第十六話 試験あけのお姫様抱っこ

 

  

「ねぇ、オリエンテーションの写真買った?」

 五月中旬にしては暑い日の昼休み。

 食べ終わった牛乳パンの袋をくるくると丸めながら、明希あきはいつも昼食を一緒に摂るメンバーに問いかけた。

 

「いや、まだ見てねぇ」

 すでに弁当を食べ終わり、食後のお茶も飲み干した阿嘉坂あかさかは、タブレット端末を取り出している。

「見たけど……オレ、あんまり映り良くないし、今回は買わないかな」

 弁当箱をバンダナで包みつつため息を漏らす荻窪おぎくぼは、写真に撮られるのが苦手だ。 

「締め切りは今月末か。あとで追加も出来るし、とりあえず集合写真だけでも買うか」

 阿嘉坂はタブレット端末を睨むように眺めている。写真の閲覧と購入申し込みはタブレット端末から行うのだ。

「写真か……」

 ネオンは呟いて、首を傾げた。

  

「なぁ、自分以外の写真って、買ってもいいのか?」

「買うなという決まりはないが、知らんうちに誰かが自分の写真買ってるって、キモくねぇか?」

 阿嘉坂はネオンをチラリと見て問いに答えると、タブレット端末を操作し集合写真をカートに入れた。

 

「じゃあ、許可もらえばいいんだな」 

 立ち上がり教室内を見回すネオン。ターゲットは教室内には居ない。

「ちょっと探してくる!」

 慌ただしく弁当箱を片付けたネオンは、教室を飛び出してしまった。

 

六条松ろくじょうまつさんが許可出すとは思えないけどなぁ……」

 明希の呟きに、阿嘉坂も荻窪も頷く。

 

 ネオンが汐緒うしおに絡み、クールにあしらわれる様子は、すっかり一年二組の日常風景となりつつある。


 

 ごく普通の、どこにでもいる男子高校生に扮しているネオンだが、転入して一週間以上経った今でも集団生活に不慣れな点が隠しきれていない。

 だが、明希と阿嘉坂がフォローすることによって、大きな問題になっていないのだった。

 

 ネオンはすっかり阿嘉坂、明希、荻窪に懐いてしまっている。

 阿嘉坂は、さすが学級委員長なだけあって、頭が良くて頼りになるヤツ。明希は、誰とも話すことが出来るし、話題が豊富なすごいヤツ。荻窪は、ほわわんとしてるのに面白いことが好きで、漫画の話とかもできる楽しいヤツ────というのが、ネオンの彼らに対する評価であった。


 明希はクラスメイトに声をかけ休み時間にボール遊びに興じたり、クラス内のおとなしい子に話しかけに行ったり、まさに一年二組の潤滑油として立ち回っている。

 ネオンがクラスに馴染みつつあるのは、その恩恵を受けているということもあるが、運動神経が良いということが判明したことが大きいだろう。


 バスケットボールで味方のゴールにシュートを決めてしまうというベタな失敗をした時は本気で落ち込んだネオンだが、その反面、ジャンプ力やコントロールの良さを見せつけた。

 放課後に行われた体力測定の補習で百メートル走のタイムが速かったこともあり、男子たちは運動会やクラスマッチは安泰だと盛り上がっている。 

 来月頭には体育祭が控えているのだ。

 全クラス対抗戦なので、大変だがその分盛り上がる行事。一学期のメインイベントといってもいい。

 


 

「あ、戻ってきた。ネオン、ちょっといい?」

 足を踏み鳴らしながら教室に入ってきたネオンを明希が呼び止めた。

 

「なんだよ」

「その様子じゃ、写真のこと、六条松さんに断られたみたいだね〜」

「うるせー。断られてねぇよ」

 それ以前に汐緒を見つけることが出来なかったのだ。

 子供の頃、かくれんぼしたときは汐緒のことをすぐに見つけられたのに。 

 昼休みに教室にいるのを見たことがないから、中庭やエントランス脇のベンチにいると思っていたのに。屋上は鍵がかかっていたし…… 

「くそっ。どこにいんだよ、汐緒のやつ。いつもどこでメシ食ってるんだよ」

 ネオンは頬を膨らませ、腕を組んだ。

 

「なにブツブツ言ってんの。一緒に住んでるんだし、今すぐ許可取らなくていいんじゃね?」

「そ、そうだけどよ……」


 中間考査が近いこともあり、勉強する汐緒の邪魔にならないようにと、ネオンなりに気を使っているのだ。入浴後に汐緒の部屋に行っても、挨拶のキスだけして自分の部屋に戻るようにしているだけだが。

 

 仕方ない。晩メシのときにするか。 

 ……そうだ! タツ兄を味方につけよう。 

 娘を溺愛しているあの父親のことだ「汐緒の写真? 全部買え。デジタルデータもプリントしたものも両方買え。金は出す」くらい言うだろう。

  

 

「何ニヤニヤしてんの?」 

 我ながらいい案を思いついたと頬を緩めているのを明希に指摘され、ネオンは顔を引き締めた。

 

「あーいや、なんでもねーよ。それよりなんかあんのか?」

 明希の周りには阿嘉坂と荻窪だけでなく、クラスの男子生徒が数名集まっている。

 

「そろそろ体育祭の出る種目決めたり、棒倒しの戦略練ったりしないと、って話しててね」

「棒倒し?」

「うん。うちの体育祭ってクラス対抗なのは知ってるよね?」

「あーうん」

 そういや、この前そんな話を聞いたような気が。

 

「棒倒しは競技出場は男子のみなんだけど、女子は応援歌を歌ったり太鼓鳴らして盛り上がるんだって」

「それって、チアガールってやつ、やんのか?」 

 首を傾げるネオン。

 脳内では、ミニスカート姿の汐緒がボンボンを持って足を高くあげ「ネオン、頑張って〜!」と声を上げている。

 ……いい。

 これは頑張れるやつ!


「……なに想像してるかわかりやすいヤツだなぁ。あー、非常に残念なことにな、ネオン。 チアガールの衣装じゃないんだよ……」 

 そう言ってから「俺もチアガール姿の女子たちに応援されたかった……」と肩を落とす明希。

 ネオンはがっかりしたような、安堵したような、奇妙な気持ちを抱いた。

 

「……で、その棒倒しの戦略を早めに練ろうぜ、リレーの出場者も決めてぼちぼち練習始めようぜ、って話になってるんだ」 

 ネオンの知らないところで、明希はクラスの男子生徒たちに声をかけていたのだ。

 

「やっぱさー、やるからには勝ちたいし。三年には勝てなくても、学年優勝はしたいじゃん」 

 明希は笑顔でサラッとなんでもないことのように言っている。

 意外とこいつ負けず嫌いだったりするのかな、とネオンは明希を眺めた。


「だから、明日の放課後、三十分だけ集まって棒倒しの戦略会議しようかって話になっててさ……あ、ちょいごめん」

 ネオンとの会話を中断した明希は、教室に戻ってきた真面目そうな男子生徒に駆け寄った。


馬込まごめくん、明日の放課後時間ある? 体育祭の棒倒しの戦略会議しようって話になってるんだけど」

 明らかに嫌そうに振り返る馬込まごめ文武ふみたけに対し、人懐こい笑みで話しかける明希。

「……で?」

 馬込は眉間の皺を深くして明希を睨みつけた。 

「急で悪いんだけど、三十分だけ、顔出してくれない?」

 怯むことなく、にこにこと、まるで小学生のような無邪気さを振り撒く明希。 

「出ない」

「うん、そっか。急だもんね〜。じゃあさー、予定の合う日ってある?」

「ない」

「そっかぁ。オンラインでの参加でもいいんだけど……」

「俺忙しいから」 

「そっかぁ〜ごめんね。都合良い日できたらいつでも言って」

「……」

 馬込は明希から背を向け、自分の席に戻っていく。

 

「まーたフラれちゃったあ〜」

 えへへ、と首の後ろを掻きながら戻ってくる明希。

「あさやん、馬込くんに毎回塩対応されてもグイグイいくよね。意外と鋼のメンタル?」

 荻窪は人見知りというわけではないが、明希のように誰に対しても臆せず話しかけるタイプではない。 

「そういうとこ、素直にすげーと思うわ」

 阿嘉坂がそう言うと、明希は「えへへ。もっと褒めていいよ〜」と笑った。

「本当、そういうとこだよね……」

「え。なにが?」 

 明希は、馬込に冷たくあしらわれたことを気にしてないかのようにヘラヘラしている。

 

 だが、ネオンは明希と馬込の会話中に感じた、妙な匂いに不快な気持ちを抱き、眉を顰めた。


 

 感情には独特の匂いがある。

 とくに負の感情──恨み、憎しみ、嫉妬など──は、美味しそうな匂いなのだという。


 魔界で知識として教えられた、それ。

 普通の人間にはわからない、匂い。

 

 人間界に来て、普通の高校生として学校に馴染んできたと自分では思っていた。

 だが、やはり自分は普通の人間ではないのだ。

 改めて現実を突きつけられた気がする。


 ネオンは拳を握りしめた。

 

 

 

 結局、体育祭の戦略会議は試験あけまで延期されることになった。 

 ネオンのバイト──不法入界したヤツらの捕獲──も、回数を減らす配慮がされている。 

 アシュレタルトは一見いい加減に見えるし、実際だいぶいい加減なのだが、マナーや勉学に関しては厳しい。

 それなりの点数を取らなければ、何を言われるかわからない。小言だけで済むならいいが、小遣いを減らされるかもしれない。それは避けたい。

  

 ネオンにとっては初めての、結果が成績に反映されるテストだ。 

 周囲も勉強しているし、自分も勉強しなくてはならないという気分にもなってきたネオンだが、正直どう勉強したらいいのかわからない。

 

 とりあえず教科書の太字の部分は大事なことだということはわかっている。それを覚えるために必死でノートに書き写しているのだが、覚えられる自信は全くなかった。


 

  

 中間考査最終日。 

 ネオンはまるで囚人が釈放されたような気分を味わっていた。 

 必死にノートに重要なことを書きまくっていたが、時間的に足りないと気付き、試験前日から睡眠時間を削って勉強したのだ。

 そのため眠くてたまらないはずだが、それよりも今すぐに飛び出したい。

 

 俺は自由だ! もう当分、勉強なんてしねーぞ!

 

 だが、試験が終わったからといってすぐに遊びに行くことは出来ない。

 この学校では定期考査の最終日に、外部から講師を招き、様々な分野の話を聴く特別講演授業があるのだ。

 

 今回、一年生が受けるのは「インターネットSNS講話」

 SNSを使用するときの注意点や、問題になった事例などをもとに講師が講演。

 生徒たちは講演の感想アンケートの記入と、インターネットを安全に活用するための心構えなどをレポートにまとめる。締切は一週間後だ。

  


「あー終わったー」

「ねぇねぇ、カラオケ行こー」

「俺もう寮帰ったらソッコー寝るわ」

「やべ、寝てたよ。明日の昼メシ奢るからアンケート写させて」

「いやー、終わった、終わったー」


 試験が終わった開放感と、レポートを提出しなくてはならないという憂鬱な気分が混じりつつも、開放感の方が勝った生徒たちの声が、ぼんやりと遠くに聞こえる。 

 講演終了後の講堂で、汐緒は椅子に沈んでいた。 

 このあとホームルームがあるため教室に戻らなければならないのだが、立ち上がることができない。


  

「……せっかく、知ってる子がいない高校に進学したのに」


  

 地下深くに埋めていた廃棄物を、掘り返された気分。だが、掘り返した方に悪気はない。

 

 まさか、今回取り上げた事例の関係者が、ここにいるとは、誰も思わないだろう。学校関係者や講師でさえ。

 逆に言えば、個人情報は確実に保護されていると言える。それは良いことなのだろうけど……だから、この講話の関係者は誰ひとり悪くない。

 それはわかっているのだが……


 汐緒は黒い靄のようなものが胸から腹にかけて広がっているのを感じた。

 深く息を吐く。

 

 いっそ、例の件の関係者です、とかアンケートに書いてやろうか。いや、流石にそれはどうなの……

 それは、ただの八つ当たりだ。

 それに、せっかく保護された情報を晒して得られるものは、はたしてあるのか?

 いや、無いだろう。

 あったとしても、怒りの感情が一時的におさまるだけだ。



 汐緒は項垂れた。

 あぁ、そうか……私はまだ、彼女を許せないんだ。

 

「……無関係になれば忘れられる、というわけでは、ないのね」

 

 汐緒は、もう一度深く息を吐き瞼を閉じた。

 

 

 

「汐緒! 大丈夫かっ?」

 ゆっくりと瞼を上げ、聞き慣れた声の方へ顔を向ける。

「……ねおん」

「お、おいっお前、顔真っ青だぞ!」 

 

 気がつくと汐緒はネオンに横向きに持ち上げられていた。

 ネオンの両腕は汐緒の背中と膝裏に回っていて、汐緒の目の前にはネオンの横顔がある。

 つまり、これは……


「ちょっと、やだ、ネオン!」

 これは、俗にいう『お姫様抱っこ』というものではないか。

 

「おろしてっ! やだやだ……」

 あまりの羞恥に、汐緒は顔を覆うことしか出来ない。

 ずんずんと廊下を歩いているのが、振動でわかる。

 どれだけの生徒に見られているのだろう……

 

「大丈夫だから、ねぇ、おろして……」

 蚊の鳴くような声で訴える汐緒のささやかな願いは叶うことはなく、ネオンはそのまま校内を歩いていく。

 

「もう、ほんと、なんともないから……!」

「ぐえっ……!」

 あまりの恥ずかしさに手段を選ぶことを忘れた汐緒は、ネオンのネクタイを引っ張った。

 

「……なんだよ」

 足を止め、不機嫌そうに汐緒を見下ろすネオン。

  

「なんだよじゃないよ! おろして!」

「どうした? 顔真っ赤じゃねーか!」

 誰のせいだ。

 そう口から出そうになったが、飲み込む。

 

「いいから降ろして!」 

「うお、こら、暴れんなって!」 

「降ろしてってば!」

「わかった、わかったから! 降ろすから動くなって」

 

 ゆっくりと身を屈めたネオンは、汐緒の足が床についたのを確認してから、腰を引き寄せて立ち上がらせた。

 その反動でネオンの胸に抱き寄せられる体勢になってしまい、慌ててネオンの胸を押すようにして腕の中からするりと抜け出し、距離を取る汐緒。

 

「…………?」

 ネオンは首を傾げ、汐緒を見つめた。

 汐緒がもう大丈夫だと言うなら、そうなのだろう。ちゃんとしっかり立っているし。

 それは、良かったと思う。

 でもなんだろう。この、名残惜しいような、少し足りないような気持ちは……

 

「…………」 

 ネオンの視線を感じて居心地が悪くなった汐緒は、ネオンに背を向けて歩き出す。


「おい、汐緒」

「大丈夫。ひとりで歩けるからっ!」

 

 そのあとに付け加えられた「……でも、ありがと」という汐緒の囁き。

 

 人間離れした耳の良さでそれを拾った瞬間、ネオンの全身に衝撃が走り、胸が高鳴った。

 

 思わず立ち止まり、視線を彷徨わせる。頰が、身体が、熱い……


 

「……なんだ今の………………」

 

 よくわかんねーけど、なんつーか……恥ずかしい? 恥ずかしいで合ってるのか?


  

 頬を赤く染めた汐緒が歩く速度を速め、その姿が遠ざかっても、ネオンはそのまま廊下に立ち尽くしていた。




 

 

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トリプル***【幼馴染と果たす約束。ずっと一緒にいるために】 小絲 さなこ @sanako

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