第23話 灰国【ガスタール】
それは、三百年前から始まった、ハント・ダックアーツの悲劇語り。
その日――病弱な妹が《青薔薇の魔女》よって奪われたばかりでなく、家族や友人、領民、そしてハント自身の碧眼さえも奪われた。
国は燃え灰となり、すべてが消えた世界に、彼は一人取り残された。
意識が遠のく中、彼は《青薔薇の魔女》から望みもしないある契約を持ち込まれる。
それは彼女を追い求めるために必要な、三百年の猶予だった。
◆
「……僕は旧大国では珍しい”延命種”という人種で、人よりは長生きをする体ではあったんだけど、その源であるこの碧眼を片方喰われてね」
この通り、とそう言ってハントは右目にかかった前髪を上げた。右目は、無惨に抉り取られており、その暗闇から貫通しているとさえ思えた。そこに映えるのは生々しく赤く染った痣の数々。《青薔薇の魔女》が施した、呪いの証拠だった。
「もう死ぬしかない僕に、《青薔薇の魔女》が何故か僕を呪い生かして、終いには自分の娘を探し出してほしいなんて言うもんだから、困った話だよね。まあ、あの女の望みを叶えられれば後は好きにいいと言っていたし、僕は快くその交渉に乗ったのさ」
どこかで、ありえない、と音が聞こえた。
「”延命種……? 貴方、灰国【ガスタール】のダックアーツ家の者だとでも言うの? ……ありえないわ! だってあの国はおとぎ話の中の架空国のはず!”」
いつからか快復したエルルーニアの小鳥が喚く。
「”まさか、実在していただなんて……”」
「よく知ってるな! 確かに三百年前ガスタールは滅び、後世に残るのはおとぎ話に登場する架空国としての名前だ。だが、旧大国にはおとぎ話ではなく実在していた。……感じるんだろう? 僕は君たちと同じだって!」
「――ぐぁあッッ!!」
「”ブラフ!”」
ハントは笑いながら、痛みにもがき苦しんでいるブラフに追い打ちをかけるように、彼の右脚をゆっくりと踏んだ。エルルーニアの悲鳴が空気を切り裂いた。
「さて、歴史の授業を始めようか? ――そもそも三百年前、《魔女たち》が度重なる戦争に嫌気が差して同盟を結んだことで旧大国が合併、新大国に変わった。その名残が今の三都市だ。不思議だと思わないか? そう、ガスタールだけカウントされていないんだよ」
何故だか分かるかい? とハントが意地悪な顔をしてアリィに訊く。アリィは静かに首を横に振った。
「うん。素直でいいねアリィ。ガスタールはね、その土地を統治していたはずの《青薔薇の魔女》が自ら不必要であるとして、炎の海に沈めたんだ。一族は皆殺し、残されたものは焼けた領地と僕ただ一人だ」
ハントの視界には今も、故郷の灰国が見えている。
「役割を与えられた《魔女の四肢》はそれぞれの都市にいると聞いた僕は、あの女と交わした契約を果たすためにこうして君たちと接触を目指している。……さあ、教えてくれ。【ストヴァ】のアリィ、【リュト】のエルルーニア、【カルラッタ】のミヤコ……では、灰国と化した【ガスタール】の最後の《魔女の四肢》はどこにいる?」
ハントは手にしている拳銃をゆっくりとブラフに再度向けた。ブラフは息たえだえになりながらもハントを睨みつける。
「ほかの四肢様のことなど知らない」
「……威勢がいいな。ブラフ。そんな君に選択肢を与えようか。エルルーニアの許へ僕らを連れていくか、今ここで死ぬか選べ」
「……選ぶわけないだろう、答えは決まっているのだから」
「そうか。では死ね」
ハントは拳銃をブラフの頭蓋に向けて引き金を引いた。ブラフはエルルーニアの小鳥を抱きながら目を強く瞑りその時を覚悟した。だがいつまで経っても発砲音も硝煙のにおいもしない。ブラフは恐る恐る瞑った瞳を開き、頭上にいるはずのハントを窺った。
そこにあったのは、目を疑うような光景だった。
◆
「おやめください、ハント様」
芯の通った声が響いた。
ハントを抑制していたのは、アリィだった。アリィはハントの前に横たわるブラフを守るようにして両手を大きく広げ、そしてハントと対峙していた。”お姉様……”という小さな小鳥のさえずりが、アリィの心に届いた。
「何をしてるアリィ。そこをどけ」
「どきません」
「何故? そいつらは君のことを消そうとしてた。君にだって憎む権利はあるし、手を下すことだって許される。なのに何故止める? 今が絶好の好機だ」
「……たとえそうだったとしても、わたしは血が流れるのを好みません。家族であろうが、他人であろうが、それは嫌です。そのせいでハント様の手が汚れるのも、嫌です!」
アリィの意志は固く、まったく微動だにせずハントから目線を外さずにいた。数秒後ハントは大きなため息をついて、諦めた表情をして拳銃を静かに下ろした。
「困った
「……! はい、ありがとうございます、ハント様!」
ハントはアリィの頭を撫でると、そのまま拳銃を胸元のポケットに仕舞い、右目を隠すために眼帯をつけ直した。アリィは、何故だかもう少しだけあの暗闇に燃える右目を見ていたいと思った。
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