第8話 青空の下を飛びたい
箒の扱いに随分と慣れたようで、歌音は池まで来ると一気に上昇した。
水面から二十メートルくらいの高度を取ったところでホバリングする。
「ここまで高く上がるとさすがに怖いねー」
歌音の住む街は田舎なので、ここまでの高さのビルは駅前や繁華街まで行かないとそう見かけない。
お陰で結構遠くまで見通せる。
景色の良さに対する高揚感はあるが、同時にこんな高空から墜ちたらという恐怖心が歌音を襲う。
「ここから落ちたらいくら下が水でも硬さはコンクリート並みよね。そうなったら一発でお陀仏だわ。でも、なんかあるんでしょ? 安全装置」
「まぁね。空から落ちたり鳥にぶつかったりと、魔女の飛行にはトラブルがつきものだからね。だから魔女は常時バリアーを展開している。アンジュの魔法を探ってごらん。風防壁の魔法だ」
テンのアドバイスを聞いた歌音は、空高く浮いたまま目をつぶって、祖母の魔法の知識を探った。
たちまち歌音の脳裏にカタログのような、分厚い本のヴィジョンが浮かぶ。
歌音は
「あぁ、これかぁ!」
歌音は目を開くと同時に手元を見た。
歌音のまたがった箒――祖母から受け継いだ箒の柄に小さな小さな魔法陣が刻まれていた。
ちょうど手が当たる位置だ。
直径四センチの箒の柄の表面に、ナイフか何かで刻まれた小さな魔法陣がある。
あまりにも小さくて気付かなかったのだ。
歌音はそっと魔法陣に手を当てると、頭に浮かんだ呪文を唱えた。
「ベントゥス ヴォルアッチ ディフェンダットミー(風よ、渦巻き我を守れ)!」
途端に歌音の周囲に風防壁が展開する。
歌音の着ている喪服の端がパタパタとはためく。
その様子を見てテンがうんうんうなずく。
「うん、それでいい。魔法陣が箒に刻まれているだろ? その魔法は箒に乗った瞬間に自動発生し、箒に乗っている間、常時展開し続ける。エアバックのように衝撃が加わると最大限効果を発揮するけど、それまでは邪魔にならないよう、PCの裏で動いているプログラムのようにそっと発生し続けている。だから魔力切れの心配をする必要も無いよ」
「……テン、あんた妖精界の住人のくせしてエアバックだとPCだのって、ずいぶんと文明に詳しいのね。ビックリだわ」
「いやいや。人間界も妖精界も隣り合っているからね。過干渉することは無いけど、ある程度は影響受けるし」
これで多少激しい動きをしても安心と思ったか、歌音は周囲がモノトーンの世界で手や首をコキコキと鳴らす。
「んじゃ、行きますか! 青、それは空の青! 出てこい、青色の精霊!」
「呼んだ?」
「呼んだ?」
「呼んだ?」
歌音の周囲に青い服を着た精霊の少年少女――青色の精霊が一斉に現れる。
歌音はすぐ近くに現れた青色の精霊に向かって手を伸ばす。
ところが、青色の精霊は残像を残し、凄まじい速さで歌音の手をすり抜けた。
「ボクらは青色の精霊。空を支配する精霊だよ? 七色の中で一番早いんだ。そんなんじゃボクらは捕まえられないなぁ。あっはっは」
青色の精霊たちが空中で様々なポーズを取りながらニヤニヤ笑う。
「お祖母ちゃんの知識からそれは分かっていたわ。だから無茶な動作をしても大丈夫なよう安全装置を完備してからあんたたちを喚び出したのよ!」
歌音は予備動作無しで一気に箒を発進させた。
左手一本で箒を握り、右手を青色の精霊に伸ばす。
だが、さすがに早いと
ターゲットを替えてアタックするも、全く追いつける気がしない。
「カノン、スピード勝負じゃカノンに勝ち目は無いよ。向こうはその気になったら瞬間移動並みの速さで移動できるんだ」
「ならどうする? どうやって捕まえる? 捕まえないことには契約もできないよ?」
「発想の転換だ。あいつらは青色の精霊だ。空のどこにでもいるんだ。ということはつまり……」
「なぁる。こういうことか」
歌音は目をつぶると、ゆっくり、そして優しく、目の前の空間を抱き締めた。
目を開く。
歌音の腕の中に、青色の精霊がいた。
「うはぁ、捕まっちまった。よく分かったな、オレたちの捕まえ方。ま、しゃーない、契約してやるぜ。さ、いっちょこーい!」
歌音の腕の中の青色の精霊が両手を広げて万歳ポーズをする。
「ありがと!」
歌音が微笑みながら礼を言うと、手の中の青色の精霊がちょっと照れる。
歌音は再び目を閉じ、イメージした。
――青。それは空の青。そして海の青。深い深い水の青。それは果てもなくどこまでも続く……。
歌音は目をつぶったまま、抱き締めた青色の精霊の額にキスをした。
青色の精霊の身体が拡散し、世界に広がっていく気配を感じる。
歌音はゆっくり目を開き……息を飲んだ。
「綺麗……」
空が――青かった。
この世界が、青色を取り戻したのだ。
さっきまでモノトーンの世界だったのが、空に色が着いたお陰で、一気に現実世界に近づいた気がする。
そうやって高い位置から街の様子を見ると、まだちらほらモノトーンがあるにせよ、かなりの部分、色が戻ってきていた。
大通りを走る車もかなりの数、目に見えるようになっている。
やはり青空が戻ったのは大きい。
だが――。
「カノン、見てみな。遠くの空が薄っすら赤みがかって来ている。あまり時間が無いぞ。急いで他の色を探すんだ!」
テンの声が焦りを帯びる。
「えっと、黄色、緑色、青色と三色取り戻したから残りは……」
「赤、橙、藍、紫だ。この公園で入手できる色を優先しよう。考えろ!」
「この公園で? んーと、んーと、んーと……よし、あれだ!」
歌音は公園の一角を目指し、箒を急がせた。
だが――。
辿り着いた一角で、歌音は顔色を失くした。
そこには太くて平べったい緑色の葉っぱがたくさん生えていた。
「ここ、何だい? 何が植わっていたんだ?」
「
「時を戻すことは出来ない。今まさに紫色のものを探さなくっちゃ。他に何か思いつかないか?」
「
「駄目か! すでに三色分の干渉を受けているから、公園から出るのは危険だぞ。極力この公園内で見つけられる方がいいんだが……」
「夏の植物、夏の植物……。あれだぁ!」
歌音は箒をぶっ飛ばした。
テンが慌てて歌音の肩にしがみつく。
風防壁の加護があるからか、歌音は高い位置を飛んだ。
この街は田舎町の為、施設の規模のわりには人が少ないが、それでも犬の散歩や休憩にこの公園を使う人はいる。
しかも日曜の午後だ。
色の干渉を受けたせいで世界がすでにかなりの部分重なり、地上に人影が見えてしまっている。
向こうの姿が見えるということは、いずれ自分の姿も見られてしまうということだ。
安心してはいられない。
歌音は公園に併設された市民農園に到着した。
ここでは、趣味で農作業をしたい市民に、貸し農園をしているのだ。
そこにあった。
紫色に染まるエリアが。
「茄子だ!」
「紫だ!!」
歌音とテンは、歓喜の表情で同時に叫んだ。
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