約束
朝吹
約束
子どもの頃は、夢と現の区別がつかぬものだ。それゆえ、事件においても子どもの供述の取り扱いは慎重だ。
ところが幼少期から抜群の記憶力を誇っていたわたしは誓って、あれが夢ではなかったと断言できるのだ。十年以上経った今でも。
デパートの地位が下落した今ではわざわざ晴れ着を着て百貨店に行くような文化は廃れてしまった。ショッピングモールはさらにカジュアルだ。服さえ着ていればパジャマ同然のようなスウェットスーツとサンダル履きの人でも浮くことなく家の中の延長のようにして歩き回れる。
「舞ちゃんの欲しいもの、探しに行こうか」
郊外に展開する大型ショッピングモールにわたしを連れ出す時、両親はいつもそう云った。わたしは小躍りする。何を買ってもらおう。何しろあそこには何でも揃っているのだ。この前は白くまの人形がついたキーホルダーを買ってもらった。その白くまはわたしのバレエのお稽古バッグにぶら下がって揺れている。それからアイスクリーム。種類が沢山あって選びきれない。いつもダブルで頼んで二つの味をママと交互に味わうのが毎回の楽しみ。
店内は一つの街のように広い。わたしの行く店は三つくらい。おもちゃ売り場、雑貨や、本や。
「舞ちゃんはここで待っていてね。迎えに来るまで、知らない人には附いていかないこと」
両親はわたしをその三つの店のうちの本やにおいて、二人で買い物に行ってしまう。
「セール中だな。新しいシャツが欲しいんだ」
「くたびれた靴下は全て棄てて入れ替えてしまいましょう」
パパとママの声が遠くなる。
本やの中にはブロックで自由に遊べるコーナーがある。ブロックをばらまいた机の周囲に子どもたちが集って、黙々と小さな手でブロックを組んでいる。大勢の客がいる休日のショッピングモール。ブロックで遊んでいるのは主にわたしのような低学年と、幼稚園児だ。未就学児なら親か祖父母の誰かが必ず近くに付き添っていて独りではない。幼子を連れて行こうとする悪い者がいたとしても、誰がどの親の子かは分からないから、便乗して、その場にいるわたしの安全も守られているというわけだ。
「ゆうちゃんが上から落ちるよ」
隣りに立った男の子がブロックをひとつ摘まみ上げ、わたしがせっかく作り上げていたブロックの家の屋根に落としてきた。男の子の口が動いた。
「ごつん」
「やめて」わたしは男の子を軽く押し退けた。園児さんくらいの子だ。
「これはママ」
ゆうちゃんはもう一つブロックを持ち上げると、そのブロックもわたしの作った家の真上に落としてきた。ごつん。
そして、「ゆうちゃん、仮面ライダーのおもちゃを買ってもらった」と云いながら本やを出て何処かに行ってしまった。わたしのおもちゃの家の庭には、ゆうちゃんが落とした二つの赤いブロックが転がった。
その話を、帰りの車の中で両親に伝えた。
「舞、シートベルトして」
「うん」
わたしの席は、運転席にいるパパの真後ろだ。ショッピングモールの屋上駐車場から車が動き出す。ぐるりと回るところも、出口近くの急な坂道も、遊園地のアトラクションみたいで少し好きだ。
助手席のママが前を向いたままパパと話していた。
「気持ちの悪い子ね。事件のことを知っているのかしら」
「しばらく此処に来るのは止そう」
わたしは抗議の声をあげた。
「舞は怖くないよ」
それからもショッピングモールに行くと、その男の子はわたしの前に現れた。両親を待つ間、本やで児童書を立ち読みしているわたしの真横に来て、「これ、なんて字?」と棚に並んだ本の背表紙を指さしてゆうちゃんが訊いてくる。小学二年生にして子供用の漢字辞典を諳んじているわたしは自慢げに教えてあげた。云ったでしょ記憶力抜群だって。『赤』だよ、『母』だよ、それからこれは『裏切り』。
「ゆうちゃん、上から落ちたの」
「嘘つき」
「ここの屋上」
「落ちたら痛いよ」
「痛くなかった。ママの方が痛かった。大声で泣いていた」
「何処から落ちたの。連れて行って」
「いいよ」
わたしとゆうちゃんは手を繋ぎ、本やさんから出て、休日の人混みをかき分けてエスカレーターに向かった。途中で浄水器の宣伝をしているお姉さんから銀色の風船をもらった。
マカロンみたいな形の風船を見上げながらエスカレーターに乗っていた。そのせいで、ゆうちゃんとわたしは降りる最後のところで危うく転びそうになった。しっかりしなきゃ。舞はゆうちゃんよりもお姉さんなんだから。
「ここだよ」
屋根のない屋上の駐車場は学校の運動場よりも広く見える。外枠には転落防止の壁が回してあった。
「やっぱり嘘つき」
「ママはこうしてた」
ゆうちゃんは屋上の端に走って行って、忘れ去られたように置いてある脚立を指した。わたしとゆうちゃんでそれを運び、脚立を開いてはしごを上がり、そこから壁の上によじ登った。その場所からなら真下が見える。
「ほら、嘘じゃないでしょ」
遠くの工場が煙を吐いている。午後の空は黄色のセロファンに包まれたようにぱちぱち光ってる。ゆうちゃんとわたしは手を繋ぎ、笑いながら屋上から跳び下りた。
ゆうちゃん、強いね。勇気があるね。
仮面ライダーのおもちゃとはバイバイしましょ。
ここまで附いて来てくれてありがとう。ママも、すぐに後からいくからね。
「真っ赤だよ」
耳許で男の子の声がする。わたしに向かって云っているのではないようだ。
「ママ、真っ赤だよ」
「その子はうちの子です。舞ちゃん、舞ちゃん」
「舞ッ」
わたしのパパとママの悲鳴が聴こえる。救急車がやって来る。ピーポーピーポー。
ゆうちゃんとわたしはショッピングモールにいる。わたしは十年。ゆうちゃんは十二年。ブロックで遊んだり、お店からお店へと駈け回ったり、浄水器売り場の風船をふうふうして揺らして遊ぶ。ここには何でもある。夏も涼しいし冬でも暖かい。雨にも濡れない。ゆうちゃんとわたしは時々わざと雨の日に屋上に行って、大雨の中跳んだりはねたりしてみる。姿が見えないのに時々ぱたぱたと子どもたちが走っている気配がすると噂のショッピングモール。
「やめて」
男の子がわたしとゆうちゃんを押し退けた。視えるのだ。仲間に入れる? どうする? ゆうちゃんとわたしは相談しながら、しばらく男の子に付きまとう。次のお休みの日にもきっとあの子はまたここに来る。ここは何でもあるショッピングモールだからね。
ゆうちゃんのママは、まだ生きているそうだ。
[了]
約束 朝吹 @asabuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます