梅若談義
「後輩~!梅若丸出たってよ~!」
「シッ、静かにしてくださいっす。先輩」
にぎやかな先輩を、後輩は黙らせる。
本日は埼玉にある庭園つきの能楽堂。
二人はホラーサークル活動の一環として、伝統芸能である能楽をみにきていた。
今回はまじめな目的で、決して幽霊を捕まえに来たわけではない。
当然、能楽堂なので静かにする必要がある。
「でも後輩~」
「おてては膝っす」
「さっき演者のオッサンが~」
「なんで関係者と仲良くしてるんすか」
先輩のフットワークの軽さと距離感の近さに後輩は呆れる。
一方の先輩はおててを膝のまま口は閉じない。
「ここの能楽堂、梅若丸の幽霊出るって言ってたんだよ~」
「あーはいはい」
後輩は軽くあしらう。
今回は純粋なる鑑賞会。捕獲網も持ち合わせがない。
「いたって捕まえられないんすから、今回は黙っててくださいっす」
でないと出禁になるっす。と後輩は釘を刺す。
「でもでも後輩。なんで今更梅若丸の幽霊? って思わない」
「……いや思うっすけど」
梅若丸は、『梅若伝説』に出てくる幼い少年だ。幼くして父を亡くし母と生き別れ、墨田川流域で亡くなった、と伝えられている。
まあ、少なくとも室町時代以前の人間だ。なんで今更、しかも能楽堂に化けて出ているんだ、と思わなくもない。
「不思議に思うのも当然。だが私はわかった。梅若丸の察し余る悲しみを」
「そっすか」
演目が始まる前にしゃべらせてしまおう。後輩は適当に相槌を打つ。
「梅若丸は幼くして父を亡くし、比叡山にて修業していた。しかし、人買いに攫われてしまい、遠く武蔵野の地、墨田川流域で没する」
「そっすね」
「本日の演目も『墨田川』。梅若丸を探し狂女となった母の悲しみを描いた、能楽の中でも屈指の悲劇!」
「そうっすね」
「まあ能楽のことはおいておき、おかしいとは思わないかね? 後輩よ」
「どこがっすか?」
「比叡山の子供が攫われるという点だよ」
「はぁ」
「反応悪いぞ後輩~。あの比叡山ぞ? あの比叡山延暦寺ぞ?」
「信長が焼いた寺っすね」
「そう。信長が焼くほど面倒だった寺だ。時代が違えどそうやすやすと子供を攫えると思うか?」
「つまり、なにか裏があったんすね」
「そういうことだ、後輩よ。実はこの梅若丸誘拐事件には、黒幕がいる」
「はあ、比叡山ですし、坊さんっすか?」
「あたらずも遠からず! 犯人は松若丸! 松若丸とは、あの親鸞のことだ!」
「ああ、あの」
「そう、あの浄土真宗の開祖、親鸞聖人だ!」
「で、なんでその人が黒幕なんっすか?」
「親鸞は京都出身。彼もまた幼くして比叡山延暦寺に出家していた。そして、その同輩に、あの梅若丸がいたのだ!」
「なるほど、同輩を蹴落とすためにっすね」
「そう。梅若丸と松若丸は互いに非常に優秀な子供だった。片方を蹴落としたくもなるだろう。そこで、松若丸は梅若丸を人買いに誘拐させ、はるか関東にて死なせたのだった」
「それで、梅若丸は松若丸、親鸞を恨んで化けて出たと」
「チッチッチ。それは違うぞ。後輩よ」
先輩は早計だ、と指を振る。
「自分で解説しといて、なんなんすかね」
「私が今しゃべったことは全て、最近ネットではやっている仮説にすぎない!」
「自説みたいにしゃべっといて今更っすね」
「実は梅若丸の幽霊は、この仮説を覆すために現れたのだ!」
「はあ、そっすか」
「考えてもみろ後輩よ。あの親鸞だぞ? あの親鸞」
「まあ、浄土真宗の開祖てきな人っすもんね」
「幼いとはいえ、ただの妬みで親鸞が梅若丸を亡き者にするか?」
「考えられないっすね」
「しかも松若丸という名は珍しいものではない」
「検索すりゃ他にもヒットするっすね」
「加えて梅若丸の正確な年代は不明! 梅若丸に関連する塚も、東京とか埼玉とか、なんか複数あるほどのあやふやな『伝説』なのだ!」
「眉唾ってことっすね」
「そう! そのような尾ひれ背びれな噂で、他人に悪評をつけてしまった! 梅若丸はそれに心を痛め、潔白を訴えるため幽霊として現れたのだ!」
「なるほどっすね~」
「おお、梅若丸よ。幼くして死した魂で、他者を思うその心、聡明さ。なんとしてでもその思いを掬い取りたい! なので! ぜひ! 私の目の前に現れたまえ!」
「はいはい、演目始まるっすよ~」
後輩は先輩を落ち着かせつつ、先輩の語りに集まった客をはけさせる。
「うお~! 邪魔するな! 梅若~!」
「はいはい、お口はチャックっすよ~」
後輩は受け流し、舞台に体を向ける。
先輩も演目の開始に仕方なく正座した。
始まった能楽に集中する二人。
その背後を横切った子供の影に、二人は気づくことはなかった。
渡来人の幽霊いたってよ! 染谷市太郎 @someyaititarou
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