チーズの上澄みをくれる友達

sousou

第1話

 最初に母が死んだ。次に、兄が戦争に連れていかれた。最後に、手紙が届いた。それら三つの出来事は、フレデリカが集落に通じる道を封鎖するのに、十分すぎる出来事だった。少なくともモンステロはそう認識していた。


 モンステロがフレデリカと出会ったのは。彼女が八歳の頃だった。その時モンステロは、ひとりで生きていくには申し分のない知恵と経験を身につけていた。にもかかわらずフレデリカとつるむようになったのは、彼女がチーズづくりで出てくる上澄みを、モンステロにくれるからだった。もっとも上澄みのおこぼれを狙っているのは彼だけではなかった。フレデリカが庭に出てきて、上澄みの入った桶を置くと、チーズの基となる乳を出した当人である、山羊たちも群がってくるのだった。


 やがてモンステロは、その家に住むフレデリカ以外の人間とも顔をあわせるようになった。彼を「モンステロ」と呼ぶようになったのは、フレデリカの母バルバラだった。彼女には(理由は分からないが)夫がいなかったため、普通なら男手に頼る仕事もすべて自分で行っていた。例えば、空模様で嵐が来るのを察知すると、屋根にのぼって屋根板の補強をした。冬に備えて、薪割りを行った。弓矢と短剣を携えて、森へ狩りに出かけた。


 たいていの場合、バルバラの仕事には息子のアレックスが付き添っていた。彼は幼いながらも、母と妹を守るのは自分の役目だと思っているらしかった。アレックスは誠実で、責任感の強い少年だった。簡単にいうと、好ましい少年だった。そのため、バルバラが他の仕事でアレックスと共に狩りに行けないときには、モンステロが一緒に行ってやった。アレックスの狩りの腕前はよかったので、出かければ必ず何らかの得物を仕留めた。おまえは目がいいんだね、とバルバラが言った。そして徐々に、母は息子を信頼し、力仕事をいくらか彼に任せるようになった。


 バルバラはふた月に一回ほど、家を空けることがあった。驢馬の背にいっぱいの荷物を載せると、子供たちに別れを告げ、四日間ほど帰ってこなかった。フレデリカが言うには、彼女と一緒につくり溜めた薬を、市場で売るためらしかった。モンステロには、なぜバルバラがそのような行為をしているのか理解できなかった。薬を売ると「お金」が手に入るらしいが、「お金」と引き換えに彼女たちが手に入れなければならないものなど、一つもなかった。彼女たちは何もかもを自ら調達し、自らつくりだすことができた。例えば、薬の原料となる薬草の多くは畑で育てていたし、畑で育てられないものは森で採ってくることができた。フレデリカは、「母さんはお金のために薬を売っているんじゃない。自分の薬が人様の役に立つのが生きがいなんだ」と言った。モンステロには「生きがい」の概念がよく分からなかった。


 ある日、五キロ離れた集落に通じる道から現れたのは、ぼろぼろの旅装束をまとった男だった。彼はおぼつかない足取りで数歩すすんだかと思うと、畑の脇に倒れ込んだ。バルバラが男に近づいた。


「見ない顔だね。うちに何の用だい?」


「あなたが薬師か? どうか……助けてほしい」


「病気なのか?」


 バルバラが男をあおむけにして、首元や腕を触った。


「なるほど。村人はあんたをやっかい払いして、あたしの家を教えたというわけだね」


 バルバラは男を家畜小屋に寝かせ、自分たちが寝起きしている住居からは隔離した。子供たちには、病気がうつるかもしれないから、決して家畜小屋に近づかないに、と言いつけた。それから、男のために薬を調合し、栄養のある食事をつくった。家畜小屋から追い出された家畜たちは野放しになってしまった。そのため、狼などに襲われないよう、モンステロが番をしなければならなかった。それは面倒な仕事ではあったが、もし山羊たちが死んでしまえば、チーズの上澄みが飲めなくなってしまうため、仕方なかった。


 バルバラの看病もむなしく、男は一週間後に死んだ。男の死体は家からやや離れた、森の樹の下に埋められた。それから二日後、バルバラが体調を崩した。バルバラは自ら家畜小屋にこもり、決して中に入ってくるな、と子供たちに言いつけた。子供たちはそれを守り、小屋の扉の前に、母のための食事や薬を置いた。ある朝、子供たちが呼びかけても、扉の向こうから母の返事がなかった。彼らは昼になって、もう一度呼びかけた。返事はなかった。夜になって、もう一度呼びかけた。返事はなかった。二人は口元を布で覆うと、小屋のなかに入り、母の様子をたしかめた。バルバラは死んでいた。フレデリカが十歳の頃の出来事だった。


 兄妹はたくましく生きた。アレックスが狩りで得物を仕留め、フレデリカが畑で野菜と薬草を育てた。フレデリカの人間嫌いが始まったのは、この頃からだった。あるとき集落の者が、彼女が調合した薬を分けてもらうためにやってくると、彼女は怖がって隠れてしまった。彼女にとって、母を殺したのは旅の男であり、旅の男を家にもたらしたのは、村人だった。一方でアレックスはもう少し思慮深かった。「村人たちといい関係を築いておけば、おれたちが困ったときに助けてくれるんだよ」と彼は妹を諭した。結局、落としどころとして、フレデリカが薬をつくり、アレックスがそれを村に届けることになった。彼女は決して村人と顔を合わせようとしなかった。バルバラが市場へ行くときに連れていた驢馬は売ってしまった。もう市場で薬を売る理由がなくなったからだ。


 フレデリカが十三歳の頃、戦争が始まった。ある日、集落に通じる道から現れたのは、軍服を着た男だった。フレデリカは激しく抵抗したが、それもむなしく、アレックスは集落の男たちと共に、戦場に連れていかれた。彼女は家に一人ぼっちになった。モンステロが家に入ってみると、彼女はランプの明かりもつけずに、寝台に横たわっていた。モンステロの姿を目に留めると、言った。


「あの道は塞いだほうがいいかしら」


 なぜ、とモンステロは尋ねた。


「あの道からやってきた病気の男のせいで、母さんは死んだ。あの道からやってきた軍人のせいで、兄さんはいなくなった」


 アレックスは帰ってくる、とモンステロは答えた。そのときに道が必要だ。すると、フレデリカは納得したようだった。彼女は集落に通じる道を、往復二時間かけて、毎日踏みならすようになった。そうしなければ、道はすぐに草木に覆われてしまうからだ。アレックスがいなくなってしまったため、村人には、置手紙でやりとりをして薬を提供した。


 フレデリカが十七歳の頃、戦争が終わった。ある日、集落に通じる道から現れたのは、村人の女性だった。彼女は一通の手紙を郵便受けに入れると、集落へ戻っていった。その様子を見ていたモンステロは、手紙が届いたことをフレデリカに知らせた。「きっと兄さんからだ」と彼女が言った。しかし、手紙に書かれていたのは、アレックスが戦死したという知らせだった。


 次の日からフレデリカは、道を踏みならす習慣をやめた。彼女は集落に通じる道に板を何本も渡し、そこからやってくるものが一切入れないように道を封鎖した。アレックスが帰ってこないのなら、その道は彼女に、絶望以外の何ものももたらさなかった。少なくとも彼女はそう信じていた。チーズをつくるための山羊はもういなかった。戦時中、食べさせる餌がなくて、あらゆる家畜を殺すしかなかったからだ。そのためモンステロは、チーズの上澄みをもう何年も飲んでいなかった。


 モンステロは道を封鎖するフレデリカを見ながら、絶望は道からやってくるが、希望もまた道からやってくる、と言った。憤然として振り返ったフレデリカが、「あっち行って」と吐き捨てた。モンステロは彼女に気づかれないように、彼女が以前行っていた習慣を引き継いだ。すなわち、集落に通じる道を毎日踏みならした。それを知らないフレデリカは、自分が渡した横木の向こうでは、草木がぼうぼうに生えて、いまいましい道はなくなっているだろうと思っていた。


 フレデリカが十八歳の頃、道に渡してあった横木が、何者かによって打ち砕かれた。何本もの横木が次々と打ち砕かれていく様子におののき、彼女は木立に逃げ込んだ。そこはバルバラの墓があるあたりだった。薄汚れた服をまとった男が一人、道から現れた。フレデリカがはっと息をのみ、男にむかって、脇目もふらずに駆けだした。


「フレデリカ!」


 兄妹はかたく抱擁しあった。アレックスが戦死したという知らせは、誤りだったらしい。


 それ以降、フレデリカは村人と交流するようになった。アレックスと共に、かつて母が通っていた市場へ行くようになり、調合した薬を売るようになった。薬を売ったお金で、山羊を買った。モンステロは再び、チーズづくりで出る上澄みを飲めるようになった。フレデリカはよく笑うようになった。彼女は自分の薬が、戦争で傷ついた人たちの役に立つことに、「生きがい」を感じているようだった。


 ある日、集落に通じる道から現れたのは、アレックスの戦友だった。彼は数日、兄妹の家に滞在し、フレデリカとよく喋り、モンステロをよくなでた(噛みついてやろうと思ったが、フレデリカが楽しそうだったのでやめた)。彼はその後も、アレックスと狩りをしたり、フレデリカと散歩したりするために、たびたび家を訪れた。


 やがて、アレックスとそいつと、村人たちが協力して、畑の隣に新しい家を建てはじめた。何をしているんだ、とモンステロが尋ねると、「フレデリカとマリウスが結婚するんだ。これは二人の新居だよ」とアレックスが答えた。そこでモンステロは、その日のチーズの上澄みを飲むとき、フレデリカにおめでとう、と言った。それから、森の奥深くへ入り、オークの樹の下で眠りについた。モンステロは満足して、その後、永遠に目を覚まさなかった。

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