二十番目の扉の向こう(下)
まだ余裕があると楽観し、僕は質問の方向性を変えてみる。発想はレッサーパンダから得た。
「それは、動物園で見ることができますか?」
「はい」
即答だった。珍しい動物であれば、多少は迷ったり、「動物園による」だとか「海外ならいるかも」などと補足したりするはずだ。動物園にいると明言できる以上、メジャーな動物なのだろう。
僕は調子づき、さらに範囲を限定していく。
「それは日常的に……例えば、家の近所で目にすることがありますか?」
「はい」
これも即答。ゾウやライオンやキリンの可能性は消えた。相手がサバンナに住んでいなければ、だが。
それは冗談にしても、僕は先方の居住地を知らない。海外はさておき、日本国内だとしても、クマやサルやシカが生活道路を闊歩しているような土地に住んでいる可能性はある。「家の近所」というイメージを安易に固めるのは好ましくない。思い込みによる誤謬を防ぐため、僕はベクトルをさらに変える。
「それは、高い知能を持っていますか?」
「うーん。ボクは『持ってる』派かな。みんなは持ってないって言うけど」
一般論ではなく、主観に基づく回答。しまった、と、僕はゲーミングチェアに背中を預けて真上を仰いだ。
通話の相手は率直に言って、奇人変人の類だ。往々にして感覚が一般常識からズレている。だからこそ、どれだけ話をしても飽きることが無いのだが、この友人であればミジンコですら「高い知能を持つ生物」とみなしかねない。
とは言え、こちらの質問が悪かったと言われればそれまでだ。見上げた天井にへばりつく染みが友人と同調して嘲笑っているように見えてきて、僕は苦々しく唇を歪めた。姿勢を戻し、気を取り直す。
「それは、食用になりますか?」
「食べるやつはいるね。ボクは無理だな、不味そうだもん」
どこか軽蔑したような響き。僕の脳内では、顔も知らない友人のシルエットが大袈裟に肩をすくめている。
前の質問と同じく主観に近いが、こちらは貴重な判断材料になりそうだ。田舎であれば日常的に目にしてもおかしくはないウシやヒツジなどの家畜の類が、今の回答によって除外された。
宗教上の理由や、単に好き嫌いで肉を食さないというケースもあり得なくはないが、「信じられない」とでも言いたげな口ぶりからして、違うと考えていいだろう。愚鈍なイメージを抱かれがちだが、実は高い知能を持つブタは有力候補だったのだが、これで選択肢から消えた。
そろそろ、勝負に出る頃合いかもしれない。
「それはイヌですか?」
「いいえ」
「それはネコですか?」
「いいえ」
自信満々で身近な動物の代表格を順に上げたが、あえなく外した。このどちらかが正解だろうと僕は半ば確信していたため、正直、これは痛い。
ならばリスか? それともウサギ? ハムスターだのフェレットだのチンチラだのフクロモモンガだのと、愛玩に適した小動物を挙げ始めればキリが無く、総当たりを仕掛けるには残りの質問数が少なすぎる。
このゲームで許された質問の数は二十。ただし勝利の条件として、最終的に「それは●●ですか?」と正解にあたるものを提示し、出題者から肯定の返事を得る必要がある。
つまり、遅くとも十九問目に対する返答によって正解を確信しなければ、最後の二十問目では一か八かの賭けに出ざるを得なくなるのだ。
この段階に至っての見当違いの質問は、たった一つでも命取りになる。僕は押し黙ってしまった。
常であればこの時刻、虫の歌声や野良猫の喧嘩が夜にノイズを紛れ込ませているのだが、今夜は不思議と、物音の一つも聞こえてこない。しんと静まりかえった室内に、時計の針の音だけが妙に大きく響く。
姿や顔は見えていなくても、先方には僕の様子が手に取るように分かるのだろう。どこか楽しげに声が告げることには。
「チャンスは残り三回です」
――は? と、目を見開き、僕はデスクトップ上に貼り付けた付箋メモアプリを見直した。
そこには僕がここまでに繰り出した質問と、それに対する回答が箇条書きで入力してある。画面を指でつついて数えた質問は十六個。
「残り四回だろ」
憤然として僕は返した。
先方から戻ってきた「ええー?」という響きに聞き覚えがあり、はっとする。まさか。
「レッサーパンダはノーカンって言ったよな?」
「でもボク、質問に答えたよね」
「質問してない。そっちの早合点だ」
こちらにも非があることは棚上げし、強引にねじ伏せる。相手も、僕の苦戦を見透かしているが故の余裕だろう、「仕方ないなぁ」とあっさり妥協した。分かればよろしい、と偉ぶりながら、内心で胸を撫で下ろす。
改めて、チャンスは残り四回だ。
気合いを入れ直してみたものの、頭の中では二足で立ち上がったレッサーパンダがひょこひょこと屈伸運動を見せつけてきて、一向に考えがまとまらない。邪魔だレッサー、そこをどけ。
「それは可愛い動物ですか?」
「意見が分かれるかなぁ。個人的には、『はい』」
結局レッサーパンダに引きずられるように繰り出した質問は、大した収穫にはならなかった。ファンシーラットが可愛くないと思う者もいれば、ハダカデバネズミが可愛くて仕方ないという者もいるだろう。相手の趣味嗜好を把握していない以上、今の問いは失策だったと認めざるを得ない。
そもそも僕は、愛玩動物だけに固執してしまってはいないだろうか? 気付くのが遅かったと悔やみつつ、今さらながら確認する。
「それは、ペットとして飼育されますか?」
「……どうだろう。ボク個人としては、トモダチでありたいんだけどな」
想定外の答えだった。
――今のは一体、どういうことだ?
愛するペットのことを「家族」や「友だち」などと表現する動物愛護者は少なくない。だが、それは呼称や個人の感覚の問題であって、一般常識としてのペットはあくまでペットだ。先の問いであれば、答えは「はい」となるだろう。
と、いうことは、一般的にはペットではない。だが、ペットとして飼育され得る生物。
僕は眉根を寄せて考え込む。辛うじて絞り出した可能性を、懐疑的に口に出す。
「それは、実験動物ですか?」
間があった。ヘッドホンから落ち着き払った声が漏れ出す。
「どちらとも言えない」
違和感。
同時に、僕の背中をぞくりと悪寒が駆け上がる。
動物園でも、家の近所でも見ることができる、「一応」四つ足の哺乳動物。知能は高いとも低いとも言えず、可愛いとも可愛くないとも言えず、ペットとも実験動物とも言えない。
そして、トモダチにも、食用にもなり得る。
「食べるやつはいる」と言っていた。
「みんなは持ってないと言う」、とも。
「やつ」とは誰だ。「みんな」とは誰だ。
今、僕が通話をしている相手は、一体どこの誰だ。
いや――「何」だ?
だが、その質問を投げかける前に、僕にはまだ、開けねばならない扉がある。
ここまでに開いた扉は十九。
チャンスは残り一回だ。
「それは――ヒトですか?」
束の間の沈黙。
ギィ……と、背後の扉が開く音がした。
ヘッドホンの中で、僕の後ろで、パチパチという拍手とともに、どこか楽しげに声は告げる。
「「せいかーい」」
Fin.
二十番目の扉の向こう 秋待諷月 @akimachi_f
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