エピローグ(8)

「………………傷ついた顔、してたのね」


 ぽつりと、噛み締めるように私は呟いた。

 私がそんな顔をしていたことが、自分で信じられない。だけど同時に、妙に腑に落ちたような心地もする。


 あのときの私たちにとっては、姉を取り戻すことが第一。テオドールの思い通りになることを、苛立ちを呑んで受け入れると決めた。

 私もジュリアンも、情熱的なタイプではない。やりたいことは我慢できる。耐えがたい感情も抑えこめる。

 すべてを投げ出して、相手を追いかけることはできない。物語の主人公のように、自分の感情だけに従っては生きられない。

 だから結局、ジュリアンは演技を続けて、私はそれを黙って見送ったのだ。


 それでも――嫌だった。


 嫌だったんだ。

 ジュリアンが、他の誰かと恋人のようにふるまう姿を見ることが。


「……僕たちってさ、基本的に冷静だし、自制心強いし、自分にも他人にも嘘を吐くのが得意なんだよね。立ち回りが上手くて、要領が良くて、そのせいで貧乏くじばっか引いてさあ」


 私の隣では、ジュリアンがいつものように肩を竦めている。

 語る声は飄々として、まるっきり普段通りだ。らしくない真剣さも、息の詰まるような緊張も、今ではすっかり消え失せていた。


「僕じゃ兄様みたいにはいかない。告白だってもうちょっとロマンチックにやりたかったのに、結局上手くいかないし」


 言いながら、ジュリアンは姿勢を崩して机に肘をつく。

 ちらりと私を見る目には、どことなく自嘲の色があった。


「この世界が物語なら、きっと主役は兄様やルシアで、僕たちは脇役なんだよ。すべてを捨てて幸せになる二人の影で、なんでもない顔でつじつま合わせをする役割」


 それでも、物語はハッピーエンドだ。

 紆余曲折を経て主役たちは幸せになり、後始末する脇役たちは表に出ないまま。主役の幸せを壊してまで、自分たちの幸せを追おうとするだけの激情は、きっと私もジュリアンも持っていない。


 たとえ持っていたとしても、心の底にしまい込み、気付かない振りをして、それこそなんでもない顔をするのだろう。

 だって私たちには、それができてしまうのだから。


「でもさあ」


 だけど、ジュリアンは首を横に振る。

 そうして私に向けるのは、やっぱりなんでもなさそうな、食えない表情だ。


「僕はやっぱり君が好きで、本当は諦めたくなんてない。君もたぶん僕が好きで、他の誰かと一緒にいるのを見たくない。なんでもない顔をしてたって、やっぱり嫌なんだよ」


 結局真剣な告白は諦めて、へらりと気安く笑う彼は、物語のヒーローには向いていない。

 雑談のように告げる『好き』の言葉。なんとなく気の抜けた部屋の空気。雑多な事務室という場所も、机に積まれた書類の束も、物語の告白シーンなら台無しだ。


 そして誰よりも、そうさせてしまった私自身がヒロインとしては失格なのだろう。

 告白をされてもピンとこない。好きだと言われても可愛げのある反応はできず、私自身の感情さえ相手に指摘される始末。


 私では、おとぎ話の主人公にはなれない。

 誰もが憧れる夢物語は、私とは縁遠いところにあるけれど。


「ハッピーエンドって言うならさ。脇役までみんな幸せになってこそだと思わない?」


 当たり前のように横に並んで座り、当たり前のように顔を突き合わせて、気負いなく告げられたその言葉が、なによりすとんと私の胸に落ちてきた。

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