君が代センセイ
「いいよパパ、卒業式こなくて」
ウォークインクローゼットからクリーニングのタグが付いたままのスーツを引っ張りだし、リビングに立つ娘用のお姫さまみたいなドレッサーのまえでお腹まわりを気にしていたところ、そう尖ってもいない声が背後から飛んできた。
眉をひそめて振り返ると、娘は椅子のうえにバーバリーのミニスカートがはだけるぐらい脚をのせ、僕が自動運転ソフトウェアのトラブルがらみで出張したおりに買ってきたもみじ饅頭の包装をぬがしていた。
「大学生にもなって、卒業式に親が来るとか、そういうのいいし」
もぐもぐ噛みながらの、どうでもよさそうな声がつづく。必修の単位は一・二回生のうちに集めおえる首尾のよさで、居酒屋のバイトをチーフとしてこなしつつ、学部生でありながら査読つきの国際学会に出たこともある。その分野では著名な研究室からの勧誘を振り切り、まっとうに就活すれば引く手あまただった一部上場のAI企業に浮気することもなく、ちょうど一年前には福島にあるロボットフィールドへの就職を決めていた。頑固なところと、関西訛りに染まらない点は、誰に似たのだろう。
「それにパパ、卒業式、きらいでしょ?」
その声はわずか含みがあるように聞こえた。
「別に、嫌いじゃないけど」
すなおにそう応える。たしかに式典のたぐいは苦手だったものの、卒業式がとくべつという訳ではない。ましてやひとり娘が主役の卒業式なら、よろこんで、とまでは言わないにしろ、いくらか労を割くつもりだったが。
「だってパパ、高校も、中学も、君が代斉唱のとき、席を離れたじゃん。こっそり立ったつもりだったかもしれないけど、静かだから椅子を引く音が響いたし、すごく目立ってた」
フレミング左手のかたちで、そう水を向けられ、ぎくりとする。重い空気のたちこもる体育館をぬけだしたときの爽快感だけ、不貞を責められるより心苦しい。
「嫌だった?」
娘との関係はわるくない。小学生のうちはせまい湯船に向かいあいのぼせるほど響く声をかさねて、お赤飯とどうじに拒むようになったのは僕のほう。休日には二十年来の旧車の助手席にさそい意味もなくイオンに滑りこんだりする。無印良品やダイソーでなにも買わず肩を叩き合ったのち、ヴェンティのコーヒーフラペチーノを空にしたままレシートの裏でおわらない三目並べをあそぶ。
「別に、嫌じゃないけど」
娘は僕をまねた口調でわざとらしく口を尖らせ、餡のついた人差し指をしゃぶると、あめ色の膝を抱いた。天井の映写機があらわしたホログラムには今日さいごのニュースが流れている。アイドルのたぐいには「お人形あそびねえ」と興味がないらしい。言いよってきた男子は知るかぎりでも両手にあまるが、彼氏ができたこともなく、さすがに将来を見越せばいかがなものかと、バイトを迎えにいった帰りにお小言ではないがかるく牽制したところ、「今どきらしくない」ときつい声で不満を漏らしたのち、「パパみたいな人ならよかったのに」とささやかれたのは、いま思えばアップルのあたらしいEarPhoneをあらそう春闘のための体がいい材料だった。
首をかしげ、しばらく考えたのち、壁際にあらわれた政権与党の汚職を追及する番組に目をやって、肩までのしっとりした黒髪が跳ねるぐらいうなずくと、マイクのかたちを作った拳を向け、えくぼを作って、こう言った。
「パパは、左翼ですか?」
卒業式への出席はゆるされて(ゆるしてやる、とは娘の弁で、僕としては行くのもやぶさかではなかったが)、かわりに、サークルの卒業文集に掲載する短歌の代筆をたのまれた。いまどき紙で本を出すような、旧帝大の歴史ある文芸サークルに娘は所属しているが、「仮入学の、右も左も分からないうち、そういうことになった」らしく、僕に似てはっきりと理系だし、文芸の素養はない。とはいえ読書は共用のタブレットの潤沢な容量を電子書籍データで埋めるぐらい好きだったから、それなりに楽しんではいたらしいけれど、書くほうは入部のときにしたためたそれが人格否定ぐらいの批評を受けて以来ご無沙汰で、ましてや短歌は「頭のわるい四つ打ちが好きだから、リズムが合わない」らしい。それでいえば、胎教がわりのオフスプリングをしこんだ我が身も短歌など書けるはずがないのだけれど、むかし夏休みの最終日に大泣きする娘をなだめながら読書感想文の手伝いをやったことなどがなつかしく、原稿用紙のたばを強炭酸水のケースついでにネット通販で買い、勤続十五周年の万年筆をおろすことにした。
短歌。57577の五句で詠む和歌の一形式である。俳句とちがって季語はいらないらしい。詠む対象はひとの叙情であるとのこと。
テーマは「卒業式」だったため、自分のそれをふりかえる。高校までは福島にいた。にぶい色の校舎は海辺にあって、とりわけ体育館は砂浜にせり出し、まっさおなペンキの剥げた錆びついて重い扉を蹴飛ばせば、若布のかわくすっぱい匂いがただようなか、早弁したながい昼休みにバスケットボールを追えば海に落ち、下着はずぶぬれの体操服で五限の授業を受けたりしたっけ。目をつぶり、あの体育館の、さいごの光景を脳裏によびもどす。
<きーみーがーあーよーおーはー>
ああ、あれも57577だから、短歌なのか。うたわれた叙情を推し量れば、国語のセンセイを思い出した。いかにも女傑といった、真面目で、厳しい、苦手なセンセイだった。いじめがあったとき、主犯の女の子を右ストレートでぶん殴ったことを思い出すと、くちびるの端がしぜんにゆるんだ(もともと荒くれのおおい漁師の町だし、相手もデトロイトスタイルで応戦して王座統一戦ぐらい盛り上がったから、それは問題にならなかった)。「下手糞でも自分の言葉で書きなさい」という口癖にうながされ、筆のさきが勝手にうごきだした。
代もすがら あのラブソングを 忘れない 君が涙の 海に吞まれても
「パパ、そろそろ行くよー」
ノックもせず在宅勤務用にこしらえた自室のとびらが足のゆびさきで開かれて、家の鍵と車の鍵でじょうずにジャグリングする娘が入ってきた。
頭をあげて壁掛けのスマートウォッチをみやれば、午後六時を回ったところだった。
高校の同窓会の予定があり、肝臓の値を気にしつつも酒を入れるので、車で連れて行ってくれるよう娘にたのむと、ハーゲンダッツのバニラひとつで快諾してくれた。
春分がちかづき、昼があくびとともにながくなったとはいえ、アスファルトは群青の夜をおびはじめている。サンダルでクラッチを踏みしめ、ギアを一段とびにサードまで換えた娘は、ジェラートピケのパジャマ姿だった。帰りにはコンビニに寄るくせに。大学に入ってしばらくはオリエンテーションのたび注意されていた飲酒可能年齢などどこふく風で、通学でつかう駅ナカのスーパーに海外の酒が充実していたこともあり、クラフトビールにお熱だったが、就活で福島に通うようになってからは、雪冷えがどうだの山田錦がなんだの日本酒にかまびすしい。福島に就職を決めたのは、会津ゆかりの日本酒のためではないかと、ほんのり疑っている。
「パパ、同窓会とか行かないタイプだと思ってた」
赤信号をぎりぎりアウトですりぬけたのち、むだなヒールアンドトゥでアクセルをゆるめた娘は、「ホンダのエンジン音が聞きたいから」と好きなホワイトストライプスも掛けないかわり鼻歌まじりで、いじわるい声を投げてきた。世の車はいまやほぼBEVだが、僕のほうも唸るようなエンジン音を聴かないと落ち着かず、オーバーホールして高い税金を払いながらも、ガソリン車が廃止される五年後までは乗りつぶすつもりでいる。
「まあねえ、卒業以来なかったし、せっかくだから」
ひじを窓枠にのせ、あごひげを爪先で抜きながら、気のない声を返した。
しばらく心地のわるい沈黙がつづき、ふっと嗤うように、娘が尋ねてきた。
「会いたいひとがいる、とか?」
体の関係はないが、いい雰囲気になった後輩がいた。どういう仕組みか、娘にはLINEのくすぐったいやりとりを観察されていたようで、「だからお母さんに逃げられるんだよ」と痛いところを突かれたうえ、娘の手でブロックしたらしいと、後輩が「おめでた婚」から育児休暇を経て退職したのちに知った。
「そういえば卒業式の宿題、置いとく」
四つ折りにした原稿用紙を、ごまかすみたいに、運転席上部のサンバイザーにあるねずみ色のホルダーにねじ込んだ。
赤信号で停まると、娘はルームライトを点け、原稿用紙をもったいぶったように開いた。
「けっこういいじゃん」
アイドリングストップのしずかな車内、いろっぽいためいきが漏れた。いつのまにか信号が青に変わっていて、納期遵守の荷室を段ボールで埋めたプリウスプロが右折車線からけたたましいスキール音をおきざりに追い抜いていった。
「これ、パパが高校のころの実体験だよね?」
居酒屋に着いて、お礼を言い降りようとすると、娘に手首をつかまれた。痛いほどつよい力が込められていた。いつか、誰かにそうされたのを、思い出させるような。
なぜ高校だとわかったのだろう。繁華街を行きかう人々のなまぬるい視線を浴びながら、娘の瞳をまっすぐ覗きこめば、LEDの赤提灯に照らされ、わずかに潤んでいた。いつの、なんの水だろう。思い出そうとすると、年のせいか、初恋のひとのめずらしい名字も思い出せなくなったくせ、あの水だけはにおいまで鮮烈に覚えていた。忘れられるはずもない。
「震災ってどうだった?」
胸を突かれたように「戦争を知らない子どもたち」というふるい歌を思い出した。知らせなかったことは大人として無責任だろうか、と思っても、知らせる術は叶わない恋の告白みたいに、まったく見当が付かないのだった。
同窓会からの帰りみち、脂汗がひどいと首元をなでられ、幹線道路沿いのコンビニに寄ってもらった。駐車場にならぶ長距離トラックの影、500㎖のペットボトルを受け取るなり、シートベルトを外して、助手席をゆるく倒し、水をのどに流しこむと、しょっぱく、耳のおくがきーんとした。
「めずらしいね、パパがそんなに酔うとか」
責めているようにでもなく、しかし幾分つめたい声で娘は言った。エンジンは切ったままで、なかなか車を出そうとせず、「春暑し」で長袖の体が次第に火照ってきた。娘は禁煙をしていたはずが、パジャマからはアイコスのポップコーンみたいな匂いがただよった。
「パパって高校のとき、なんて呼ばれてた?」
なにも言わない僕にしびれを切らしたかのごとく、娘は早口で尋ねてきた。同窓会の成り行きを訊かれたらどう応えたものか悩んでいたが、娘は訊かれたくないことを訊かない、勘のいいところがある。それでも下着一枚で酔った夜更けには、僕の高校時代をしきりに知りたがり、そのときの口調だけ元妻に似て、彼女らしからず余裕がないのだった。
「女子には名字で呼ばれてたけど、男子にはソーメイって呼ばれてた」
とっておきのネタを披露するように、潜めた声で話すと、娘はきょとんとしたのち、さっしたのか、けらけら肩を揺らして笑った。
聡明と書いてソーメイと読ませる。毎年旧帝大に二・三人しか行かず、なにかの間違いで東大に入ろうものならニュースか垂れ幕になるような田舎の高校でいちばん頭がよかった子の仇名として、ひどく凡庸だろう。
「ソーメイ君は、どんな学生だったの? お酒とか煙草とかやらなさそう。彼女もいなかったでしょ?」
茶目っ気のある「ソーメイ」の呼び方に、女性ではたったひとり、僕を「ソーメイ」と呼んできた国語のセンセイをふたたび思い出した。高校三年間、ローテーションになるという慣例に反し、なぜかずっとクラスの担任をしてくれた。上の名前は忘れたが、下の名前は君代だったはずだ。生徒には「君が代センセイ」と呼ばれていた。
「つまらない生徒だったよ、担任の言うことに従ってばかりの」
覚えている。おなじ春だった。スーツのじみなネクタイを堅く締め、緊張しきりで挨拶をした他の新任の教師とちがい、壇上からかろやかに飛び降りてきたまっかなタイトスカートの君が代センセイは、僕らとおなじ目線に立ち、マイクも通さず、よく通る声で言った。
――あなたたちは、戦争を知らない子どもたちです。戦争を知ってほしいとは思いません。ただ、知らないということを、これからの三年間で、知ってほしいんです。
入学式。君が代センセイは、君が代を歌わなかった。終業式でも、宿泊訓練の朝礼でも、町役場からお偉いさんがきても、また次の春が来ても、歌わなかった。土地柄、東京は憧れの地というより特急に乗れば日帰りで行ける程度にはちかく、化粧をしたり、背伸びした子が多かったから、無断で持ち込んだケータイをまっぷたつに折るような(本当かは見てないから知らない)君が代センセイは、とくに派手な女子から嫌われていたが、僕にとっては、ゆっくりと這い上がる日本国旗に背けたすっぴんの横顔があおい空より綺麗という、そういう印象を焼きつかせたセンセイだった。
「その嫌な担任のセンセイは、同窓会に来てたの?」
応えると怒ったような口調になりそうで、寝たふりをして誤魔化したが、娘にはわかっていただろう。彼女はふかい溜息を吐き、ローギアードのチェンジをせわしなく動かして、車を走り出させる。そのうちほんとうに眠ってしまっていた。「パパは誰のことも好きにならないみたい」とくるしげな声は、夢のなかで聞いたのかもしれない
頭が割れそうに痛い。呑みすぎただろうか。水を求め、こわばった上半身を起こすと、うすぐらく、せまい部屋だった。ちゃちなローテーブルがかたむき、くたびれたえんじ色のソファーが三方を囲んでいる。もう一方には、ミラーボールのした、ブラウン管のテレビにあおみがかり、海底のごとくぼやけていた。
「あ、起きた? ソーメイ君」
すりガラスの扉がひらき、廊下から煙草のにおいと、調子はずれの「桜の木になろう」があふれてきた。そこに立つシルエットを見て、謝ったことなんかないのに、崩れ落ちそうになった。
「来てたんすか」
彼女は氷に満ちたウーロン茶を僕のまえに置き、手慣れた仕草でプラのストローを刺してくれた。昔のままの、ネイルもつけていない、健康的な色の、よく手入れされた爪だった。それ以上、彼女は、昔とぜんぜん変わっていなかった。タイトスカートの腰回りはほそく、白シャツの襟元に鎖骨がのぞき、左手首のパステルピンクの数珠も、化粧をしていないくせ赤みのつよいくちびるも、切りすぎたぱっつんの前髪も、あのころのままだった。
「ソーメイ君、なに歌う?」
彼女は分厚い冊子を黒タイツにつつまれた膝にのせ、パラパラと捲った。ローテーブルのうえには、汗をかいたグラスのほか、ずんぐりのリモコンが鎮座していた。
「5525―001」
そらでそう応えると、リモコンにちっちゃな親指をはわせ入力してくれた彼女は、画面に表示された丸ゴシックの曲名と、流れ出した荘厳な前奏に、ぷいとそっぽを向いた。
ああ、この顔が見たかった。
入社のまえの入寮手続きだとかいろいろあるというので、「緊張で眠れなかった」と、もっと眠くなる小説を読めばいいのに夜じゅう三浦綾子をにらんでいた娘を後部座席でいびきをかかせたまま、新東名の左端をクルコンでなぞった。「リニアで行けば?」と呆れたが、娘いわく「あっちは電車が二時間に一本しかなくって、駅から遠いから」と、免許を一発で取ったぐらい運転が得意とはいえ一日がかりとなればさすがに心配だし、年度末の有休消化をうったえたところ課長の理解も得られたため、運転手を買って出た。圏央道でゾロ目ナンバーのポルシェがかました大規模な事故渋滞があり、やっと常磐道に入ったころには、とっくに陽がくれていた。トイレも堪えてさきを急いだところ、閉店のはやいサービスエリアで夕食を摂るタイミングを逃してしまい、インターチェンジから降りてすぐのすき家にはいった。あばらが浮いているくせ糖質ダイエット中の娘は牛丼の中盛り。僕はキムチ牛丼に温泉卵をあわせた。当時は車を運転することは港でしかなかったし、父の魚くさいスバル・サンバーで遠出した記憶もない。あの町に近づいても、なつかしさは露ほども感じず、ほっとしていた矢先、すき家のとなりの席から聞こえてきた猥談のどろくさい「でれすけ」と、ホテル提携の駐車場に青空駐車すれば、正面にかつて通っていた私塾を見つけ、こみ上げてくるものがあった。
早朝、眺めのよい最上階の露天風呂で目を覚ましてから、バイキングのあまいカレーでおなかを満たし、娘を会社まで送っていけば、「連れてきてやったぞ」と思わせぶりな口調でのびかけのあご髭をなでられ、いつ以来だろう、頬にキスをされると、つんのめりながら走り去る背中をみおくった。あきれられるほど頑固だから、なるほど娘の思惑どおり、こんなことでもなければ戻ってきたりはしなかっただろう。もう歩むことのなかった帰りみちは悪性のしこりみたいに覚えている。町外へ、県外へと避難所を渡り歩いたのち、進学先がもともと京都だったこともあって、おなじく関西に来た両親や妹と故郷の話をすることもなくなった。若く尖っていたころは「逃げた」と彼らを責め、電話すら取らない時期もあった。しかし妹はまだ多感な中学生で、ましてや「健康な子を産めっかどうか、内部被爆が心配だがら、WBCば置いてくんちぇ」というクラウドファンディングが大失敗に終わり、「くやしい」と号泣していたことを慮れば、謝ったりこそしなかったけれど自分なりに反省するところもあり、いまは年に数度、高速に乗れば一時間で行ける彼らの二世帯住宅に、「天一本店のついで」とうそぶきながら、子ども好きな娘を連れて寄ることはある。
あれから二十年以上経ったのだ。国道沿いの銀色のバリケードは夢かまぼろしみたいに消えていたが、その代わり、高校の跡地は中間貯蔵施設に化けていた。かつての自宅のあたりは避難指示が解除されたと聞いていたけれど、高校はそうでなかったのか。通学は歩いて三十分だった。ぎりぎり自転車通学が許可されなかった、そのぐらいの距離感で、判断がわかれることに、釈然としない思いを噛みしめながら、たとえば大学の新歓で出身地を話すとき、怒ったことがあったかもしれない。かつての資料がアーカイブされた施設を見つけ、当時はなかったものに違和感を覚えつつ、その違和感のてざわりを確かめるため、かなしいぐらい余った土地をぜいたくに使うだだっぴろい平面駐車場に車を突っ込んだ。
りっぱな施設だったが、入場料は取られず、募金箱に北里柴三郎を一枚つっこんだ。受付では女性ふたりが忙しそうに書類作業を行っており、入ってきた僕にものめずらしげな目線を向ける。しゃららん、とかろやかな音がして、よくみがかれた硝子のむこう、ころがるカラーボールが鉄琴をたたくオブジェを見つける。鎮魂のための設備らしい。「未来へのメッセージ」をタッチパネルに求められたが、無視し、さきへ足をひきずった。
『帰ってくるけ思ってたがぁ』
旧友の声がしたが、彼がそこにいるはずもなく、一度だけ振り返って、待ち合わせのときよくそうしたように揃えた指を掲げたあと、自動ドアの向こうに吸い込まれた。
うすぐらく、おちついたクラシックがながれる展示室は、ふたつのエリアに分かれていた。かつてのこの集落の暮らしを取り上げたエリアは、小学校の社会科で学んだり、祖父と挟み将棋をしながら教わったとおりで、なつかしかった。もうひとつ、僕がこの町を離れてから起きたことを取り上げたエリアは、ぐちゃぐちゃに壊れたパトカーも、音が鳴るように修復されたピアノも、まるで現実感がなかった。
いちばん奥には黒板が収蔵されていた。卒業式のあとに取り残されていたのだという、そこに刻まれた「この世に永遠なんてないけど、だとすると、永遠の別れもないんだよ」という筆跡に、たまらなくなり、立ち去ろうとしたところ、遺品の展示された一角、イカ娘のストラップが泥だらけになった携帯電話のとなり、水でふやけた卒業文集を見つけた。その名前と、圧がつよい黒鉛に、目が釘付けになって、離れなくなった。
写真は撮れなかった。フラッシュを焚かなければ撮ってよかったらしいけれど、撮る理由を見いだせなかった。いまさらはなむけの歌をうたう理由がないのとおなじように。
「ラブソング」
碓水君代
先生方もご存知のとおり、私は君が代を歌ったことがありません。だって君が代なんてダサいし、私の名前みたいだから。というのは冗談だけど。それでよく先生に怒られたし(さすがに暖房の効いてない冬の生活指導室に四時間詰められたのは堪えました……)、このあとの卒業式でも歌わないと思うので、最後、せめてその理由を説明させてください。
私には祖父がいます。って、誰にでもいるか。近くに住んでいる、母方の祖父で、なんと私の名付け親でもあります。この祖父というのが阿部寛そっくりのまつげがながいイケメンで、頭がよくって(私、顔より頭がいい人に弱いみたいです)、半田づけとか棚の作り方とかたくさん教えてくれたし、夏休み、「かなちゃんには内緒」と若いままの祖母のモノクロ写真(くやしいぐらい美人)に語りかけ、おもいきり濃くしてくれたカルピスを片手に、高校野球を観る時間が好きでした。祖父はNHK総合とNHK教育に切り替わる瞬間にチャンネルを変える達人でした。
祖父と一緒に行った甲子園の、初日だったかな。球場に君が代が流れた。みんな立ち上がって、目をつぶり、君が代に聞き入る、野球が日本の国技であることを実感するような、あの特別な場面。私がみんなに倣おうとすると、祖父はそっと通路の奥に消えたのです。
そんな祖父に関して苛められたことがあります。苛めというのかな、子どもらしい、冗談みたいなものだったかもしれない(でもそれを言うなら、苛めなんて、ねえ)。学校からの帰り道、みんなで、祖父のことを自慢しあったのです。私たちにとって、祖父は昭和のはじめか、大正うまれ。まさしく青春を戦争に費やした世代です。敵兵を何人殺したとか、零戦に何個勲章をつけてたとか、みんな頬を紅潮させて、いかにも幼くて残酷な、そんな話。私はちょっと躊躇したけど、自分の祖父が一度だけ話してくれた、戦争体験を披露しました。私の祖父は赤紙が来ると、全てをほっぽりだして、裏山に逃げたそうなんです。
いやああのときはきつくそしられたな。「非国民」とか指をさされてさ。それでも私は告白できたことに今でも胸を張れるし、徴兵忌避者の孫であることが、私の誇りです。
高校に入ってちょっと経ったころ、祖父に呼ばれました。私も大きくなると、祖父の家には行かなくなったけど、あいかわらずお線香のいい匂いがする、座り心地のいい和室でした。私が卓袱台のまえに正座を整えると、祖父は昔より頼りない手つきで、でもあいかわらず美味しいカルピスを出してくれて、私にこう尋ねました。
「なんで君が代ば歌わないんだべ?」
虚をつかれ、私はなにも応えられませんでした。言わないでも分かってもらえると思ったし。どのぐらいそうしていたんだろう、足の指先がしびれはじめたころ、からん、と音を立てて崩れた氷にしずかな目線をあずけた祖父が、こう教えてくれました。
君が代は、ラブソングなんだって。
君が代の君って、私は天皇のことだと思ってたけど(というか、学校でそう習った気がします)、元々は、好きな人のことを指していたんだって。君が代の由来は、十世紀に編纂された古今和歌集の「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という短歌にあるんだって。これを詠んだ人の好きな相手は、位の高い貴族で、許されない恋だった。だから古今和歌集には「読人知らず」で掲載されたそうなんです。
逃げ遅れた祖母が空襲で亡くなったことを教えてくれたときの声の震えで、私が君が代を歌わないことに、べつの理由が産まれた。私にはまだ、このぐらい人を愛した経験がない。たとえばもし、いつか、祖父ぐらい愛せる人が私にできれば、その人のためだけに、君が代を歌いたいって、そう決めたんです。
だから卒業式では君が代を歌いません。ごめんね。でも私は先生として、この学校に戻ってくるつもりです。そして生徒たちに、君が代が教えるような、本当の、美しい国語を教えたい。永世戦争をしないことを選んだこの国を支えてくれる彼らに、憲法九条があるからではなく、自分の言葉でそのことを選んでほしいから。
「ずいぶん趣味のわるい黒板ね」
教室を離れがたく、黒板を汚していると、むすっとした声が背後から投げかけられた。君が代センセイの目線のさきには、三月十一日という日付のとなり、僕が書いた「この世に永遠なんてないけど、だとすると、永遠の別れもないんだよ」とみみずが這ったような文字があった。
「何点ですか、センセイ」
君が代センセイに、さいごの国語の採点をたのむ。
「95点」
「てにをは」にも厳しかった君が代センセイらしからず、景気がいい。
「減点はどこですか?」
おかしくって、いたずらっぽく食い下がる。
「永遠の別れはあるから」
分かりやすかった君が代センセイの授業を思い出す。
「もう会えなくなるんですかね」
陳腐な台詞だった。卒業すればみな離ればなれになり、あんなに仲がよかった友人とも、苦手だった先生とも、会えなくなる。大人ぶって、受け入れたつもりでいたことが、どうしようもなく、子どもだった。
「ソーメイ君は京都大学に行くんだよね?」
脈絡があるのかないのか、君が代センセイはそう尋ねてきた。
「そうですよ」
心なしか胸をはって応えたところ、君が代センセイは、満足そうにうなずいた。組んだ腕にはイカ娘のストラップをぶらさげた携帯電話が握られていた。生徒のなかには、卒業にあたり、教師とメールアドレスを交換した子もいる。君が代センセイに誘われたりしないか、あおくさく身構えたが、彼女はなにも言わず、僕から言い出すこともできなかった。
「じゃあ、卒業式、遅れないでね」
君が代センセイは威勢よくきびすを返し、リノリウムを叩くパンプスの音が遠のいていく。ありふれた別れのはずなのに、ふいに怖くなった。
「センセイ!」
教室を飛びだして声をひっくりかえすと、やわらかい光にあふれた廊下のむこう、いつもそうであったとおり、君が代センセイがむずかしい顔で振り返ってくれた。
なんて言えばよかっただろう。いまも分からない。後悔ともちがう。いまでももしあのとき、あの場面にもどれば、おなじ言葉を掛ける。それをながい夜に煩悶しつづけることが、生きる理由だとしたら。
「なんで僕のこと、ほかの男子みたいに名字にさん付けじゃなくって、ソーメイ君って呼ぶんですか?」
ようやく、ずっと不思議だったことを、息も整えないままたずねると、君が代センセイは見せたことのない顔をぐずぐずにした。それが君が代センセイから聞いた、さいごの言葉になった。
夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき
午後二時からは卒業式。終幕をいろどる君が代斉唱では、凜としてうたわない君が代センセイの姿があるはずだった。
福島短編集 にゃんしー @isquaredc
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