第2話 魔女の血

 歌音の家の裏には、町内の人に『千宝さん』と呼ばれ愛される神社がある。

 名を千宝神社せんぽうじんじゃと言い、町内の人しか知らない地域密着型の小さな小さな神社だ。

 敷地はバスケットコート一面ぶん程度の広さで、その中央が、目の前の道路から五メートルほども高くなった小山こやまとなっている。


 緑色の色褪せたフェンスの一角が開いており、そこから敷地に入ると、小山の頂上に向かって赤い鳥居が並んでいる。

 階段をまたぐように十基も建てられた赤い鳥居を全て潜りながら坂を登り切ると、古い小さな木製のお社おやしろのある頂上に辿り着く。

 頂上にあるのはこのお社だけだ。


 いつ頃から存在しているのか、あるいは何をまつっているのかすら町の誰も知らないお社なのだが、とりあえずこのこじんまりとした神社は、夏は町内の子供たち向けのお祭り会場となり、正月は年始のお詣りをしにと、町内の氏神様うじがみさまとして長く愛されてきた。


 歌音は自転車をその場に乗り捨てると、まるで幼児が母親を求めるかのように、必死の思いで人影の方に向かって走った。


 人影を追って転がり込むようにして神社の敷地内に入った歌音は、そこにいた人物の正体に気付いて足を止めた。

 人影が振り返る。


「なん……で……」


 歌音の声が震える。

 よろけてその場に尻もちをついた歌音に向かって、叱責しっせきの声が飛ぶ。


「落ち着きなさい、歌音。あたしはお前を、そんなすぐパニックを起こすような子に育てた覚えは無いよ!」


 鳥居を前に立っていたのは歌音の良く知る人物だった。

 モノトーンの世界のためいまいち分かりにくいが、花柄のワンピースにロングカーディガンという、歌音にとって見覚えのある格好をした老齢の女性だ。 

 歌音の目が丸く見開かれる。


「……お祖母ちゃん。なんで? ……幽霊?」

「幽霊か。うん、まぁそんなようなもんだ。なにせあたしの身体はもう焼かれておこつになっちまったからね。この身体はいわゆる幽体アストラルボディってやつだね」


 つい一週間前に亡くなり、今日葬儀を終えたばかりの祖母・姫宮杏樹ひめみやあんじゅは、孫・姫宮歌音ひめみやかのんに向かって、ニヤっと笑ってみせた。


「お祖母ちゃん、どうしたの? 何か心当こころあたりでもあって化けて出て来ちゃったの? それともわたしに恨みでもあった?」

「それを言うなら『心残こころのこり』だよ。来年には中学生だろうに、もうちょっと勉強しなさい。そうね。心残りはまぁ無いとは言えないね。何せやるべきことをする前に死んじまったから。ちなみに恨みは無い。孫に恨みを持つ祖母なんて、古今東西ここんとうざいあたしゃ聞いたことがないが」

「そっか、良かったぁ」


 安心したのか、歌音はベンチにドスンと音を立てて座り込んだ。

 杏樹が顔をしかめる。


「歌音、あんた女の子なんだからもうちょっと……。いや、やめておこう。死んだあたしがいつまでもあんたの教育に口を出すのも良くない。それは和美さんのお役目だ。どれ、今何が起きているのか話してやろうかね」


 そう言うと、杏樹は歌音の隣に座った。

 杏樹が狭く感じないよう、歌音はちょっとだけお尻をずらす。


「今この空間は……そうさね。姫宮家を中心に半径十キロくらいの、通常の世界と切り離された特殊空間になっている」


 歌音が首を傾げる。

 ついついその表情が半笑いになる。


「お祖母ちゃん、何言ってるか分かんないよ?」

「……あんたの悪い癖だ。理解できないことに直面するとすぐそうやってからかってその場を逃れようとする。ま、論より証拠だ。時間があったら試してみるといい。姫宮家からある程度離れると、強制的にどこかに跳ばされて、決してそれ以上外に行けないようになってるから」


 杏樹がたいして面白くも無さそうに言う。

 歌音が黙り込む。

 確証は無いが、直感が、杏樹の言っていることが間違っていないと告げている。

 杏樹はそんな歌音を横目でチラっと見ると、再び口を開いた。


「説明を続けよう。この異常事態は歌音、あんたが引き起こしたものだ。もちろん自覚症状のあるものでは無いから『あんたのせい』というのはこくな話だ。だが事実だけ言うとそうなる。あんたの精神こころがこの家を包む悲しみの波動に同調し、世界を切り離してモノトーンに染めた。それが真相だよ」

「そんな……」


 杏樹はいたわるような顔で歌音を見ると、その背中を優しく撫でた。

 どういう物理法則が働いているのか、この世界では死者は生者に触れられるらしい。

 杏樹はしばらくそうして孫の背中を撫でていたが、やがてベンチに座ったまま真っ直ぐ前を見た。


「歌音が責任を感じる必要は無い。むしろ悪いのはあたしだ。あんたを魔女として充分鍛えてやる前に死んじまったあたしの責任だ。お陰で案の定、魔女の血が暴走しちまった」

「……魔女の血? どういうこと? お祖母ちゃんが魔女だったって言いたいの?」


 歌音がビックリした顔で祖母を見る。


「あたしだけじゃない。あんたもだ、歌音。この状況を元に戻す為に、あんたは魔女として力をコントロールすることを学ぶ必要がある。古い友だちに頼んで少しだけ時間を貰った。このわずかな時間を使って、あたしはあんたに魔女としての教育をほどこす。あたしゃその為に戻って来たんだ」


 杏樹は決意の表情でベンチから立ち上がると、歩いてお山の一番下――お社への昇り口でもある、一番目の赤い鳥居の前に立った。

 振り返って歌音を呼ぶ。


「ほら歌音、行くよ? 早いとここの状態を何とかしないと、あんたたち三人は元の時空間から永遠に切り離されちまうんだから」

「何が何だかだかさっぱり分からないよ、お祖母ちゃん」


 ともあれ、呼ばれたからには行かないとと思い、歌音はいそいそとベンチから立ち上がると、杏樹の隣に立った。

 鳥居の奥に、頂上に建つお社が見える。

 そうして見ると、鳥居に囲まれた階段が、まるでどこか異世界へと繋がるゲートのように見える。


 杏樹は一番目の鳥居を前に、懐から短杖を取り出した。

 使い込まれた感はあるが、何という事も無い、三十センチほどの長さの木の棒だ。

 杏樹は手慣れた様子で、目の前の空間に魔法陣を描いた。 

 色の無い世界で杖の軌跡に小さな炎が灯り、空中に魔法陣の図柄が浮かび上がる。


「アペーリ イアーヌワ(扉よ、開け)!」


 次の瞬間、魔法陣は光を放ち、波となって広がりつつ散った。

 魔法陣の光が吸い込まれた一番目の鳥居が、ボンヤリと白い光をまとう。

 と、下の段から上の段に向かって、鳥居が一つずつ順番に光を纏って行く。

 十本分の鳥居全てが光を纏ったところで、一番目の鳥居に人一人が通れるくらいの大きさの、空間の裂け目が現れた。

 裂け目の向こうに一面緑色の芝生の広場が見える。

 向こう側には色がある。


 ビックリした歌音は、一番目の鳥居の真横に回ってみた。

 だが、鳥居の後ろには普通に二番目の鳥居があるだけだ。

 次に歌音は、山の斜面を少し昇ってみた。

 三番目の鳥居の辺りから一番目の鳥居を見下ろしてみるも、祖母・杏樹が見えるだけだ。

 つまり、空間の裂け目が見えるのは、一番目の鳥居を真正面から見たときだけということになる。


「さ、行くよ、歌音」


 言うなり、杏樹は平然と裂け目を潜った。

 少し戸惑ったが、やがて意を決し、杏樹に続いて歌音も裂け目の中に入った。

 門を潜る時に何か衝撃があるでもなし、あっさりと向こう側に出てみると、そこは先ほど見た通り、森の中にポツンと出来た広場だった。

 時間がまだ早いようで、空には太陽が見える。


 歌音がさりげなく後ろを振り返ると、ゲートがすでに消えていた。

 歌音は慌てて祖母の腕をすった。


「お祖母ちゃん、門! 門! 門が消えちゃったよ?」

「必要となればまた開くから心配しなさんな。ホント小心者だね、あんたは。まぁいい。さっさと行こう」


 スタスタ広場の中央に向かって歩いていく杏樹を、歌音は小走りで追いかけた。

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