伽藍の胴

鋏池 穏美

伽藍の胴


「だからさっきからなんなんだよ! 何がしたいんだお前は!」


 思わず声を荒げてしまう。私よりも一回りは年下であろう男に。


「だから何度も聞いていますよ? なんで答えてくれないんですか? あれですか? 未練ってやつでイライラしてるんですか? そんなに怒っていると、せっかくの整った外見が台無しですよ?」

「ちっ! お前ふざけ……」


 バンッと、テーブルを両手で叩いて立ち上がったところで、周りからの視線に気付き──すごすごと席に着いた。

 私は今、この目の前の男とカフェで不味いコーヒーを啜っている。本来であれば砂糖を入れた甘めのコーヒーは好物であり、美味しく頂けるはずなのだが──おそらく中野拓真なかのたくまと名乗ったであろう男の先程からの態度に、味覚までイラついているようだ。

 私がおそらく中野拓真と名乗ったであろう──と表現したのは、私にとってこいつがどうでもいい存在であり、興味もないからだ。

 いや、興味がない訳では無い。興味がないのであれば一緒にコーヒーなど啜ってはいない。

 こいつ──中野は言ったのだ。仕事を定時で終え、自宅へと帰る途中の私を呼び止め、「りんちゃんの元彼の……下野しものさんですよね?」と。

 もちろん私の苗字は下野であり、彼──中野が言うように、田村凛花たむらりんかの元交際相手ではある。だがそれも三年前の話であり、今更なんなんだという感情しかない。さらに言えば、りんちゃん──凛花は、一年前にむごたらしい姿で亡くなっている。


「そんなに怒らないで下さいよ。僕は下野さんを怒らせたくて話してるんじゃないんです。どうしても知りたいことがあって」

「その割に未練だなんだと随分と煽るじゃないか。喧嘩を売っているようにしか思えない」


 「違いますよ」と、中野は言うが、実際喧嘩を売られているのだろう。彼──中野は「りんちゃんとは知り合ってそれほど経っていなかったので」と言っていた。「家にもまだ一度しか入ったことがない」とも言っていたので、おそらく交際相手か何かなのだろう。

 そうなるとりんちゃん──凛花は、一回りも下の男と付き合っていた事になる。まあだけど、考えてみればそれもありそうだな、と思う。凛花はとても幼い見た目をしていた。私には一回り下の弟がいるのだが、その弟と比べても凛花の方が年下に見えるほどだ。

 さて、私が振られた理由はなんだったか──そう、確か「私の見た目のせいで変な目で見られちゃうよね。ごめん……」と、と間違われることに辟易へきえきしての別れ……だと思っている。

 私は「そんなの気にしてない。見た目じゃなくてりんちゃんの中身が好きなんだ」と言ったのだが、それから程なくして、別れを切り出された。つまり私は、と問われれば、あるのだろう。それを目の前の男──中野に煽られ、どうしようもなくイラついてしまう。


「煽っていると感じるのは、下野さんが未練があるからじゃないですか? 実際りんちゃんに定期的に電話……していましたよね? 日記も見せて貰いましたが、『今日も駅前で元彼を見た』と、何度も書かれていましたよ。日記によれば、直近の元彼はあなた……下野さんです。もちろん僕もりんちゃんの全部を知っているわけではないので、なんとも言えませんが」

「お前……」


 この男──中野は何が言いたいのだろうか。一年前、私は警察に何度も問われた。「お前がやったのだろう? 別れたあとも何度も電話していたのはなぜだ? 彼女の家の周辺をウロついていただろう? 彼女の家をじっと見つめるお前を見たという証言もある」と。

 それに対して私は「違う。私じゃない」と何度も説明し、あまりにもしつこいので「証拠はあるのか?」と言った気がする。正直、あの当時のことはほとんど覚えていない。なぜならりんちゃん──凛花がいなくなったことに対する喪失感で、頭が真っ白だったからだ。


「ストーカー……だったんですよね?」

「だから何が言いたいんだお前は! あれか? 私がやったと言いたいのか!? 残念だが証拠不十分で『私が犯人ではない』という結論だ!」


 再びバンッと、テーブルを両手で叩いて立ち上がる。こいつ──中野は、私がりんちゃん──凛花を殺したと思っているのだろう。つまり凛花が亡くなる前に交際していた男が、素人探偵気取りで私の前にやってきたということだ。


「ああいや、だから最初から何度も言っていますよ。僕はそんな話をしに来たんじゃないんです」

「ちっ! なんなんだよ……ったく。外見と中身、どっちが好きだったかってやつか?」


 周囲のこちらを見る目がさらに鋭くなり、舌打ちをして席に着く。本当にこの男──中野はなんなのだろうか。りんちゃん──凛花の死の真相が知りたいのではなく、「りんちゃんの外見と中身、どっちが好きだったんですか?」と問いかけてくる。


「そうです。りんちゃんの日記にも、『元彼は私の中身を好きって言ってくれたけど……』と書いてありました」

「さっきから日記日記ってよ、本人から聞いたんじゃないのか?」

「僕はりんちゃんと出会ってそれほど経っていなかったですからね。色々と聞きたくても、もういないですし。ちなみに僕はりんちゃんの外見が好きでした。中身なんて見ていません。一目惚れってやつです。下野さんはりんちゃんの外見は好きではなかったんですか?」

「外見も好きだったよ! りんちゃん……凛花は外見も可愛かった! 愛おしかったよ! これでいいか!?」

「やっぱりそうですよね。りんちゃんの日記に『元彼はロリコン系のAVをたくさん持ってた。幼い子に乱暴して殺しちゃうような悪趣味な映画のDVDもたくさん』と、書いてありましたし、そうなんじゃないかなぁと思いまして。別れたの……それが原因ですよね?」

「やっぱりじゃねーか! お前も俺を疑ってんだろ!!」


 警察にも何度も聞かれた内容に、再び声を荒げてしまう。確かに私は幼女が好きだ。幼女が乱暴される作品もたまらなく好きだ。それを何度も警察に問われ、その時は「ああいう作品は成人した女性が演じてるんだよ!」と訳の分からないことを言った気がする。だが証拠不十分で私は捜査線上から外れ、今は関係がない。もちろん水面下では疑われているのだろうが……最近では周りをウロつく警察もいなくなった。


「何を疑うんですか? 僕はただ知りたかっただけなんです。誰に聞いても『りんちゃんは中身がとっても可愛らしくて』『とても性格のいい子で』『あれだけ中身のしっかりした子はいない』と、口々に言うので。なんでだれも外見を褒めないんだろうと。正直な話、りんちゃんはとても整った外見でしたよね? 確かに幼くはありましたが」

「前に色々あったからだよ。りんちゃん……凛花が自分の幼い外見を苦にして引きこもって……その時に周りのみんなで決めたんだ。『りんちゃんの外見については触れない』ってな。その名残で外見に触れる発言が出てこないんだろうさ。実際はみんな可愛いって思ってたはずだ」

「そういうことだったんですか。だから……」


 目の前の男──中野がそこで考え込む。何を考えているか分からないうえに、この話し合いの着地点も見えてこない。いや、中野は色々と言ってはいるが、やはり私を問い詰めに来たのだと考えた方がいいだろう。「あなたが殺したんですよね?」と。


「だから? だから私がりんちゃん……凛花を殺したって言いたいのか? 未練タラタラで独占欲から殺したとでも言いたいのか?」

「ああすみません。そうじゃないんです」


 目の前の男──中野がまっすぐ私を見据える。


、りんちゃんの親も悲しそうにしてましたし、そういう事なんだなと思いまして」

「は? 何を言ってるんだお前……中身を……返した?」


 田村凛花たむらりんかは一年前、姿


 


 


「僕はてっきり皆さん、りんちゃんの興味がないのだと思って。だから返したのに、悲しんでるのが不思議で不思議で」

「お前……もしかして……あ……れ……?」


 ここで私は唐突な、唐突なうえで抗いようのない眠気に襲われた。


「ようやく効いて来ましたか」

「お、お前……くす……りを……?」


 


「コーヒー……不味かったですよね?」

「ああ……くそ……なんなんだよ……だけど私が急に眠ったら……店の人が不審……に……」

「ああ、それでしたら心配しないで下さい。下野さんがトイレに立った時、説明しておいたので。薬……利尿作用もあるんですよ?」

「説……明……だと……?」

「はい。『僕の兄は田村凛花殺害の疑いをかけられ、精神的に参っています。薬も服用していまして、支離滅裂な発言や、奇行でご迷惑をおかけするかもしれません。突然眠ってしまうこともあって……その時は手伝って貰ってもいいですか?』と」

「な、なんで……私……なん……だ……?」

「言いましたよ? と。僕は整った外見が好きなんです。あなたの中身が加虐思考のロリコンだったとしても、中身は捨てますし」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! だ、誰か! 誰か助け……」

「大丈夫ですよ」


 目の前の男──中野が顔を近付けて囁く。


「ちゃんとりんちゃんの外側の隣に置いてあげますから。伽藍がらんどうの隣に──」






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最後まで目を通して頂き、誠にありがとうございます。この【伽藍の胴】という作品は短編ホラーシリーズ【佐伯鷹臣の丸眼鏡】の中の一つです。よければ他作品も目を通して頂けると幸いです。


鋏池穏美

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