第6話、終話

 この、春秋しゅんじゅう史から見ればまことに小さな、史書にも数行しかない戦争が何時から行われたのかわからない。ただ、古代の戦争行為はたいして長い時間行われない。春秋左氏伝しゅんじゅうさしでんによると、夜――夜半ではなく、日没程度ではないだろうか――に戦争が終わっている。そうなると、早くても昼すぎに開戦した可能性はある。

 初春とはいえ、身も凍るような寒さである。体力は想像以上に奪われていく。よく陘庭けいていのものどもを追い払い、混ざっていた曲沃きょくよく大夫たいふを射殺すことはできたが、これ以上戦うことはできぬ。いかに薄い場所をついたとしても、疲弊はする。が、曲沃はほとんどが無傷である。それを相手取ることなどできぬ翼軍は、ここから駆け、去らねばならない。

「頃合いです」

 欒成らんせいは旗を振って、こうに呼びかけた。進軍の太鼓を叩いていた光はすぐに気づき、旗を上げさせ、撤退の太鼓を叩く。この空いた空間から走り去り、陘庭をかすめて北へ戻る。そこまでして、ようやく翼は勝ったと言えるのだ。

 冬は日が短い。そろそろ、陽もかなり傾いていた。欒成の兵車が駆け、光がさらに続いたその時であった。横合いから、猛烈な勢いで兵車へいしゃの群がぶつかってきた。そのかまえ、御者の巧みさは特徴的である。

趙氏ちょうしか!」

 かつて趙氏は周王しゅうおうに御者の一族として寵愛された。しゅうからしんへ亡命し、文侯ぶんこうに仕えたのは趙叔帯ちょうしゅくたいという、やはりぎょの名人である。馬の特徴をつかみ、御する趙氏の軍はやはり兵車が強い。欒成は他の氏族うじぞくに合図をして当たらせる。この、趙氏の後ろにしょうがいるはずがない。彼は、常に前にいる。欒成はすかさず光を守るべく手勢を差配した。趙氏の圧力と、最前衛の欒成が光の盾になろうとしたことで、翼に若干の乱れが生じた。どこに駆けていけばよいか、わからなくなったのである。

「足を止めるな、走れ!」

 光が太鼓をたたきながら、兵車を走らせる。走り、生き残ることがすでに作戦であった。

 一瞬戸惑った大夫も兵も、目指す方向へ駆けていった。

 そこを、どうぞと快く通すほど曲沃はお人好しではない。称の本隊は、翼の意図をとっくに読んでおり、道を塞ぐように突出、押し出していく。自然、翼は本来の進路からずれながら、走った。欒成は押し戻すべく奮闘するが、勢いに削がれ、光の進む先はどんどん外れていく。

 とうとう、汾水ふんすいのほとりにまで押し込まれた。川の音がごうごうと聞こえる中、川岸から逃れようと翼軍はあがいた。光の兵車も、わずかな隙間でも良いからこじ開けようと果敢に動き、進もうとした。

 光という少年は、先細りする翼を背負うべく生まれた。幼少のころに父は急死し、わけがわからないまま、悲壮な覚悟をつきつけられた、なかなかに運の無い君主である。運の無い君主というものは、名君にならない。――彼はほとほと運が無かった。

 四頭立ての馬車のうち、中の二頭はそえ馬とされている。方向は両側の馬を御し、内側はそれに合わせて動くというわけである。そのそえ馬一頭が、倒れた兵に足を取られ、止まった。そうなれば、他の馬との均衡が崩れる。御者がなんとか押さえ、倒れ落ちることは防いだが、光の兵車は完全に止まってしまった。

 日が没しようとしている、夕闇であった。わずかな赤い陽光に照らされ、みな、影のように暗い。光は焦り、太鼓を叩くのも忘れて、御者を叱咤する。そえ馬一頭の足が折れていた。御者はその馬を放ち、三頭で走らせようと必死に動いた。

 君主の太鼓が鳴り止み、状況のわからぬものは、茫然とした。光に何かがあったのか、と慌てて翻し、射貫かれる大夫もいた。君主の戦死だと勘違いし、くものもいた。

 欒成は、暗い混戦の中、確かに光を見つけて、駆けつけようとした。光の盾になろうとしていた彼は、少し遠かった。――遠すぎる、と焦った

 光が立て直す前に、曲沃の兵車たちが押し寄せてきた。特に、強い兵車があった。御者は巧みに馬を制し混戦も見通しの悪い視界もものともしない。兵車を守る車右しゃゆうで周囲を薙ぎ、御者と指揮官を守っている。そしてその指揮官は、周囲に差配しながら、太鼓を叩いていた。

「お初にお目にかかる。甥ごどの」

 称が、光を見下ろしながら、軽く笑い、光の兵車に飛び乗ってきた。光が剣を抜こうとするが、足で叩き落とす。その間、称の車右が光の車右も御者も片付けていた。それを確認することなく、称は光を担ぎ上げると、己の兵車に放り込み、

翼主よくしゅを生け捕った!」

 と、叫んだ。なんとか戦っていた翼の兵どもはへたりこみかけた。

「我が君は止まれとは命じておらぬ、走れ!」

 吼えるような声が、戦場に響き渡った。欒成であった。この男は、この時になっても戦意を失っておらぬ。捕縛された光をまっすぐに見据え、向かっていく。欒氏らんしの手勢は、主に付き従うものと、逃げる兵を支えるものに別れた。道を切り開く欒氏によって、翼の軍は戦線から離れるべく走り続ける。それとすれ違うように、欒成は光、そして称の前に来て、止まった。

「国君を辱めると終わり良くないと申します。我が君をおはなしいただくよう。あなたは晋公しんこうを支える弟です。兄を辱める弟がどこにおられますか」

 深く静かな声音で紡ぐ欒成の言葉を、称が手で制した。

「かつて禹王うおうに仕えた知者が言った。九族あつじょすれば、しょ、明にして励みたすけん。祖から玄孫卑族まで、おのが九族の秩序を確かとすれば民も導くことができる。しかし、翼主はそれが為せぬ。まあ、我が曲沃のことであるため、詭弁とあなたは言うであろうが、一人も我が曲沃にこうべを垂れさせるような主は出ておらぬ。文侯ぶんこうの余光に縋っているだけだ。この翼主も、我が曲沃を統べる器無く、虜囚と成りはてた。おおよそ、虜囚を受け取るというなら対価が必要だ」

 欒成は、称を睨み付けるようなことはしなかった。が、怖じるそぶりも見せない。強く静かな視線を向ける。もう、夕闇も終わろうとしているのに、勇猛な青年の顔ははっきりと見えた。威風あり、才気あり、そして器あり。桓叔かんしゅくの面影があるようにも見え、文侯も思い出す。過去にあった、晋の栄光が凝縮したような姿にも思えた。欒成はその感傷をさっと終わらせ、気迫がみなぎる声音を放つ。

「我が君をお戻しするに、あなた以上の対価はない。では、あなたと戈を交え、我が君を取り戻すのみ、ですな」

 五十を過ぎた男とも思えぬ、無謀すぎる言葉に、称が肩をすくめ息をついた。そして、威儀を正し、欒成を見据える。

「私はあなたの父、欒賓らんぴんにご教示いただいた。あなたのことも戦場で何度も見て、話も聞いている。無駄死にしてはならぬ。私はあなたを連れ、周王さまに謁見し、あなたを上卿じょうけいに命じていただこうと考えている。晋のまつりごとを執ってもらいたい。夏書かしょにある、人を知るに在り。人を正しく知り任用することこそ重要なことだ。あなたは、節度高く教養深く、情理兼ね備えておられる。曲沃で大きく腕を振るえる人だ。無駄死にせず、私の元に来てほしい」

 称の声に威圧はなく、慎ましさと誠実さがあった。本来、分家の称が周王への謁見などできぬ。しかし、その不可能さえも超えて、欒成を宰相と迎えたいという強い思いがあった。欒賓の影響はもちろん、翼から離れてきた氏族の言葉、戦場で何度も見た勇姿は、称の憧憬をかきたてるに充分であった。称は、欒成という有能な男を欲し、また、欒成という英雄を仰ぎ見たかった。

 光が称の言葉に俯いた。この少年も、己よりこの憎い男の元へ行った方が、欒成のためではないか、と思ったのだ。

 欒成は、言葉を最後まで聞いた後、迷わず口を開いた。

「私が聞きまするに、民は三つのものによって生きている、この三つにつかえることは同一です。父が生み、師が教え、君が養います。父でなければ生まれず、君が養わなければ長ずることなく、師の教えがなければ知ることもできず。これらは生きることと同じ、ゆえにこれらにつかえることが同一なのです。この三者の在る所に対しては、死んで報いる。生に報いるには死を以てし、恩恵に報いるには力をもってするが人の道です」

 川のごうごうという音、ひゅうひゅうと鳴く冷たい風の音の中、欒成の声は伸び良く響く。称が、ぽかんとした顔で欒成を見た。こわごわと身を起こした光も、ぼんやりと己のを見る。

「――私が私利によって人の道を棄てるのであれば、君公くんこうはどうやって民に訓ずるのか。我が君は私が供をして死ぬことはご存じですが、曲沃にて待つことなどご存じない。あなたに仕えて二心もつならば、あなたは――曲沃の晋君とのたまうあなたは、このせいめをどのように用いるおつもりか!」

 全てを言い終えた欒成は、称の答えなど聞かず、兵車を翻し、曲沃の軍へつっこんでいった。主に付き従っていた欒氏の兵車も共に走っていく。未だ戦場から抜け出ていない翼軍を一人でも走らせるためである。光の君命くんめいは、翼に走れ、である。そのためにも、欒成は最後まで残って戦い続けなければならない。

 御者が射貫かれ、馬が倒れた。欒成は動けぬ兵車から飛び降りると、弓を捨て剣を抜いた。敵の兵車に飛びつき、引きずり降ろして斬る。落ちていた戈を掴み、周囲をぐ。残った欒氏たちは、兵車尽き、剣折れようとも、泥まみれで戦った。暗い中、手探りのような闘いであった。

 そのうち、将を獲った、という声と、歓声があがった。暗すぎる中、称には欒成の首が夜空に舞ったように見えた。

 虜囚として蹲っていた光が、弾けたように笑いだした。線の細い子供である、狂ったか、と称は蔑んだ目を向けた。そこには、強い光を目に宿し、勝ち誇った顔の光がいた。

「ざまあみろ! 欒成は、私の臣だ!」

 さらに、嘲笑し、笑い続ける光を、称はわしづかみにし、殴りつける。

「このガキを押さえろ!」

 光は、卑しい兵どもに押さえつけられ、そのまま称に首を落とされた。戦場で使い続けた銅剣である。斬れ味はさほど良くなく、幾度も刃で叩いた末の、処刑であった。

 この後、翼は数年で亡んだ。曲沃は五才にもならぬ光の子を誘拐して殺し、翌年に都を亡ぼした。ただ、称が晋公になったのは、欒成が死んで二十七年も経ってからである。周王が諸侯として認めなかったのだ。賄賂を積みに積んで、称が晋公として立ったとき、彼は六十を過ぎ、欒成の享年を超えていた。

 この分家が晋となったとき、春秋時代を代表する軍事覇権国家が誕生した。周辺国家を平らげ、覇者文公を生み、多少の盛衰はあるも約二百年の長きにわたって中原の盟主として君臨していく。その晋国の逸話を集めたのが『國語こくご』という史書内にある『晋語しんご』である。興隆期から衰退期、そして滅亡にいたるまでの逸話が多く残されている。

 その晋語の第一、最初の逸話は、欒成の死となっている。称の言葉をふりきり、君臣の教えを諭し、二心なく二君に仕えずと言って、壮絶な戦死を遂げたそれである。開祖桓叔かんしゅくでもなく、曲沃を晋国とした称でもない。晋は建国譚を己らの始めとしなかった。

 晋は、君臣の在り方を示した欒成の英雄譚で始まっている。

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創世記 はに丸 @obanaga

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