七十五日

香久山 ゆみ

七十五日

 ――人の噂も七十五日。七十五日もすりゃあ大抵の噂話は忘れられちまう。だけど、それを過ぎても忘れられんかった噂は、本当になっちまうんさ。

 教えてくれたのは隣のばあちゃんだ。小五の夏、おれは噂が本当にならぬよう奔走した。

 その年は大寒波が来て、春が遅かった。梅が蕾をつける頃には、ばあちゃんはすっかり体調を崩していた。あれだけ元気だったのが嘘みたいに、寝起きもままならない。それで、東京から帰ってきたのがゆっこ姉ちゃんだ。

「ばあちゃんの孫が世話しに来た」

「東京で失敗したらしいけれど、世話する人がいてちょうどよかったわ」

 母ちゃんたちは早くから噂話をしていたけれど、おれがゆっこ姉ちゃんと初めて会ったのは、春休みに入ってからだ。

 母ちゃんは春休みをいいことに、おれをよく使い走らせた。ばあちゃんとこに料理のお裾分けを持っていけとか、雨戸を開けてやれとか、草むしりしてこいとか。面倒くさかったけど、訪ねる度に「おばあちゃんは眠っているから」と、ゆっこ姉ちゃんが応対してくれたので、満更でもなかった。春休みが明けても、ばあちゃん家への使いはおれが担った。

 六月の長雨が一週間も続いた未明に、ばあちゃんは死んだ。

 通夜にはばあちゃんの親戚達も集まった。喪主はばあちゃんの息子というおじさんが立った。ゆっこ姉ちゃんは、ずっとばあちゃんの枕元に静かに座っていた。都会から来た人は黒じゃないことに驚くが、この地域では昔ながら白い喪服を着る。白い衣を纏って佇むゆっこ姉ちゃんの姿はこの世のものと思われないくらいに美しく、今も脳裏に焼きついている。葬式には姉ちゃんと同年代の女性もいたが、誰もゆっこ姉ちゃんには敵わなかった。

 葬式が終わって、ゆっこ姉ちゃんともお別れかと思ったが、姉ちゃんはそのままばあちゃんの家に残った。もうお使いを頼まれることもなかったけれど、おれはしばしば顔を出した。姉ちゃんが落ち込んでやしないかと心配だったんだ。

 七月半ば、夏休みになったら何をするかと教室で話していた時、誰かが言った。

「肝試ししようぜ。誰も住んでいないはずの家に、女の幽霊が出るらしい」

 それは、ばあちゃんの家だった。近所に住んでいない連中は、東京からゆっこ姉ちゃんが来ていることを知らないのだ。

 こんな噂を放っておくわけにはいかない。訂正するも、すでに学校中に広がっているようだった。そのうち、子供だけでなく大人までそんな噂を口の端に乗せるようになった。

 悲しいことに、噂を掻き消そうとすればするほど、噂は消えず広まっていく。

 ほとんど家から出ることのないゆっこ姉ちゃんだが、じき耳に入ってしまうだろう。情けないけれど、直接本人に相談することにした。だって、姉ちゃんが皆の前で説明すればそれで万事解決するのだから。おれが皆を集めると言うと、姉ちゃんは首を横に振った。

「けど、ちゃんと噂を消さないと本当になっちゃう。ゆっこ姉ちゃんが……」

 死んじゃうかも。という言葉は飲み込んだ。

「いいのよ、私は。それで構わないわ」

 姉ちゃんは悲しそうに笑った。

 おれが何とかしなきゃ。改めてそう思った。それで、新しい噂を流すことにしたのだ。けれど、努力虚しく、結局ゆっこ姉ちゃんはいなくなってしまった。

 そんな懐かしいことを思い出したのも、久々の帰郷のためだ。全寮制高校に入学したおれは部活に邁進してろくに帰省することなく、そのまま県外の大学に進学した。たまに帰ってきても、飯食って寝てばかりで、ゆっこ姉ちゃんを思い出すこともなかった。しかし、近々ついにばあちゃん家が取り壊されるという話題から、自然と記憶が呼び戻された。

「あんた、隣のばあちゃんにずいぶん可愛がってもらって懐いてたものねえ。ばあちゃん死んだあとまで家を覗きに行ってたでしょ」

 母さんが言う。本当はゆっこ姉ちゃんに会いにいってたんだけど、黙っておく。

「まあ、ユウ子ばあちゃんも嬉しかったんじゃないかね。折角お孫さんが世話しに来たと思ったら、就職先が見つかったからってすぐ出てっちゃったんだもん。あんたがご飯届けてくれたりしてよかったよ」

「……え?」

「それでさ、ばあちゃんが亡くなったのがショックだったのか、あんた当時おかしなこと言って回ってたわねえって、最近井戸端会議で噂してるのよ」

 年取ると昔話に花が咲いて嫌ねえ。その噂話は取り壊しが決まって以降かれこれ二ヶ月は話題になっているらしい。

「二十になったらなんとか姉ちゃんと結婚する約束をしたんだ、とかなんとか」

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