二十番目の扉の向こう
秋待諷月
二十番目の扉の向こう(上)
「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。
「残り四回だろ」憤然として僕は返した。
午前零時を回った深夜のことである。窓の外はとっぷりと暗闇に沈み、車の走行音も途絶えて久しい。安普請な木造アパートの一室に僕以外の人影は無く、室内に響く声も僕のものだけだ。
独り言ではない。リビングの壁際に設置したデスクトップPCと睨めっこをする僕の耳には、僕とは異なる別の声音が、ヘッドホンのスピーカーを介してしっかりと届けられていた。
モニタの中央に表示されているのは、ありふれたボイスチャットアプリの画面。通話の相手は、インターネット上だけでの友人――俗に言う、「ネッ友」というやつだ。
この友人とはオンラインゲームを通じて知り合った。何度か協力プレイをするうちに意気投合し、今ではゲームを抜きにして、夜ごと他愛ない会話に興じる仲である。
よほど自己に対して無頓着なのか、アイコン画像は黒一色で、ユーザー名は「
声は中性的で、本名や顔はおろか、年齢も居住地も職業も不明だが、それで不都合は特に無い。相手がどこの誰だろうと、僕はただ、実生活とは無縁のくだらない話で楽しく盛り上がっていられれば満足なのだった。
今夜のやりとりも、導入はゲームの話題だった。テレビゲームの話からアナログゲームの話に移り、さらに、道具を必要としないゲームの話へ転じた果てに、僕はふと、幼い頃に夢中になって興じた遊びを思い出した。
「二十の扉」。
推理力と論理力が試される、いわゆる水平思考ゲームの一種である。
ルールはシンプルだ。まず、出題者と回答者に分かれる。出題者は、「正解」となる事物――例えば、「リンゴ」や「鉛筆」などを、任意かつ秘密裏に設定しておく。回答者は出題者に対し、原則「はい」か「いいえ」で答えられる質問を重ねることで正解に迫っていき、最終的に二十回以内で的中させられれば勝ちとなる。
「はい/いいえ」で答えられる質問と言っても、設定した事物によっては出題者が「どちらでもない」「分からない」などとしか答えられない場合もあるだろう。そこがこのゲームのミソであり、出題者の曖昧な態度や困惑なども、回答者にとっては重要な推理材料となるのだ。
僕がそんな話を披露すると、このゲームを知らなかった友人はいたく興味をそそられたようで、ならば一度やってみようか、と相成ったわけである。
ゲーム未経験者の友人は出題者、多少の慣れを要する回答者は僕だ。「決めたよ」と宣言した友人が、妙に自信たっぷりに付け足すことには。
「これ、キミには当てられないんじゃないかなぁ?」
その言い草にカチンときた。僕はこの手のゲームには少しばかり自信がある。友人がどれだけ意外なものを答えに設定したとしても、きちんと段階を踏んでいきさえすれば、正解に辿り着けないことはないはずだ。
「ほほう。じゃあ、もし見事に当てられたらどうする?」
「そのときには、顔出しして直々に拍手喝采してあげるよ」
「言ったな、忘れるなよ?」
売り言葉に買い言葉とは言え、こうなれば意地でも負けられない。気合い十分、僕はゲームを開始した。
「それは普通名詞ですか?」
第一の質問。丁寧な言い回しは、このゲームの決まり文句のようなものである。友人もまた、改まった口調で答える。
「はい」
「それは実在し、かつ、実体があるものですか?」
「はい」
「それは無機物で構成されていますか?」
「いいえ」
僕は一連の回答を聞いて安堵する。特定の人物や地名を答えに設定されると絞り込むのが厄介だし、存在や実体が無い――例えば、想像上のものや概念の類だとしたら、的中させるのは至難の業だ。
そして、類別が多岐に渡るために狙いどころを定めにくい無機物と比べ、有機物は生物学的分類を利用することで、ある程度は機械的に仕分けることができる。
「それには生命がありますか?」
「はい」
この返事も喜ばしい。今の質問に即答するということは、正解は有機物を原料とした加工物などではなく、基本的には「生きている」状態をイメージするものだと予想できる。
「それは原核生物または原生生物、もしくは菌類ですか?」
「いいえ」
「それは光合成を行いますか?」
「いいえ」
やりとりはラリーのように小気味よく続く。「はい」と「いいえ」しか発言できない友人には退屈かもしれないと案じたが、スピーカーから漏れる声は笑いを堪えるかのように微かに震えている。相手もこのゲームを楽しんでくれているようだ。
少々回りくどくなったが、これで五界説のうち、
安直になんらかの「生物」を正解に設定するとしたら、植物か動物を思い浮かべることが多いだろう。だが、もしも正解がアメーバやキノコといったマニアックなものだった場合に、進むべき道を誤ったまま引き返せなくなる可能性がある。脇道や迷い道は早めに封鎖しておいたほうがいい。
ここから先は、「動物」というカテゴリーの中で、ひたすらに細分化していくのみ。
「それは脊椎動物ですか?」
「はい」
種類の多さゆえに忌避を望んでいた「昆虫」の可能性が、今の回答で排除された。ついでに貝やイカやカニ、その他よく分からん動物諸々も。
「それは四つ足ですか?」
僕はさほど悩むことなく、言わば中継ぎ程度の気持ちで、その質問を放った。
だが、これまでテンポよく答えていた相手が、ここで一瞬言い淀む。
「一応、はい、かなぁ」
肯定。これで魚類が消え、残りは哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類に絞られた。
……が、煮え切らない言い方が引っかかる。
「四肢動物」ではなく「四つ足」と訊いたのが原因だろうか。僕も生物学に詳しいわけではないが、通話の相手が僕と同程度の知識を有しているとは限らない。先の反応が、「足」という言葉に惑わされた結果なのだとしたら。
「それは、鳥ですか?」
「いいえ」
違うのか。僕は口を尖らせ、少し悩む。
「それは哺乳類ですか?」
「はい」
選択肢を強引に絞り込む、やや当てずっぽうの質問ではあったが、結果的には成功したようだ。
哺乳類ということは、先の四つ足云々は、二足歩行を想像していたのだと考えられる。常時二足歩行であれば真っ先に思いつくのはカンガルーだが、一時的な二足歩行が可能な哺乳動物となると、該当するものは相当数にのぼる。
そう言えば……と、僕の思考が不意に逸れた。
いつだったか、一昔前、立ち上がる姿が可愛いと人気を博した動物がいたっけ。
あれは確か、タヌキでもなく、アライグマでもなく――。
「レッサーパンダ?」
「……いいえ。唐突にピンポイントだね? びっくりしたぁ」
ヘッドホンの中で笑い声が弾けて初めて、僕は無意識に声が出ていたことに気が付いた。「今のはノーカン! 独り言!」と慌てて訴えると、「ええー?」と、揶揄うような声が返ってくる。
レッサーパンダを除いて、ここまでの質問の数は十。これで折り返しだ。
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