【惨夜】『真円貌の怪』其ノ參
七
翌日は朝から生憎の雨でございやした。
「う〜〜ん、怖くて眠れそうも無いんでビール三本空けてそのまま寝たんですけど、目覚めてみたら軽く二日酔いで頭痛が。責めはしませんが、これは酌に付き合ってくれなかった梅苑さんが半分くらいは悪いんやと思います」と仰るので
「
「ほんますいません、助かります。うちのこと嫌いにならんといて下さいね。うち決して酒癖の悪い女なんやなくて、きのうは特別その神経が昂ぶってもうて」
「仰る気持ちはわかりやすから、気にしねェで下せェ。あっしも中々寝付けなかったのは事実でございやすから」と宥めつつ、宿を出たのは十四時半のことでありやした。
“現場”の地形をも一度説明しやすと、細い歩道とやや狭い二車線道路が交差した「四ツ辻」でございやす。ただあっしらが歩いて行きやす歩道とは道路を挟んで左側にややズレた位置に「例の掲示板の路地」はございやすから、道路事情に詳しくないあっしの「四ツ辻」って表現は正確さを欠くやもしれやせん。
ただその「左側にややズレた位置」というのはあっしらにとって多少の優位点になるやもと考えておりやした。まっ直ぐ向かってそのまま路地を見渡せる地形なら「例の女」の姿を捉えた途端、怖気に震えて逃げ出しちまうやもしれやせん。けども地形にズレが存在することで「相手を遮蔽物から覗き見ることができるなら」こいつは中々に好都合じゃありやせんかね?
いやご想像がしにくい説明を長々と申し訳ありやせん。要は「あちらさんから見えずとも、こちらからは見放題」な状況を作りたいてな意味でありやす。それにしても雨がザアザアと、朝から降っておったそれが昼過ぎていよいよ本降りになって来やした。あっしはその辺で適当な雨傘を買い、偲舞嬢は両手にキャメラを扱う都合上、雨合羽姿でございやす。
「御用意がようござんすな」と声を掛けやすと
「フッフ。これでも一応プロですからね。商売道具は大事にしなくちゃですし、事前の用意も怠らずなのですよ」
「それじゃあ参ると致しやすか。事前の取り決め通り、『絶対安全第一』でお願い致しやす」
「合点承知です!」
あっしはお天道さんを愛する江戸者でありやすので雨は
「どうでありやしょうか、偲舞お嬢。まだ見える距離じゃありやせんが、何か霊感的なモノを感じやすかね?」
「どう説明したらええんやろか・・・。武者震いって言うんですかね?うちこの四ツ辻に差し掛かる直前から震えが止まらんみたいで。恐怖っていうのとは幾分ちゃうんですけど、“生存本能”が危機を察知しとるのやろか?まだ姿も見てないのにこんなこと言うんはアレなんやけど、これほんまやばいちゃうんですかね?」
「ご忠告痛み入りやすぜ。とりあえずお嬢はここで待機。あっしが車道を渡って路地の手前、右の塀に張り付きやす。そいでちょっくら覘いて、やっこさんがおれば『マル』おらなんだら『バツ』ってな風に合図を出しやすので。もし『マル印』が出たら望遠での撮影、お願いできやすかね?」
「もちろん。その段取りで行きましょう。けど梅苑さん、絶対近寄り過ぎひんで下さいね!もしほんまこらあかん思たら、うちが渡した“御神鏡”掲げてみて下さい」
「わかりやした。あなたさんからお貸し頂いた大切な御鏡、こうして懐に大事に抱えておりやすから安心して下せェ」
あっしは実際持ってた風呂敷布を任侠者のサラシのように腹にぐるりと巻き、臍から丹田辺りにしっかり“御神鏡”を挟み込んでおりやした。じゃあ手筈通りお願いしやすと偲舞嬢に一礼して、走ってって二車線道路を渡り、予定通り路地を覗ける位置の右の塀に張り付きやす。と、やっこさんが存在するのかちょいと路地を覗いてみやすと——
○○○●●●○○○●●●○○○●●●
その“女”の印象は「白と黒の“巴紋”」——俗に云う「二つ巴」というやつでありやした。
坂本辰真氏が仰ってたように、遠目で見ると少々見窄らしい感じで「鴉のように黒い濡れ髪——それは脚の膝裏の窪み、
女は「左方向にある掲示板」の方を向いて佇んでおりやすから、その表情を窺い知ることはできやせん。ただまるで既視感のある“構図”に思えるでやす。こいつァ鳥山石燕画伯の『
そいでやっこさんは何か掲示板の方を一心に見つめてなにか「ブツブツ呟いてる」んでありやすよ。そんだけじゃなく異妖な点はその“指先”にもございやした。「女の肌は着ている経帷子と変わらんくらい真っ白い」んでありやすが、その「手首から先」は染めモンでもしたかのように「
その真っ黒い爪の懼ろしさにハッと一度身を退きやしたが、逆になんぞ「やっこさんが書き物に集中している」ならこれはシャッターチャンスのはずと判断しやしてね。大急ぎで偲舞嬢の方に両手で作った『マル』の合図を致しやした。すると偲舞嬢が二車線道路手前で路地方面に折れ、ある程度距離を置いての写真撮影を開始致しやした。この雨ん中、巧く写真が仕上がるかはわかりやせんが偲舞嬢のプロの技術にお任せするほかねェでやしょう。
も一度怖々と路地を覗きやすと「例の女」は書き物に夢中になっており、全くこっちには気付きやせんし、偲舞嬢の撮影にも意識が行く様子はありやせん。なのであっしは雨音で聞き取りにくいでやすが、「例の女の呟き」に耳をそばだてて集中致しやす。するってェとこんな歌詞の“唄”を「繰り返しで謡ってる」ことに勘付きやした。
《と〜おしゃんせ、とおしゃんせ〜/こ〜こはど〜この細道じゃ/■■■■様の細道じゃ/ちっと通して下しゃんせ/五体のあるもの通しゃせぬ/この子の七つの弔いに、御骨を納めにまいります/往きは宵黄泉、還りはこわい/こわいながらも、と〜おしゃんせ、とおしゃんせ》
漢字は「宛ずっぽう」のあっしの独断でやすが『通りゃんせ』を替え歌して“不穏”な意味に差し替えてるのはなんとなく解りやした。
本来の歌詞だと「天神様」に当たる部分が何と言っておるのか、二、三度目のリピートを集中して拾おうとしましたが、聴き取れやせんでした。憶測ですが天神様と成る前の怨霊で在った「
さァそいじゃ一度この「雨を言い訳に」引き揚げるとしやすか、と思いやすも今度は「別の音」が気になって足がその場から離れやせん。最初は雨音に紛れて聴こえずらかったようでやすが、「女の唄」を集中して聴いてるうちに「そっちの音」も聴き取れるようになったようで。それはこうした感じの一種の「風切り音」でございやした。
《——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——》
そいでね皆さん。ご経験がおありか判りやせんが、こういった「風の音」ってのはどうしてか“催眠効果”があるんじゃねェかと、あっしはたまに思うのでやすよ。
もちろんその手の方面にゃ疎いので、自分の経験則でしか語れやせんがね。例えば台風なんかが来た時に雨戸を全部閉めきって——家に籠もって身の安全を確保しやすね——するってとある種の“結界”ができやすでしょ?
そうすっといくら乱暴な台風の音だって「子守唄」たァ言わぬまでも「メトロノームのように一定のテンポを繰り返す音」に近いと感じやせんか?
いや申し訳ねェ。“共感”の押し付けをしてェわけでなく、こん時のあっしの「見事“術中”に嵌った」ような状況がまさに——あとから考えたら“催眠”に近かったんじゃねェかと思いましてね——。
《——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——》
そん時のあっしは「この音」の正体を探ろうと「耳かっぽじって聴いていた」あまり、そいつがまさに「目の前にある」事を見逃してたんでありやすかね?
そうでありやすよ、例の“
《——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——》
坂本辰真氏がまさに言ってた通りでありやした。“顔貌”の細かい造作なんぞ「そんなのどうでも良いんです。アレにそんなもの求めちゃいけない」。
然り、まさに然りでございやすな。真円貌の“
骨の造作なんぞ端から「どうとでも良い」というばかりに——目の前の女は「顔は真正面」を向いた儘——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——扇風機のファンのように——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——と“真円”を描いて——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——その
どちら廻りかは高速過ぎてわかりやせんが——フォンフォンフォン————フォンフォンフォン——あっしが抱いた第一印象である「白と黒の“巴紋”」てのがまさか“顔貌”そのもんにまで至るとは思えず——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——あっしは一体どのくらいその——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——ファンのように廻転する頸と、“巴紋”のように白黒に滲んだような“真円”の顔貌に——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——
八
どこかで車の“衝突音”が聞こえた気は致しやしたが、その後の記憶はございやせん。気付いたら病院のベッドでありやしてね。目覚めて最初に視界に入ったのが「偲舞嬢のお顔」だったのは、こいつァ景気がイイや!と嬉しくなりやした。
「梅苑さん、気が付かれたんですね。もうね、三日も意識不明やったんですからね」といきなし泣き顔で言われやしたんで、なんでェ三日で生き返るならむしろ運が良かったんじゃねェかと。
「お嬢の方は御変わりありやせんか?その包帯は一体どうしたもんで?」
「あはは。梅苑さん助けようとした時、事故っちゃんたんですよ、うち」
「そんな・・・。実際お体は大丈夫なんでありやすか?」
「幸い、打ち所が良かったみたいで。利き腕の方やったんはアンラッキーですけど。骨は折れてなくてヒビだけやったんわ不幸中の幸いゆうか」
「しかし、あっしとしちゃあ・・・。こちとらどんだけお詫びを言ったら良いんだか」
「少なくとも梅苑さんのせいじゃありません。うちが左右の確認もせずに飛び出してしもたんと、間違いなく恨むなら『あの女』のせいやと思います」
「すごく尋きづれェでやすが、『あの女』は結局どうなりやした?」
「どうもこうもですよ。あん時のうちの行動を説明すると必死にシャッター切ってるうちに、梅苑さんがその場でじっと動かなくなるんが、遠目でも判りました。せやからちょっと声かけようと車道渡ろうとしたら左手側からバァン!てな衝突もらってしもて。アタタタ、こりゃしもたな思いまして。あ、全然意識とかは問題なくて。相手が普通車やったんが幸いやったんですかね?当たられた方の左腕より、倒れた時下敷きんなった右の方がアカンなってしもて。けどなんとか痛みこらえて左の方でケータイ操作してその場で救急車呼んで。あ、気付いてへんかったかも知れんけど梅苑さんもその場でバーン倒れてたんですよ。倒れる瞬間うちも見てへんから細かくは判りませんけど。仰向けやったから後頭部打ったんじゃないかと、うちほんまにほんまに心配で。けど今こうして生きて再会できたんわ、ほんまにうち嬉しいです、わぁぁぁ!」と突然、偲舞嬢が号泣し始めちまったもので。あっしも嬉しい半面、困惑半面で。いやァあっしは普段、女を泣かせるような男じゃあ無いんでやすけどね。
おっと、随分と一人で喋り過ぎちまったようなので「締め」に入りやすね。偲舞嬢がせっかく撮影してくれた「あの女」の写真なんでやすが——そうでやすね、「映ってはいたもののブレにブレてしまっていた」というか。哲先輩曰く「心霊写真特集には使えるけど、これ一本の記事で行くのはちと厳しいかなぁ」でありやした。
それとあの日以来「あの路地での目撃の噂」もパタッと無くなっちまったようでやすな。あっしにとっての不幸中の幸いだったのは「偲舞嬢があの女の顔を見なかった」ことでありやすね。どころか、撮影中も「雨のせいでメガネが曇っちまって横顔すらよく見えなかった」ようでありやす。
「次はちゃんと梅苑さんのためにコンタクトにしますから!うちのこと、どうぞ見捨てんといて下さい!」と仰ってやしたが、むしろその視力の悪さのおかげで偲舞嬢は「あの顔貌」を見ずに済んだんでやすから、これ幸いと言わずしてなんとやらでやすな。
ところがその——あっしの場合「夢で見る」ようになっちまったんでやすな。いや正確には「夢で聞こえる」ようになっちまったんで。
「何を」って?もちろん決まってるでやしょう。ほら、今もあっしにゃア「耳にこびりついたように」しっかり聴こえるんでやすがね
《——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——》てな音でやす——。
【幕間・其の三】〜大学生・中山桂馬の視点〜
錯覚でもなく“幻聴”でもなく、僕にも軛駝さんが聴いたというその“音”はハッキリと聞こえていた。いやむしろ冗談でも洒落でも“演出”でもなく「今この場にいる怪談会の面々の全員」が耳にしているのではないか?それはこんな音で——。
《——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——》
確かにそれは「風切り音」のように聴こえる。けれどこの場に、ぬらり翁の邸宅である『赤蛸堂』にそんな音の“発生源”など——。
「フォッフォッフォ、
そこで土倉間君が僕の心情を察したかのように具申した。
「あの、ぬらり翁。先ほどから実際、僕の耳にもおかしな“異音”が聴こえるのですが——」
「ええ、ええ。もちろんわたくしにも聞こえておりますとも。『招かざるお客人』ではございますが、この『音の主』がわたくし共の元へ馳せ参じた様子であられます」
ちょっとこのお爺さん、何を呑気に構えているんだ!と思ったのは云うまでもない。あの女が、軛駝さんの話にあった「真円の女」がここに来ているだって!?そういえばと軛駝さんの方を見ると、まるで平家の怨霊に怯える「耳なし芳一」のように目を瞑って必死に何かに耐えている様子だ。
「招かざる方とはいえ、お客人はお客人でありますからな。こちらの方でもきちんと“応対”しなくてはなりません。
「あい、あい。あくだれもんのおなごしには、逆ぼこさ喰わそす他ねーだわね」といつの間に広間へと戻っていた寺古家葦乃さんが立ち上がり、何か発言したのだが僕には「訛りが強くて」よく聞き取れなかった。
ぬらり翁は丁度背後に置いてあった丈夫そうな長櫃を開き、「物干し竿くらい長い棒状のモノと、槍の穂先のようなモノ」を取り出し、葦乃さんに手渡した。もしかして、土倉間君曰く『祓い専門の巫女』である葦乃さんの「お祓いの実践」が見られるのであろうか?だとしたらすごく貴重な機会だ。
「音はすれども姿は見えず、かとは思いますが。皆さんにもこうしてご覧頂きましょう」と、ぬらり翁が立ち上がり幽霊画の床の間に置いてあった“青行燈”を手に持ち、庭の方を照らすように障子の前に行燈を持ってくると——。
「視える、視える、視える、視える!」障子を透かして薄ぼんやりと庭が照らされると、そこに——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——フォンフォンフォン——と「真円の女」の“真円形”の影法師が障子に映り、あの女が「赤蛸堂の枯山水庭園」に居るのがはっきり視える!
そしてずずいと、まるで長槍を持った女武者の出陣のように——寺古家葦乃さんが障子を挟んで「真円の女」と向き合った。それと葦乃さんが持っている「三叉の穂先」の槍のようなモノは確か——「あくだれもんのおなごしには、逆ぼこさ喰わそす」と仰ってたが「逆ぼこ」、それはつまり“
《掛まくも
「ケェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェイッ!」
祓詞(はらえことば)とその後の“怪鳥”のような気合いによる“逆鉾”の一閃——。“巴紋”のような頭をした影法師は庭園から一瞬で掻き消えていた。
果たして「逆ぼこさ喰わそす」ことで消滅したのか?或いは葦乃さんの霊力に懼れ慄き敵前逃亡したのか?今はまだ判らないが、とりあえずこうして軛駝梅苑氏を悩ませた『真円貌』の騒動は、無事落着した。
ぼっぱら堂禍異談 海千葉典 @sea_thousandleaves
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