メグミルクを飲むと降谷建志に優越感を感じる

 頭上を見あげると「卒業証書授与式」の垂れ幕が傾いてて、卒業式で泣いたこともないのに、なんか無性に悲しくなってしまった。目のまえはうすぐらく、ホコリっぽくて、照明がはねかえり、お客さんの顔は見えなかったけど、空咳がよく響き、どういう顔してんのかはわかる。フェラに怯えるメーデンみたく、ちゃちいマイクロフォンに口をひらき、すう、と息を呑み込めば、スピーカーからリバーブかかったノイズが広がって、ああこのマイク、入ってんだ。何を言えばいいだろう。チェックワンツーワンツー。まずは韻を踏むべきだと、生協で買った大学ノートを埋め尽くす「韻を踏める四文字一覧」を思い出し、けど「クレバをディスってるのにケツでカッチリ四つ踏むマザーファッカー」みたいなMCバトルで浴びたクソネタが頭を過ぎり、火が点いたねずみ花火みたいに、俺は声をひっくり返した。

「お前ら被災地とか言ってるけど、俺に言わせりゃ音楽は久石譲!」

 しんと場内が静まりかえる。なんでこんなところに来ちまったんだ?


 なんかこっちの人々って、すごく我慢づよい。自分みたいに、京都の実家でろくにバイトもせずモラトリアム踊ってた身からすれば、なんでみんなもっと怒らねえんだよ、と思ったし、責められてるみたいに感じた。大学は、札束出して教師にケツ振ってりゃ誰でも入れる私学で、そんなに偏差値が高いわけじゃないけど、業界とのパイプはブリッカより太く、みんなすごくイージーに一部上場とかに滑りこむ。就活で、求人のチラシを舐めてるとき、事務のお姉さんに「被災地のボランティアがあって、そこに行けば、就職するうえですごく有利になるよ」と笑いかけられ、口元のほくろがいやらしいから、格好つけてしまった。でも彼女、加齢臭たぎってそうな大学のハゲ教授と付き合ってるらしい、というかなんなら、京都名物「と、いうわけで。」から指を絡めて出てくるところを目撃した。ドキューン。被災地に行くに先立ち、かんたんなアンケートがあった。特技みたいな欄に「ヒップホップ」と書いたのは、降谷建志カッケーってなって以来MCの真似事をしてたから、ほかにネタがないから汚しただけで、ぜんぜん意味ない。たまに夜更けのタカシマヤ前で第三のビールをマイク代わりにサイファー囲ってはいたけれど、他のちゃんとやってる子と違ってプレスの音源出してなかったし、ヒューマンビートボックスは牛のゲップぐらいしょぼい。そのわりに「ラップ」と書かないで「ヒップホップ」とでけえ字で書くんだから、ほんと、格好つけすぎなんだ。それが現地スタッフになぜかウケて、双葉に来た俺は、避難所を回るたびラップをやらされるはめになった。馬鹿げてる。もっとライブとかそういうの、MOROHAばりのギャングスタがかまさないと、勇気づけらんないんじゃねえのかよ。だいたい、避難所でライブ観てる人々の表情は、こっちが辛くなるぐらい陰鬱で、ましてやド下手くそなラップでは、励ますことなんてできそうにない。

 毎日の、カラオケで歌ってたらみんなトイレ行くみたいなライブのほか、いろんなお手伝いをしなくちゃいけない。トラックで運ばれた避難物資を配ったりとか、炊き出しを渡したりとか、そういうのは怖くて手を出せなかった。どうしてかこの場所では、人と接するのが怖い。だって昨日話してたおばあちゃんが次の日には亡くなってたりする。ここへ来て、初めて「災害関連死」という言葉を知った。というかこの町では、地震そのもので亡くなる人よりずっと多いんだって。避難所の環境は日本だと思えないぐらい悪く、満足な医療も受けられない。持病の薬がいる患者とか、透析がいる患者にとっては、文字通りの死活問題があちこちにあった、というか「死」のそのものが散らかった部屋の耳かきぐらい当たり前に転がってる。俺は健康だけが取り得だし、病院に行ったのはペニスにできものができた時を除けばほとんどなく(MCバトルでは「童貞なのに性病」だとか「Say、病~」というコールアンドレスポンスで弄られた)、姉は病院の事務をしていたけれど、医療の心得なんか坂道発進ができず落とした運転免許の講習で習った人工呼吸ですら怪しい。彼らにできることは何一つないように思ったし、せめて話相手になってやれるかといえば、そういうのってなんか違うんじゃないか、と思ったりする。

 できることを考えたというか、むしろ逃げるみたいに、トイレを掃除することにした。下水はろくに通じてないし、便器は白いところが見えないぐらい汚い。酸っぱいアンモニア臭も鼻がひん曲がるぐらいひどい。目を離せば蛆が沸いたり、とにかく不衛生で、病気も広まりそう。ということが気になったというよりは、俺はお坊ちゃん育ちで、ウォシュレットのないところでは用を足したくないぐらいだし、こういうところからちゃんとしなきゃいけねんだよ、というずいぶん度の低い義憤に頭をたぎらせながら、便器を磨いたり、はみだした汚物を処理したりした。掃除をするのは得意だ、というか、掃除は逃げだと思う。俺はつまり、逃げるのが得意だ。たとえば高校の家庭科実習のとき、俺は料理をほかの子に任せ、勿体ぶって皿洗いだけ担当したりしてた。そうすれば、なんか偉いように見えるし、やってる感が出るし、一生懸命な背中を見せていれば、怖い先生にだって褒められたりする。すごくイージー。避難所の、トイレの掃除だってそうだった。とりあえず忙しそうにしていれば、ほかのずっと面倒な仕事はしなくていい。人と接さなくてもいい。グライムのBPMで亀の子タワシをこすりながら、即席のラップを呟いていれば、すこしだけ落ち着く。ラップってもともとは抑圧されてるマイノリティが苦しみを訴える術だったんだって。狭苦しいトイレでフリースタイルしているときの俺は、ちょっとそういうのに近い。避難所のひろいステージからみんなを見下ろし韻を踏める言葉を必死に探してるときより、俺らしい気がする。

 おおきなポリバケツをふたつぶら下げて、津波のときは逃げ場所だったという学校の裏山に歩いた。湧き水を汲みにいくのだ。飲み水にもなるし、稀にくる給水車のまえに行列ができるぐらい、なにかと水は足りてない。赤いよだれかけを巻いたお地蔵さんの傍にある水源まで、なかなか急な石段を苔に難渋しながら這い上がり、三十分ぐらいかかるため、ほかの人は水を取りにいったりしないんだけど、俺は暇だし、これも逃げだから、トイレ掃除の前後とか、午前と午後にそれぞれ三、四回は水を取りにいく。おもくるしい避難所を離れられるのもいい気分転換になった。そんなだったら、もう帰ればいいのに、と思う。それこそステージ上でコールアンドレスポンスしてるときとか、握りつぶしたビール缶を顔面に投げつけられて、「帰れ!」とか叫ばれてたら、俺はそれを理由にしてすぐにでも荷物をまとめてたと思う。でもこの町の人たち、すごく我慢づよい。で、怒るような元気とかないし、投げるものにも窮してたんだって、最近は分かるようになってきた。

 重いバケツを揺らしながら避難所に帰ると、入口のところに靴も履いてない小さな女の子が呆然とへたりこんでいた。おいおい、誰も話しかけねえのかよ。でも、みんな余裕がないんだって分かるし、結局俺も、よそものだからこういうことができるんだって、自覚に胸を詰まらせながら、「どうしたの?」と尋ねたところ、かぼそい声で「お風呂に入りたい」と言う。先にボランティアが来てくれたとき、水のいらないボディソープをたくさん置いていってくれたので、その場所を教えたが、彼女は首を横に振り、かすれた声を「パンツのなかが血で真っ赤になってる」と震わせた。ああ、初潮が来たんだ。避難所でもそういうことはあるんだ、と、当たり前のことに気づき、妹がそうだったときは、みんなで赤飯を囲んだな、と思い出し、別にその女の子に何かができると思ったわけじゃないけど、妹の口元を引き締めたはにかみが頭をよぎり、避難所裏の、くたびれたハイエースの影に女の子を呼び、水の入ったバケツと丸くなった石鹸を渡した。スモークガラスの向こうから水浴びの音がぱしゃぱしゃとした。タイヤに背中をあずけて体操座りし「寒くないか」と尋ねたら「寒くない」とこころなしか嬉しそうな声が返ってきて、なんでそんなことでうれしそうなんだよ、とか、また胸をふさぐ。海で拾ったという、べこべこの金タライにうすく水を張って、彼女のちっちゃなパンツをもみ洗いした。ろくな洗剤もなくって、日本国旗みたいな沁みはなかなか落ちなかった。なにより、手元からたちのぼる酸っぱい匂いを嗅いでいるうち、俺は妙な気分になった。股間がこれまでにないぐらいギンギンに張っていることを知った。ここに来て、一回も抜いてないんだ。よく「被災地では性犯罪が流行る」とかTwitterでも拡散されてたが、なくはないんだろうけど、統計上は言われてるほど数はないんだって。たぶん一番多い犯罪は窃盗なんじゃないか。みんなもっと日々を生き抜くことに必死で、性的な欲望にまで辿りつけてない。じゃあ被災地にいながらそういうことを考えちゃう俺はほんと最低で、最低と考えることも最低で、股間をグーで殴ったけれど、ぜんぜん力はいってないし、そのわりにうずくまったりする。足元に土まみれの革靴が見えた。おどろいて、顔をあげると、もっとおどろいた顔の女の子が立っていた。きれいな顔だ。なんか、若いときのMEGUMIに似てる。

 中学のときとか、ジャンプを卒業した俺らがマガジンを開くと、まず洗礼を受けたのがMEGUMIの爆乳だった。俺たちにとってあれを揉むということが「格好いい大人になるということ」だった。たぶんあの頃の思春期男子で、MEGUMIの爆乳にお世話になってない子はひとりもいない。それで、MEGUMIが結婚したとき、みんな揃って泣いた。下半身で泣いた。第二次性徴のお葬式みたいだった。でも相手が降谷建志だったから、それで納得したというか、ほかの人だったら両手の中指がバイアグラばりに立ちっぱなしだったと思う。で、中指おろしたあとの賢者タイムよりよっぽどあからさまな釈然が、俺たちをヒップホップにいざなったと、そんな気もする。べつにラップをしてればMEGUMIの胸を揉めるわけではないが、片方ぐらいは、違うな、ラップをすること自体がそういう行為だし、降谷建志はディスらない。ピース。だから0時すぎのクラブハウスには、そういうあおくさい男子ばかりがいて、ポケットに叩けば割れるSSRIがあっても、意外とパキシルとかでトリップしなくてもよかった。

 MEGUMI似のその子は、獲物を狙う野良猫みたいな栗色の瞳を細くして、「妹は?」と、どこか蔑んだような声で言った。俺が目線で水浴びの音がするほうを促すと、彼女はすぐに女の子に駆け寄り、ばしん、と乾いた音が響いたからぎょっとした。俺がびびって顔を覗かせると、女の子の左頬が赤く染まり、泣きそうだったけど、泣いてない。こんなときですら泣けないのか。

 ほんとうに、人と接するのなんか、したくなかったし、できるとも思わなかったけれど、俺が何か言わないといけないと思ったから、謝った。水をあげたのは俺で、体を洗うよう促したのは俺で、ぜんぶ俺が悪いんだって、ラッパーなくせ噛み噛みで捲し立て、ほとんど土下座みたいに謝った。MEGUMI似のその子は、やっぱりあの目線で、俺を見下ろし、

「余計なことしないでくれます?」

 と吐き捨てるように言い残すと、妹に服を着せ、変質者から逃げるみたいに去っていった。ほんと、その通りだよな。被災地の人たちは、みんなそういう目で俺を見ていたんだって、気づいた。まじワックだ。ステージに立ったところで、降谷建志になんか、なれるはずもない。


 パンツのゴムみたいなものが切れてしまって、というより、これ以上迷惑をかけるのが、堪えられなくなってしまい、避難所を飛び出した。何処かへ行きたい、みたいなスーサイダルテンデンシーならマシだけど、どっちかといえばケツの青いバスタの家出だ。幼いころそうしたように、誰かに追いかけてほしいみたいに、ロッコクをぶらぶら歩いた。当時はすごく寒く、雪がちらついていたっていうこの町も、いまはすっかりあったかい。もう大丈夫なんじゃないか、の、先頭に、俺がいなくても、のリリックが、エグザイルばりにぐるぐる踊ってる。みんな意外とやっていけると思う。と思い込もうとして、それを否定してくれる誰かを探してた。必要として欲しかったのだ、と、だらだら汗を流して、ロッコクのかすれたセンターラインをニューバランスの靴先でなぞりながら考えた。太陽はここでも眩しかった。子どものころはヒーローになりたかった。キカイダーのお面をかぶり、洗濯し立てのシーツをまとって、きいろい歓声を浴びつつ、たかい塀のうえから飛び降りた。見参! あの頃のぶわっと肌が粟立つような衝動がいまも続いていて、だからヒップホップをしてるんじゃないか、と思ったりする。いまは俺がステージに立っても、誰も笑ってくれやしない。笑ってほしかったのかもしれない。

 ロッコクを走る車は一台もなかった。海岸線に並行して走るこの道は、津波を堰き止める防波堤として機能したりもしたけれど、一部は浸水し、アスファルトが好きな子と分けたアルフォートぐらい割れた場所が三角コーンで封鎖されてるのを見た。それにしたって、自衛隊の車ですら一台も通らないのはへんだ、と、まっすぐな道を振り返れば、森の向こう、四角い排気塔が見通せた。ここに来てすぐぐらい、火力発電所の煙突を見間違えて怯えたときもあるが、いまはその特徴的なけむりの出ない煙突を見分けることができる。思いのほか怖くなかった。見えないし、匂いもしないんだし。あるいは、何かが麻痺したかのように、原発へと近づいていく。たしか半径二十キロ圏内は立ち入り禁止のはずだった。たとえば魔王の城に引き寄せられる勇者みたいな心もち。けれど俺が勇者なはずはなく、魔法使いでも戦士でもない、ドラクエでいえば、遊び人以下のえた非人だった。

 汗をかきすぎたのか、ふいに水が飲みたくなった。石橋のしたで泡ぶいた透明な小川を覗きこめば、呑み込んだ唾が痛く、ひりつくみたいに喉の渇きが意識された。じゃあその水を飲めるかっていえば、「放射能」のパンチラインでグロッキーになる。放射能でそれこそ「ただちに」人が死ぬことはなくても、水を飲まなきゃ人はかんたんに死ぬ。俺のなかで大切なことがAUXのLRみたくテレコになってる。そのぐらい勘違いしたノリで被災地に来たとすれば、やっぱり俺は不誠実だったに違いなくって、この水を呑まないのは差別だ、と、思うこと自体、自分で自分を差別してる。とにかく前を歩けば、ロッコク沿いに打ち捨てられたコンビニがあった。歪んだプリウスガードの向こう、海沿いによくある二重扉が蹴破られ、店のものはほとんど盗み去られていたが、二リットルのペットボトルの水が俺を試す審査員みたいに寝転がってた。たかが水。値段でいえば百円かそこら。でも、小川の水を飲めなくて、コンビニの水を飲むのは、物質だけじゃない何か大切なものを盗もうとしてる。でも被災地に来たこと自体、ただの搾取でしかないんだって、もう来る前から分かってた。たぶん俺は、帰れば語る。チェケラ。マイクがなくても。友だちとの飲み会とか、女の子とのデートとか、それとか、就活の面接とかで、意気揚々と、被災地でしてきてもないことを唾飛ばしながらアピールする。YO―YO。そのわりに、ラップで滑り倒したことはきっと言わない。もっとできることがあるように思った。ヒップホップのルーツってカウンターカルチャーだろ。本当のステージは逆だったんじゃないか。俺はラップで何かを伝えるんじゃなくって、逆に彼らのイルなラップに耳を傾けるべきだったんじゃないかって。それがラップでなくても。そう思うと、どうしてか涙が出てくる。水を飲んでなくても涙は出てくるんだな。悲しくなくても人は泣ける。なんつうご身分だよ。自分の情けなさだけがSHUREのマイクからとぐろを巻いたシールドケーブルみたいにすごくリアルだった。初めてのステージ、MCバトルで、俺はどうしていいのか分からず、あのケーブルを縄跳び代わりにゼロ戦かましたあげく、逆立ちして「地球を持ち上げてるぜ」って叫んだことがある。すごくウケた。この被災地のステージでできることは、そんなふうに、笑われるんでもよくって、もしかするとアンダードッグな自分を飾らないことが、ちゃんとセイホーしてもらえる在り方だったのかも。

 帰り道、銀色のバリケードの向こうから、何かが割れるような音がした。塀ごしに覗きこめば、大きな一軒家の軒下に、他県ナンバーの1トントラックがディーゼルらしく頭わるそうなエンジン音を唸らせてる。荷台には家具や電化製品なんかが下手糞なテトリスみたいに積まれてた。避難するときに置き忘れたものをこっそり取りに戻ったのかな、珍しいな、と、ナンバープレートで元カノを思い出しながら素因数分解を遊んでいたとき、ふと妙なことに気づく。その4桁がさびしい素数だった、とかそういうことじゃなしに、ありえない数、ここにあってはいけない数。先輩のハーコーなDJが板金屋のバイトついでにそういうことをしてたから知ってる。ナンバーのポン付けだ。6っていう数字が悪魔の目玉みたいに飛び出してた。このトラックは違法改造車で、きっと盗みを働くため被災地に来たんだって分かった。

 義憤なんていうたいしたもんじゃない。羨ましいのとも違った。だいたい彼らにどうこう言える資格なんて持ってない。というか何様だ。運転免許だってないのに、俺はそのトラックの運転席に滑りこんだ。ドリンクホルダーにはダイエットコーラのペットボトルが空になってて、おいおいカロリー気にしてんのかよ、おなじ人間がそんなことできるんだって、そのキツさだけは本当だった。足元にあるペダルがアクセルとブレーキだってことは分かって、あとはよく分からない。サイドブレーキは外れてたのか。とにかくアクセルペダルに足を置けば、トラックはゆっくり動き出し、家のなかからガチの怒声が聞こえたので、慌ててつよく踏み込んだら、トラックはブロック塀をぶち壊し慣性ドリフトでロッコクに飛び出した。

 ぜんぜん現実感がなかった。それこそゲームセンターの「クレイジータクシー」を遊んでるみたいだった。頭のなかでオフスプリングが四つ打ちでガンガン鳴った。「俺の求めるものはそれだけだ」ってガリ勉ホーランドが叫ぶ。オーケイ。という超カッコいいツーレターワーズから始まるクレイジーソング。英語はTOEICで伝説的な点を取ったぐらい分からないけど、カーペンターズの「SING」とオフスプリングだけはそらで歌える。じゃあ俺の求めてたものってなんなんだ。トラックのいかついハンドルをでたらめに切り回しながら考えた。あのクレイジータクシーみたいに、乗せなきゃいけない人なんて、たくさんいるけど、誰も乗ってない、ぜんぜんクレイジーじゃないマスターオブセレブレーションが俺。でも荷台には、きっとたくさんの思い出が乗ってる。俺にこれを持ってく資格はないが、じゃあ誰にだってないだろ。俺は当事者じゃないけど、本当の当事者なんかみんな死んでる。声を聞こうとしたって、スピーカーはだんまり。そういうもののためにラップがあるのかもしれないって、思えばいよいよ歌ったらアホだ。

 まっすぐ走らせてるつもりだったけど、ぜんぜんできてなかったみたいで、うっかり片輪を縁石に乗り上げてしまい、そのままトラックは横倒しになった。ものすごい大きな音がしてびっくりした。その音が止むとまったくの静かだった。シートベルトもしてなかったのに、奇跡的に怪我ひとつなくて、びっしり蜘蛛の巣が入ったフロントガラスに唖然とし、ドアを蹴飛ばして顔を出すと、まっかな夕焼けに溶けこむロッコクには、一頭の牛が立っていた。黒と白の模様が入った、わかりやすい乳牛だった。鼻輪と耳に付けられたタグは、かつて人間に飼われてたんだって分かる。なんでこんな優しそうな眼差しなんだろう。お前、捨てられたんだぞ。抱き締めると、体は見た目よりずっと骨張ってた。牛はほそい脚を震わせながら、しかしすっくと立って、ぼってりの腹を俺に向けた。ぱんぱんに張った乳房がいびつにいくつもぶら下がってた。乳をたくさん作るため改良された乳牛は、毎日乳を搾ってやらないと苦しくなるって聞いたことがある。被災地に来て俺は「資格なんかない」って思ってばかりだった。悲しくなる資格だとか、炊き出しをする資格だとか、ラップをする資格もそうだし、貴重なごはんとか水をいただくのも申し訳なかったし、どこにも居場所がなかった。でも俺はこの勝手にされたあげく置き去られた乳牛に向かい合い「人間を代表して謝る資格」はあるんじゃないかって、そう思った。いや、そう思うことに決めたんだ。俺はおっぱいにむしゃぶりついた。友だちに風俗とか誘われても、俺はぜんぶ断ってて、でもほんとうは行きたかった。それこそMEGUMIみたいな、でっかい胸を揉みしばきたかった。やっと辿り着けたおっぱいは、ぜんぜん思ってたのとは違い、えろくないけど、生きてるし、俺はこのおっぱいを大事にしなくちゃいけない。ちょっと乳房を押しただけでバカになった水道みたいに濃厚なミルクが溢れてきた。美味しいとか美味しくないとか、そういうのは考えなかった。俺はこのミルクを飲んでやる。一滴残さず飲んでやるぞ。やがて日が落ち、辺りが真っ暗になっても、俺は乳を吸い続けた。ちうちうって全然えろくない音ばかりがふたりだけの被災地にこだました。

 気がついたら、俺は眠ってしまってた。牛に背中を預けてて、その肌は冷たい。顔を見つめると、まつげのながい目を閉じてて、そんなはずがないのに、幸せそうに見えた。俺は穴を掘ることにした。大きな、大きな穴を掘りたかった。牛の墓を作りたかったし、ほかにも、トラックの荷台に乗ってるたくさんの思い出たち、歌えなかったエゴ、俺のおもんないエモとか、そういうの、ぜんぶ受け止めてくれる大きな墓を掘りたかった。スコップなんかないから、土をえぐってもえぐっても穴はぜんぜん大きくならなくって、なんだ俺、またトイレ作ってんのか。俺は逃げたかった。でも、怖くて何が悪い? 被災地が怖くて何が悪い? 何もできない俺が怖くて何が悪い? 放射能が怖くて何が悪い? 避難物資をもらうときの冷めた目を見るのが怖くて何が悪い? 子どもたちのはしゃぐ声が怖くて何が悪い? おばあちゃんの空咳が怖くて何が悪い? 「ありがとう」と初めて言ってくれたおばあちゃんの姿が次の日に見えないことが怖くて何が悪い? 昨日ミルクをくれた牛の命が今日失われてることが怖くて何が悪い?

「うあああああああああ」

 怖いよ、俺は!

「お前、被災地とか言ってるけど!」

 韻を踏めるはずのフォーレターワーズが、すごく遠い。四文字の言葉なんか、「韻を踏める言葉のメモ帳」にたくさん記録してるはずなのに、どこにも見つからない。


 避難所に戻ると、トイレがどうしようもなく汚れてた。そんなことで、俺が求められてる気がして、そんなことに安心してしまった。できることなんてそんなにない。だからせめて、トイレをきれいにしようと思った。もったいないから手袋は使わない。水もできるだけ節約して、ごしごしと擦る。俺はこの匂いがとてもいいと思う。ぜんぶ、受け入れてやるんだ。洗剤も使わず、ごしごしと擦る。ここはみんなの悲しみの捨て場所だ。それを受け入れることまではできないけど、見えないところへ捨ててやる。それは俺にしかできないことだと思うから。ごしごし。茶色がかってた便器が真っ白になる。ごしごし。きれいに輝かせる。泣くことはできないと思うから、せめて用を足そうとしたとき、気持ちよくできるように。明日を輝かせることなんか、俺にはできない。お前らがびっかびかに輝け。俺はそれを人生の客席で見てる。ピースサインを天高くぶちあげて、ビーガって言ってやる。

「ねえ」

 と声が掛けられて、顔を上げると、いつかの、MEGUMI似の女の子が立ってた。いや、胸ばっか見てたけど、顔はいうほどMEGUMIではないな。初めてここで暮らす人の顔を正面から見られたように思った。

「呼ばれてるよ、ステージに」

 不機嫌に、彼女に促され、ライブの予定が入ってたことを思い出す。いつもならヒップホップらしいだぼだぼのビーボーイスタイルに着替えて向かうのだけど、時間もないし、俺はトイレ掃除で汚れた白シャツと便所サンダルのまま、ちょっとそこまで行くみたいに、ステージへ足を引きずった。お客さんの顔はよく見えた。

「お前ら、被災地とか言ってるけど」

 マイクの代わり、亀の子タワシを口に当て、つづく言葉も思いつかないまま声を張る。そうだ、ラップなんかしなくても、ふつうに喋ればよかったんだ。

「俺に言わせりゃ、コンビニより近いし」

 言った数秒後、誰かが「ぷっ」と笑った。呆れてるみたいな笑いだったけど、初めてこの町でウケたことが嬉しかった。

「プチャヘンザ!」

 誰かが言う。その声をよく覚えてた。たぶん、すごくよく覚えてた。すごくすっきりした頭のなかで「プチャ便座」に自動変換された。この町に言いたいこと、言えるたったひとつのことに気づく。

「正しいウンコの仕方を知ってるかい!」

 お前ら、もっとトイレをきれいにしろよ。俺もいつまでもここに居られるわけじゃねえんだぞ。そのことを言いたかった。

「知ってるかーい」

 静まりかえった体育館のなか、仕方なさそうな彼女の声が響く。どんなよくできたハコでライブしたときより鼓膜が心臓ごとびりびりする。

「正しいウンコの仕方を知ってるかい!」

 もう一回叫んで、みずくさいタワシを客席に向けた。

「知ってるかーい」

 ちゃんとみんなの声がした。ちゃんとみんなそこにいた。生きていた。そのことがすごくうれしかった。

「ウンコをするんだ、ウンコをするんだ、うん、こうするんだよ」

 尻をめちゃくちゃ振りながら歌う。ボスが最初に教えてくれただろ。汚えケツを客に向けんな。でもみんな、客じゃねえし。俺のバックにいるホーミーだ。

「ぶりっちょー!」

 こんなもの、ウケるはずがなかった。だから場内に轟いたこの歓声は、みんなが元々持ってるもの。みんなちゃんと元気だってこと。俺がいなくても。


 別れのときは、そんなに感動的じゃなかった。たぶんいろんな人がこれからもこの町に来て、通り過ぎていく。俺もそのなかのひとりみたいなもの。レペゼンなんて言えないし、言いたくもない。ただ俺も、わずかな間だけでも、そのひとりでいられて、よかった。

「ねえ」

 迎えのバスを待ってると、そう声を掛けられた。いうほどMEGUMIに似ていなかった彼女は、妹と手を繋ぎ、俺をまっすぐに見据えて、こう言った。

「ちゃんとトイレ、きれいにするから」

 赤く染まった彼女の耳が、すごく色っぽくて、思ってもない返事が、俺のとがらせた口をバイブスいっぱいに飛び出す。

「ばかやろ」

 帰りのバスに揺られながら、その言葉の響きを舌先で確かめてる。ノートを開き、ペンを握って、韻を踏める言葉を考えてる。「ありがと」がふいに思いつき、こんなの降谷建志にも書けないぜって、メーン。

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福島短編集 にゃんしー @isquaredc

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