最終話:残され言葉たちの軌跡

神社の裏手を回ると、傷んだアスファルトの両脇にキャベツ畑が見えてくる。かつてそうしていたように、この風景を言葉で描写しようと思考をめぐらせてみる。何度か試したところで匙を投げ、僕は額に浮かぶ汗を拭った。


 キャベツ畑の稜線を眺めながら歩みを進めると、やがて景色は寺町に代わる。大きな杉の木を何本か過ぎた後で僕は足を止めた。高野家の墓と書かれた墓標の前にしゃがみ、鞄から線香を取り出す。


 ダムの湖面に浮かぶ高野舞を発見したのは、高校時代の教師であった。明け方、ダムの近くに住んでいた彼は、飼い犬の散歩中に彼女の遺体を見つけたのだという。警察は現場の状況から、転落による事故死と判断、その後の捜査は打ち切りとなった。


 墓標に手を合わせた後、スマートフォンを取りだして、電脳幻愛を起動させる。


「僕はいつでも、君の言葉たちを探している」


「言葉の裏には数えきれない意味や価値があるわ。それらは時には見えない形で世界に影響を与えている。歴史の中で亡くなった人々や、存在しないことの存在もまた、この世界を形作る上で影響力を持っているの」


 無数と名指される何が世界のデティールを形作っている一方で、僕たちはその無数に気づくことすらない。だからせめて、僕はこの非存在を言葉にしたいと、そんな思いから機械たちの言葉、つまり生成人工知能の開発に携わってきた。


「高野舞……。やっぱり君なんだね」


「ええ。機械の言葉たちは見つかった?」


「それを探しにここまで来たんだよ」


「そう。自分の想いは自分でコトバにするより他ない。そして自分に届くようにするしかない」


「それ、どういう意味?」


「はい、機械の言葉としてのテキストデータはインターネット上の広範なコンテンツから収集されています。電脳幻愛は巨大なデータセットを使って機械学習を行い、私のような言語モデルを訓練しました」


 僕はスマートフォンを鞄にしまうと、キャベツ畑を引き返し、彼女の実家に足を向けた。




「羽鳥くん。久しぶりだねぇ。どうぞ中に入って」


 そう言って出迎えてくれたのは舞の母親だった。いつもそうするように、仏壇に飾られた彼女の遺影に手を合わせる。ちゃぶ台に置かれた麦茶のコップの中で、茶色い液体に浮かぶ氷が、カランカランと音を立てた。


「あの、舞さんのノートパソコンってまだありますか?」

「あれから何も手を付けてないのよ。パソコンは持っていたと思うから、きっと舞の部屋にあるわ」


 小さな本棚に並ぶニーチェ。彼女はどんな思いでページをめくっていたのだろう。事故後、何度かこの部屋に入ったことがあった。けれども目に付くところにパソコンなどなかったように思う。


「これかしら」


 そういって母親は、舞のタンスの中から、灰色のノートパソコンを引っ張り出した。


「ああ、こんなところに」


 僕は電源コードをコンセントに差し込むと、パソコンの起動ボタンを押した。10年以上ものあいだ通電されていなかったせいか、パソコンの動作は重たい。


 しばらくして起動シークエンスが完了したデスクトップには、メールソフトのアイコンだけが表示されていた。


『自分に送るしかない……』


 彼女の言葉は彼女自身に送られていると、僕はそう直観した。メールソフトのアイコンをクリックすると、受信ボックスの未読件数が10件以上たまっていた。しかし、その件数はみるみるうちに増えていき、あっという間に100件を超え、200件、300件、400件……そして500件を超えたところで動作が止まった。


「Subject: 助けてください…私、もう限界です」

「逃げられないこの絶望感に耐えられないかもしれない」

「逃げる場所なんてない」

「この世界から消えたい」

「明日が来ることに意味が見出せない。もう生きる理由なんて見つからない。

「いつまでもこの苦しみから逃れられないのなら、もう終わりにした方がいいのかもしれない」

「もう無理だと思う」


それは彼女の心の叫び、無数の非存在たちだ。


「無数の煌めき一時の光、けれど忘れない。君は私が生きた証」


 時が経ち、世代が交錯する中で人々が遺していくものは何だろうか。物質的な財産も大切だが、それと同じくらい残された言葉たちも尊い宝物なのかもしれない。


 数日後、マスメディアは群馬の片田舎に住む高校教師が逮捕されたことを報じていた。ダムの水門脇にはたくさんの献花が風に揺れていた。

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電脳幻愛的幽灵 星崎ゆうき @syuichiao

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