エピローグ(9)
…………思えば。
昔はおとぎ話をよく聞かされた。
まだ私が幼いころ。眠れない私のために語られる、「むかしむかし」ではじまる物語。
病弱で伏せる母に代わって、一つしか年の変わらない姉が、頼んでもいないのに毎晩のように語り聞かせたのだ。
私のベッドの枕元。小さな体に大きな本を抱え、得意の魔法で彩りながら。
「――――ねえ、おねえさま」
あの話を聞いたのはいつだろう。
正直者の姉と嘘つきな妹の物語。最後に嘘が暴かれて、不幸になった妹に、たぶん私は自分を重ねていたのだと思う。
「この子はしあわせになれないの? もう、いもうととは仲良くできないの?」
覚えているのは、本を膝に抱えた姉の瞬く顏。しんと静まり返った夜の色と、枕もとを照らす燭台の火と、少し考えるような姉の表情。
それから――――。
「………………いいえ」
しばらくの間のあとで、ぱたんと、本を閉じる音。
最後まで読み切った本を横にのけ、姉は私に両手を広げてみせた。
夜の空気を、姉の魔力が揺らす。魔術の花開く気配がして――。
「そんなことはないわ。このお話には続きがあるの。――実は妹も頑張り屋で、意地悪をしていたわけではなくて、……ええと、それに王子様や国の人たちも悪い人じゃないってわかるのよ。それでね、それで――――」
ぽん、と小さな光が暗闇に弾ける。
無数の光が、姉の周囲で続けざまに輝いて消える。
まるで花吹雪のように。物語の結末を祝福するように。
「それで、みんな仲直りして、みんなで幸せになるのよ! 主人公も、妹も、王子様も、隣の国の王子様も、みんな!」
覚えている。
鮮やかな魔術の色。夜闇を押しのける輝き。誰かの描いたおとぎ話の結末より、なお幸せなハッピーエンド。
馬鹿らしい。ありえない。夢見がちな姉らしい、まるで現実的ではない子どもじみた空想。
――――それでも。
あの日、姉が語り聞かせた底抜けのハッピーエンドは、今も私の中に残り続けている。
遠い記憶から目覚めるように、私はゆっくりと瞬いた。
真正面には、ジュリアンの食えない顔。雑多だけれど居心地の良い事務室。ほとんど人の訪れない、王宮外れの穏やかな静けさ。
その静けさの中で、私は小さく息を吐く。
なんだか、肩の力が抜けたような心地だった。
「…………そうね」
たぶん、私にとっての世界の中心は姉だった。
あの不器用で、正義感で、潔癖なほどの理想主義で、どうしようもない善人で、だかこそ破滅的な人に報われてほしかった。
私にとってのハッピーエンドは、姉の幸福だ。
まるきり物語の主人公のような姉が、いつか幸せを掴む姿を見たかった。
だけど――。
「お姉様ばっかりが幸せになるなんて癪だものね。こっちは迷惑をかけられ損だわ」
きっと、それだけでは駄目なのだ。
私が憧れたハッピーエンドは、格別に幸福なもの。主人公も、王子様も、周囲の人々も――意地悪な妹だって、『みんな』が幸せになる結末なのだから。
「今までさんざん苦労させられたんだから、こっちだって思いっきり幸せにならないと」
笑うように言えば、ジュリアンが目を細める。
うん、と頷く声は穏やかで気負わない。顔に浮かぶのは緩い笑み。空気はやわらかく、どこかゆっくりと流れていく。
劇的なことはなにもない。物語のように波乱万丈ではなく、手に汗を握るような緊張もなく、きっとロマンチックでもないのだろうけれど。
「うん、リリア。――幸せになろうね」
わずかに照れたような言葉。食えないくせに真剣な瞳。少しためらってから、迷うように伸びる手。
私に触れようと、今度こそ身を乗り出すジュリアンに、私は――――。
「――――失礼いたします! 殿下、こちらにいらっしゃいますか!?」
私はスッと身をかわし、ジュリアンから距離を取った。
並んで座っていた椅子からは、もちろん立ち上がる。手早く服の乱れを直し、軽く髪を整え、頬を揉んで表情を作るまで五秒。
ドタドタとした足音とともに扉が開くときにはもう、可憐な令嬢の出来上がりだ。
私の隣で、ジュリアンが苦い顔をしているのは気にしない。
先ほど、彼がなにをしようとしたのかも考えない。
ロマンチックではないとか言っておきながら、信じられないくらいに心臓が脈打っていることなんておくびにも出さないで、私は扉の先へ小首を傾げてみせた。
「まあ、そんなに急がれて。今度はいったい、なにがありましたの?」
これもまた、淑女のたしなみなのである。
(終わり)
――――――――――――――――
ここまでお読みくださりありがとうございました!
えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~追放されたお姉様が戻ってきたと思ったら~ 赤村咲 @hatarakiari
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