天国のメガネ

南村知深

とあるメガネ屋の午後

 道路に面したショーケースのガラスの向こうに、黒いポニーテールがぴょこぴょこと跳ねているのが偶然目についた。

 じっと観察してみると、どうやら小さな子供がショーケースを覗こうとして飛び跳ねているようだ。大人なら余裕で見下ろせる高さも、子供の身長では見えないらしい。


 ここは流行らない商店街の一角にある、古びた小さな個人経営のメガネ屋。

 私はそこのたった一人の従業員だ。

 店長は最近、私に店を任せっきりにして昼間はどこかへ出掛けている。

 もっとやる気を出してもらいたい……などとは思っておらず、私としてはこの店が潰れず給料さえ貰えればそれでいいので、店長不在でも気にならない。給料は決して多くないが、仕事の内容を考えると妥当だし、生活するのにまったく足りないというわけでもない。


 で、レジカウンターで暇をもてあまし、どこともなく視線をさまよわせていると、ポニーテールがぴょこぴょこと跳ねているのを発見したというわけである。

 そうまでしてホコリを被ったメガネフレームが見たいのだろうか。

 私から見れば、何の変哲もない流行遅れのフレームが十本ほど並べてあるだけで、おもしろくともなんともないのだが。

 しかし、あまりにも一生懸命跳ねているポニーテールを見ているとなんだかかわいそうになってきて、私はその子を店に入れてあげようと思った。

 三時ちょうどに鳴り出す柱時計のオルゴールの音色に乗って、私は店のドアを開けてショーケースのほうを見た。

 そこには、ツヤツヤした黒髪をポニーテールにした、見た目は四、五歳くらいの女の子がいた。薄い水色のフリルがこれでもかと言うほど付いた黒っぽいワンピースの服を着ていて、それに似合い過ぎる真っ黒なブーツっぽい靴を履いていた。なんだか魔女のような印象だった。

 女の子はドアを開けた私の存在に気づいていないのか、ショーケースを見上げるようにしながら、ぴょんぴょんと一生懸命飛び跳ねていた。着地のたびにコンクリートの石畳がブーツの底に叩かれてゴツゴツと重苦しい音を立てる。


「中に入って見てみる?」


 声をかけると、女の子は、はっとしたようにこちらを向いて、じーっと私を見つめてきた。

 どんぐりみたいな可愛らしい真ん丸の黒い目――を想像していたが、予想に反して切れ長で三白眼だった。睨まれているようで結構怖い。


「今なら誰もいないし、自由に見ていいよ」


 そう声をかけたが黙したまま一切答えず、女の子はじーっと私の顔を見ている。

 ひょっとして言葉が通じないのだろうか。


「…………」


 永遠にこの状態が続くんだろうか、などと私が突拍子もないことを考え始めた辺りで、女の子はこくりと一つうなずいてから、すたすたと歩いてきて店に入った。

 女の子に続いて店に入った私は、一直線に道路に面したショーケースに向かう小さな背中を目で追う。

 店に入ってもショーケースの高さは変わらないので、やはり女の子が背伸びしてもメガネフレームは見えないらしい。不機嫌そうに「見えないんですけど?」と言いたげな顔で睨まれ、圧に負けて高所の商品を下ろすときに使っている踏み台を用意してやった。見ていいよと言ってしまった手前、それはしかたない。


「どれか、気になるのがあるのかな?」


 踏み台に乗ってフレームを見ている女の子にそう訊いてみるが、無視された。

 もう一度訊いたらうるさそうに眉をひそめながら睨まれた。すみません黙ってます。

 女の子はショーケースのメガネを熱心に品定めするように見つめ、ときおり長い睫毛の瞼を、ぱちくりぱちくり、と動かすだけになった。

 一体何なのだろう? メガネが好きというならもっと喜んでもよさそうなものだが、表情を見ていると喜ぶと言うより思い詰めているような雰囲気だった。


「…………」


 ふと女の子が私を見て、無言のままショーケースの鍵を指さした。

 開けろ、ということらしい。

 何も言わずにショーケースのガラス戸を開けてやると、女の子はやはり何も言わず、飾ってある古臭いデザインのフレームをいくつか手にとった。

 そして

 私はそのあまりに堂々たる行動に虚を突かれ、持ち逃げするんじゃないだろうかと気づくのに五秒ほど要した。


「ちょっと……!」


 慌てて表に飛び出すと、女の子は遠くに去った後……というわけでもなく、入口のすぐ前に立っていた。

 持ち出したメガネの一つをかけて、空を見回していた。


「何をしているの?」


 答えてくれないことは薄々わかっていたが、案の定答えてくれなかった。

 女の子は私の存在などないもののように無視し、最初にかけたメガネを外し、次のメガネをかけて空を見回し、またそれを外して次のメガネを……と繰り返し、手持ちのフレームを全部かけ終えると、はぁ、と深いため息をついて、また店の中に入って行った。

 ……謎過ぎる。何がしたいのだろう。

 ひょっとしたら、メガネをかけても見え方が変わらないから落ち込んでいるのだろうか。


「あのね、そのメガネのレンズは飾りで、度が入っていない……と言ってもわからないか。ともかく、そのままじゃ遠くは見えないのよ」


 律義に持ち出したメガネをショーケースに戻していた女の子にそう言うと、すごく恐い目で睨まれた。


「……じゃあ、遠くが見えるメガネを頂戴。普通のメガネじゃ見えないくらい、遠くが見えるのを頂戴」


 初めて女の子は声を出してしゃべった。年齢不相応な感じの大人びた声だった。


「普通のメガネじゃ見えないくらい遠くって……どうしてそんなに遠くを見るの?」

「そこに、ママがいるから」

「……? ママはどこにいるの?」


 不思議なことを言うので、思わず問い返していた。

 すると、女の子は天井を指差した。


「パパが『ママは天国にいるんだよ』って言ってた。だから、天国が見えるメガネを頂戴」


 真面目で、追い詰められたような顔でそんなことを言うのだ。

 私は突拍子もない言葉にどう答えたものだろうと考えたが、上手い切り返しを思い付かなかった。


「ええと、ごめんね。ここのメガネじゃ、多分天国は見えないと思うの」

「……そう。じゃあ、いい」


 一切表情を変えないまま言って、女の子はすたすたと店を出て行った。


「……なんだったの……?」


 ショーケースの向こうを黒いポニーテールが跳ねながら過ぎていくのを茫然と見送り、私はただ立ち尽くしていたのだった。




       終

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天国のメガネ 南村知深 @tomo_mina

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