第10話 消える世界
箒に乗って家に向かって飛んでいると、歌音は不意に世界が強制的に塗り替えられるような、ゾっとする感覚に包まれた。
どう考えても良い方向の感覚では無い。むしろ、悪い方向にだ。
歌音は慌てて箒に急ブレーキを掛け、周囲を見回した。
空の色が、街の色が、端から徐々に全ての色が取り上げられ、モノトーンの世界へと再び戻っていく。
折角取り戻した世界の色が、再び塗り替えられていく。
歌音が空に浮きながら絶句する。
「なんで? 七色全て取り戻したはずでしょう? 街の色は無事戻ったはずでしょ? わたしの中に七色の精霊の存在だって感じるよ?」
「これは……。モノトーンの世界の発生源たるパパさんママさんの悲しみが大きすぎるんだ。家へ急ごう!」
「分かった!」
元のモノトーンに塗り替えられつつある世界を後ろに感じつつ、歌音は全力で箒を飛ばし、自宅へと向かった。
◇◆◇◆◇
「パパ! ママ!!」
モノトーンの中心である歌音の家は、当然、屋根も壁も内装も、その全てがモノトーンに染まっていた。
玄関で靴を脱いでリビングに向かった歌音はリビングの扉を大きく開け放った。
そこには歌音が家を飛び出て町を
とりあえず両親に目に見える変化が無いと分かった歌音はホっとし、リビングに入ろうとして弾かれた。
まるでリビングがグレーで半透明な寒天にでも包まれているかのように、触るとプヨンと弾かれる。
感触としては柔らかいが、全く破ることができない。
すぐそこに両親がいるのに、近寄ることさえできない。
「パパ! ママ!!」
歌音は再び叫んでリビングに突入しようとするも、どうやってもモノトーンの結界を破ることができない。
妖精の王子・テンが無言でそっと結界に触った。
何かを探るかのように、ちょっとずつ手をずらしながら、丁寧に丁寧に触っている。
「この中に入るには、結界と同化する必要があるね」
「それ、どうすればいいの?」
「簡単だ。結界に身をゆだね、両親の悲しみに同化すればいい。ただ、心を強く持たないと戻って来られなくなる」
「……分かった」
言うや否や、歌音はリビングの入り口――結界の壁に寄り添った。
そのままじっとしていると、壁を通して部屋の中から両親の悲しみが歌音に染み込んで来た。
――泣いている。泣き続けている。あぁ、これ以上悲しまないで、パパ、ママ!
両親の猛烈な悲しみの波動に包まれた歌音はゆっくりと結界に同期し、その中へと入って行き……つま先から徐々に身体が石へと変わって行った。
「気をしっかり持て、カノン! お前まで石になるな!!」
歌音はテンの必死の叫びを聞きつつ、石像と化してリビングの床に倒れ込んだ。
◇◆◇◆◇
気が付くと、歌音は庭に立っていた。
だが、世界は相変わらずモノトーンに包まれたままだ。
そんな中、白のTシャツに黒の半ズボンを履いた男の子が、リビングのマッサージチェアの上で体育座りをして泣いていた。
十歳くらいだろうか。歌音より明らかに幼い。
「パパ?」
少年は泣きながらずっと何かをつぶやいている。
歌音は少年が何を言っているのか確認しようと、その
「ごめん、父さん。もっと早くこれを買ってあげていたら。いつだって僕は遅い。毎日後悔してばかりだ。僕は生れてからずっと父さんを悲しませてばかりでいた。駄目な息子だ。子供のときからそうだった。大人になっても父さんをガッカリさせてばかりだ。どうして僕はこうなんだ」
「パパ……」
父・道隆は家の中ではムードメーカーだった。
泣いた顔など見たこと無かった。
いつも笑っていた。
だが今、子供に戻って全ての心の壁が取り払われているせいか、ずっと泣き続けている。
心を覆う鎧を全て取り去ると、こんなにも自信無さげになるのか。
「見なさい。あれが道隆の真の姿だ。そんなこと無いと何度否定してもその自信の無さが消え去らない。大人になってちょっと安心してたんだが、根が小心者なのはそう簡単には直らないな。やれやれ」
その声に歌音が振り返ると、格子柄の紺のポロシャツにベージュのチノパン、白いメッシュのアルペンハットをかぶった、こじゃれた老人が立っていた。
「お、お祖父ちゃん?」
それは、一年ぶりに出会った歌音の祖父・
ちょうど亡くなった一年前、よくこんな格好をしていた。
だが、意識をしっかり持っているからか、亡くなった祖父には色がしっかり着いている。
「久しぶりじゃな、歌音。その恰好、良く似合っておるぞ。
「お祖父ちゃん! お祖母ちゃんが魔女だってこと知ってたの?」
「そりゃ秘密でもなんでも無かったからの。あえて他言はせんかったが。じゃなかったらワシは婿入りなんぞせんかったわい」
「あ、そっか。姫宮はお祖母ちゃんの苗字だもんね。魔女の血を絶やさないようにお祖父ちゃんは婿入りしてたってことか。なるほど」
祖父はニヤリと笑うと、サンダルを脱いでズカズカとリビングに上がり込んだ。
父が祖父に気付いて顔を上げる。
その顔は涙と鼻水でグショグショだ。
「道隆!」
「と、父さん?」
道隆が慌てて肩で涙と鼻水を拭う。
道幸はため息を一つつくと、道隆の前で膝をついて視線の高さを息子に合わせると、ズボンから格子柄のハンカチを出して道隆の顔を乱暴に拭った。
「痛い、痛いよ、父さん」
「道隆。心配せんでもお前はワシ自慢の孝行息子だよ。ワシはいつだってお前を誇りに思っておる。何を悲しむことがある」
「だって僕は、父さんをガッカリさせてばかりだった。成績だって良くなかったし、要領だっていい方じゃない。自分なりに頑張ったつもりだけど、いつだって僕は……」
ゴチン!!
「痛ぇぇぇぇ!!」
道幸が
「そういうとこだぞ、ワシが怒るのは! 自信が無さすぎるんじゃ、お前は! 良くやっていると何度言えば分かるんじゃ! いい加減しつこいぞ! 今のお前は、一家の大黒柱じゃろうが! 大黒柱がそんな不安気な顔で泣いていたら、和美さんや歌音が不安がるじゃろうが! 自覚を持たんか!」
「だって! だって僕は! ……歌音だって? 歌音、お前いつの間に……」
「やほ、パパ」
祖父・道幸に隠れるように立っていた歌音が、顔を引き攣らせながら道隆の前に進み出る。
道隆は何が何だか分からないといった表情でマッサージチェアから立ち上がると、歌音の方に歩いて近づいた。
一歩歩くごとに道隆の見た目の年齢が上がり、歌音の前に立ったときにはすっかり大人に戻っていた。
しかも、喪服こそ着ているものの、全ての色を取り戻している。
「なんだ? その恰好。まるで魔女みたいだぞ? そんな服持ってたっけ?」
「さっき商店街のミサキ屋洋品店で買った。魔女っぽくて可愛いでしょ」
「うん、可愛い可愛い。金はパパが出してやるから後でママにレシート渡しとけ」
「やった! ありがと、パパ」
「え? で、これどういう状況? 世界が灰色だぞ? どうなってるんだ?」
歌音は祖父・道幸と目を合わせると、やれやれという表情で、揃って肩をすくめた。
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