第四話 似ているようで似ていない

「仕方ねえなぁ」

 

 ブツブツ言いながら、タツは客を迎え入れるため玄関を出て門扉へ向かった。


 

 ネオンの姉ということは、おそらく悪魔だ。人間と悪魔との混血か、純血の悪魔。おそらく後者だろう。

 汐緒うしおは、ぎゅっと手を握りしめた。


  

 タツに促されリビングに入ってきたのは、背の高い女性だ。

 緩やかにウェーブを描く長い茶色の髪。茶色の瞳。

 見た目は二十代半ばといったところだろうが、実年齢はわからない。

 白い肌に派手目の化粧。ピンクのアイシャドウ。濃いピンク色の口紅。

 ショッキングピンクのスーツを身に纏っている。

 動くたびに揺れそうなくらいの大きな胸を強調するデザインのジャケット。

 ロング丈のタイトスカートはサイドにスリットが入っている。

 ビジネス街で働く会社員の女性というよりも、夜の繁華街の接客を伴う飲食店で働く女性の服装に近い。扇情的とも言える。

 

「夜分に失礼いたします」

 ネオンの姉は、髪をかき上げながら目を細めて室内を見回した。

 

 タツは先ほどからずっと眉間に皺を寄せたままだ。

「ほんとにな。とっとと用件済ませて帰れ」

「相変わらず冷たいですわね」

「こっちは家族水入らずで過ごしていたのを邪魔されたんだ。七海ななみ、茶は出さなくていいぞ」

 タツはキッチンへ向かおうとする妻を引き留めた。

「でも……アシュレタルトさん、お久しぶりです」

「ご無沙汰しております。七海さんもお元気そうでなにより。お茶は結構ですわよ。すぐにお暇いたしますから」

 

 タツだけでなく、七海とも顔見知りだとわかり、汐緒は警戒心を解くべきか迷った。

 

「なんだよ、タルト姉! 何しに来たんだよ! 俺を魔界に帰す気じゃねぇだろーな?」

「静かになさい、弟」

 喚くネオンを一言で黙らせ、アシュレタルトは汐緒に視線を向ける。目が合う。

 

「あの、初めまして……」

 おずおずと挨拶をする汐緒をアシュレタルトは目を細めて見つめた。唇が弧を描く。

 

「ふふ。初めましてではないけど、一応初対面の挨拶をしておきますわね。初めまして。ネオンの姉のアシュレタルトと申します。人間界では万葉原まはらタルトと名乗っておりますの。気軽にタルト姉と呼んで頂けると幸いですわ」

「はあ……」

 

 初対面ではない……?

 汐緒は瞬きをした。

 

「そうそう、十六歳のお誕生日おめでとうございます」

 すっ、と射貫くような瞳で見つめられ、居心地が悪い。なんだか、嫌な感じがする。 

「あ、ありがとうございます」

 

「ふふ……十六歳……いいですわね」

 

 ぞわり。汐緒の全身に鳥肌が立った気がした。

 本能的な恐怖。

 逃げなくてはならないと思うのに、足が石になってしまったかのように動かない。

 やっぱり、さっき嫌な感じがした時に逃げ出していれば良かったのかもしれない。


  

「おい、用件を早く言え」

 汐緒の顔色が変わったことに気づいたタツが、舐め回すように見ている女悪魔から娘を庇うように割って入った。 

「これを」

 嫌悪感を隠さず睨みつけられていることを気にする素振りも見せず、アシュレタルトは書類の入った封筒をタツに差し出す。 

「この書類にネオンのサインを」

 タツは頷くと封筒から書類を出し、ネオンにサインをさせた。

 

「なぁ、血判はいいのか」

 ネオンは自分の左手の親指の先を見つめて首を傾げ、姉に尋ねた。

「いつの時代ですか。イマドキそんなもの必要ありませんわ」

「ふうん」

 

 アシュレタルトが左手で書類をひと撫ですると、彼女の茶色の瞳が一瞬、金色に光った。

 書類が光りに包まれ、泡のように消えていく。

 

 あぁ、本当にこのヒト、人間じゃないんだと汐緒は思った。

 

「受理されました。ギリギリ今日の日付でございます」

 おお、と声を上げるネオン。

 

「魔界の王ルシファルトの長男ネオンは、これで晴れて人間界で再び『万葉原まはらネオン』として生活出来るようになりました! おめでとうございます、我が弟!」

 どこから取り出したのか、アシュレタルトはパーンとクラッカーを鳴らし、天を仰いだ。

 

「やったぁ!」

 ネオンは万歳して喜び、七海は微笑みながらネオンを見守っている。

 

 さっき掃除したのに、また掃除しないとならないよねこれ、と汐緒は思った。たぶんタツもそう思っているはずだ。

 

 

「……で・す・が! 貴方は十五歳。ここ日本ではまだ未成年。保護者か後見人が必要ですのよ」

 チッチッチッと言うように、人差し指を振りながらネオンに近寄るアシュレタルト。

 

「……え。えーと、じゃあ……それはタツ兄で。タツ兄、よろしく」

 ちらりとタツを見ながら、ネオンは頭を軽く下げた。


「いえ、わたくしが保護者ですわ!」

 頬の横で人差し指を立て、アシュレタルトは、うふふと微笑んでいる。

 

「なんでだよ!」

 喚くように叫ぶネオン。

 

「血縁者が近くにいるのに、わざわざ他人に頼むことはないでしょう」

 

「やだ! せっかくここに住んでもいいってタツ兄に言われたのに! 汐緒と一緒にいたいんだよ! 邪魔すんな! なんでこういう時だけ姉貴ぶるんだよ! あのクソ親父から頼まれた俺の世話をベル姉たちに押し付けたくせに!」

 

「お黙り。誰がわたくしと貴方が同居すると申しました?」

「え」

 

「わたくしもひとりの妙齢女性。思春期真っ只中の多感なお年頃の男の子と同居して面倒を見るなんて、手に余るのですよ」

 

 右手を頬に当てて身体をくねらせながら目を閉じ、わざとらしく媚びたような声を出すアシュレタルト。 

 どうやら非力でか弱い女ということをアピールしたいようなのだが、ネオンはカメムシの匂いを嗅いだように顔を顰めた。

 

「はぁ? 何言ってんだ。やめろよ気色悪ぃ」

 

 タツも、どうでもいいから早く帰れと冷たい目で見ている。


「話は最後までお聞き。この度、わたくし、管理局の長野支部に赴任が決まりまして、市内の新築マンションを購入しましたの。すぐ近くにおりますから、安心して六条松ろくじょうまつ家に下宿なさい」


「え、俺、この家にいていーの?」

 

「ええ。思う存分、六条松家にお世話になりなさい。レッツエンジョイ居候生活!」

 両手を上に広げ、くるりと一回転するアシュレタルト。

 

 汐緒は信じられないものを見る目でネオンの姉を見た。

 このままそのマンションに連れて行ってくれればいいのに!


 ……いや、ちょっと待って。

 汐緒は眉を顰めた。

 

 マンションって、そんなにすぐに買えるものなの?

 しかも、新築……ってことは、まだ当分は入居出来ないってことかな。 

 それと、下宿と居候は違うものだ。 

  

「さっき、下宿とか言ってなかったか? どっちなんだ」

 タツも同じ疑問を抱いたようで、ネオンの姉に問いかけた。

 

「あら、そうでしたっけ? まぁ、どちらもこちらの家に住むのですから、似たようなものでしょう」

「違うだろ!」

 

 タツはアシュレタルトに下宿と居候の違いを説明した。

  

 空返事をするアシュレタルトを見る汐緒の目が、胡散臭いものを見るものに変わっていく。


  

「ふふ。六条松家の皆様、安心なさって。弟が成人するまで、彼のお小遣いはわたくしが負担いたしますので」


 そういうことじゃない!

 汐緒は心の中で叫んだ。


 ウインクするアシュレタルトにタツは眉間の皺を深くし、顎をしゃくって玄関の方を示す。もういいから帰れ、ということらしい。

 

「ありがとう、タルト姉大好きぃ〜‼︎」

 ネオンは姉に抱きついた。

 ばっさばっさと尻尾が左右に大きく振られている。まるで犬のようだ。

 

「ええい、離れなさい! それと、人間界こっちでは尻尾は隠しなさい!」

「家の中だし、いいじゃねーか」

 

「尻尾は悪魔にとって大切なものだと何度も申し上げているでしょう。それを人目に晒すなんて、ありえないことですのよ」

 アシュレタルトはネオンを引き剥がし、言い聞かせるようにネオンの顔の前で人差し指を立てた。キラキラとラメ入りのピンクのネイルが光っている。

  

「んー、でも俺、術使うの、あんま得意じゃねーし。家にいるときぐらい、ありのままの俺でいたいっつーか……」

 尻尾をひょこひょこ動かしながら、ネオンは頭を掻いた。

 

「お黙り! ついうっかり尻尾それをこちらの一般市民に見られたら、どうするおつもり?」

「んー、ふぁ〜、まあ、なんとかなんだろ……いてててて!」

 欠伸をしながら投げやりに言うネオンの耳をアシュレタルトが引っ張る。 

「バレたら強制的に魔界に連れて帰りますわよ!」 

 ネオンは姉の手を払いのけ、掴まれたところをさすりながら睨みつけた。 

「さんかくジョーヤクってやつだと、俺みてぇな混血は人間界で暮らす決まりなんじゃねーのかよ!」

「三界条約ですわよ。さ・ん・か・い!」

「似たようなもんじゃねーか」

 


「……弟よ。貴方も半年後には十六歳になるのですよ。魔界では十六歳で成人だと、何度も、何度も、言っているというのに……少しは大人におなり」

「てことは、あと半年、子供でいられるんだよな?」

「貴方という人は……」

 曇りのない笑顔を向けてくる弟に、アシュレタルトは頭を抱えた。


  

 この感じだと、彼女は普段から弟には手を焼いているのだろう。

 その純血の悪魔ですら手のかかる魔界の王子と、今日からひとつ屋根の下で生活するということは、これから自分がその立場を引き継ぐことになるのかもしれない。汐緒は気が遠くなる思いがした。



  

 

 誕生日だから食後の片付けしなくていいぞ、一番風呂だと言われ、汐緒は申し訳なさそうな顔をしつつも浴室へ向かった。

 

 それを見送ったタツは、七海に食後の片付けが出来ないことを詫び、ネオンを手招きする。

 なんだよと思いつつもタツについて玄関を出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 

「おおおーすげぇ、すげー!」

 善光寺平を一望できる場所から見える夜の景色に、瞳を輝かせてはしゃぐネオン。

 

「ベル姉が長野は山ばっかりだって言ってたけど、結構都会じゃんかー! 天の川とか見えねーし!」


  

 ベル姉というのは、ネオンの腹違いの姉のひとり、ベルゼのことだ。ネオンの教育係のひとりとして、行儀作法と、歴史、語学、数学などの座学を担当していた。


「ベル姉に見せてやりてぇ……」


 ネオンはベルゼに懐いていた。厳しいところもあるが、ネオンが頑張って結果を出すと、ちゃんと褒めてくれたからだ。

 機嫌が良い時には、御褒美にと人間界の様子を見ることができる不思議な水晶玉を貸してくれることもあった。

  

 ネオンが人間界に居ることは、もう知っているだろう。なんの断りもなく人間界に来てしまったことを怒っているかもしれない。 

 どうやって謝ろうか。

 

 あぁそうだ、もう魔界には戻れないんだった。

 

 ネオンは俯きそうになったが、耐えた。


 姉たちのことは、好きか嫌いかといったら、好きだ。

 たまに理不尽なことをされたり、傷つくことを言われたりもしたけれど、なんだかんだで可愛がってくれていたのはわかっているし、育ててくれた恩もある。 

 でも、姉たちよりも、汐緒の方が大切なのだ。 

 汐緒と一緒にいられるのなら、他に何もいらない。 

 きっと、姉たちもわかってくれるはずだ。


 そうだ、欲しいものを手に入れるためには、手段を選ばないのが悪魔だと、姉たちは言っていた。

 魔界に戻ることが出来なくなったとしても、一番欲しいものを手に入れようとしている今の俺は、褒められてもいいくらいなのでは。

 

 

「夜景に夢中になっているところ悪いが、さっきの話の続きだ」

 どうやらタツには夜景に夢中になっているように見えたようで、ネオンは安堵した。

 

「さっきって?」

「例の仕事の手伝いをしろって話だ」

「あぁ〜」

「不法入界者を管理局に連れて行くだけの、簡単なお仕事だ」

「……それだけ?」

「まあ、それだけじゃ無いんだが。当面はそれでいい」

「他にもあるのか」

「その他のことについては、そのうち教えてやる」

「嫌な予感しかしねぇ……」

 

 本能的に感じ取ったネオンに、タツは苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 

「今日のところは、不法入界者の捕獲だ。ほとんどは魔界の奴らばかりだから、魔王の息子というお前の立場を利用してもいい。ただ、こっちの一般市民にはバレないように、迷惑をかけないようにしろ」

「わーってるって」

「建物や文化財にも傷つけるなよ。結界ちゃんと張れよ」

「わかってるって」

 

 ふう、と息を吐いてタツが天を仰ぐと、風が強く吹き、ネオンは思わず目を瞑った。

 

 柔らかそうな光を感じて目を開けると、タツの体が淡い空色の光に包まれている。

 

「タツ兄?」

「じゃ、行くか」

「へ? どこに?」

「不法入界者狩りに」

「いまから⁉︎」

「そ、いまから!」

 

 にやり。タツが笑うと、ぶわりとタツの背後に一瞬だけ光の翼が広がる。

 そして光がおさまると、ネオンの腕を掴んで飛び上がった。

 

「うぉわ!」

 すでに地面から十数メートルほど浮かんでいる。ネオンは慌てた。

 

「離せよ! 自力で飛べるっつーの!」 

 しゅばん。尻尾をひと振りする。一瞬、ネオンの身体が光で包まれた。

 光が消えても、そのままふよふよと尻尾を揺らしながら浮かび続けている。

 

「へぇ。翼出さなくても飛べんのか。さすがだな」

「アレ、出したくねぇんだよ!」 

「そっか。まあそれはそれとして、ヴァルプルギスの夜だ。今夜は多いかもな。楽しみだなぁ、ネオン」

 

 街の灯りにほのかに照らされるタツのその微笑みは美しいがどこか悍ましさを感じる。


 ぞわり。ネオンは本能的な恐怖を覚えた。




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