされて何も無いのはおかしいから、宮を閉じた。……あとは、お前を呼び出したかったというのもある』


 呻きながら苦悩の様相を呈していた伯都が、ぴたりと動きを止めた。

 一つ息を吐いて、華眞は少しばかり苦笑いをしながら、言う。


『何があったか、お前は絶対に自分で確かめにくると思ってな』


 見事にその狙い通りの行動をとってしまった事が悔しいのか、少し不貞腐れたような様子を見せる伯都。

 何やらぐるぐると考えを巡らせていたようだったが、やがて心を決めたという様子で口を開く。


『……このまま亡くなったということにして……』

『出ていかないからな』


 意を決したという風に切り出した言葉に返ったのは、いつぞやを彷彿とさせる間髪いれない拒絶だった。

 またも為された拒絶に、それがどういう事なのかわかっているのかいう非難を込めて伯都は叫びかける。


『姐姐……!』

『私は、父様に約束したんだ! 私が必ず小虎を守ると! それはまだ終わっていない!』


 伯都を制したのは、血を吐くような華眞の叫びだった。

 小さな妹だった男は、打たれたようにびくついて動きを止める。

 小虎が家族になった日、華眞は父に言われた。この子を守ってやってくれと。

 華眞は、何かを否定するように頭を左右に振り、続けて叫んだ。


『でも、それだけじゃない……。私が、お前を守りたいんだ! このまま離れたくないんだ!』


 父に言われた事は確かに始まりだった。

 けれども、抱き上げた小さな温もりを愛しいと感じた時、華眞は誓ったのだ。

 何があっても、自分がこの子を守るのだと。

 幸せになって欲しいと、誰に言われるでもなく心から思ったのだ。


『私が後宮を去る事が、本当のお前の願いか?』


 言葉を失って立ち尽くす伯都に、華眞は問いかける。

 そして、今度は自分から彼へと腕を回して、抱き締める。

 ああ、本当に大きくなったのだな、と心に少しばかり苦いけれど。

 腕に感じる温もりは、あの日感じた愛しさそのものだ。


『小虎が願ってくれるなら、私は死なない。絶対に生き抜いてみせる。……だから、お前が今本当に望んでいる事を言ってくれ』


 見上げる先に戸惑いに揺れる瞳を見つけて、微笑む。

 揺れに揺れていた瞳に決意が宿ったのを見た次の瞬間、華眞はその広い胸に抱かれていた。


『……傍に、居て下さい。……私から離れないで、ずっと、一緒に……!』


 声が震えているのを感じる。

 けれども、華眞を抱きしめる腕は確かであり、揺らがない。

 あの日のように戸惑いに苦しいと思わない。

 相手が自分に願ってくれた事が、求めてくれた事がただひたすらに嬉しい。

『私はお前を守る。……持てる全てを使って、お前の側に在ってみせる』

 抱き締める腕が少し揺れた気がする。

 恐らく、華眞が何を決意したのか……彼女が言う「持てる全て」が何を意味するのか悟ったのだろう。


『止めても無駄だぞ?』


 見上げて、不敵な笑みを浮かべる。

 それを見て何か言いかけていた伯都は、少しばかり困ったように笑いながらも、深く頷いて見せたのだった……。



「体の具合を悪くしていたと聞いていたが……」

「良くない菜にあたったかもしれないと言われましたが。わたくし、幸いなことにいかなる悪しきものも無にできるようでございます故……」


 跪きながら、皇太后の問いに微笑みながら答える華眞。

 頭を垂れながら、控えめな声音で紡がれた言の葉の真意は。


 ――いかなる毒も、私には効かないのです。


 それは、婉曲な言い回しによる、皇太后の謀の失敗を告げる言葉。

 そして、華眞がかつての皇后と同じ力を有しているという証の言葉。

 華眞は頭を上げ、真っ直ぐに眼差しを皇太后へと向けた。

 その二つの瞳には、明確なまでの強い意思が宿っていた。


 ――いかなる謀にも、私は屈しません。


 恐れも惑いもなく己を見据える女に、皇太后は飲まれたように一瞬言葉を無くす。

 まるでその隙をつくように、皇帝は立ち上がり、威厳を込めて告げる。


「見事な舞を奉納した事に、褒美を与えねばなるまい」


 人々はそれまで言葉を発する事なかった皇帝を注視する。

 流麗な笑みを浮かべてみせながら、皇帝はその意を口にした。


「慧充媛に、貴妃の位を与えるものとする」


 その宣言に、一度、水を打ったように静かになった後。

 先程までとは違う衝撃に、場は揺れた。

 先だっての昇格に続いて、またも異例の昇格である。

 充媛から一足飛びに皇后に次ぐ位へ上るなど、聞いたことがない。

 人々は、やはり慧充媛への寵愛は真のものだったのか……と驚愕していた。

 寵愛故であり、皇帝が告げた通りに褒美であり。

 そして、かつての皇后が持ちえたという力を持つ女であるが故である、と言葉にせずとも皆は思ったようだ。

 皆は動揺しながらも、皇太后の様子を窺う。

 ざわめく場を見回しながら無言の内にあった皇太后は、やがて一つ嘆息すると口を開いた。


「陛下が御自ら望まれたとあれば、致し方あるまい」

「皇太后様!?」


 傍らの太監が驚いた様子を見せたが、皇太后に冗談を言っている様子はない。

 あくまで平静なまま、皇太后として相応の威厳と重さを以て、皇帝の意向を受け入れる旨を口にする。

 狼狽する周囲の側仕えに命じて場を辞する支度を整えながら、皇太后は含みのある笑みを浮かべて華眞に告げた。


「良き報せを期待しておるぞ? 慧貴妃」

「……御意」


 去り行く姿を見つめながら短く返す華眞の口元には、不敵な笑みが刻まれていた……。

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