最終話:今日までと今日から
* * *
「ねえ穂花ちゃん。もう出島さんとヤった?」
「ヤりませんっ!」
思わずの大声を出し、慌てて辺りを見回した。いつも白黒のカフェのそこかしこ、赤と緑のデコレーションが加わっている。
十二月二十四日、クリスマスパーティーだ。
店長と真地さん、あと何人かが接客に回り、残るパートの人達は今日はお客さん。招待された常連さんも十数人。
音量高めのBGM、ガヤガヤした店内。お酒も出て、そろそろ本格的に夜の時間。
幸いにこちらを凝視するような目は無かった。カウンター前へ用意された料理を手に、それぞれが好きな場所で楽しむ。それこそ立ち食いの人も。
「えー。一緒に住んで、もう半月くらいでしょ」
「そうですけど、しません。まだ固定具も取れないのに」
あたしが一人で住んでいた部屋に、彼が初めて泊まった日。キバドラグッズの一つずつについて話して過ごした。弟や高校の時のクラスメイトがくれたとか、思い出的な。
それから日付けの変わる頃には眠ってしまった。なんて、何日後かに問われるまま答えたのは失敗だったかもしれない。
誘われて食事に出かけた時など、忘れた頃に同じ質問をしてくる。今日は見知った人ばかりの中、あたしの声はひそひそと小さく萎む。
「やらないって、何を?」
不意の声。ビクッと背筋を縮め、見上げた。もちろんすぐそこに彼の姿。ちょっと眠そうな眼を微笑ませ、両手にお皿を持って。
「穂花さん、嫌いな物なかった? 選んだつもりだけど」
「う、うん大丈夫。ありがとう大ちゃん」
香草と炒めたチョリソーや、赤いソースの足されたピザ。さすが、あたしの好みは知られている。彼はと言えばミートボール、ドルチェチーズにメロン。
「固定具が取れたらいいんだって」
「ん、何がです?」
対面の椅子に腰掛けるのも待ちきらず、また明さんが。当然に彼の顔へは、クエスチョンが浮かぶ。
「あっ、明さん!」
「はいはい。ごゆっくり」
ぐいっとグラスを空け、明さんは席を立つ。まっすぐ店長のほうへ向かうのは、たぶんそこにワインサーバーがあるから。
「あはは。大ちゃん、好きな物ばっかり」
「えっ、ダメだった?」
「ダメじゃない。可愛いなあって」
「いやいや、おっさんが可愛いとか無いから」
子供の拳くらいもあるミートボールを、丸ごとひと口で。こんな人が可愛くなかったら、他に何が可愛いと言うのか。
彼に聞いても答えは分かっていて。今度はこちらが、あたしなんかと言わなければいけない。だから黙って、お腹を膨れさせていく姿を眺めた。
すぐにお皿を空にして、お代わりを取りに行く背中も熊さんみたいだ。
「大ちゃん、今日は緊張してないみたい」
「そうだねえ。結婚式とか忘年会とか、こういうほうがまだ馴染みがあるかな」
「そっか。さすが大人」
せっかく明さんが呼んでくれたけど、彼が嫌だったら参加しないところだった。しかし大丈夫だからと言ってくれて、信じて来てみて良かった。
あの件から二ヶ月足らずなのに、目に入る人がみんな懐かしい。ウェブマガジンのお姉さん、雨の日のおじいちゃんとおばあちゃんも。
「――端居さん。隣、座って良き?」
しばらく経って、真地さんがやって来た。イメチェンだろうか、髪があたしと同じくらいに短くなって、彼女にしては普通の茶色。
あたしと大ちゃん、それぞれに会釈する姿もらしくない。
「あっ、休憩? もちろんだよ、どうぞどうぞ」
エプロンを外し、食事を手に。あたしの隣の椅子へ彼女は座った。
「怪我、まだまだかかりそう?」
「うーん。あと一、二ヶ月かな」
「そか。復帰したら話せる
チョリソーのコルネがマスタードで黄色くなっている。彼女はそれを美味しそうに、大きな口でかぶりつく。
「えっ。真地さん、もしかして辞めるの?」
「うん、今日で終わり」
店でいちばん大きなジョッキを満たす、黒い炭酸水と交互に。合間に申しわけ程度のミニトマトも挟んで、着々と食べ進む。
「大学、暇なんじゃなかったの」
「暇だから。卒業まで、家に帰んの」
「そうなんだ……賀屋くんも?」
見た目が変わり、話題もあまり明るくない感じ。しかし元気が無いのかと思えば、そうでもないらしい。
何が面白いのか「あははっ」と、コルネの切れ端を飛ばして笑った。
「賀屋は先月。なんか素直で優しい奴って思てたのに、そうでもなかった。てゆか、酷い」
「酷い?」
あれからお店に来るのは初めてで、知らなかった。たしかに知らないパートの人も居て、入れ替わりがあったんだなと今更気づく。
「端居さんに謝っといてって頼まれてるけど、聞く?」
「あたしに?」
わけが分からない。真地さんとのお付き合いが終わったのだと思うけど、そこでどうしてあたしなのか。
賀屋くんとの接点をいくら考えても、仕事中の会話しかない。ただ男女の話には違いなく、酷いと聞くと思い浮かびそうになる顔がある。
「ごめんなさい。あんまり聞きたくないかも」
「おけ、美香も聞かんほうが良きと思う。つか端居さん、
「ええ?」
そう言うと真地さんは、残っていた食事を平らげた。後半はどういう意味か質問したつもりだったが、答えてもらえなかった。
「美香も端居さんに謝っとく。
「ええっ。いいよいいよ、真地さんには色々と応援してもらったもん」
まだ昔話にはできないが、終わったことだ。言う通り、彼女のせいではないし。
「じゃ。しばらくして気ぃ向いたら、マジ遊び来るかも」
と手を振り、真地さんはカウンターの中へ戻る。
復帰したらと言っていたが、正直なところで返答に困っていた。
それきり彼女を見ることはなく、最後まで答えられなかったが。
「疲れた?」
真地さんと話して、ぼんやり考えごとをしていた。何をどうとはっきりしない、たぶんここ何ヶ月かの振り返りみたいな。
「えっ?」
「何か、顔が赤いから」
大ちゃんに言われ、自分の頬に触れてみる。たしかにお酒にでも酔ったみたいに火照っていた。
「あれ、これお酒だったかな」
グレープフルーツのジュースのはず。ほとんど飲みきったグラスを傾けたところで、正体は分からないが。
大ちゃんが手を伸ばし、味見をする。「いや?」と仮説が否定された。
「明さんの息のせいかな」
「そんなに弱いんだね。涼みに出ようか」
実際に酔っ払っているかはともかく、暑くて息苦しい気がしてきた。真冬の夜風に当たれば、それは気持ち良さそうだ。
しかし表のテラス席には先客の姿があった。となると店員の特権で店裏に回るしかない。
とは言いわけで、久しぶりにこうしたかったのだと思う。自動販売機に並べてプラケースを重ね、彼とぴったり寄り添って座った。
「あたし、やっぱり復帰しようかな」
「決めたの? 俺はどっちでも賛成するけど」
「うん。その為に家も反対方向で探したんだし」
彼の住んでいたアパートも二人には狭く、新たに探したマンションに住んでいる。以前のライオンパレスより、あたしの実家からもひと駅は遠くなった。
「いいと思う。穂花さんのことだから、よくよく考えたんだろうし」
「うーん、そうでもないかも。今日、久しぶりに来てみて、ここが好きだなって思えただけ」
彼は「そうか」と笑った。毎日のように見せてくれるが、そのたびに嬉しくなる。
「これ、あたしの」
ふわふわのダウンの袖ごと、彼の腕を取る。胸に抱き締め、枕代わりに頭を乗せた。
「ちょっ、ちょっ! 外! 外!」
「えー」
家の中なら好きにさせてくれるのに。不満の声を上げながらも、真っ赤になった顔を可愛いなあと観察する。
まあ、あんまり続けてはかわいそうなので、交換条件を出すことにした。
「アップルティー飲みたい」
いつか病院に持ってきてもらったきりだ。と思い出したのは、「ああ、そういえば」と大ちゃんが言ったから。
彼は片手の自由を奪われたまま、器用に小銭を投入してアップルティーのボタンを押した。
蓋を開け、あたしが先に飲ませてもらう。彼の手で、だ。
もうひと口。りんごの息が、白く濃く広がって消える。それから彼はプラケースに座り直し、自分の口にもアップルティーを注ぐ。
「なーにイチャついてんの、こんな暗いとこで」
いつから見ていたのか。明さんの声に振り返れば、すぐ後ろに居た。
驚いた彼が「うわっ」と声を上げる。今回は少しお尻を浮かせただけで、転ばなかったけれど。
「前のことを思い出すのにいいんですよ。灯台が照らしてくれるから」
「どこに」
ぐるり、不思議そうに首を巡らす明さん。
目を見合わせた彼が笑って、「教えてあげれば」と。優しい彼の提案に、もちろんあたしも賛成だ。
夜道の自動販売機は背中を照らす 完結
夜道の自動販売機は背中を照らす 須能 雪羽 @yuki_t
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