第4話 歌音と精霊

 歌音は耳を澄ました。

 遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。

 爽やかな風が頬を撫で、身体を照らす太陽がちょうど良い暖かさとなって……ぐぅ。


 コツン!


「痛い!」

「眠らない! 寝ろとは言ったが、眠れとは言ってないよ、歌音!」

「もう! どう違うのさ!」


 講義は次のカリキュラムに移り、歌音は芝生に寝転がるよう指示された。

 歌音は言われた通り、芝生に仰向あおむけで寝転がって目をつぶった。

 疲れもあってか、一瞬で眠りに落ちる。

 その瞬間、杏樹が、持っていた一メートルもの長さの木の杖で歌音の頭を小突こづいたのだ。

 無警戒だったこともあって、歌音の目に思いっきり火花が散った。


「『寝る』は横になること。『眠る』は睡眠だ。あたしの言ってるのは『寝る』。目をつぶって、世界と一体化するんだ」

「世界と一体化? 分っかんないよ! どうすんのさ!」

「感覚を総動員して周囲のものを感じるんだ。身体の下の芝生の感触、吹き過ぎる風、太陽の暖かな光、遠くの鳥の音。色々あるだろ?」

「むぅ」


 歌音は再び芝生の上で横になった。

 目をつぶる。

 祖母に言われた通り、周囲の気配を探ってみた。

 肌に当たる芝生。ヒンヤリと冷たい地面。髪を優しく揺らす風。微かに聞こえる鳥の声――。


 ――広がって行く。広がって行く。どこまでも意識が……ぐぅ。


 ゴン!!


「寝るな!」

「痛ぁ!!」

「本来じっくり時間を掛けなきゃいけない内容を無理矢理詰め込んでいるんだ。無茶なのも分かっている。だがどうしたって時間が足りないんだ。残った時間は体感でせいぜい一日ってところだろう。それまでに最低限習得するべきことを叩きこまないと……」

「一日?」


 歌音が跳ね起きた。


「そういえばパパとママってどうなっているの? 外の世界は? いなくなっちゃった町の人たちはどうなったの?」


 真剣な表情の歌音を見て、説明の必要を感じたのだろう。

 杏樹は近くで浮いているアナを手招きした。


「ふむ。これに関してはあたしよりアナの方が適任だろう。アナ、説明してやってくれるかい?」

「おっけー」


 妖精のアナが小さなティーカップに入った自分用のお茶を飲み終えると、フヨフヨ浮いて芝生の上に座る歌音の前に行った。

 傍に置いてあるホワイトボードに何やら絵を描き始める。 

 

「世界は隣り合い、幾つも存在しているのね。その中で今、カノンちゃんの関係しているのは三つ。まずは元の世界。これが本線。それと、カノンちゃんが元の世界から切り離しちゃった世界。これがご両親が石化した閉じられた世界ね。そしてここ、全ての世界から切り離された妖精の世界・幻影の森」

「幻影の森……」

「それでね? アンジュ、死んじゃったじゃない? 普通ならそのまま成仏しちゃうとこなんだけど、アンジュに頼まれちゃったのよ。『カノンを魔女として鍛える時間が欲しい』ってね。アンジュは幻影の森に棲む妖精の王族とパートナー契約を結べるほど優秀な魔女でね? 後継者問題は妖精界においても大問題なわけよ。だから私が世界の時を止めたの。そんなに長くはもたないけどね」

「……は?」


 ホワイトボードを見ていた歌音の動きが止まる。

 歌音は表情を固めたままゆっくりとアナを見た。


「……え? 時を止めた? 時間が流れてないの?」

「そうよ? 外の世界ではね。だから今の間にしっかり魔法を使えるようになるのよ、カノン」

「ちょっと待って。アナが? 時間を止めたの? そんな神さまみたいなことができるの?」

「まぁね。さっき言ったでしょ? 幻惑の森に棲むのは妖精の王族だって。こう見えて凄いのよ? 私。ふっふーん」


 歌音の驚愕の表情に気分を良くしたのか、アナが空中に浮いたまま、その場で妙なダンスを踊り出す。

 そんなアナを見て、杏樹が思わずため息を漏らす。


「アナが王族ねぇ。そんな風には見えないけどなぁ」


 歌音は芝生の上にあぐらをかいて目をつぶった。

 結跏趺坐けっかふざだ。 

 やり方を変えて、自分なりの訓練を試してみるのだろう。


「妖精は見かけによらぬものってね。まぁだから、今の間にしっかりアンジュから魔法を学ぶのよ? あ、アンジュ、歌音のパートナーの件でちょっと相談したいんだけどいい?」

「あいよ」


 アナとアンジュは揃って小屋の方へと向かった。

 そして二十分ほどしてアナと杏樹が戻って来たとき――。

 結跏趺坐した歌音の周りを光が四つ、飛び交っていた。

 火の気を持った赤い光、水の気を持った青い光、風の気を持った緑の光、土の気を持った黄色の光の四つだ。

 アナと杏樹の気配を感じ、歌音が薄っすら目を開く。


「あんた、それ……」


 杏樹が絶句する。

 半ばトランス状態にあるのか、半目の状態で歌音がつぶやく。


「なんか集まってきちゃった。修行の邪魔だって何度も言っても、この子たち、ボクたちと遊ぶのが修行だよって離れてくれないんだ。意味分かんない。困っちゃうなぁ……」


 アナと杏樹は唖然あぜんとして顔を見合わせた。


「どうなってるんだい、これは。四元素が全て揃っているじゃないか」

「そうねぇ。これって天然なのかしら。ビックリするくらい精霊に愛されてちゃってるわね。この短期間でここまでできたら上出来じゃない? なんとかなりそうで良かったわ」

「だといいんだけど……」


 杏樹は心配そうにつぶやくと、歌音の前に立った。


「歌音、いったん魔法核コアを静止させな。そう、それでいい。いいかい、これからあたしの言う通りにするんだ。いくよ?」


 トランス状態を維持しているのか、歌音が結跏趺坐したまま、ボンヤリとうなずく。


「よし、魔法核を動かしな」

「イグナイテッド(着火)」


 歌音の丹田にある魔法核が回り始める。

 

「うん、それでいい。じゃ次だ。火の精霊を呼び出しな」

「アグニ(火よ)」

 

 歌音の魔法核が火の力を帯びると、火球が幾つも魔法核から放たれ、一気に身体から飛び出した。

 飛び出した火球は五個。

 火球はまるで惑星と衛星の関係のように、歌音の周りをうなりを上げつつ真っ赤に燃え、時計回りにグルグル回っている。


「うむ。じゃ、そのまま体内を支配する精霊を切り替えなさい。水の精霊だ。はい!」

「アクア(水よ)」


 杏樹が手を叩くと同時に、歌音は魔法核に水のイメージを送り込んだ。

 それを受けて、歌音の周囲を飛び回っていた火球が一瞬で水球に入れ替わる。

 入れ替わりのスムーズさに、杏樹が思わず口笛を吹く。


「いいよ。じゃ、風の気だ。さっきと同じ要領だ。できるね? はい!」

「ベントゥス(風よ)」


 杏樹が手を叩くのに合わせ、歌音は今度は魔法核に風のイメージを送り込んだ。

 魔法核の中で激しく水しぶきを上げていた水の精霊が今度は風の精霊に入れ替わる。

 それに合わせ、歌音の周囲を飛び回る水球がつむじ風に切り替わる。

 

「よし、次は最後、土の精霊だ。入れ替えな。はい!」

「テッラ(地よ)」


 歌音は魔法核に土のイメージを送った。

 歌音の周囲を飛ぶつむじ風が土塊に変わる。

 うなりをあげて飛ぶ土の塊を見て、杏樹は満足そうにうなずいた。


「ま、大丈夫だろう。よし、いいよ、歌音。力を抜きな。ちょっと休憩しよう。小屋の中に入りなさい。アナ、継承の準備をしておくれ」

「継承? お祖母ちゃん何のこと?」


 集中しすぎて疲れたのか、トランスから脱した歌音は、頭を振り振り立ち上がって小屋の中に入ると、そこに置いてあった椅子に座った。

 続いて入った杏樹は、なぜか椅子に座らず歌音の隣に立った。

 歌音が杏樹を見上げる。


「あれ? お祖母ちゃん、座らないの?」

「あぁ、まぁね。気にしなくていいよ」


 と、そんな祖母と孫のやりとりを横目に、妖精のアナは部屋の中央に行くと、光を発しながらクルっと回転した。

 歌音は目を見張った。

 どういうカラクリなのか、アナが人間とほぼほぼ変わらない等身へと変化した。


 見た目は三十代か。身長は百六十センチの杏樹よりも高く見える。

 着ていた光り輝くミニのドレスは足首まで覆うロングドレスへと変わり、髪のお団子もほどけ、ウェーブが掛かった金色に輝く髪は背中まで届くロングヘアへと変化した。

 全体的にとても美しく、可愛らしい人形から、パーティに出席する海外セレブのような豪奢なイメージへと大転換していた。

 

「え? アナ……さん? どうしちゃったの?」


 思わず敬語が出る歌音を見て妖精のアナはウィンクをしながら言った。


「私の本当の正体は、この幻惑の森に棲む妖精の女王・アナスタシアです。黙っていてごめんね」


 アナは女王の印なのか、懐から取り出した金色のかんむりを頭にかぶると、歌音に向けて悪戯いたずらっ子のようにペロっと舌を出した。

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