南T駅の地下道の噂は誰も聞いたことがない

長谷川昏

地元の噂話

「そういえばさ、あそこって心霊スポットらしいよ」


 ある日の下校途中、幼なじみで同級生の菅原すがわら聡子さとこが歩きながらそう言った。

 言いたいことは一応伝わったが、「どこ」という大事な部分が相変わらず抜けている。

 私、水野みずの理恵りえは溜息まじりに聞き返した。


「悪いけどその場所がどこか分からないから、へぇー、そうなんだーとはならない」

「もー、相変わらず理恵はヒネた返しをするなぁー。どこってさぁ地下道だよ。南T駅の」


 その返事を聞いて、私はやや照明の暗い地下道を思い浮かべた。

 話に出た南T駅自体は、私達が通う高校の近くにある。

 市内を走る路面電車の終着駅でもあり、私鉄の駅も兼ねた要の駅である。周囲には高校を始め、住宅や商店もあるため利用者もそこそこ多いが、平成の世になってもなぜか駅舎は昭和初期辺りの香り漂う感じで、古びている。

 故に聡子の言う地下道も決して新しいものではない。長さも二車線の道路の下を通るだけのものなので、数十メートルほどのはずだった。利用者も多いかと言えばそれほどでもなく、私自身も数えるほどしか通ったことはない。

 確かにそういったものの対象になってもいい雰囲気もある気はするが、心霊スポットだという話はこれまで一度も聞いたことがなかった。


「ふーん、そう。でもそんな話、全く聞いたことがない」

「聞いたことがなくても、どうやらそうらしいよー。あそこで焼身自殺した男の人がいて、その幽霊が出るとか、呻き声が聞こえるとか、黒い焦げ跡が残ってるとか。私もあんまり通ったことないけど、ちょっと暗くて不気味な感じじゃない? あの地下道」

「そうかな。それはその話を聞いたから、そう感じるだけじゃない?」

「それはそうかもしれないけどさー……あっ! それなら今晩その地下道に行ってみない? 探索を兼ねて」

「は? 嫌だよ」

「行って検証してみるの。本当に出るかどうか」

「行かないよ。大体心霊スポットなんかに興味はないし、検証だって言ってもやりようがないから、意味もない」

「はぁー。なんか理恵は夢がないなぁ。もっと軽い感じで考えようよ。ほら、近場の遠足だと思って」

「そんな遠足ないよ」

「理恵が行かなくても、私一人でも行くから」

「一人じゃ危ないよ」

「じゃ、一緒に来てくれる?」

「どうしてそうなる」

「で、どうするの?」

「仕方ないな……」


 聡子が毎度の如く何やら話を持ってきて、それに強引に付き合わされる。

 子供の頃からそれは変わってない。結局押し切られるように夜十時に南T駅で待ち合わせをすることになって、一旦別れた。

 家に戻って約束の時間になるまでの間、私は南T駅の地下道について調べてみた。父親のパソコンを借りて検索してみたが、聡子が言っていたような噂話はどこにも見当たらない。

 高校も自宅も南T駅から徒歩圏内にあるが、今日まで本当にそんな話は聞いたことがなかった。長年この近辺に住む両親にも聞いてみても、二人とも知らないと言う。何よりも地下道で自殺があったなんて聞いたことがないと答えた。


 夜十時になり、待ち合わせ場所の南T駅に向かうと、既に聡子は満面の笑みで待っていた。調べてみて何もなかったことを伝えようとも思ったが、なんとなく言えず、軽い足取りで地下道に向かう聡子の後ろをついていった。


「なんか夜に来ると雰囲気違うね」

「そうだね」


 地下道の階段を降りると直角に折れて、その先に通路が続いている。

 薄暗い照明が、壁や地面の黒ずんだ白いタイルをぼんやり照らしていた。

 確かに昼間とは違う雰囲気が地下道には漂っている。平日の夜というのもあるかもしれないが、他に地下道を通る人もいない。

 歩く度に足音が通路の先まで響いていって、谺している。でも特に怖いというのはなかった。いつも通っている場所に夜に来た。そんな感じしかしなかった。


「ねぇ、あれ! あれじゃない? あの黒いシミみたいなの! 噂の焦げ跡!」

 隣を歩く聡子が興奮気味に前方の地面を指す。

 けれどそれはどう見ても、単なる汚れにしか見えなかった。

「ねぇ! 今なんか聞こえなかった? ほら! 呻き声みたいな!」

 聡子が足を止めて大声で叫ぶ。でも上の道路を走る車の音しか聞こえず、何なら今叫んだ聡子の声が反響しただけのようにも感じる。

「あっ! 今そこに誰かいた! 黒い影みたいな!」

 聡子が怯えた顔で私の後ろに隠れる。もちろん私には何も見えない。


 その度々の行動に少々呆れるが、聡子の方はと言えば、とても楽しそうだった。

 多分聡子自身も、地下道の噂は信じていない。夜にここに来て、騒ぎたかっただけなのかもと思った。

 私はそれに付き合わされた訳だけれども、別に構わなかった。聡子は適当で軽いが、そういうところに私は憧れてもいる。何に関しても理詰めで考えてしまう私とは真逆の性格で、だからこそ長年友達を続けていられる。聡子もそのように思っていてくれたらいいなと、時折そう思う。


「あー、楽しかった。それじゃ、もう帰ろうか」

「うん」


 心霊スポット探索に満足したらしく、聡子はご機嫌な様子で地上に上がる階段へと歩いていった。

 その時、前方に誰かがいるのに気づいた。

 それは若い女性だった。

 同性でも見惚れるほどの美人で、黒く艶のある髪もきちんとしている。

 しかしその身体部分は壁に完全に隠れて、顔しか見えない。

 直角に折れた通路の先から、器用に顔だけを覗かせている。

 私はそれを見て、拙いと思った。彼女の顔が怒っているようにも無表情のようにも見えたからだった。夜遅くに地下道で騒いでいた私達を見て、ここを通ろうとした彼女が気を悪くしているのだと思った。


「理恵……」

「どうした? 聡子」

「あれ……」


 聡子が震えながら指した方に目を向ける。

 すると先程の女性の顔が地面すれすれにある。

 そんな姿勢を取るには、地面に這い蹲った状態にならないとできない。

 一体何が起こったのか分からず混乱していると、今度は顔が真上の天井近くにまで一気に移動した。


「な、何……」


 聡子の怯えた声が届くと同時に、天井近くにあった顔が地面に叩きつけられるように激しく落下した。

 ぐしゃ。

 と、得も言われぬ音がして、赤黒い血が白いタイルに放射線状に飛び散った。

 血まみれになった顔がごろりと反転して、笑みを浮かべた。

 開いた口から真っ黒な歯が覗いた気がした。


 そこから先のことは覚えていない。気がついたら近くにあるコンビニの前に座っていた。

 手にはホットコーヒーを持っていて、無意識のうちに買ったようだった。

 隣には聡子がいて、ほっとした。同じように放心状態だったけれど、聡子は無理矢理笑みを作って「ごめんね」と言った。

 こんな所に誘ってごめんねと言いたかったのだろうが、「気にしなくていいよ」と私は言って、聡子の肩を抱いた。


 その後、落ち着いてからもう一度地下道に行ってみた。

 血の跡も転がった顔もなく、痕跡もなかった。

 興奮状態だったせいで二人で幻覚を見たのか、実際に何かの現象が起きたのか、本当のところはよく分からない。

 何かよく分からないことが起きてしまったとしか分からず、強引にそう結論付けて、二人それぞれ帰宅した。


 その夜はなかなか寝付けなかった。どうにか朝方には眠りに落ちて、寝不足のまま学校に行った。

 既に登校していた聡子と顔を合わせると、割と元気そうだった。

 昼休みに「昨日は怖かったね」と話しかけると、「え? 何のこと?」と笑い返された。

 とぼけている訳でもなさそうなその様子に少し鳥肌が立った。

 返された笑顔が知らない人のもののような気もして、もっと鳥肌が立った。



〈了〉

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