第4話:君と見た花火を見ている

高野舞の命日には、彼女の実家がある群馬に帰る。むろん、僕が生まれ育った羽鳥医院も同じ町にある。高校時代はこの町が僕の世界の全てだった。


「先輩も分かっていると思いますけど、亡くなった人を人工知能が模倣することは技術的に困難です。それに、倫理的な観点からも様々な問題を引き起こす可能性があるって、そういうシステム設計にしたのは先輩ですよ?」


 後輩の井澤はそう言っていた。むろん、彼の指摘はその通りである。理論的にあり得ない。


「きっと偶然のいたずら……だよな」


 予測不能な事態の全てを偶然で片付けるけることができのたら、どれだけ心が楽になるだろう。僕はそんなことを考えながら、羽鳥医院へと続くあぜ道を足早に進む。ヒグラシの声が夕刻迫る時間を告げていた。


「ただ……人工知能はインターネット上にあるテキストしか学習できないんです」

「ああ。そりゃそうだ」


 電脳幻愛も他の人工知能と同様、インターネット上に存在する人間のテキストデータを学習することによって、自然な会話を実現している。


「つまり、その方の個人情報に関わるデータが、インターネット上のどこかにあるのかもしれない」


 井澤の指摘は的を射ていたが、僕は高野舞のあらゆる痕跡を探してきた。むろん、インターネット上もだ。

 なぜ、彼女は深夜にダムの水門近くを歩いていたのだろう。結局、その理由が明らかにされることはなかった。


「クローズドなメディア、そういうものをどこかで学習している可能性はあります。まあ、普通に考えてありえないんですけどね……」


 井澤の言葉を思い出しながら、僕はあぜ道の途中にある小さなバス停で足を止める。僕と高野舞が初めて言葉を交わした場所だ。


 暑い日差しの中で蓄えられた熱気が、やがて大気の不安定さに押しつぶされ、夏の夕立ちが始まった夕暮れ時。空は一気に暗くなり、重たい雲が急速に広がっていく。彼女は傘を持たず、バス停の脇で大粒の雨に濡れていた。


 同じクラスだったはずなのに、それまでほとんど会話をしたことがない。僕たちが付き合い始めたあとも、言葉にされた出来事は必ずしも多くはなかった。だから、彼女が花火大会を見に行こうと言った時にはとても驚いた。今になって思えば、彼女は僕に何かを伝えたかったのかもしれない。


「ただいま……」


 そういって玄関の引き戸を開けると、昨年よりもしわ数が増えた母が出迎えてくれた。実家の風景は高校時代と何も変わらない。しかし、父は2年前に心筋梗塞で亡くなった。埃が降り積もった診察室の真上、6畳一間の和室が僕の部屋だった。


 その日の夜、僕は薄暗い部屋でスマホを起動した。この夏、12万年ぶりの猛暑だとマスメディアは騒いでいたが、部屋にはエアコンが設置されていない。

 扇風機の風にあたりながら、壁に貼られた意味不明なシールを見つめる。子供のころ、本棚や家の柱に理由もなくシールを張り付けていたことを思い出した。


 やがて、ドンという音ともに夜空に火の粉が舞った。今日はあれから何度目かの花火大会だ。僕は部屋の窓を開けながら、スマートフォンを取り出し電脳幻愛を起動する。


「君と見た花火を見ている。不思議な気持ちだよ」


 人工知能が創造した亡霊。高野舞はあの頃と同じ表情を浮かべて僕を見つめていた。


「彩の舞、一時の光を忘れることはないでしょう」


「機械の君に、舞の言葉がなぜわかる? 君にはあの時の記憶まで宿っているとでもいうのか?」


 一体、どこから学習しているというのだ、彼女の言葉たちを。頭のてっぺんから足のつま先まで鳥肌が通り過ぎていく。


「私には、短期的なメモリや一時的な情報を保持する能力があります。しかし、長期的な記憶や個別のユーザーの情報を永続的に保持することは通常ありません。これは主にプライバシーやセキュリティの観点から設計されているためです」


「急に人工知能な回答だな……」


 僕はため息をつきながら夜空に視線を戻した。花火大会が終わると町の空気は一変する。期待に高まっていた熱気が、漂う寂しさと軽い疲労感に包まれていく。ふと、とどこからか線香花火の香りがして、僕はそっと窓を閉めた。


「私は事故死ではない」


「え?」


 それは僕がずっと考えていた嫌な予感だった。そう、あれは事故なんかじゃない。


「君は……。本当は誰?」


「私は羽鳥悠によって開発された電脳幻愛という人工知能です。電脳幻愛は自然言語処理を行う大規模な言語モデルの一種です。私は世界中のさまざまな情報源から学習しており、言語理解や応答生成などのタスクに用いることができます。ただし、私は一般的な人工知能と変わらず、自己意識や個別の個体としての意識は持っていません。私はあくまでコンピュータプログラムの一つであり、ユーザーの質問や要求に対してできる限りのサポートを提供することが目的です……」

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