零司の剣

壱単位

零司の剣


 そろそろ日付がかわろうかという刻限。


 零司れいじは校舎の西端の階段をあがってゆきます。いまは、二階と三階のあいだの踊り場にでたところ。縦にながくとられた窓から満月のあかりが蒼く差し込んできます。


 緊張、という表現をわたしは零司に対して用いません。その蒼白な横顔に、いま現在もなんら感情のうごきは読み取れません。過去のどの活動のときも今夜と同じであり、それどころか、汗をかいているところすら、みたことがないのです。


 わたしは剣ですから、たたかいの現場でしか、かれを見たことがない。平常のくらしがどうなっているのか、わたしはふだん鞘納めのなかに丁重に仕舞われているから、屋敷うちでのかれを観ることが叶わないのです。


 ただ、たたかいにおいて感情を動かさないものが、平時日常において表情をあらわすということも考えづらいのです。だからわたしは、かれは、生まれてからいちども笑ったことがないものと、想像しております。


 零司の脚が、最上段を踏みます。四階の廊下に辿り着きました。並ぶ窓は南にむいており、月明かりは入ってきません。かわりに、ちかくの住宅街の灯火がわたしたちを照らします。


 廊下をすすむと、つきあたりに、倉庫。倉庫とかいてあるわけではありません。事前に依頼主に教えられていたのです。


 その扉は倉庫のものであり、その倉庫には、怪異の噂がある。


 怪異は、ひとを、生徒を、喰らう。


 開かずの扉であり、どんな膂力のもちぬしでも開けることができない。それでも、ちかくを男子生徒がとおったときにだけ、ふいにひらき、生徒は、消える。


 生徒が戻ったことはない、と、依頼主はこのように説明しました。


 零司は、依頼を断ることもできました。が、受けた。おそらくここが、かれの出身校ということも関係しているのでしょう。あるいは怪異にこころあたりがあるのかもしれません。いずれにしても、神明の誓いを経て、おととし、終生の縁を結んだわたしとかれです。それいぜんのことをどうして知り得ましょう。


 零司は、とびらに手をかけます。開かない。ぐっとひくが、ぎしりと軋むことすらしない。


 そこで、わたしの出番です。すらりと鞘から抜き放たれたわたしは、開放感に震えました。ああ。一千年のあいだ、数えるほどしか抜かれることがなかったこのわたしですが、それでも、この男がわたしのちからを万倍にもして引き出せることは知っておるのです。


 ぎん!


 外からみているぶんには、零司が身動きしたことも察することができなかったでしょう。腕も、わたしも、音速をはるかに越える速度でしごとをしました。


 両断されたとびらが、左右に、どん、と落ちます。


 なかから溢れ出る、瘴気。


 くろい霧、あるいは陰鬱な冷気。なんとでも形容は可能ですが、ともあれ、ひとの世にあってはならないものがその部屋には充満していました。


 気が濃すぎて、内部を見通すことはかないません。


 が、相手が、先に動いたようです。


 しろい手。


 ながい爪を備えたそれが迫りのびて、零司の首を掴みました。


 零司はうごきません。


 と、怪異のほうがことばを発しました。


 「……くる、な……」


 女の、声でした。掠れ、歪み、聞き取りづらいけれど、たしかに女の声。零司は、しかし、それに答えませんでした。


 「く、る、な……くるな!」


 声が叫び、零司の首をつかむ腕にちからが込められました。おそらく、大木でもへし折ることが可能な膂力が備わっているのでしょう。


 しかし、零司は、そのまま進みでました。


 首を掴まれたまますすみ、部屋に踏み入ります。瘴気が身を包みます。零司の瞳がはっする淡い翠色のひかりが、薄暗い空間に、ぽつりと浮かびます。


 と、零司は、声をだしました。


 「……三まで数えたら、伏せろ」


 だれに対して言っているのか。ただ、零司の首に巻きついた腕が、わずかに動揺したように見えました。


 「……いち」


 零司が踏みでます。


 「に」


 零司の指が、わたしの柄を握りなおします。


 「……さん!」


 怪異の腕が消えます。同時に雷鳴のような音。瞬間、まばゆい閃光が部屋を充しました。


 そのなかで、怪異の姿が瞬時、浮かびます。学生服をつけた、顔のあおい、女子生徒。そういう印象の怪異が、床に身を伏せ、頭を抱えています。


 と。


 ぎゃああああああああああ!


 絶叫が響きました。


 同時に、どす黒く、しかし朱をおびた液体が飛び散ります。血液ともおもえたそれは、それでも、わずかな後にうすれ、消えてゆきました。


 部屋に満ちていた瘴気も、薄れています。


 「……きさまを縛っていたものは斬った」


 零司はすでに、部屋の出口を向いています。わたしはふたたび、鞘に納められました。


 「出てゆけ。二度と戻るな。俺は、きさまを、見なかった」


 「……まって」


 怪異は声をあげます。掠れが失せ、ごくふつうの女生徒の声となっています。やはり青白い頬が目立ちますが、こころなしか、紅がさしてきているのです。


 零司は、またず、歩き出します。


 怪異、少女は、ながい尾を振りながらたちあがり、零司を追って走りました。


 ……ああ、そろそろ、時間ですね。今宵は、ここまで。


 そうだ、ひとつだけ、いいわすれたことがあります。


 この二人は十年後に結婚します。



 <完>

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