伽藍の胴
鋏池 穏美
伽藍の胴
「だからさっきからなんなんだよ! 何がしたいんだお前は!」
思わず声を荒げてしまう。私よりも一回りは年下であろう男に。
「だから何度も聞いていますよ? なんで答えてくれないんですか? あれですか? 未練ってやつでイライラしてるんですか? そんなに怒っていると、せっかくの整った外見が台無しですよ?」
「ちっ! お前ふざけ……」
バンッと、テーブルを両手で叩いて立ち上がったところで、周りからの視線に気付き──すごすごと席に着いた。
私は今、この目の前の男とカフェで不味いコーヒーを啜っている。本来であれば砂糖を入れた甘めのコーヒーは好物であり、美味しく頂けるはずなのだが──おそらく
私がおそらく中野拓真と名乗ったであろう──と表現したのは、私にとってこいつがどうでもいい存在であり、興味もないからだ。
いや、興味がない訳では無い。興味がないのであれば一緒にコーヒーなど啜ってはいない。
こいつ──中野は言ったのだ。仕事を定時で終え、自宅へと帰る途中の私を呼び止め、「りんちゃんの元彼の……
もちろん私の苗字は下野であり、彼──中野が言うように、
「そんなに怒らないで下さいよ。僕は下野さんを怒らせたくて話してるんじゃないんです。どうしても知りたいことがあって」
「その割に未練だなんだと随分と煽るじゃないか。喧嘩を売っているようにしか思えない」
「違いますよ」と、中野は言うが、実際喧嘩を売られているのだろう。彼──中野は「りんちゃんとは知り合ってそれほど経っていなかったので」と言っていた。「家にもまだ一度しか入ったことがない」とも言っていたので、おそらく交際相手か何かなのだろう。
そうなるとりんちゃん──凛花は、一回りも下の男と付き合っていた事になる。まあだけど、考えてみればそれもありそうだな、と思う。凛花はとても幼い見た目をしていた。私には一回り下の弟がいるのだが、その弟と比べても凛花の方が年下に見えるほどだ。
さて、私が振られた理由はなんだったか──そう、確か「私の見た目のせいで変な目で見られちゃうよね。ごめん……」と、
私は「そんなの気にしてない。見た目じゃなくてりんちゃんの中身が好きなんだ」と言ったのだが、それから程なくして、別れを切り出された。つまり私は、
「煽っていると感じるのは、下野さんが未練があるからじゃないですか? 実際りんちゃんに定期的に電話……していましたよね? 日記も見せて貰いましたが、『今日も駅前で元彼を見た』と、何度も書かれていましたよ。日記によれば、直近の元彼はあなた……下野さんです。もちろん僕もりんちゃんの全部を知っているわけではないので、なんとも言えませんが」
「お前……」
この男──中野は何が言いたいのだろうか。一年前、私は警察に何度も問われた。「お前がやったのだろう? 別れたあとも何度も電話していたのはなぜだ? 彼女の家の周辺をウロついていただろう? 彼女の家をじっと見つめるお前を見たという証言もある」と。
それに対して私は「違う。私じゃない」と何度も説明し、あまりにもしつこいので「証拠はあるのか?」と言った気がする。正直、あの当時のことはほとんど覚えていない。なぜならりんちゃん──凛花がいなくなったことに対する喪失感で、頭が真っ白だったからだ。
「ストーカー……だったんですよね?」
「だから何が言いたいんだお前は! あれか? 私がやったと言いたいのか!? 残念だが証拠不十分で『私が犯人ではない』という結論だ!」
再びバンッと、テーブルを両手で叩いて立ち上がる。こいつ──中野は、私がりんちゃん──凛花を殺したと思っているのだろう。つまり凛花が亡くなる前に交際していた男が、素人探偵気取りで私の前にやってきたということだ。
「ああいや、だから最初から何度も言っていますよ。僕はそんな話をしに来たんじゃないんです」
「ちっ! なんなんだよ……ったく。外見と中身、どっちが好きだったかってやつか?」
周囲のこちらを見る目がさらに鋭くなり、舌打ちをして席に着く。本当にこの男──中野はなんなのだろうか。りんちゃん──凛花の死の真相が知りたいのではなく、「りんちゃんの外見と中身、どっちが好きだったんですか?」と問いかけてくる。
「そうです。りんちゃんの日記にも、『元彼は私の中身を好きって言ってくれたけど……』と書いてありました」
「さっきから日記日記ってよ、本人から聞いたんじゃないのか?」
「僕はりんちゃんと出会ってそれほど経っていなかったですからね。色々と聞きたくても、もういないですし。ちなみに僕はりんちゃんの外見が好きでした。中身なんて見ていません。一目惚れってやつです。下野さんはりんちゃんの外見は好きではなかったんですか?」
「外見も好きだったよ! りんちゃん……凛花は外見も可愛かった! 愛おしかったよ! これでいいか!?」
「やっぱりそうですよね。りんちゃんの日記に『元彼はロリコン系のAVをたくさん持ってた。幼い子に乱暴して殺しちゃうような悪趣味な映画のDVDもたくさん』と、書いてありましたし、そうなんじゃないかなぁと思いまして。別れたの……それが原因ですよね?」
「やっぱりじゃねーか! お前も俺を疑ってんだろ!!」
警察にも何度も聞かれた内容に、再び声を荒げてしまう。確かに私は幼女が好きだ。幼女が乱暴される作品もたまらなく好きだ。それを何度も警察に問われ、その時は「ああいう作品は成人した女性が演じてるんだよ!」と訳の分からないことを言った気がする。だが証拠不十分で私は捜査線上から外れ、今は関係がない。もちろん水面下では疑われているのだろうが……最近では周りをウロつく警察もいなくなった。
「何を疑うんですか? 僕はただ知りたかっただけなんです。誰に聞いても『りんちゃんは中身がとっても可愛らしくて』『とても性格のいい子で』『あれだけ中身のしっかりした子はいない』と、口々に言うので。なんでだれも外見を褒めないんだろうと。正直な話、りんちゃんはとても整った外見でしたよね? 確かに幼くはありましたが」
「前に色々あったからだよ。りんちゃん……凛花が自分の幼い外見を苦にして引きこもって……その時に周りのみんなで決めたんだ。『りんちゃんの外見については触れない』ってな。その名残で外見に触れる発言が出てこないんだろうさ。実際はみんな可愛いって思ってたはずだ」
「そういうことだったんですか。だから……」
目の前の男──中野がそこで考え込む。何を考えているか分からないうえに、この話し合いの着地点も見えてこない。いや、中野は色々と言ってはいるが、やはり私を問い詰めに来たのだと考えた方がいいだろう。「あなたが殺したんですよね?」と。
「だから? だから私がりんちゃん……凛花を殺したって言いたいのか? 未練タラタラで独占欲から殺したとでも言いたいのか?」
「ああすみません。そうじゃないんです」
目の前の男──中野がまっすぐ私を見据える。
「
「は? 何を言ってるんだお前……中身を……返した?」
「僕はてっきり皆さん、りんちゃんの
「お前……もしかして……あ……れ……?」
ここで私は唐突な、唐突なうえで抗いようのない眠気に襲われた。
「ようやく効いて来ましたか」
「お、お前……くす……りを……?」
「コーヒー……不味かったですよね?」
「ああ……くそ……なんなんだよ……だけど私が急に眠ったら……店の人が不審……に……」
「ああ、それでしたら心配しないで下さい。下野さんがトイレに立った時、説明しておいたので。薬……利尿作用もあるんですよ?」
「説……明……だと……?」
「はい。『僕の兄は田村凛花殺害の疑いをかけられ、精神的に参っています。薬も服用していまして、支離滅裂な発言や、奇行でご迷惑をおかけするかもしれません。突然眠ってしまうこともあって……その時は手伝って貰ってもいいですか?』と」
「な、なんで……私……なん……だ……?」
「言いましたよ?
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! だ、誰か! 誰か助け……」
「大丈夫ですよ」
目の前の男──中野が顔を近付けて囁く。
「ちゃんとりんちゃんの外側の隣に置いてあげますから。
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最後まで目を通して頂き、誠にありがとうございます。この【伽藍の胴】という作品は短編ホラーシリーズ【佐伯鷹臣の丸眼鏡】の中の一つです。よければ他作品も目を通して頂けると幸いです。
鋏池穏美
伽藍の胴 鋏池 穏美 @tukaike
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