第十二話 はじめての学校。はじめての……
スクールバスから降りて校舎へ向かう道では、連休気分がまだ抜けきらない生徒たちが、標高九百メートルの地で舞う桜吹雪のなかで写真や動画の撮影を楽しんでいた。
ようやく訪れた本格的な春を満喫している生徒たちの浮かれた雰囲気にあてられ、
SNSのストーリーズに投稿したあと、目を細めて桜の木を見上げると、少し霞んだ空に雲がふたつ並んでいた。もう少し季節が進めば、もっと濃い色の空が見られるはずだ。
撮影したものを見せ合い、談笑する生徒たちだが、教室に入る頃には誰もが緊張感を持ち始めた。
連休明けの本日、全学年で実力テストが行われるのだ。
一年二組の担任である
いつもと違う雰囲気の粟生山に、数名の生徒が違和感を抱く。
「今日から、このクラスに新しい仲間が加わることになった」
ざわつく生徒たちを制した粟生山に招き入れられ、クラス全員の視線を浴びる男子生徒は、不自然な歩き方をしながらも教卓の側に立った。
誰がどう見ても緊張しているのに、どこか貫禄があるのは、姿勢が良いというのもあるが彼の血筋のせいだろう。
シャツの第一ボタンを開けてネクタイを少し緩めている。ブレザーのボタンはひとつも留めていない。男子生徒の多くがしている着崩し方だ。
無造作に整えられている黒髪と白い肌。負けん気の強そうな、鋭さを備えた大きな若葉色の瞳は期待と緊張感に溢れている。
「
そう名乗った彼は、驚きと動揺のあまり動けなくなっている汐緒と目が合うと、それまでのぎこちない笑みから一変、満面の笑みで手をぶんぶんと振った。
「うしお〜! やったあ! 汐緒と同じクラスだ!」
やめてぇえええええ!
クラスメイトの視線を集めた汐緒は、心の中で絶叫して机に突っ伏した。
ごんっ、と頭を打つ勢いだったが、額の痛みは今はどうでもいい。
なんなの? なんで
ネオンこの前『高校って、義務教育じゃないんだろ。行かなくていいんじゃね?』とか、そんなようなこと言ってなかった?
「あー、
「はい。問題ないっす」
指名された男子生徒は軽く手を挙げ、ネオンと目が合うと軽く頷いた。
「万葉原、空いている時間にクラス委員長の阿嘉坂に校内を案内してもらってくれ。きみの席は廊下側の一番後ろだ」
クラス中の視線を浴びながら、指定された席へ向かうネオン。
途中、恐る恐るといった風に顔を上げた汐緒と目が合ったが、次の瞬間には思い切り顔を背けられてしまった。
「では、本日の実力テストについて説明する」
「ええっ!」
粟生山の言葉にネオンは思わず叫んだが、さすがにマズイと気付き、両手で口を抑える。
「マジかよ……」
クラスメイトの多くから転入初日にテストなんてツイてないね、という同情の視線を感じ、ネオンは肩をすぼめた。
「一年生の実力テストでは中学卒業レベルの問題が出題される。普通の高校一年生なら難なく解ける。なお、今回のテストは成績には反映されない」
ネオンは胸を撫で下ろした。高校一年生なら解けることについて、ではない。成績に反映されないということに対してだ。
「だが、まぁ、いい点数は取りたいよなぁ。というわけで、せいぜい頑張るように」
粟生山は注意事項を説明し、試験の時間割と休憩時間を黒板に書くと教室から出て行った。
もしかして、ちょっと冷たい先生なのだろうか。
ネオンは少し不安を覚え、ぎゅっと手を握りしめた。
試験は滞りなく進んでいった。
いつもは騒がしい授業と授業の間の休み時間も、今日は皆おとなしい。
高校受験の際に使っていたと思われる参考書を持っている生徒もちらほらといるが、席の移動はせずに近くの生徒と談笑している。
ネオンは三列前の席にいる汐緒に話しかけようとしたが、汐緒は机に突っ伏して拒絶モードに入ってしまっていて、声をかけることが出来なかった。
今さら他人のふりをしても遅い。汐緒もそれはわかっているのだが、ネオンとどう接したらいいのかわからず、戸惑っているのだ。
その一方で、父と連絡を取り、ネオンが学校になぜ通うことになったのか、その経緯を問い詰めたい衝動に駆られている。
タツのことだから「本人に聞け」と言われるのはわかっているが、それでも汐緒は父と話をしたくてたまらなかった。
昼休みの開始を告げるチャイムが鳴り、解答用紙が回収されると、汐緒はネオンに「余計なことは言わないでよ!」と言い、逃げるように教室から出て行った。
再会してから汐緒は時々わけのわからないことを言うなぁ……
ネオンは頬杖をつき、息を吐いた。
転入初日に汐緒がネオンを避けるだろうということは、タツが予想していたので、驚きはしない。
だが、それと汐緒の態度に寂しさを感じるのは別の話だ。
それにしても、まさか転入初日からテストとは。知っていたら明日からの転入にしたというのに。
「万葉原って弁当派? 食堂? 一緒にお昼食べない?」
ぼんやりしているネオンに、ひとりの男子生徒が声をかけた。
「なー、なー、無視すんなって。まーはーらーあ」
「へっ? 俺?」
ネオンは顔の真ん前で手をぶんぶんと振られ、やっと自分が話しかけられていることに気がつき、声の主を見上げた。
制服のブレザーの下はシャツとネクタイではなく、グレーのプルオーバータイプのパーカー。
橙色にも見える、明るめの茶色の髪。短めにカットされた癖のある髪を無造作に見えるように整えている。同性から見てもかなり整った顔立ち。人懐こそうな笑顔を浮かべている。
同年代の同性の人間に笑顔で話しかけられるなんて、おそらく初めてのネオンは、朝教室に入ってきたとき並みの緊張を覚えた。
しかも、彼はどう見てもいわゆる「陽キャ」だ。もしかしたら、クラスの中心人物なのではないだろうか。そうだとしたら、ここで
とりあえず、何か言わなくては!
「あ、えーと……
魔界では名乗る必要はなかったため、十年ぶりに名乗った『万葉原ネオン』というフルネーム。
マハラは王の血統という意味だとかアシュレタルトが言っていた気がするが、ネオンにとっては正直どうでもいいことだった。
「そっかぁ。じゃあ、ネオンって呼んだ方がいい?」
ネオンはこくこくと頷いた。なんだかむず痒い。
「ネオン、一緒にメシ食わない?」
ネオンは目を見開いた。
笑顔が眩しい少年の明るめの茶色の瞳を見つめる。
「え……い、いいのか?」
「うん。俺、いつもあいつらとメシ食ってるんだけど、それでも良ければ」
少年が示す窓際の前の方を見れば、クラス委員長の阿嘉坂と、大人しそうな風貌の男子生徒がこちらを見ていた。阿嘉坂が軽く手を挙げる。
「お、俺、弁当持ってる!」
ネオンは思わず立ち上がった。
「良かったぁ。今から購買行ってもあんまりパン残ってないかもしれないし。食堂も混んでるし」
さ、行こっか。少年が微笑んで歩き出す。
阿嘉坂たちのいる方へ移動しつつ、少年の後ろ頭をネオンは見つめた。
これって友達作るチャンスってやつだよな!
あ、でも、こいつの名前知らねえ……!
「俺、
ネオンの心の叫びが聞こえたかのように、少年が振り向いて笑顔で名乗った。
光の加減で髪と瞳が橙色に見える。これが少女漫画だったら背景にキラキラしたものや花が散っていることだろう。
「明希……」
ネオンは出来があまり良くないと姉たちに言われ、そういう自覚もある脳みそに刻むように呟いた。
せっかく声をかけてくれたのだ。もしかしたら初めての友達になるかもしれない。絶対に忘れないようにしなければ!
「うん。阿佐谷でも明希でも好きに呼んでくれていーよ。で、こっちはわかるよな。クラス委員長の
阿嘉坂は頷き、近くの椅子を示した。ここに座れということだろう。
「で、こっちが、くぼっち」
「ちょっと〜! あさやん、ちゃんと紹介してよ。
阿嘉坂が高校一年生にしては大柄だからか、隣に並ぶと小柄に見える男子生徒が柔らかく微笑んだ。
優しそうでほわわんとした雰囲気の少年だが、どこか洗練されたものも感じる。
「お、おう。よろしく」
ネオンはそう言いながら、緊張がするするとほぐれていくのを感じた。
なんか、うまくやっていけそうな気がする!
「さ、食おうぜー」
明希は昨日スーパーでパンを買ったそうで、机の上に乗せたエコバッグからごそごそとパンを取り出した。
阿嘉坂と荻窪は弁当だ。それぞれ布の包みやビニール袋から弁当箱を取り出した。ふわりと食欲を誘う香りがする。
ネオンもタツから待たされた二段式の弁当箱を広げた。
一段目にはおかずが詰まっている。チキンナゲット、ブロッコリー、にんじんのコンソメ煮、れんこんとごぼうとこんにゃくのきんぴら、ひじきの煮物を入れた卵焼き。
下の段にはご飯と梅干しが詰められている。
おかずの種類は汐緒とほぼ同じだと言われてタツから渡されたことを思い出す。
学校でも汐緒と同じものを食べているんだと思うと、ネオンは思わず頬が緩みそうになった。
転入生に振られる話題といえば、前に住んでいた地域の話、今どの辺りに住んでいるのか、部活に入る気はあるのか、選択科目はどうするのか──そんなところだろう。
魔界から来ました、 などとは言えないので、あらかじめタツに教わった通り「五歳くらいまで東京に住んでいて、そのあとは親父の仕事の都合で日本各地を転々としていた」と言った。
あちこちってどの辺りかと阿嘉坂に問われたが「あまり長く同じところにいなかったし、離島や山奥ばっかりで、よく覚えてねーわ」と誤魔化す。
ちなみに、ネオンの父親は『日本建築や民俗学とくに古い神社仏閣や祭事の研究をしている外国人で、色々と混じってるからどこの国の人なのかは、ひとことで言えない。ドイツとどっかヨーロッパの国が混じってるとか聞いたことあるけど、家族は誰も気にしたことないからよくわかんねーという設定』にしとけ、とタツに言われている。
なんだよ設定って、と思ったが「行き当たりばったりで誤魔化してると後々困るぞ」と言われた。
今どこに住んでいるかという問いには、嘘をつく必要はないと判断したので、本当のことを話す。
「えっ!
そう言った荻窪は、今朝のネオンの言動と汐緒の反応を思い出したのだろう。
阿嘉坂も腑に落ちたといった表情を見せている。
「でぇええ! マジかよ! あんっな可愛い子と、ひとつ屋根の下とか! それどんな同居ラブコメだよ!」
コロッケパンが入っていたビニール袋をくるくると丸めてギュッと結びながら、明希が悔しそうな羨ましそうな目でネオンを見た。
阿嘉坂は呆れたような視線を明希に向けている。
「同居ラブコメって、あさやん……」
呆れたように言い、溜息をついたあとミートボールを箸でつまむ荻窪。
「じゃあさ、じゃあさー、ネオンがお風呂入ろうと脱衣所のドア開けたら半裸の六条松さんがいて、きゃあ〜みたいなラッキースケベいてえっ!」
はたくことないじゃん、と明希は頬を膨らませて阿嘉坂を睨んだ。
阿嘉坂は「そういう話を大声でするんじゃない」と言いながら、教室内に六条松汐緒がいないことを確認して胸を撫で下ろし、ペットボトルの緑茶をひとくち飲む。
明希の声はよく通るのだ。教室内に居たら確実に本人に聞こえていたところだった。
「いや、さすがにそれはない。そんなことやったら俺、タツ兄……あ、タツ兄って汐緒の親父なんだけど、タツ兄に半殺しにされて家から追い出される」
タツは怒ると本当に怖いのだ。
タツが本気で怒った場面を想像しただけで、今は術で隠している尻尾さえも縮こまる気がする。
子供の頃、可愛がってくれていたのは、単に当時のネオンがまだ子供だったからだ。
幼い頃のネオンは力をうまく制御出来なかったが、汐緒を危険な目に遭わせたことは一度もない。むしろ守っていた。
しかし今は別の意味で危険だと思われているという自覚がある。
六条松家に住むにあたって交わした『誓約書』は、ネオンにとっては生殺しもいいところのものだが、それもわかった上でタツはネオンに約束させたのだ。
「破ったらどうなるか、わかってるんだろうな?」と言ったタツの顔と声を思い出しただけで背筋が凍る。
魔界の王の息子を脅すなんて、天使の血をひくとは思えねえ。
「そっかあ。でもさ、やっぱり美少女とひとつ屋根の下……絶対ナニかあるだろ〜? 何も無いとか、そんなことあるわけないって」
あんぱんを片手に、パックの青汁をひとくち飲んで明希は首を傾げた。
明希はかなり整った顔立ちをしている。女子に騒がれてもおかしくないレベルだ。誰にでも平等に接するし、ノリも良い。確実にモテるはずだ。しかし、ちょっと話してみるとわかるのだが、明希は年相応の、色恋ごとに興味津々の──卑猥な話や下ネタが大好きで、それをまったく隠そうともしない少年であった。
これがいわゆる『黙っていればかっこいいのに』とか『残念なイケメン』というやつなのではないだろうか、というのが男子生徒たちの明希に対する評価だ。
今も、ネオンが汐緒の家に住んでいるという話に対してこの食いつき具合と妄想の垂れ流し。興奮気味の明希に阿嘉坂も荻窪も呆れている。
「お、俺だってナニかあると思ってたよ‼︎」
涙目で叫んだネオンに、明希と阿嘉坂、荻窪は顔を見合わせた。
「えーっと、ネオン?」
「だって、約束したのに……」
「……約束?」
教室から出て行ったきり、昼休みが終わるギリギリの時間まで戻ってこない汐緒は知らない。
ネオンが、子供の頃に汐緒と結婚の約束をしたこと、十年ぶりに再会した汐緒がつれない態度を取ることなどを、明希たちに話してしまったことを。
それなりに大きな声であったため、教室にいる生徒たちにも、その話が聞こえていたことを。
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