第24話 これから

 さて、とハントは再びブラフとエルルーニアの小鳥に向き直る。今の彼に敵意は無い。荒波が納まった、凪のように穏やかな海のような慈愛に満ちた瞳をアリィに向けていた。


「ブラフ、帰って君のご主人様に伝えろ。僕の目的は《魔女の四肢》を探し出し捕らえて、あの魔女の許に届けること。近くお前を回収しに向かうから、それまで大人しく待っていろ、ってな」


 エルルーニアにもハントの言葉は届いていたが、敢えてハントはブラフに言葉を向けた。ブラフの腕の中で世界を見ているエルルーニアに、今目の前に立つハントは最愛の者を食らう悪魔に見えていることだろう。

 エルルーニアの小鳥から苛立ちの色を帯びた舌打ちがかすかに聞こえたかと思うと、瞬間ブラフの周りを炎の円が駆け巡った。これはエルルーニアの魔法だ。


「”……絶対に許さない。わたくしの大切なものを傷つけた罪は重いわ……!!”」


 怨恨に染った声色とともに炎に囲まれ消えていったブラフの傍に、ほんの一瞬だけ映った女性がハントを指さしていた。きっとあの女性がエルルーニア本人の姿なのだろう。

 炎は轟々と燃え盛り、そして落ち着いた頃にはブラフたちはその場から足跡さえも消え去っていた。



 ◆



「……おーおー。怖いね。僕も寝首をかかれないように気をつけておかないと。…………」

「そうですね……。……あの、ハント様?」


 語尾に力が無くなっていくハントの声に、思わずアリィは違和感を感じて彼の方を見上げた。立っているのが辛いのか彼の表情はどこか辛そうだった。


「……やっと……終わった……」

「えっ、ちょっと、ハント様!? しっかりしてください! ――わぁ!」


 ハントはそのまま全身の力を抜きアリィの方に倒れた。咄嗟に支えたはいいものの、成人男性の平均体重はあるであろうハントをアリィが支えきれるはずもなく、そのまま地面に二人して崩れてしまった。


「あぶない……」

「……ふっ、くくく。アリィには僕は重かったか」

「もう。無駄口叩ける元気はあるんですね」

「これでも割と辛いよ。……ただ、死ななくて良かったなと思って、気が抜けてしまったみたいだ」


 深く呼吸を繰り返すハントが儚く見えて、アリィは彼が心配になる。


 彼は三百年もの間、ずっと復讐心のみで生きてきた人間だった。

 その復讐相手へと繋がる道標が突然現れたのだから、一気に押し寄せた情報に混乱したとしても無理はない。


 不意に小さく、アリィ、と名を呼ばれた。


「はい?」

「疲れた。少し、ここで休憩したら、三女を探しに向かおうか」

「……はい」

「それまで、お願いがあるんだけれど」

「? ――――えっ。あ、ちょっと、ハント様!?」


 ハントは緩く動くと、そのままアリィの膝に自身の頭を置いた。いわゆるこれは「膝枕」と呼ばれるもので、恋人同士が甘える時などにする行動だとアリィは記憶していた。


「……うーん……?」


 しかしアリィはハントとの関係性がいまいち分かっていないために、膝枕を要求するハントの気持ちに首を傾げるばかりだった。

 ハントの行動の理由について考えていると、ハントの目線が自分に向いていることに気がついた。


「微妙な顔をしているねアリィ」

「……なんか、腑に落ちません」

「何が?」

「この……膝枕、が」


 アリィが言い淀んでいくのとは裏腹に、ハントはどうして? という眼差しを向ける。アリィはどうしても何も、という表情をしてハントを見つめた。

 ハントはコロコロと変わるアリィの表情を面白がった。


「笑わないでください」

「くくく、いやいや、ごめん。ほら、エルルーニアたちには将来を約束している間だと、啖呵を切ってしまったからね。こういうのも、悪くないだろう?」


 どこかでまだ見られているかもしれないしね、と疑われることが嫌なのか、ただからかっているだけなのか分からないトーンでアリィの問いにハントは答えたのだった。



 彼の言葉に呆れつつ、アリィは空を見上げた。空には雲ひとつない、青天が広がっている。心が澄んでいくような色に、爽やかな風が通り過ぎた。

 ふとハントのからかう声が消えたことに気づいた。


「ハント様……?」


 アリィが恐る恐る声をかけてみるが、彼からの返答は無い。どうしたのだろうとハントを見ると、彼はすでに夢の世界へと船を漕ぎ始めていた。



 ◆



 微睡みに沈む中で、頬になにか柔らかいものが触れたような気がした。

 その正体がなんであるか分かっていたが、ハントは敢えて考えることを止めて、それを受け入れることにした。


 たとえ彼女を買った目的が、偽善の延長だとしても。

 彼女へ向けるこの想いが、仮初かりそめのものだったとしても。


《魔女の四肢》や《青薔薇の魔女》に関係が無くとも。


 アリィという少女をあの貧民街から見つけたなら、彼はきっと迷わずその手を差し伸べたことだろう。



 ◆



 思考がふやけていく。ひと息ついて、彼はすぐに夢の世界へと身を委ねた。

 それは、いつか感じた温かい「家族」の温もり。




 彼が最後に見た景色は――――





「――…………ああ。悪くないね」

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【没落貴族】ハント・ダックアーツは呪われの左手姫を買う〜《魔女の四肢》とかりそめの恋〜 KaoLi @t58vxwqk

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